桜花 儚く散る花
この話は、戦争や特攻を美化する意図はまったくありません。
しかし、先の戦争で日本のために戦い散っていった英霊に対し深い感謝を捧げます。
海軍航空技術廠 MXY-7「桜花」
増速用ロケット推進装置をつけた飛行爆弾で、全長6メートルほどの胴体に幅5メートルほどの小さな翼をつけた体当たり自爆用で、帰還するための脚や車輪など降着装置はない。胴体の頭部が 1.2トンの大型爆弾、中央部がパイロットの座席、後部に推進用火薬ロケットが収納されている。全重量約2トン。
母機の一式陸上攻撃機に懸吊して運ばれ、敵艦に接近して投下される。その後は滑空を主に、ときにはロケットを噴射し、パイロットもろとも敵艦に突入する。
米軍からは「BAKA BOMB(バカ爆弾)」と名づけられた。
靖国神社、遊就館。艦上爆撃機「彗星」の上に、桜花のレプリカが展示されている。
そのレプリカを見上げ、老人は敬礼をする。ピシッと背を伸ばした敬礼姿からは、彼が軍人だったことがうかがえる。
「おじいちゃん、こんなところにいた。お父さんもお母さんも、探してるよ」
そう声をかけてきたのは、末の孫娘だ。今年で二十歳になる。
「すまないね、桜。どうしてもこれを見ておきたかったんだよ」
「何なの? この飛行機。他のとは形とかが違う気がするけど」
「人間が操縦する爆弾、名前を桜花という」
「私と同じ名前……」
人間爆弾と聞いて、嫌そうな顔をする孫娘。だが老人はその孫娘を見て微笑んだ。
「おじいちゃんは、これに乗ったんだよ。これに乗って特攻したんだ」
孫娘は、老人を見て絶句している。老人から戦争の話を聞いたのも初めてだったが、それが特攻隊員の生き残りだとは……
だが老人は妙な表現をした。生き残りでなく、特攻したのだと。
「桜、おじいちゃんの話を聞いてくれないか? 信じられない話だとは思うが、あの日に起きたことを話しておきたい」
孫娘はいつもと違う老人の様子に、ただ頷いただけだった。
鹿児島県、野里村に桜花やゼロ戦で特攻する「神雷部隊」がいた。
夜間にもかかわらず、整備員達がなにやら動き回っている。それを見た大崎孝志中尉は、一式陸上攻撃機の発動機が不調だと話していたのを思いだす。
「遅くまでご苦労さん」
大崎が、声をかけると整備員が手を止め敬礼をする。
「いや、そのまま仕事を続けてくれ、君達の邪魔をするつもりはないんだ」
「はい、今、終了いたしました。明日、問題ない無く出撃できます」
そう返答する整備員に、同僚の整備員が「おい」と肘で突っ突く。
「申し訳ありません」
大崎は、その様子を見て笑った。
「なに、気を使うことはない。ただ、明日乗り込む機体を見ておきたくてな」
「それなら、中尉の搭乗予定の桜花はあちらになります」
礼を言い、桜花に近づく大崎を整備員達がなにやら言いたげに見ている。
「どうかしたのか?」
その視線に気が付いた大崎は、整備員達に問う。
「いえ、じつはこの桜花が補給されてから、その周りで、女の幽霊を見たというものがでています。自分達も兵舎に戻りますので、気をつけてください」
その噂は大崎の耳にも入っていた。だが、明日の夜には大崎自身、幽霊の仲間になっている。
「心配してくれてありがとう」
大崎は礼を言って整備員達を見送った。
桜花。人間爆弾。一度、母機から切り離されると、二度と戻れない運命の機体。明日、自分の棺おけとなる桜花を確認した大崎は、兵舎に戻ろうと踵を返す。
「誰だ?」
大崎は人の気配を感じ、その方向を見ると、大崎の搭乗予定の桜花に寄り添うようにして、女性が立っていた。長い黒髪、端正な顔立ち、年の頃は二十歳前後だろうか……
「お前は誰だ?」
大崎はもう一度問う。すると女性は驚いた顔で、自分自身を指差す。
「お前以外に誰がいる?」
「……もしかして……私が見えるのですか?」
「見えるから、誰何しているのだが……」
「私は桜花。この飛行機に宿った魂みたいなものです」
女性はそう言って、にっこりと笑った。
「ふざけたことを言うな。どこぞのスパイか?」
「ふざけていませんよ。では、こうしたら信じてくれるかしら?」
そういうと、女性は2メートルほどの高さの空中に浮いていた。
「……」
目の前のことに、口をパクパクとさせる大崎。だがその時、戦艦乗りの兄が言っていたことを思い出した。
艦魂。それは文字通り艦の魂の事であり、大小艦艇全てに艦魂は宿っている。戦艦はもちろん、空母、巡洋艦、軍艦ではない駆逐艦や潜水艦、各小型艇にも存在しており、その姿を見ることのできるものは限られ、女性の姿をしていると……
「艦魂……」
「あら? 知っているのですか? 艦魂のこと」
「ああ、兄から聞いたことがある。しかし、飛行機に宿るなんて聞いていない」
「私も聞いたことありません。その辺は私自身、よくわからないのですが、艦艇に宿るものが、飛行機に宿ってもおかしくないのでありませんか?」
説得力のあるような、ないような、曖昧な結論に、大崎は苦笑いをして桜花と名乗る女性に、自己紹介した。
「では、大崎中尉が私のパイロット……」
「ああ、そのとおりだ」
桜花は、悲しげに目を閉じる。桜花も今の日本の戦況は知っている。自分のような兵器が作られた時点で、もう日本という国は追い詰められているのだ。
「大崎中尉は、この戦争に勝てると思っていのですか」
「いや、こんな手段に頼っているんだ。そう簡単には勝てないだろう。しかしな、負けたとしてその後どうなる……」
「……」
桜花は答えない。
「我々の生命は、講和の条件にも、その後の日本人の運命にも繋がっている。そう民族の誇りに……」
「大崎中尉は怖くはないのですか?」
「うん。死ぬのは怖いよ。でも、それ以上に守りたいものがある」
大崎が、ポケットから写真を取り出し桜花に渡す。写真の中では微笑む女性。
「きれいな方ですね」
「妻だ。あと4ヶ月もしたら、子供も生まれる。負けるにしても、妻が、子供たちが少しでも誇りをもてる国を残したい」
「でも、私は嫌です。爆弾をぶつけるために、人、一人を部品にしてしまうこんなやり方……間違っています」
桜花はただ写真を見つめる。
「すまないな、桜花。こんなことに巻き込んでしまって。お前の言うとおりだ。こんなのは間違っている。特攻は統率の外道。分かってはいるのだ」
「それでも行くのですね?」
「私は志願してここに来たのだし、軍人だからね」
「そうですか……」
大崎は桜花から写真を返してもらうと、悲しげに笑った。
「人が始めた戦争で、お前たちにまで辛い思いをさせるな。赦してくれ」
「そんなこと言わないでください。私はそのために生まれ、そのために死んでいくのです。不本意なのは、パイロットを道連れにしてしまうことです」
「そうか、ありがとう」
大崎は桜花に向かい敬礼をする。
「もう時間だし兵舎に戻るよ。短い付き合いになるが、明日はよろしくな」
桜花は、大崎の背中を見送ると月を見上げ、自問する。
「私は、どうしたらよいのでしょう?」
大崎は桜花に乗り移った。冷たい風が体を突き上げる。ふと妻の顔が目に浮かんだ。
「大崎中尉……」
「桜花か」
桜花の声を聞き、操縦桿を握ると不思議と落ち着いた。
「大崎中尉には、やり残したことありませんか?」
こんなときに何を…… とも思ったが、素直に答えることにする。
「たくさんあるが、そうだな…… 生まれてくる、子供の顔を見たかったな。そして、父親としてこの手に抱いてやりたかった」
桜花が、なにやら思いつめたような表情をする。
「そうですか……」
「桜花にもあるのか? やりたかったこと」
桜花は、こくん、とうなずいた。
「私は、自分の名前の元になった、桜の花を見たかったです。きれいな花だと聞いています」
大崎は桜花に微笑む。
「それなら、靖国で見られるさ。九段の桜は、気高く美しい」
そういう大崎に、桜花も微笑む。
「人ならざる身でも、靖国に行けるでしょうか?」
「なに、私と一緒にこればいい。最期まで一緒なのだし、君にも資格はあると思うよ」
「はい。ありがとうございます」
そのとき、一式陸上攻撃機の搭乗員の声が響き渡った。
「敵機だ!」
声と同時に、機銃付きの搭乗員達が弾かれたように銃座につく。
「指揮官機より入電! 敵大編隊の接近を確認、全機戦闘態勢に入れ!」
「各銃座戦闘用意!」
米軍のヘルキャットは、70機ちかく迎撃に出ており、こちらの護衛機はわずか27機。ヘルキャットは易々と一式陸上攻撃機に取り付き、一二・七ミリの火箋が多数の一式陸上攻撃機に降り注ぐ。
「畜生! 2番と4番、7番機がやられた」
「落ちろ! 落ちろ! 落ちろ!」
「一飛曹! しっかり、傷は浅いです」
「畜生 !燃料を吹くぞ!!」
「雲海に逃げ込む!」
一式陸上攻撃機の搭乗員たちの奮戦の声が聞こえる。その中で、大崎は目を閉じ操縦桿を握り、ただ自分の出番を待つ。彼等が射出位置まで運んでくれることを信じて。
「大崎中尉、出番だ。だが、靖国には我等が中尉より先に行くことになりそうだ」
機内電話から、機長の声が聞こえてきた。
「機長、ありがとう。すまない、後はませてくれ!」
「大崎中尉、靖国で会おう」
「ああ、靖国で……」
ゴン!と低い音が機内に響き、桜花は自由落下する。数秒後、大崎はロケットの点火ボタンを押す。
桜花の細い機体に似合わぬ火炎が後方へ吹き伸び、一気に米軍艦隊めがけて加速する。
桜花は、激しい弾幕の中を進んでいく、大崎は前方の視界を急速に占めた、大型正規空母を凝視した。何度も最優先目標として、座学や訓練で叩き込まれた、間違え様の無い目標。
「エセックス級正規空母!」
後はこのまま真っ直ぐに進めばいい。
「やっぱりダメ!!」
「桜花!」
敵襲以来、黙っていた桜花が、突然声をあげた。
「ダメです。大崎中尉!」
次の瞬間、信じられないことに、大崎の体は桜花から投げ出されていた。しかも自由落下ではなく、落下傘をつけてかのようにゆっくりと海面に落ちる。その眼前を搭乗していた桜花が空母めがけて突っ込んでいく。
「桜花!!」
「ごめんなさい、大崎中尉。でも、中尉は生きてください。平和な日本を作ってください。私も、今度は戦争の無い時代に――」
爆風が海面を薙ぎ、爆発音が何度も起き、空母から炎と黒煙が立ち上る。
「桜花……」
大崎は海面に浮いたまま、その光景を眺めることしかできなかった。
老人、大崎孝志は、話を終えると遊就館を出て、桜の木の下に孫娘を伴って立っていた。孫娘が、どのようにあの話を受け止めたのかはわからない。でも彼は満足していた。
ここ、九段の桜は気高く美しい。あの機体に宿った桜花の姿のように……
「おじいちゃん。お父さんたちを探してくるから、ここで待っていてね」
孫娘は人ごみに消えていく。彼はそれを見届けると、桜の根元に座り桜を見上げた。その目は、あの夜に月を見上げていた桜花とそっくりだった。
なんだかずいぶん疲れていて、眠い。彼は目を閉じた。
どのくらい経っただろうか、彼は名前を呼ばれ目をさました。
「……中尉。大崎中尉」
目の前で彼を呼ぶのは、整った容姿の黒髪の女性……
「桜花…… 今までのことは夢なのか?」
大崎の姿も当時の若いままだ。
「いいえ、すべて現実です、大崎中尉。お迎えにあがりました」
にっこりと微笑む桜花。
「君は、ずっとここに居たのかい?」
「はい、中尉のおっしゃるとおり、ここ、九段の桜はきれいですね」
舞散る桜を背に、桜花は右手を大崎に伸ばす。大崎はその手を取って立ち上がった。
「なあ、桜花。私は君に助けてもらっただけのことを成しえただろうか?」
大崎の問いに、桜花は微笑んだ。
「ええ、きっと。後は今を生きる人たちを信じましょう。彼等が、もっと良い世界を築いてくれることを」
「そうだな」
桜の木に寄りかかって座る老人の顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
最期までお付き合いありがとうございました。
最初は、学童疎開船 対馬丸と米潜水艦 ボーフィン号の艦魂モノを書こうと思ったのですが、気が付いたら、このような形に……まあいいか(笑
人間爆弾 桜花に付いて補足。
桜花パイロット55名、その母機の搭乗員368名の戦死者に対し、桜花が与えた確実な戦果は、沖縄戦において駆逐艦マナート・L・エベール、撃沈のみで他には駆逐艦以下の艦艇数隻の損傷を負わせた程度。
犠牲に対して戦果がまったく伴っていない……
最後に、あの戦争で散っていった、たくさんの人達に深い感謝を。