第17話 「国境を越えて」 (前編)
幾つもの町や村を超え、繰り返される季節と天候に照らされながら、一行は延びる街道をひたすら進んだ。永遠に西への旅が続くかと思われたが、その日、ついに街道が途絶える光の世界の終点へとたどり着いた。ここから先はついに国境だった。
約十年という月日は長く思われたが、いざ迎えてしまうとあっと言う間だった。
旅の途中、色々とあった。例えばレイチェルが悪性の風邪に掛かり、高熱を出し、その魂が消え入れる寸前までいったが、仲間達の決死の看病と薬草探しが功を結び今、こうして生きている。変わったことと言えば、レイチェルは弩の扱いに慣れていた。触れるだけで手に吸い付くようにその感触を覚え、流れる動作で矢を装填し、目標を正確に射抜くことができるようになった。デレンゴも、ネリーも、そしてクレシェイドも修練を欠かさなかった。その力は時折、立ち寄った町や村から依頼される盗賊や山賊と戦うことで確かな手ごたえを見せていた。
国境の町は、かつての前線基地リゴ村を思わせた。町自体は活気があり、一般の人々も多かったが、やはり傭兵と思われる屈強そうな面構えの男女が闊歩している姿が目立った。
「ようやくここまで来たな」
そう言ったのはデレンゴだった。
「そうですね」
モヒト教授が満足げに応じた。
一行は旅の疲れを癒すために今宵の宿へと足を踏み入れた。そして遅めの昼食を取りながら話し合った。
「でも、さすがに国境をすんなり通してくれるとは思えませんね」
モヒト教授が言った。
「そうだな。ここから、つまり正面から行くのは不可能だろう。戦を仕掛けるわけでも、防衛戦をするわけでもない。そんな個人のわがままをここを守護する者達が許しはしない」
グレンが答える。
「では、どうやって通るのですか?」
ネセルティーが言った。彼女は鉄の胸当てで武装し、殺さずのネリーの異名の通りの刃の無い剣を腰に提げていた。レイチェルは病床の折りに、ネリーからこの世界で出会った親友の話を聞かされた。しかし彼女はこのはざまの世界で既に命を落とし、その際に、かの剣をネリーに託したのだという。彼女は不殺の剣に親友の名前をつけていた。
そしてネリー自身も強かった。その得物のため殺せはしないが、俊敏な動作と剣術で着実に敵を昏倒させていた。そんなネリーの問いにクレシェイドが応じた。
「一度町を出て大きく迂回して森へ入る。そこから目的の風吹きの洞窟へ向かうつもりだ」
漆黒の戦士が言い、レイチェルは即座に疑問を感じた。
「では、どうしてこの町に来たのですか?」
彼女の疑問にクレシェイドは答えた。
「もう一人同行者を雇おうと思っている。敵国との境にあるこの町ならば、戦士の数も多く滞在しているだろう。例えば俺以上の戦士が見つかるかもしれない。それと……」
漆黒の戦士は言いよどんだ。そして意を決するように真剣な双眸をネリーとモヒト教授に向けて言った。
「ネリー、モヒト教授、二人は事が終わるまでここで待っていてくれないか」
「どういうことですか!? クラッド!」
ネリーには珍しく声を上げて詰問した。
他の客達の視線が一瞬、こちらに集まった。
「落ち着いてネリーさん」
モヒト教授が宥めた。そして言った。
「僕については単純に戦力として足手纏いになるということでしょう。そしてネリーさんは……」
「ここから先は四方八方が敵だらけだ。それも昼夜構わず襲われる危険性がある。そんな場所に大切なオメェさんを連れては行けないということだろう」
デレンゴがそう言葉を引き取った。
ネリーは強い眼差しでクレシェイドを見た。
「クラッド、私はもうあなたから離れません。それに自分で言うのもなんですが私だって強いつもりです。この剣術が闇の者達に通用しないとは思えません。私だってレイチェルを最後まで責任を持って守りたい。もう私とレイチェルの絆は深くなりました。それは例えあなたでも断ち切れません。私は最後まで着いてゆきます。クラッド」
「ネリー、お前の思いは分かっている。しかし、ここから先は敵地だ。言わば俺達は侵入者、外敵だ。デレンゴの言う通り、四六時中、四方八方からの襲撃に備えなければならない。今までの旅とは違う。いや……ネリー、俺のために残ってくれ。俺はもっともっとお前といたい。それを命を失う可能性のある旅に連れて行くなど、耐えられん」
「覚悟はできてます。この皆さんが目的のために旅をしていることを知ってから、その時からずっと覚悟は決めてきました。私だってあなたを愛していますし、それはレイチェルにも同じです。図々しいかもしれませんが、彼女は私の可愛い妹です。そんな妹を送り出すための旅に姉として参加できないなど、これほど無念なことはありません」
「僕もです」
今まで黙っていたモヒト教授が口を開いた。
「僕も覚悟は決めてきました。この第二の命を失う可能性のあることだってずっと考慮してきました。クレシェイドさん、それでも僕は皆さんと共に、レイチェルさんを送り出すその寸前まで共にありたいと思っています。それに、この雷鳴砲。僕はこれの扱いに慣れてきました。窮地の際、この雷鳴砲がきっと活路を見出してくれると自信を持って言えます」
二人が頑として応じない姿を見てクレシェイドは言葉を繋ぐことができなくなったようだった。彼は押し黙った。
「友よ、クレシェイドよ。二人は我々が思う以上に、ずっと最後まで同行するという覚悟を抱いてきたようだ。ならば、我々は首を縦に振ろうではないか。これほど熱く魂を燃やしてくれる仲間が頼りにならないわけが無い」
グレンが言うと、クレシェイドは応じた。
「二人とも本当に良いんだな?」
「行きます!」
ネリーが答える。
「僕もです!」
モヒト教授が続いた。
「分かった。ならば、先程、俺が言った言葉は忘れてくれ」
クレシェイドが言うとネリーとモヒト教授の表情に歓喜が溢れた。
これで良かったのかどうか、レイチェルには分からなかった。だが、皆が自分のために覚悟を決めてくれていることだけは分かった。レイチェルは仲間達の真っ直ぐな思いに感動していた。そして必ず、風吹きの洞窟へ辿り着き、地上へ戻ろうと決意したのであった。
「では、俺は傭兵を探してくる。皆はレイチェルのことを頼む。彼女を連れて旅の最終準備を整えておいてくれ」
二
クレシェイドの言う通り、レイチェル達は最後の旅支度を整えていた。保存の効く食料を買い込み、その他に松明などの道具も買い揃えた。
そうして皆で宿に戻った。日は暮れていた。クレシェイドが戻って来たのは少ししてからだった。
彼は同じく背の高い男を伴って現れた。彼がクレシェイドの眼に適った傭兵なのだろう。鍛えられた両腕は露出しており、身体には金属と皮を縫い合わせた鎧を纏っている。赤いバンダナで長い髪を逆立てていた。その下には鋭い眼光がある。
「紹介する。傭兵のネルソン・ライネックだ。俺と契約し旅に同行してくれることになった」
クレシェイドが言う。ネルソンは頷いただけだった。これでは、どちらかと言えば寡黙なクレイシェイドの方が御喋りに見えてしまうが、ネルソンは背を向けると去って行った。
「何だよ、不愛想な奴だな」
デレンゴが言い、尋ねた。
「で、腕の方は確かなんだろうな?」
クレシェイドは頷いた。
「手合わせしたわけでは無いが、彼は俺よりもやるかもしれない」
「見た目だけじゃねぇのか?」
デレンゴが再び言った。
「まぁいいや、明日、このデレンゴ様が試験してやる。実力がどの程度か前もって分かってた方が戦闘の時にも、どこまで任せられるか分かるだろう」
レイチェルも他の仲間も思わずデレンゴを見ていた。
「何だよ、揃いも揃って?」
デレンゴが言うと、グレンが微笑みつつ、皆を代表して言った。
「お前さんもなかなか良いことを言う様になったな」
三
出発の朝となった。傭兵のネルソン・ライネックは門柱に背を預けこちらの到着を待っていた。
「待たせたな」
クレシェイドが言うと、ネルソンは荷物を背負った。腰には太い剣が二つ提げられていた。
そのまま元来た街道沿いに進んでゆく。そうしてしばらくしてから森へ入ろうとした。だが、そこでデレンゴが剣を抜き、ネルソン・ライネックに刃の先を向けた。
「完全に出発しちまう前に、オメェがどれだけやれるか見せてもらおうじゃねぇか」
「……」
ネルソンは剣を抜いた。
普段ならモヒト教授辺りが止めるだろうが、今回は誰も動かなかった。この危険な旅に同行できる資格があるかどうか、誰もが気になっていたからだろう。レイチェルはそう思い、戦いの始まる様子を見続けた。両者は距離を取った。
「さて試験の始まりだ。ユメノ流剣術!」
デレンゴが構えるや、ネルソン・ライネックの姿が消えた。猛然と駆けていた。デレンゴが刃を振り下ろすがそれを剣で受け止め空高く弾き飛ばすや、背後に回った。
「ちいっ!」
デレンゴがもう一つの剣を抜いて斬りかかったが、それは影を斬るに過ぎなかった。ネルソンの姿は上にあった。大上段の一撃をどうにかデレンゴは受け止めた。そして反撃の薙ぎ払いをしたが、刃は刃に弾き飛ばされ、彼の首元に切っ先が突き付けられていた。
とにかく素早かった。そして片腕でデレンゴの手から剣を弾くほどの膂力を兼ねている。
「負けだ負けだ」
デレンゴが自嘲気味に言った。そして剣を拾った。
ネルソンが剣を鞘に納めた時だった。
「油断したな!」
デレンゴが剣を振り抜いた。ネルソンは屈んで躱すや、力を溜めた強烈な拳をデレンゴの腹部に放った。
デレンゴは遠くへ吹き飛んでいった。
「……まだやるか?」
デレンゴの下へと歩み寄ると、彼を見下ろしつつネルソン・ライネックが初めて声を出した。
「いいや、今度こそ俺の負けだ。オメェさんの実力は良くわかった」
するとネルソンは手を差し出し、デレンゴを起こした。
「ってわけで、よろしくな」
デレンゴが言うと、ネルソンはフンと鼻を鳴らして応じたのだった。




