第5話 「護衛の依頼」 (後編)
ティアイエルが馬を飛ばして先頭に出ていた。彼女は槍先を掲げ持っている。
茂みの左右からは、トロル達の大きな上半身が見え始めていた。
ティアイエルの槍先が明るい緑色に光る。
街道に飛び出し始めたトロル達が、その場で身動ぎし、苛立たしげに茂みを振り返って咆哮を上げ始めた。ティアイエルの精霊魔法が何らかの影響を及ぼし始めたのは明白だったが、何が起こったのか理解したのは、敵の目の前を通り過ぎる時であった。
茂みの草が太い蔓のようになった葉を、幾つも伸ばし、トロルの足と手に絡み付いている。そして木々もまた、その枝を互いに交差させ、それは人間の両腕のようになって、トロルをがっしりと羽交い絞めにしていた。
有翼人の少女と、その輝く槍先に先導されるように、馬車はトロル達の間を走り抜けて行った。
シャロンは座ったまま行儀良く後ろを振り返り、もがく怪物の一団へ驚きと興味に満ちた視線を向け続けていた。
一瞬だが馬車が大きく弾んだ。
シャロンは大きくよろめいたが、サンダーがその身体を素早く支えた。
「サンダー・ランスよ。わらわは、しっかり座っておったぞ」
「わかってるよ」
サンダーは淡々とした態度で応じて自分の椅子に腰掛けた。
「このまま、ペトリアへ向かいます」
前方の窓が少しだけ開かれ、御者のフェーミナがこちらを覗き込んで言った。
「待て! 魔術師と、あの女の戦士が戻っておらぬぞ!」
シャロンが抗議の声を上げ、レイチェルは仲間を気遣ってくれる姿に思わず心が打たれていた。
フェーミナが振り返り、答えようとすると、レイチェルは彼女に対して頷いて見せた。
相手は理解したように窓を閉じ、手綱を操る作業に戻った。
「ヴァルクライムさんと、ライラさんなら心配要りません」
シャロンはまるで噛み付かんばかりにこちらを睨んだ。憤怒と失望との入り混じった表情は、その口を開く前にこちらの心を鋭く衝いていた。
「お主は冷たい! わらわがロブに命じて援軍に行かせるゆえ!」
シャロンは後ろを振り返り、従者のリザードマンに向かってガラス越しに声を張り上げた。
「ロブよ、お主は引き返すのじゃ! 今すぐに冒険者達の援軍に行くのじゃ!」
遠目だが、ロブにはこちらの声は聞こえていないようであった。
「姉ちゃんの言うとおり大丈夫だよ。二人ともかなり強いんだぜ」
サンダーが宥めるように言うと、シャロンは今度は彼に怒れる眼を剥き出しにした。
「あのさ、この場合の冒険者ってのはチームプレイなんだよ。勝利条件はお前の身の安全。敗北条件はその逆。俺らはただ勝利だけを目指してるんだよ。ヴァルクライムのおっちゃんも、ライラの姉ちゃんも、そうするために足止めに残ったんだから」
「ここで戻ったら、水を差すとでも言うのか?」
「わかってんじゃん。そういう気持ちを無駄にするのって本当に良くないことなんだぜ」
シャロンの問いに少年は頷いた。
「しかし、死んでは元も子もない!」
「それは心配のし過ぎだ。ただ暴れるだけの怪物なんかに、正直にやられちまう二人じゃないよ。適当にあしらって、今頃はこっちを目指してる筈だ。俺が保証するぜ」
シャロンは不承不承という態度だが、とりあえずは黙った。
先程の事と良い、このお嬢さんは、口調や態度こそ高飛車に思わせるが、その実はとても優しさに溢れている。レイチェルは感心した。相手が依頼人でなければ、その頭を労わる様に撫で回していただろう。だからこそ、この依頼への意気込みをここで改めていた。
程なくして外は夕暮れになリ始めた。しかし、トロルの影は街道脇にちらほらと見受けられていた。
夕日がティアイエルの背と白い翼を紅色に染め上げていた。彼女は槍先を掲げたまま、未だに魔術に集中しているように見える。
そろそろ身が持たないはずだ。レイチェルは心配した。案の定、ティアイエルは馬上で突っ伏すように身体をぐらつかせた。
レイチェルは思わず前方の窓を叩いていた。
御者の二人が顔を向け、初老のドワーフのアディー・バルトンが、相方のフェーミナに向かって何事か囁く。
「もう良いのじゃ! あの羽の女は限界なのじゃ!」
シャロンが従者達に向かって悲痛な声で訴えた。
フェーミナが振り返り、窓を少し開いた。
「お二人のどちらか、手綱を操れますか?」
操れはしなかったが、レイチェルは名乗り出ようと身を乗り出した。
「俺ができるぜ! すぐ代わって!」
サンダーが窓を押し上げて言った。
フェーミナは頷き、サンダーは御者の2人の間に滑り込むと、腰を下ろして手綱を素早く受け取った。フェーミナがその身体を支えていたが、その手を離す。そして彼女はその場に腰を屈めながら足元を捲った。次に現れた時、その手には大きな弓が握られていた。
彼女は自分の手の平を弓に近付け、指で強く叩いた。
途端にガラスが砕けるような小さな音がし、彼女の指から塵のようなものが零れていった。指輪のようなものが割れたのだろうか。
弓には細い雷光が行き交うように走っていた。
フェーミナは、屈んだ体勢のまま矢を番え、街道の周囲へ順繰りに矢先を向けていた。
前方ではクレシェイドが馬を飛ばし、ティアイエルに向かって何事か告げていた。
間も無く有翼人の少女は馬車を振り返り、脇へ寄りながら馬の速度を落としていった。
突然、フェーミナが弓から光りが飛んだ。
それは前方の茂みに落ちる直前で、黒い影に突き刺さっていた。トロルがいたのだ。既に夕日の半分以上が沈んでいて、辺りは暗くなっている。
フェーミナの光りの矢が反対側の茂みへ続け様に二本飛び、それはまたしても闇と同化していたトロルを射抜いた。
目が良いし、狙いも凄い。世の中には色々な達人がいるものだと、レイチェルは度肝を抜かれつつ感心していた。
ティアイエルの方は徐々に馬車に追い抜かれ、彼女は最初にいた位置に止まって馬を進めていた。
疲れたような表情がこちらを見ている。そして相手は気だるげに身を正し、前方へ向き直った。
シャロンが椅子の上を尻で這うよう動き、窓越しに相手を覗き込んだ。
「御苦労であった!」
彼女はティアイエルに労いの言葉を掛けると、身を正して正面へ向き直った。
トロルの襲撃は続いたが、相手が出てくる前にフェーミナの雷の矢が動きを封じ、危な気ない旅路はもうしばらく続いたのだった。
ペトリア村に着いた頃には、いつぞやと同じく辺りはすっかり夜の帳が下りていた。
一行の馬車が村の入り口に姿を見せると、番をしていた一人の警備兵が訝しげな視線を向けながら近付いてきた。
「何だ? 随分大所帯じゃないか。この一団の責任者はいるか?」
門と左右に柵には燭台が掛けられていた。それが中年の警備兵の姿を照らし出していた。相手は馬車に歩み寄ろうとしていた。
シャロンが素早い動作で、馬車の扉を乱暴に開け放っていた。そのまま彼女は外に顔を出し怒鳴り付けた。
「悠長なことをやってる場合ではないぞ! トロルが出たのじゃ! 街道はそやつらの群れで溢れ返っておる!」
警備兵はやや驚いた風を見せると、その表情をうんざりさせながら苦笑を浮かべていた。
「やれやれ、元気な嬢ちゃんだな。それでそちらの責任者は誰なんで?」
警備兵が御者の二人を見上げて言ったが、その隣に歩み寄ってきた鎧の戦士を見上げて、彼は小さくだが情けない悲鳴を上げていた。
「げ! アンタ、確かクレシェイドさんだったね」
警備兵がおどおどしながら尋ね、クレシェイドは馬上で頷いた。
「またまた夜に驚かさんで下さいよ。そういえば、あの事、まだ内密にして下さってますよね?」
警備兵は声を潜めながら言ったつもりのようであった。
「アーチボルト殿、街道の中腹辺りから我々は多数のトロルと遭遇した」
クレシェイドと面識のあるアーチボルトという警備兵は、表情をキョトンとさせ、慌てて答えた。
「多数? トロルが? トロルが多数と!?」
「ああ。捨て置くことはできない規模だと俺は思う」
アーチボルトは表情を青褪めさせつつも、クレシェイドの話しを信じたようであった。
「えっと、そちらで仕留められなかったので?」
「残念だが」
警備兵は門に掛けてあった角笛に手を伸ばし口に当てた。
点々とした建物の灯りの他には闇しかない静寂の村内に、野太い音色が尾を引くように響き渡ってゆく。
程なくして、幾つかの足音が村の中から聴こえて来た。
「本当に大事になりそうな規模なんですね?」
アーチボルトがその丸顔と同じ形に目を見開いて尋ねた。
「ああ。ウディーウッドでは既に動いているかもしれないな」
「ウディーウッドが? そ、そりゃ負けられん! そうとも負けられん!」
たきつける様にクレシェイドが応じると、アーチボルトは急いで村の中へと飛び込んで行き、角笛の音で集合したであろう同僚達に上ずった声で事情を説明し始めていた。
「不安な奴なのじゃ。あれが、一体どうやって警備兵の試験を突破したのかの」
シャロンが椅子に座り直しつつボヤいていた。
アーチボルトと、軽装の六人の警備兵が駆けて来た。その直後、馬を数頭引きながら新たに二人の警備兵が現れた。
「冒険者ギルドには緊急で依頼を出したけど、ありゃ駄目だな。連中、酒が入ってて当てにはならねぇよ」
馬を引き連れてきた一人が馬上で言った。
「だったら、俺らが力を貸すぜ!」
サンダーが馬車から飛び降りて、警備兵達に言った。
「俺も手を貸したい」
クレシェイドは御者のアディー・バルトンを見上げて尋ねた。
「急ぎたいところじゃが、領内の危機だと判断すべきだな」
アディー・バルトンが、重々しく口を開いた。レイチェルは気を引き締めていた。正式にヴァルクライムと、ライラを助けに行くことができるのだ。しかし、ドワーフのアディー・バルトンは自分が馬車から降りていた。
「癒し手の神官が必要じゃろうが、今回は後ろのお嬢さんではなく、ワシが行こう。夜でも視界が利くでな。良いかな?」
アディー・バルトンがレイチェルを見上げ、穏やかに頷いてみせたので、こちらは応じるしかなかった。自分の方が力量不足だし、彼が闇の中でも見通せる目をもっているのならば、まさしく適任であった。それに自分がここでゴネることで僅かでも時間を無駄にすることも嫌った。
ティアイエルがドワーフに馬を譲った。そしてドワーフはその小柄でがっしりとした体型に見合わない、実に警戒な動作で馬上の人となっていた。
「ワシとクレシェイド殿で先導する。警備兵の方々は申し訳ないが、我らの後に従って頂こう」
そして騎馬の一団は出発し、街道の彼方へと消えて行った。
「また、あぶれものだぜ」
サンダーが不満げに呟き、再び御者の位置に飛び乗った。
「勇ましいですね。でも、きっと悔しさを晴らせる時が訪れますよ」
隣でフェーミナが慰めた。
「あんまり煽てる様なこと言わないで下さいね。このガキンチョ、すぐ調子に乗るんだから」
「サグデン伯爵の馬車と見た!」
突然、ゾッとするほど狂喜を孕んだ男の声が聴こえてきた。
見ると、街道脇から、闇に紛れた人影が次々に飛び出し、気付いたときには、弓矢の先端が幾つもこちらに狙いを定めていた。
「動くなよ」
最初の声が言い、そいつは進み出でてくる。村の門に下げられた燭台の灯りが相手を照らした。
無精髭を生やした中年の男で、軽装の上に薄いマントを羽織り、手には長剣が握られている。
敵は盗賊だとレイチェルは思った。こちらに向けられる目は、この場の有利さを確信するように余裕に溢れていた。
「あなた方は何者ですか?! すぐに武器をお捨てなさい!」
馬車の上でフェーミナが鋭い声を上げた。
「威勢の良い姉ちゃんだが、ここは黙って従うべきだったぜ」
相手は狡猾そうな笑みを浮かべて言い、空いている方の手を僅かに掲げて下ろした。
風を貫くような鋭い音がし、呻き声が続いた。レイチェルの前でフェーミナがよろめいた。そして彼女は地面へと転がり落ちてしまった。
「おばちゃん!?」
「フェーミナ!?」
御者席のサンダーと、シャロンとが驚きの声を上げる。シャロンは顔面を蒼白にさせながら馬車の扉に飛びつかんばかりに手を掛けた。しかし、彼女は悲鳴を上げて後ろに飛び退く。窓の外から男が覗き込んできたからだ。
そいつは髭面を不気味に微笑ませ、からかうように剣の切っ先を突きつけてみせた。
「おい、小僧、お前も降りろ! グズグズしてっと、叩き落すぞ!」
盗賊と思われる誰かの荒々しい声が木霊した。馬車の周囲は五、六人ほどの敵に囲まれていた。
「貴様ら! よくもわらわのフェーミナを! 絶対に許さぬ! 許さぬからな!」
シャロンは眦を憎悪に染め、激しく怒鳴り散らした。
前方にいる馬上のロブがこちらを振り返った。
「気を静めて!」
彼はそれだけ叫んだ。
だが、レイチェルにはロブの本心がわかったような気がした。彼が「お嬢様」と付け加えなかったことは、敵がシャロンの素性を知っていないことへの賭けなのだろう。しかし、ただの女の子で通すには、身形が整い過ぎている。
「喋るのか、トカゲ」
最初の男が、馬上のリザードマンへ冷笑をみせた。
「なぁ、隠すなよ。俺より脳みそはあるつもりらしいが、ちゃんとわかってるんだぜ。馬車にいるのは、サグデン伯爵んとこの娘なんだろ?」
「知りませんね。私達は冒険者です。ムジンリまで行く家族を護衛しているだけです。お金だったら、全部差し上げますが、雇われた側として依頼人の安全だけは保証させていただきたい」
ロブは持ち前の滑らかな声で述べていた。
相手は鼻で笑った。
「賢しいんだよ、トカゲが!」
相手は激昂し、ロブに向かって剣を振るった。
ロブの背が大きくよろめき、彼は地面に落ちた。重々しい音が短く響き、こちらの心を一挙に絶望へと煽ってゆく。
隣でシャロンが息を呑んだ。そして力なく床に崩れ落ちた。彼女は討たれた従者の名を口にしながら泣いていた。
レイチェルは背筋に薄気味悪くゾクリとする気配が降りるのを感じた。それは荒ぶる冷徹な怒りであり、そして捌け口を見つけられないことへの当惑と悔しさでもあった。残された護衛は自分とサンダー、そして外のティアイエルしかいない。迂闊にここで戦いを起こしたとすれば、その先にあるのはおそらく自分達全員の死である。勝算があるとすれば、クレシェイド達が戻ってきてくれるまで粘ることぐらいだ。しかし、彼らは出たばかりであり、こちらはもう持ち堪えることは不可能な状況である。
降伏するしかないのかもしれない。そして隙を見て、シャロンだけでも連れて逃げる。
それしかないわよ。そうするしか……。
突如としてロブが起き上がった。
驚く相手を見下ろすや、手にした盾が相手の横面を殴り飛ばしていた。
凄まじい金属の衝突音がし、相手は二度と起き上がらなかった。その音と光景とは盗賊達を狼狽させ、こちらには一瞬の隙を齎した。
「馬車を!」
ロブが振り返って叫んだ。
「御嬢様を御屋敷まで!」
ロブはそう言い終わると、斧を振り被り、こちらを囲む賊達へ猛進した。
盗賊達が怯み、囲みが緩くなった。
「ジミー! 行くのよ!」
姿は見えなかったが、外からティアイエルの訴える声が響いてきた。
「わかった!」
サンダーが馬に鞭を打った。馬達が嘶き、馬車が揺れる。レイチェルは素早くシャロンを抱えた。慌しく方向が転換され、レイチェルはシャロンを強く抱きしめ踏ん張った。
馬車が走り出す。
「姉ちゃん、こっちに来て! 手綱をお願い!」
サンダーの必死な呼び掛けに、レイチェルは素早く身を起こした。
馬車が村の中へ向かっている。色々な気掛かりが脳裏を過ぎる。彼女はそれらを振り払い、御者席へ身体を滑り込ませた。
風を頬に感じる。馬車を引っ張る慌しい馬達の足音が聞こえた。
サンダーが前方を凝視しつつ、手綱を差し出してくる。レイチェルは強烈な緊張を覚えながらも、力強くそれを受け取り、手綱を握った。
後ろを振り返りたい。ティアイエルは、ロブは、そしてフェーミナはどうなったのか。だが、それを確認する余裕は無かった。初めて触る手綱の太くてザラザラした感触が、彼女の緊張を極限にまで高めている。
自分は器用じゃない。どっちかを取らなければならないのだ。後ろを見るか、それか手綱か。無論後者だ。こちらに全てを集中するんだ。
正面に見覚えのある広場があるが、そこには無数の人影が行き交っているようだ。老若男女の悲鳴がそこから聞こえ、彼らを叱咤激励するような男の声も続いた。つまりは、こちらでも何かあったということだ。
そしてレイチェル達は目の前の光景に驚いた。遠く、広場の後ろは商店などがあったはずだが、それらは赤々とした炎に包まれているのだ。
少し進むと、村全体が燃えていることがわかった。その方々から下卑に塗れた哄笑が木霊し、絶叫と、悲鳴と、剣戟の音が絶え間なく耳に飛び込み始めてきた。
後ろで窓が開く気配がした。
「お主ら、どこへ行こうというのじゃ!?」
シャロンが鋭く叫んだ。しかし二人はすぐに振り向くことができなかった。目の前の状況もあるが、レイチェルに至っては初めての馬車の操縦で気を抜くわけにはいかなかったのだ。
「座っててくれ!」
サンダーが一瞥し答えた。
「も、戻ることはできぬか? ロブやフェーミナが心配じゃ……」
シャロンは声を落としながらも、はっきりと訴えた。
「それはできないんだ。解るだろ? 頼むから解ってくれ。俺達だってティア姉ちゃんとか、ロブさんの心配はしてるんだ」
サンダーは諭すように応じる。
「……チームプレイじゃったな」
シャロンが噛み締めるようにそう言った。
「あ、ああ、そうだ。……分かってくれて、ありがとな」
サンダーは穏やかに笑った。
「礼を言わねばならんのは、恐らく、わらわの方じゃ……」
レイチェルの耳にはそう呟く声が聴こえてきた。
「この後の町は、ムジンリだったよな。どっちに出口があるんだろう?」
サンダーがレイチェルに尋ねてきた。
「ごめん、わからないわ。でも北東の方角だったよね」
「じゃあ、道なりに進んでもし東に折れるところがあったら、そっちに行こう。もし道が無かったら北の方だから直進するよ」
サンダーは溌剌と答え、レイチェルは幾らか心が慰められたような気がした。
馬車は広場を通過し、燃えている家屋に挟まれた道へと向かった。
広場を横切るとき、悲しみに満ちた、たくさんの人々の声と姿が、うっすらとだが垣間見ることができた。そして彼らを庇うように武器を持った人々が、こちらに睨みを利かせていた。
「盗賊か!」
「いや、ガキだ! ガキが馬車を操ってるぞ!」
「馬車泥棒か!?」
「馬車など諦めろ! それより逃げ遅れた奴らを助けに行くぞ!」
途中、危うく馬車の前を横切ろうとして、踏み止まった人々がいた。冒険者だろうか、一方で松明を手にし、もう片方で斧を握った軽装の男が、数人の村人を引き連れ、こちらの行く手から先頭の何人かを慌てて庇っていた。
「お嬢ちゃん! そっちには盗賊がいるぞ!」
その冒険者と思われる男の声が背後から木霊した。
だけど行くしかないんです。レイチェルは心の中でそう応じた。
行く手には炎が立ち塞がっていた。燃え上がる家屋に挟まれ、村の大通りと思われる土の道が伸びている。
馬が怯み始めたので二人は尻に鞭を打った。可哀想だが、敵と遭遇すれば勝ち目が無い。ロブやティアイエルの心意気を無駄にはできない。
馬車は速度を増しながら村の通りへ入る。纏わり着くような熱に顔を顰めた。どこかはわからないが、左右の奥の方で、建物が崩れたと思われる音が聞こえた。材木の裂ける無慈悲な音色は、神経を極度にすり減らそうとする。
ここは地獄だ。業火の壁しかない。
前方に人が見えた。軽装の二人、盗賊のようだ。そいつらは悪鬼のように声高に笑い、背負った背嚢を地面に落とした。略奪の品だろうか。二人は屈み込み、嬉々として品物の選別に掛かっている。このまま通り過ぎるまで気付かないことを願うしかない。
「奴らの前を駆け抜けるよ」
「わかった」
サンダーの真剣な横顔にレイチェルは頷いた。
盗賊は馬車が目の前に来てようやくこちらに気付いた。彼らは戦利品そっちのけで、悲鳴を上げて左右に散った。
「ざまぁ、みやがれ」
サンダーが笑った。
すると、馬車の端を後ろから幾つかの矢が掠めていった。
後ろから、シャロンが顔を出した。
「奴らが合流したぞ! 矢を放ってきておる! 馬車に当たっておるのじゃ!」
「そうか。しっかり椅子の上に頭を伏せててくれ。窓に近付いちゃ駄目だぞ」
サンダーが宥めつつ諭すように言うと、シャロンは素直に顔を引っ込めた。
先程から少年は、普段の雰囲気とは違い、落ち着き払っているように見える。サンダーは本当に沈着になれるように努力しているのだろう。今回はティアイエルもクレシェイドもいないのだ。感情に任せた結果、窮地に陥ったとしても、打ち消してくれる人も、手を差し伸べてくれる人もいないということだ。
レイチェルは少年の態度に感激し、自分もそうあろうと固く誓ったのだった。
変わり果てた大通りを馬車は直進し、そして煉獄の終わりと共に、石壁と開け放たれた鉄の門が姿を見せてきた。その先には静寂な闇夜に照らされた新たな道が待ち構えている。もしかしたら、ここからが長い長い正念場になるのかもしれないとレイチェルは思った。
改稿しました。内容に変更はありません。




