第10話 「ネセルティー」 (前編)
城が、ついにこのマイセン王国が滅びようとしている。
マイセン五世、つまりは父王も討ち死にした。敵の目的は残るは一つ、この王女ネセルティーの身柄を確保することだろう。
ネセルティーは自室からその様子を眺めていた。城下町が、侵入した敵兵に蹂躙されてゆく。民衆はそれでもマイセン国と共にあろうと老若男女、武器を持ち出し果敢に敵に抵抗している。
せめて彼が居てくれたらこんなことにはならなかったはずだ。国一番の戦士クラッドは、里帰りの後、二度とこの国には戻って来なかった。様子を見に出した使いの話だと、クラッドの故郷に人は無く、ただ無数の亡者達が徘徊していたということだった。
彼は何か事件に巻き込まれたに違いない。二度とこの前に姿を現せぬほどの事件にだ。きっとそうだ。お互いの愛は本物だったし、彼の忠義も真のものだった。
クラッド、私には今あなたが生きているのか死んでしまったのか分かりません。ですが、私は今日死にます。
ネセルティーは覚悟を決め、立て掛けてあった長剣を身に帯びた。
扉が勢いよく開け放たれた。
「王女様!」
入ってきたのは味方の兵だった。
「敵はもう目前です! どこかへ落ちのびましょう、我々がお守りいたしますゆえ!」
兵士達は横並びに揃って敬礼した。
「ありがとう。そなた達の心遣い嬉しく思います。ですが、あなた達こそ落ちのびなさい。生きて生きて、マイセンと言う国がかつてあったことを後の世に広めるのです」
「王女様!」
「私は死に場所を見付けました。誇り高き王族として、大陸に名を馳せる血煙クラッドの唯一の弟子として、国民のために戦います」
「ならば我らもお供します! 既に城の老人、女達は脱出させてあります。マイセン国の語り部は彼らが引き受けてくれましょう」
「ありがとう。そなた達と死ねること、私は誇りに思います」
ネセルティーは残存する兵を掻き集めて一部隊を作ると城の外へと出た。そこにはこれから入城しようとする敵兵が勢揃いしていた。
ネセルティーは奥歯を噛み締めた。勇気を、クラッド、私に勇気を下さい!
「いざ、突撃!」
そうしてネセルティーは華々しく命を散らせたのだった。
二
水鏡の塔の噂を聞き、彼女は塔を上った。
最上階には噂通り、水の張った深い盆が置かれていた。もしもこのはざまの世界に探し人がいるならば、水鏡はその姿を映し出してくれるはずだった。しかし、水面には何も映らなかった。
水鏡の噂が偽物だっただったのか、それとも本当にクラッドがまだこちらの世界に来ていないのか、それとも既に転生を遂げたのか分からなかった。
彼女は帰途に着こうとした。この塔の近くに町でも有れば良いのにと、彼女は思った。
しかし、これで立ち往生してしまった。自分は何処へ行くべきなのか。先に死んでいるならば、クラッドは私を待っていてくれるはずだ。彼女はそう信じた。ならばこそ、この未知数の大地に広がる無数の町や村のどこで待てば良いのかが彼女には分からなかった。
その時だった。
側の茂みから二人の男が飛び出してきた。
「これはこれはお嬢さん、こんなところに一人旅とはなかなか肝が据わっておりますな」
一人が言い、そしてもう一人と笑い合った。
「私に何用ですか?」
ネセルティーは腰に提げていた剣に手を掛けた。
二人の男は下卑濡れた笑みを浮かべて言った。
「大人しく俺達の物にならないか? そうすりゃ痛い目を見ずに済むぜ」
腰に提げた斧を叩いて男の一人がそう言った。
「残念ですが、お断りします。私には既に心に決めた男性がいるのです。さあ、そこを通してください」
だが、男達は行く手を遮って言った。
「つれないね。だがよ、俺達は、あの二十人斬りの傭兵ゲースリー兄弟だ。女一人に舐められる訳にゃいかねぇのよ。決めた。生きてれば、テメェを奴隷商に売り飛ばしてやる。さぞかし良い値が付くだろう、よ!」
ゲースリー兄弟が斧と槍を抜いた。
その時だった。疾風が吹いたかと思うと、横の茂みから影が飛び出し、ゲースリー兄弟を一撃でそれぞれ昏倒させた。
「ふぅ、大丈夫?」
黒装束を見に纏い、黒頭巾を被った女がそう言った。手には厚みのある剣が握られていた。
「大丈夫です。助かりました」
ネセルティーが礼を述べると、相手は微笑んだ。若い女性だった。
「殺してしまったのですか?」
ネセルティーが問うと、相手は頭を振った。
「いえいえ、みね打ちよ。人は悪人でも殺さないことにしてるの。気分悪くなりそうだからね」
相手はそう答えるとゲースリー兄弟を縄で縛った。
そして日も暮れて来たので野宿をすることにした。
ネセルティーが自己紹介すると、黒頭巾の女性はユキと名乗った。そうして地面に自分の名前を書いて見せた。「由希」
「これ、文字なのですか?」
見たことも無い字はまるで複雑で緻密な絵のように彼女には見えた。
「東の方で使う文字よ。それよりも、敬語じゃなくて良いから」
「でも、あなたは命の恩人です」
ネセルティーが言うと、ユキは自分の手の平をパチンと合わせて叩いた。
その音にネセルティーはビックリした。
「これから私に敬語を使ったら、こうやって手を叩くからね」
「ですが……」
パチンと、またユキが手を叩いた。
「わかりま……いえ、わかったわユキ。ならば私のことはネリーで良いで……いえ、良いわ」
「そうそう、それで良いのよ」
ユキは満面の笑みを浮かべて応じた。
「ところで水鏡の塔に行った帰りみたいだったけれど、人探しか何か?」
そう問われ、ネリーは全てを話した。愛するクラッドが自分を置いて転生を選ぶことが無いことも言った。
「なるほどね、水鏡は映らなかったわけか。でも、水鏡の噂は信憑性が高いわよ。多くの人が成果を語っているからね。だからネリーのいうクラッドの姿が映らなかったのは、きっと彼がまだ死んでこっちの世界に来てないことの証に違いないわね。勿論、クラッドが先に死んでて、アンタを待たずに転生を行わなかった場合に限るけれど」
自分はこれからどうすれば良いだろうか。ネリーが問うとユキは答えた。
「だったら、待ち人の町へ行けば良いんじゃないかしら」
「待ち人の町?」
「うん、北の方にあるんだけれど。待ち人達が集う様に、わざとそんな名前をつけて広めてるらしいのよ。そこで待ってれば、噂を聴きつけたクラッドが来るかもしれないわよ」
ネリーは頷いた。
「そうします。行く当ても無いですからね」
するとユキが手をパチンと叩いた。
「ああ、えっと、そうするわ、ユキ。私、待ち人の町へ行くことにするわ」
ネリーが答えるとユキは頷いた。
「私も御一緒させてもらおっかな」
「え、でも……ユキにはユキの事情があって、あの水鏡の塔を目指していたわけじゃなかったの?」
「違うわよ。ただ何となく水鏡の塔に上りたいかなと思っただけ。お宝とかありそうじゃない?」
「天井のステンドグラスぐらいしか無かったわよ」
ネリーが言うとユキは苦笑した。
「ま、良いじゃん良いじゃん、私は気ままな一人旅を謳歌していたところだし、それにあなた一人じゃ心配だからね」
ネリーは本当にそれで良いのか尋ねると、ユキは本心だと言いもう一度、頷いたのだった。




