第12話 「悪夢」
イエティとの死闘を繰り広げた翌日、レイチェル達は村を後にした。
昨晩再び大雪が降ったようで、街道には雪が降り積もったままであった。
村の門番が見送りがてら、コロイオスという町が次にあることを教えてくれた。
それにしても深い雪だ。足が膝元まで埋まってしまう。これでは歩き難くて大変だ。レイチェルはコロイオスへの道のりが遠く思えた。
うんざりしながら隣のリルフィスを見ると、ハーフエルフの少女は一本の松明を取り出し、それに火を灯していた。彼女は何をやっているのか、その意図がレイチェルには分かりかねた。
リルフィスが微笑んだ。
「見ててね、レイチェルちゃん」
ハーフエルフの少女はそう言うと、精霊魔術の旋律を唄った。
掲げ持つ松明の炎が一気に吹き上がった。
「火の精霊さん力を貸して! ただし人や動物さんを襲っちゃ駄目だよ!」
リルフィスは松明の炎を街道の先へ向けた。途端に炎が一筋の光りとなり街道に跡を残した。その部分だけ湯気が上がり、大地が剥き出しになっていた。
リルフィスは地面に足を乗せると、こちらを振り返り得意げな顔で言った。
「やったぁ、道ができたよ、レイチェルちゃん!」
「う、うん。すごいね、リルフィスちゃん」
斬新な発想にレイチェルは度肝を抜かれたのだった。
二人は歩き続けた。そうして昼過ぎにはコロイオスの大きな街並みの中に足を踏み入れることができたのだった。
二
この町でゆっくり時間を過ごすこともできたが、レイチェル達は冒険者ギルドに赴くことにした。
ギルドの依頼を貼り出す掲示板の前は屈強な先輩冒険者達で埋め尽くされていた。
レイチェルはその間に体を捻じ込ませようとしたが、弾き飛ばされてしまった。
「もう、おじちゃん達邪魔だよ、リール達見えないよ!」
リルフィスが抗議の声を上げるが懸命になって上等の依頼を探し、吟味する彼らの耳には届かなかった。
その時、ギルドに一人の若い男が入ってきた。
「依頼かい?」
ギルドの主人が尋ねた。
「ええ。そうです」
そう言っておそらくは依頼が記されているだろう羊皮紙を手渡しながらこう言った。
「もしかしたら気のせいなのでしょうが、最近悪夢ばかり見るんですよ」
「悪夢?」
「ええ、恐ろしいオークやドラゴンに追い掛けられて殺されたり、故郷の両親や恋人がオーガーに惨殺されたり、誰かに押されて奈落の底に落ちていったりとか」
男は憔悴しきったような顔でそう言った。
「だから私が寝てる間に何か起きてるのではないか、そしてそれが原因で悪夢を見ているのではないかと思いまして」
「なるほど、依頼内容はここに記されている通り、あんたが寝ている間に異変が起きているのかどうか番を張って欲しい。と、いうわけだな」
レイチェルはそのぐらいなら自分達でもできそうだと判断した。リルフィスを振り返ると、その姿が無かった。見れば依頼人の男の前にその姿はあった。
「ねえねえ、その仕事、リール達が引き受けても良いよ」
彼女はそう言った。
「達?」
ギルドの主が訝しむ様子で尋ねたのでレイチェルは慌てて駆け付けた。
「何だ、二人だけなのか?」
ギルドの主も依頼人の男も頼りなげな視線を向けてきたので、レイチェルは弩を出してみた。たぶん今日仕事にありつけるとすれば、この依頼だけだろう。それにグズグズしていては、やがてこの新たな依頼も掲示板に貼り出されてしまう。そうなってしまっては先程のように先輩冒険者達の吟味の的になるだろう。
「先日、私達は雪山でイエティを退治しました」
レイチェルは自分達を売り込むべくそう告げた。
「イエティの件は既に鳩で知っていたが、まさかお前さんらがとはな」
ギルドの主が驚くように言った。
「本当だよ。このレイチェルちゃんが、イエティを斃したんだから」
リルフィスがそう言い、レイチェルは少々照れ臭くなった。あれは偶然だったのだ。でもそんなことを言ってしまえば、せっかくの依頼に有り付けなくなるだろう。なのでレイチェルは黙っていた。
すると依頼人の若い男は言った。
「では、あなた達で構いません。報酬もそんなに出せないですし、こんな依頼を承諾するような冒険者の方は、おそらくあの中にはいないでしょう」
掲示板に殺到している幾つもの屈強な背を見て相手はそう言った。
「じゃあ、手続しちまうが良いかい?」
ギルドの主が尋ねると若い男は頷いた。
「ロバートと言います」
「よし、じゃあロバートさんの依頼は、この娘達が引き受けることに決定だ」
こうしてレイチェル達は依頼を勝ち取ることに成功した。
ギルドを出ると依頼人のロバートは言った。
「それでは夜の二十一時ぐらいにここで待ち合せましょう。家まで案内いたしますので」
「わかりました」
そしてレイチェル達は依頼人と別れた。
三
日中は武具屋の裏の弓道場を借りたり、食べ歩いたりして過ごし、やがて待ち合わせの時間となった。
レイチェル達が着くと、程なくして依頼人のロバートも現れた。
「それでは行きましょう」
ロバートに案内され夜の街を歩く。町はまだまだ活気に溢れていた。ロバートの家もそんな表通りに面した場所にあった。どうやらロバートの家は生活道具を売っているらしい。家の中に入ると籠に入った鍋や、フライパンなど多数の調理器具が目に入った。
二人は二階へ案内され、寝室へと招かれた。ロバートがランプを灯すと、部屋の様子が明らかになった。
ガラス張りの窓がある。他には机と椅子に、観葉植物の植わった鉢、壁に掛けられた絵画に書棚。窓の前にはベッドがある。
ロバートは余分に更に一つの椅子を持ってきて言った。
「とりあえずどうぞ座って」
ロバートは既に寝巻に着替えていた。
「私は今から眠ります」
「じゃあ、ランプは消しましょうか?」
レイチェルが問うとロバートは応じた。
「普段はランプを消しますが今日は問題無いと思います。薬屋で眠れる薬を買ってきましたので」
ロバートは薬を口に放り入れると、ガリガリ噛んで飲み干した。
「それではすみませんが私は寝ます。後のことはよろしくお願いしますね」
ロバートは寝台に横になると分厚い毛布を掛けた。
そして薬の効果か、殆ど待たずして寝息を漏らし始めたのだった。
レイチェルとリルフィスは椅子に座って静かに待ち続けた。
時が過ぎるのが遅く感じられた。それでもレイチェル達は辛抱強く無言で夜明けを、あるいは異変を待ち続けた。
夜中の二時頃だった。
突然壁に掛けられている絵画が青白く光り輝き、一人の男が姿を現した。
背が高く、襟の立った黒い正装を着ている。レイチェルもリルフィスも声を出さずに様子を見守った。
「おや、今日はランプを消し忘れたのかな。まあ、良い」
男は小さく笑いを漏らすと、寝ているロバートに近付いて行った。そして寝顔を見下ろして言った。
「さあ、始めようかロバート君。今日も君を苦しませ、その苦痛を我が糧としよう」
男が見下ろしていると、ロバートが突然呻き声を上げた。
「今日は、そうだな。首無しの騎士デュラハンに襲われるといい」
ロバートが身動ぎし、悲鳴を上げた。
「く、来るな! 来るな!」
「いいぞ、ロバート君、もっともっと苦しみ呻くのだ!」
レイチェルとリルフィスは互いに目配せしあった。悪夢の原因はこの男だ。しかもその現れ方からして普通の人間ではないだろう。
「さて、君達がそこに居ることは知っていた」
相手はうなされるロバートを見下ろしながらレイチェル達に向かってそう言った。
「あなたは何者ですか!?」
レイチェルが棍棒を手にし、語気を強めて問い質すと、相手はこちらを見ず口の端を持ち上げるような笑みを漏らして応じた。
「インキュバス。と、君達は呼ぶ」
「インキュバス?」
レイチェルが言うが早いかリルフィスの矢が飛んだ。しかし敵はそれを手で掴み取った。
「そんなおもちゃが見切れない私ではないよ」
インキュバスはそう言い、指の間で矢を圧し折った。
「それにしても、私とロバート君との触れ合える貴重な時間に無粋な傍観者は要らない」
インキュバスがゆっくりとこちらを振り返った。色白で端正な人の顔立ちをしていた。これなら年頃の世の女性達を十分に虜にできるだろう。レイチェルはそう思った。ただ人と違うのは額の両側から湾曲した角が伸びていたことだ。
相手がリルフィス目掛けて踏み込んで来た。
ハーフエルフの少女は避ける。素早い手刀が壁に傷跡を残した。
「見切ったか面白い」
相手は笑うと、そのまま両手を振り回し激しく斬りつけてきた。
リルフィスは弓を捨てるが早いか、短剣を抜き敵の斬撃を全て弾き返した。
レイチェルは驚いた。リルフィスがここまで強いとは思わなかったのだ。
「これはこれは、なかなかやる!」
相手の端正な顔が怪しげな笑みに歪んだ。
その途端、リルフィスが倒れた。
「リルフィスちゃん!?」
「眠っているだけだ」
そうしてインキュバスはリルフィスの顔を見下ろした。
「さて、どのような夢を見せてやろうか」
このままだとリルフィスも悪夢にうなされるだろう。それを阻止すべく、レイチェルは敵へ向かって駆けた。そして棍棒を振り下ろした。
それは敵の肩に当たったはずだが、すり抜けて床を打った。
レイチェルは驚愕した。敵はまるでゴーストだ。打撃がすり抜けるのだ。
これは自分達には厳しい依頼だったのだ。このままだと全滅だ。恐怖のあまり心臓の早鐘が聞こえてきた。頭の中は真っ白だ。
いや、と、頭を振った。まだ諦めてはいけない。何か方法があるはずだ。
相手があの笑みを浮かべた。捕まっちゃ駄目だ。レイチェルは目を逸らした。
「私の魅了が通じぬ相手とは珍しい。何か呪いに対抗する護符でもお持ちなのかな」
レイチェルは思案した。ゴーストのような相手と戦うのならどうすれば良いだろうか。
聖なる力だ。
レイチェルは素早く神聖魔術の旋律を口にし始めた。
相手は待っていた。
レイチェルの右腕に聖なる白い浄化の光りが輝いた。
彼女は右腕を繰り出した。
浄化の光りがインキュバスを襲う。だが、通じてはいなかった。
「発想は良かったが、残念だった」
相手は短くそう言うと、レイチェルの前に飛び出し、手刀を繰り出した。レイチェルは棍棒で受け止めたが、半ばから断ち切られてしまった。その瞬間、蹴りが彼女の顔面に炸裂し、レイチェルは頭と背中を強かに壁に打ち付けられた。一瞬、呼吸が止まった。
「さあ、終わりにしよう」
インキュバスが手刀を掲げ近付いてくる。
諦めちゃ駄目だ。
不意にレイチェルの横目に青白く輝く光りが見えた。
顔を向けるとそこには絵画が飾られている。その絵から光りは漏れていた。そういえばこのインキュバスが出てくるときにこの絵は輝いていた。肉体には武具で、幽体には神聖なる力で対応できる。つまり攻撃の通用しない相手など存在しないのだ。インキュバスにはこの二つが通用しない。そんなことは有り得ないのだ。ならば、怪しいのはこの絵だ。
レイチェルは腰からナイフを取り出した。ブライバスンでサンダーと共に購入した銀のナイフだ。
「最後まで闘志を捨てないその心意気だけは褒め称えよう」
インキュバスが言った。
レイチェルは敵に背を向け、青白く輝く絵画と向き合った。
「待て、何をする気だ!?」
突然インキュバスの声が明らかに狼狽を含んだ。
レイチェルは確信した。やはりこの絵が弱点、いや、本体なのだろう。
「この絵を刺します」
「や、やめろおおおっ!」
インキュバスが絶叫し飛び込んでくる。その姿を見ながらレイチェルは力いっぱいナイフを絵に突き立てた。
「グワアアアアッ!」
インキュバスが激しく身悶えし、そして青白い閃光を残してその姿は消えた。
辺りはあるべき静寂に包まれた。ランプの灯りは、ベッドで眠るロバートと、床に倒れているリルフィスの姿を照らし出していた。レイチェルはリルフィスを起こしたい衝動に駆られたがグッとこらえた。せっかくだ、朝までぐっすり眠ってもらおう。そして自分は眠るわけにはいかない。この夜にこれ以上、不思議な出来事はおそらくは起こらないだろう。しかし、依頼の契約内容では朝までロバートの様子をみることになっていたからだ。
四
翌朝、レイチェルは事の顛末をロバートに話して聞かせた。
「インキュバス? そんな魔物が本当にいたのかい?」
ロバートは疑い深くそう尋ねた。彼はどうやらレイチェル達が話を盛っているのだと疑っているのだろう。インキュバスは消滅してしてしまったため、証拠の品は無かった。
「しかも、この絵に潜んでいたなんて」
風光明媚な港町の描かれていた絵にはナイフで突き刺した跡があった。
「この絵は東の方から来た古美術商から買ったんだが……この絵に魔物が潜んでいたなんて」
ロバートは腕組みし繁々と絵を眺め、そして、ふぅと、溜息を吐いた。
「別に高い絵じゃなかったんだ。だから未練は無いよ」
「でしたら燃やしてしまうのが良いかもしれませんよ」
レイチェルが念には念をと提案すると、ロバートは頷いた。
「そうしてしまおう。君達のことを信じるよ。ただ燃やすところまで見届けてはくれないかな。さすがに呪いの絵だなんて言われたら一人じゃ心細くて」
「良いですよ」
レイチェルは応じ、リルフィスも頷いた。
そうして外に出て絵画にロバートが火を着けた。絵はどんどん焦げて煙を上げてくる。その時だった。
「ギャアアアアッ!」
突然、絵画が躍り上がり、そして灰となって崩れ落ちた。
レイチェル達もロバートも驚いた。
インキュバスはまだ消滅していなかったらしい。きっと力を蓄えてロバートに再び害を成そうと企んでいたに違いない。
「今のでわかったよ。君達の言っていたことは本当だった」
ロバートは素直にそう認めたようだった。
ロバートにもついてきてもらい、ギルドに報告すると報酬を得ることができた。
「これで悪夢を見ないで済むと良いけどね。ありがとう」
そう言って、それじゃあと、ロバートは去って行った。
それにしても今回ばかりは危うかった。もしも絵画のことに気付けなかったら、抗い様も無いまま殺されていたに違いない。
「レイチェルちゃん、ごめんね。リール途中で気絶しちゃって」
リルフィスが申し訳なさそうに言った。
「今回はレイチェルちゃんだけで解決しちゃったから、リールの分も報酬あげるよ」
「ううん、リルフィスちゃん。リルフィスちゃんがいなかったら、私は駄目だったと思う。たぶん、あの絵に気付く前に真っ先にインキュバスに殺されてたはずだよ」
レイチェルが言うとリルフィスは弱弱しく報酬を乗せた手を引っ込めた。それに、改めて依頼はよく吟味して考えて引き受けるべきだと彼女は強く思った。一見簡単そうな依頼でも今回のような手におえなくなりそうなものだってあるのだ。それをよく思い知った。
「それよりリルフィスちゃん、短剣の扱いも得意なんだね。誰かに教わったの?」
するとリルフィスは顔を輝かせて言った。
「クレシェイドのお兄ちゃんだよ」
レイチェルは在りし日の仲間の姿を思い浮かべた。もしかしたら今回、クレシェイドが見守っていてくれたのかもしれない。彼女はそう思うことにした。




