第17話 「国境を越えて」 (後編)
クレシェイドはやはり強かった。
単身で大勢の敵相手に大立ち回りを演じた。月光の刃の煌めくところ、血煙と悲鳴が上がった。
だが、反対側で戦う傭兵ネルソンも血煙クラッドに負けず劣らずかなりの剣の腕前だった。デレンゴの援護がなくとも、敵陣を次から次へと斬り崩しながら息一つ乱れていない。予想以上の武を誇る戦士達を前に、ダークエルフの生き残り達は速やかに撤退して行った。
戦士達が帰還してくる。
「奴らはまた来るだろうな」
グレンが言った。
一行の間に沈黙が降りた。誰もが思い思いに亡骸の失せた血溜まりを見ていた。
「光と闇か。余計な血は流したくないところですが……」
「残念だがこればかりは避けられない」
モヒト教授が言うとクレシェイドが応じた。
一行は足早に出発した。その際、ダークエルフ達の持ち物から弓矢を拝借した。剛弓とも言うべく長弓だった。その時にネリーも弓に手を伸ばそうとしたのをクレシェイドが止めていた。その光景はレイチェルだけしか見ていなかった。
「ネリー、お前にはこれは必要ない」
「クラッド、私のことを気にかけてくれるのは感謝します。ですが、私だって戦士です。レイチェルのための戦力になりたいのです」
レイチェルは思わず進み出ていた。殺さずのネリーの異名を持つ彼女の手を血で汚すわけにはいかない。強くそう思った。
「ネリーさん、クレシェイドさんの言う通りです。ネリーさんの手は人殺しに染めてはいけません」
「レイチェル?」
ネセルティーが振り返った。
「殺さずのネリーの名前をどうか大切にしてください。お友達だってネリーさんには人殺しをして欲しくは無いからこそ、その不殺の剣を預けたのだと思います」
ネリーはそう言われしばしの後に頷いた。
「ありがとうレイチェル。そしてクラッド。親友が私に託した思いを忘れるところでした。あなた方が私の信義を優先して下さることに本当に申し訳なく思います。ありがとう」
レイチェルは微笑み返し、クレシェイドと頷きあった。
一行は旅を進めた。
日が暮れ、視界が閉ざされ始め、案内の猛禽がこれ以上進むことを拒否すると、一行はそこで野宿した。グレン、ネリー、デレンゴ、モヒト教授、ネルソンに、そしてクレシェイド。皆の顔を見渡し、レイチェルは安堵した。今日も誰も欠けていない。
その時だった。
クレシェイドと、ネルソンが顔を上げ、グレンが素早く魔術を詠んだ。オレンジ色の魔法の防壁ができるや右側の森から無数の矢が飛来し壁にぶつかった。
一行に緊張が走る。
クレシェイドとネルソン、デレンゴが立ち上がり剣を抜いた。
「報告通り、魔術師がいたか」
その声と共にダークエルフ達が現れ、一行をグルリと囲んで抜刀した。
レイチェルが矢を番えた弩を構えると、ネリーが言った。
「レイチェル、あなたは戦う必要はありません。あなたの手だって血で汚したくはありません」
「良いんですネリーさん。私の手は既に血で汚れています。私はゴブリンを殺し、戦争で矢の行方こそ知れませんが、オークやダークエルフを射殺しています」
「だったらこれ以上、あなたの手は血に塗れる必要はありません。あなたは私達が守ります。ですから私の願いを聞き届けて下さい」
レイチェルは弩を下ろした。
「皆さんを信じます」
「ありがとう、レイチェル」
ネリーはそう言うと不殺の剣を構えた。
魔力の防壁を境にして光と闇は睨み合った。やがてデレンゴが言った。
「らちが明かないぜ。じいさんだって、ただで魔法を唱えてる訳じゃねぇ。このままだとじいさんの魔法が切れたら終わりだ。だったら勝負を仕掛けちまっても大して変わりはしない。ここで死んじまう奴の死期が早まるだけのことだろうが」
「デレンゴの意見に賛成だ」
クレシェイドが応じる。そして彼は言った。
「グレン、魔術を解け、勝負に出る」
「わかった。十秒後に魔術を消そう」
そう言いながらグレンは別の魔術の旋律を唱えていた。途端にグレンの姿が若々しくなり、杖が剣に変貌した。白髪は艶のある紫色の髪になっていた。
魔術が解けるまでレイチェルは心の中で数を数えていた。
「ゼロ!」
ネルソン以外の者達が声を上げた。壁が消え失せるや、クレシェイド、ネルソン、デレンゴ、グレンが四方に斬り込んでいった。モヒト教授は雷鳴砲を構え、特にデレンゴの方を注意深く見守っていた。ネリーはモヒト教授と反対側でレイチェルを庇っている。
剣風が吹き荒れ、悲鳴が木霊する。戦士達はダークエルフ達をものともせず、鬼気迫る勢いのもと葬り去っている。
途中、モヒト教授が収縮した雷鳴砲で弓を構えて潜んでいたダークエルフ達を射抜いた。
満点の星空の下で繰り広げられた戦いはほぼ一方的だった。乾いた大地は新たに多くの血を吸った。
戦いが終わると、クレシェイド達が戻ってくる。だが、ネルソンだけは違った。彼は茂みへ入り、雷鳴砲でノビていただけのダークエルフ達にもとどめを刺していた。冷酷で冷徹にも見えるが、ここで情けをかけて敵を逃せば、今の様に新たな増援を従えて追ってくるだろう。誰も寡黙な傭兵のことを咎めはしなかった。
「場所を変えよう」
クレシェイドが言うと、モヒト教授が頷いた。
そうして何事も無く夜を明かした。
二
グレンの案内のもと、一行は脚を進めていた。その足が不意に止められたのは、目の前で待ち構えていたオークの戦士達の姿があったからだった。
「待っていたぞ、侵入者。我が名はグルーソ。オーク戦士団の長である。ダークエルフどもを無傷で蹴散らすとはやるようだな」
クレシェイドが月光を抜き放った。そして小声で言った。
「オークが相手では、ダークエルフ達のようにはいかない」
するとモヒト教授が言った。
「私の雷鳴砲を拡散させます」
「……無駄だ。奴らには通じぬ」
ネルソンが進み出た。そして太い剣を引き抜いた。
オークの集団もそれぞれ得物を身構えた。
レイチェルは緊張していた。オークが強いことは以前に戦って知っている。もしかしたら、誰かがやられてしまうかもしれない。そんな不吉な想像をしていると、肩に優しく手が置かれた。
「大丈夫。きっと切り抜けられるわ」
ネリーがそう言った。グレンが魔術を唱え、再び剣を手にした若き姿に変貌した。
「グレン、デレンゴ、ネルソン、行くぞ。ネリーとモヒト教授はレイチェルを頼む!」
クレシェイドはそう言うや敵目掛けて駆け出した。グレン達も続く。
「行くぞ、オークの戦士達よ!」
グルーソの掛け声でオーク達も向かってきた。
得物同士がぶつかり合う音が聴こえた。
クレシェイドが白刃を掻い潜り一人目のオークの首を飛ばした。だが休むも無く凶刃は迫っている。ネルソンもオークの力強い一撃を物ともせずに押し返し、その首に剣を切り下げた。鮮血が彼の身体を染める。そのまま寡黙な傭兵は一挙に二人のオークを斬り殺した。
グレンとデレンゴは共闘して敵に当たっていた。どちらかが劣りになり、その意表を衝く。だがオーク相手には、この二人の膂力では難航しているだった。
すると乱戦を抜け出してオークがこちらへ襲い掛かって来た。
モヒト教授が雷鳴砲を撃つが、オークは稲妻を受けても、表情をしかめることすらせずに迫っていた。
「モヒト教授、レイチェルをお願いします」
ネリーはそう言うと声を上げてオークを迎え撃った。
「女が相手でも容赦はせぬ!」
オークの一撃を受け止めきれずネリーが弾き飛ばされたが、彼女は空中で身を翻して着地した。
「ほう、器用なことだな」
オークが嘲るように言った。
ネリーは再びオークへ向かった。
彼女は手数で勝負し始めた。各方面から素早く剣を打ち付ける。しかし、オークは全てを受け止めた。
「ネリーさん!」
モヒト教授が加勢に出た。教授は手斧を抜いてオークへ斬りかかったが、一撃で吹き飛ばされた。
「ほぉ、どうやらお前達はその娘を護っているようだな」
オークの後ろから戦士団長グルーソが現れそう言った。ネリーとモヒト教授がレイチェルを庇うべく素早く仁王立ちする。
オークの戦士団長はその猪のような面を歪めることも無く言った。
「わざわざ闇の領地へ小勢で足を踏み入れる理由とはなんだ?」
オークの戦士団長が尋ねるが、こちらは頑として応じなかった。
「もしや、お前達が用があるのは風吹きの洞窟か。狡猾な光の神々めらが、そこまで眼を掛ける娘とは興味深い。使い道がありそうだ。生け捕りにして、我が主へ差し出すとしよう」
ネリーとモヒト教授が向かって行ったが、凄まじい膂力の前に弾き飛ばされた。
レイチェルはオークの戦士団長と睨み合った。弩を構えるべきか。だが、ネリーの言葉が思い出される。「それ以上、この手を血で汚してはならない」
「芋姉ちゃん!」
デレンゴが部下のオークの後ろから襲い掛かり、その首に剣を突き立てた。血が噴水の如く溢れ出すが、デレンゴはすかさず戦士団長へ躍り掛かった。
「やらせねぇ!」
デレンゴの一撃をオークの戦士団長が一刀の下に切り下げた。圧し折られた刀身が空へ舞い上がり、デレンゴは倒れた。
レイチェルは驚愕した。身体が震えた。嫌な汗が身体中から吹き出してくる。
「デレンゴさん!」
レイチェルは叫んだ。
デレンゴはヨロヨロと起き上がり、そしてガクリと片膝をついた。
オークの戦士団長が一歩ずつデレンゴへ迫って行く。
その時、クレシェイドが現れオークの戦士団長に斬りかかった。
刃と刃がぶつかり合う。
「やるようだな!」
オークの戦士団長が暴風を纏った一撃を放つ。クレシェイドは剣で受け止めるが吹き飛ばされる。しかし、素早く体勢を立て直すと、再び挑みかかった。
速い剣捌きだった。
その鬼気迫る勢いに、オークの戦士団長が押されてゆく。
不意にその一撃がオークの腕を分断し、返す刃で顔を一直線に顎から割った。鮮血が空を染める。オークの戦士団長の身体が倒れ、そして消えてゆく。
「デレンゴ!」
鉄仮面の下で荒い呼吸をしながらクレシェイドは仲間のもとへ駆け付けた。
レイチェルも続いた。
「デレンゴさん!」
「デレンゴ、しっかりしろ!」
二人がそう呼ぶと、デレンゴは口元を歪ませた。
「騒ぐな。……ちょいとグラッときただけだ。俺様は無傷だよ」
レイチェルは思わずデレンゴに抱き付いた。彼が無事で心の底から嬉しかった。
「おいおい、レイチェルさん。……心配かけちまったな」
デレンゴはその肩を抱き締めてくれた。
「終わったようだな」
老魔術師の声がし、仲間達が戻って来る。中でもネルソンの姿が印象的だった。傭兵は上から下までベッタリと血で染まっていた。右手から提げている剣の切っ先からも血が滴り落ちている。それらが返り血だと知って一行は安堵した。さすがの彼も肩を上下させ息を漏らしていた。獅子奮迅の働きをした証だった。もしもこの傭兵がいなければ、旅はここで終わっていたかもしれない。
全員が全員の無事を確認し合い、その場は落ち着いた。
「やれやれ、予備に剣を持っておいて良かったぜ」
デレンゴが言い、もう一本の剣の感触を確かめる様に握り締めそう言った。




