なんばー55 誤解する子
「いっ、いただきま・・・・・・あれ?」
「・・・・・・え?」
クラウドが両手を合わせたと同時に、サラダのプチトマトを口に運んだグレイ。一瞬クラウドが何をしているのか分からなかったが、理解した瞬間持っていたフォークを置いて手を合わせた。
「い、いただきます!」
「ぅえ!? いただき、ます・・・・・・」
言って直ぐ黙々と食べ続けるグレイに、戸惑いながらも、吊られてクロワッサンを食む。それをミルクで流しながらチラリと見やると、目があったグレイは食パンを食みながら決まり悪げに微笑んだ。
片眉が困ったように下がっている。
「自分の部屋にいる時は1人が多いので・・・普段の挨拶などは忘れがちなんです、すみません」
「1人、なんですか・・・・・・? こんなに広いのに・・・・・・」
「前は・・・私の親友が隣の部屋にいたんですが、今はちょっといないんです。他にこの部屋へ招き入れる人もいないので」
シャキ、と音をたててレタスを食べながら聞いていたクラウドは、湯気の立つスープに手を伸ばしながら言う。
「どんな人・・・だったんですか?」
「そうですね・・・・・・。友人や家族をとても大切にする・・・悪魔の飼い主です」
「あ、悪魔・・・ですか・・・・・・」
「ええ。本人は至って普通なんですが、ペットの悪魔みたいな人が危ないんです」
「・・・そう、なんですか・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
元は人と話すのが苦手だったり、嫌いだったりするこの2人。少しの間続いた会話もすぐに途切れてしまい、食事の音だけが静かに響く。
「・・・あの・・・・・・」
ミルクの入ったコップを両手で持ったクラウドが、いつになく真剣な顔でグレイを見つめる。
淵を咥えているのか舐めているのか、口元はコップで隠れている。
「何ですか?」
「ちっ、違うんなら別に良いんです! 多分そうじゃないと思うし・・・・・・」
「いいから、早く言って下さい」
「・・・あ、あの・・・・・・」
もじもじと肩を揺らし、コップで更に表情を隠す。そしてようやく口を開くと、宙にあった視線を一直線にグレイに向けた。
「グレイさんは・・・その・・・・・・っ僕のお兄ちゃんですか!?」
臆病の向こう側にあるものだが、瞳には確かに凛としたたたずまいが見受けられる。
先程まで顔を隠していたコップは今はテーブルに置かれていて、クラウドの引き結ばれた口角が真剣さを物語る。
だが対するグレイは、全ての行動、思考を停止して石化していた。
クラウドの言っている事が理解出来ない。
(この子は何を言って・・・確かに絶対記憶の抗剤を服用していない為にロバートの事は憶えていない。でも。でも、だ。そこでこの子に兄がいるような発言をしただけで、なぜ私が兄という考えに行き着く!? 普通なら否定する筈じゃ・・・・・・! 本当にこの子は、ロバートに似ているのか似ていないのか分からない・・・・・・)
「あ、あの・・・グレイさん・・・・・・?」
「へ、え?」
「あ、あのっ、だから・・・・・・っ!」
「い、いえ聞いていましたよ。わ・・・私が、何、と・・・・・・?」
冷静になって問い直してみるも、やはり聞き間違いの類ではなかった。
「お、お兄ちゃん・・・なのかな・・・・・・って・・・・・・」
言葉を紡いでいくたび、小さくなっていく語尾。見ていてそれがなんだか面白く、グレイは力が抜けたように吹き出した。
「私と貴方が兄弟な訳ないでしょう! そりゃ説教もしましたし今はこの部屋で預かっていますが・・・あーもー、お腹痛いじゃないですか」
普段あまり人前では出ない、グレイの軽快な笑い声。クールな表情を崩さなかったグレイのその意外な一面に戸惑いながらも、自分のした下らない質問に少なからず感謝した。
「あ・・・ははっ! や、やっぱり違いますよね」
吊られてはにかむクラウド。
クラウドが見せるその笑みも、グレイにとっては初めてのもの。その場が和んで少し笑いが収まるが、照れ笑いや小さな笑みは、しばらく続いたままだった。
そこで、ふと考える。
自分になつき、しかもさん付けではあるが本名で呼ぶこの子にいつまでも不慣れな敬語を使わせていていいものなのか。
グレイと呼ぶのは、今の所ロバートやシェリーを含む極一部だけ。その一部の者達も、グレイと話す時は心を許したように気安く喋りかけてくれる。
初めは敬語だった者もいたが、自主的に自然な話し方になっていったのだ。
だが恐らく、クラウドはこちらが許可を出さない限り変わる事はないだろう。ほんの少しの時間を共に過ごしただけでも、そのおどおどしい態度や性格から、それくらいは読み取れる。
呼び捨てとまではいかなくとも、敬語だけはやめさせるべきか。
「・・・・・・」
少し考えて、やめた。
「貴方の兄に・・・生きているうちに逢えると良いですね」
流すようにフワリと微笑めば、意外と真剣な顔で食い付いてきた。
「ぼ、僕の知ってる人ですか? グレイさんの知り合いですよね・・・・・・?」
「確かに私の知り合いで、貴方も会ったことはあるでしょう。ですが・・・憶えてはいませんよ、貴方は」
「そう・・・ですか・・・・・・。・・・今度お父さんに会えたら、聞いてみます・・・・・・」
落ち込んだ表情で沈むクラウドに、少なからず罪悪感を覚えた。
クラウドの父親であるルーディーも絶対記憶の抗剤を服用していない為、ロバートの事を覚えていない。存在すら知らない。
実験塔からの脱走、それからの逃亡で中々捕まらなかったのがロバートの手助けのおかげだという事など、露程も憶えていないのだろう。
なんとかして、ロバートの存在を知らせてやりたい。
ロバートが友人であるグレイを1人置いて行ってまで、実験塔からの危険も省みずに助けようとした家族だけでも。
しばらく考えていけば思考は内へ内へ沈んでいき、段々と表情が消えていった。
いつもの表情ではなく、虚無を垣間見せるような、そんな顔。
「グ・・・グレイさん・・・・・・? どうか・・・したんですか・・・・・・?」
「い・・・え、何でもありません。それより早く食べて下さい。私が今日出かけている間に誰か手伝いの人が来るらしいですよ」
心配そうに顔を覗き込んでいたクラウドに気付くと、取り繕うように言葉を並べてキッチンへと皿を持って行った。シンクに汚れた皿を置いて水を溜め、洗う準備をする。
流水に手を翳している間、ふとクラウドの心配そうな瞳を思い出した。
親譲りであろう、ロバートと同じ灰色の瞳。
心の奥底まで見透かすような、そんな瞳。
そこでグレイはピタリと思考を止め、銀に光る蛇口を右回りに捻った。
「・・・・・・」
心の奥底どころか、表面すらも見せてやる気はない。
邪気のない、その瞳にも。
自嘲じみた笑みは、やがて苦笑混じりのため息となった。






