つまらない味わい
第二回目のお題は『飴』。
「俺、同じもんいつまでも口の中に入れておくの、苦手なんだよね」
口の中に放り込んだ飴玉を、いつも味わうこともなく、がりがりと音を立てて噛み砕く彼に、「どうしていつもすぐに噛んじゃうの?」って聞いたら、そんな答えが返ってきた。
かなり大きな飴玉でもない限り、彼は口に放り込んですぐにがりがりと噛み砕く。
――――歯、強いんだなあ。
なんて、時には感心さえしてしまうくらい。
そして彼は、いつものんびりと飴玉を舐めているいる私に向かって言うのだ。
「お前、よくいつまでも同じ飴玉なんか舐めてられるなあ……」
なんて。でもって私が、
「これね、舐めているうちに味が変わるんだよ、面白いでしょう? あなたも食べる?」
そんなことを言いながら、その飴を勧めてみても、
「そんなもん、かじっちゃえば全部同じだろ」
と、やっぱりがりがりと噛み砕いてしまうのだ。
別にその人なりのやり方ってもんがあるんだからいいとは思うけれど、彼は損をしている気がして仕方がないんだ。
だって、彼には絶対に分からない。
急に飴の味が変わるあの瞬間を。
大事に大事に口の中で味わっていものが、はっとするくらいに鮮やかに味覚を変えるあの瞬間を。結構驚いたりするものなのだ。でも、彼はきっと知らない。
「……ねえ、ねえってば。人の話、聞いてる?」
ぐいぐいと彼の袖口を引っ張る私を、彼は心底面倒臭そうに見た。そんな表情しなくたっていいでしょうっ!! と、きつい口調で攻め立てたい気持ちになるけれど、どうにも気の小さい私には言えない。
揉め事はできる限り回避したい性分なのだ。
「あ? 何?」
ぎゅっと袖口を引っ張られて、やっと彼が足を止める。面倒くさそうな表情はしているものの、怒ってはいみたいで、私はとりあえずホッとした。
「あの、さあ。もうちょっとゆっくり歩かない? せっかくなんだもん、色んなところ見て回ろうよ」
そう『せっかく』。せっかく今日は二人で出掛けたというのだから。
だけど彼は、携帯をポケットから出してそっけなく言うのだ。
「ゆっくりとか言ってるけど、映画の時間はどうするんだよ。俺、この映画観たかったんだからさ」
あと十五分しかない……と、彼のため息混じりの言葉が頭上から降ってくる。
彼が観たがっていた映画。
正直言って、私の趣味には到底合いそうもないジャンル。だけど、たまには普段観ないようなものもいいんじゃないかと思ってた。
だから、今日この映画を見ることには何の文句もない。でもね、少しは周りを見て回るくらいの心の余裕ってもんはないわけ?
目的以外には、興味すらない?
もしかして、もしかして私にだって……ああ、嫌だ。こんなことを考えたいわけじゃないのに。
私は何も言わずに、彼の袖を離して、溢れだしそうな言葉を飲み込んだまま黙って彼について行った。小走りに。
映画は思っていた以上に面白くはなくて……
でも彼は観たかった映画を観れたことでもう満足なのか、それとも観終わってしまったらそれでもう興味なんかないのか、映画の話にはひとつも触れなかった。
別に、映画の話をされてもお世辞にも『面白かったね』なんて言える代物ではなかったけどね。
そのまま行った彼の部屋で、彼は別に興味もなさそうにニュースの世界情勢なんかを聞いている。
私はそんな彼の横顔をなんとなく見つめた。いつもがりがり噛み砕くだけのくせに、彼の部屋にはいつも飴玉があって、私はそれをひとつ口の中に放り込んだ。
新製品なのか、見たこともないようなパッケージ。
それは口の中に放り込んでしばらくはミルク風味なのに、最後の最後でどぎついレモンの味に変わった。
そのレモンの風味は本当にどぎつくて、最初の優しいミルク風味をどうして最後まで維持してくれなかったんだと、恨み言を言いたくなるくらい。
だから私は、つい彼がいつでも飴玉をすぐに噛み砕くことすっかり忘れて言ったの。
「ちょっと、これは酷いよ。何なの、この飴。最後の最後でこの酸っぱさはないよ」
言ってから、そうだ彼がこの味を知っているはずがない、と思い出した。
「……はあ? そうなの? 俺、最初から噛んじゃうからよくわかんないや。別に不味いとも思ったことないし」
ああ、やっぱりそうだよね。
言った私がバカだった。
彼がテーブルの上の袋の中から飴玉をひとつ取って口の中に放り込む。そしてやっぱり味わうこともなくがりがりと噛み砕くのを、なんとなくため息交じりに見た。
私がああ言っても、彼は飴の味を確かめるつもりはないらしい。
別にいいけれど。
視線をテレビに移す。ニュースはいつの間にか終わっていて、妙にハイテンションなバラエティー番組をやっている。興味はないけれど、私はそれをじっと観ていた。
そろそろ帰ろうかな。
そんなことを心の片隅で考えながら。
「なあ……」
ふと気が付くと、すぐそばに彼がいて。
にやついた表情で、手の届きそうなところに迫っている。
彼の表情で、何をしようとしているのか分かった私は、彼の胸を両手で突っぱねる。
「や、そんな気はないから」
「そんな気って何だよ」
「だから、今日はもう帰るから」
「勝手なこと言うなよ」
そう言うと、彼は嫌がる私に圧し掛かってくる。どっちが勝手なんだ。自分の気持ちばっかりで、私のことなんてちっとも考えてないくせに!!
そう言おうとも思った。
だけど無理矢理にキスをされ、口の中にレモン風味のミルク味の、あの飴の味が広がって、私はなんとなく抵抗する気もなくしてしまった。
多分、どれだけ私の気持ちを説明しようとも、きっと彼は私の気持ちなど本当の意味で理解してくれない。
この飴の味とおんなじように。
背中を向けたまま、深い寝息を立てる彼の横から、私はするりと抜け出した。
ベットの下に散らばった衣服を拾い上げ、のろのろと身に着けていく。
ああ、なんだか虚しい。
眠る彼の裸の背中を見ながら、何でこいつと付き合ってるんだっけ……なんて、根本的なことを考えてみる。
そうだ。
街角で声を掛けられたのがきっかけだ。
軽いノリで、「試しに付き合ってみない?」そう誘われたのがきっかけだ。
私の周りにはいないタイプだったから、それも面白いかもしれないって、そう思ったんだ。
最初は優しかった。マメに電話をくれて、あったかい言葉もうんとくれて……
意外と付き合ってみたら、面白いかもしれないとか、いい奴かもしれないとか、そんな期待感があったんだ。そう、食べたことのない飴を、口の中に放り込む瞬間に似てるかもしれない。
けど、一回カラダを許した途端に、あれっと思う間もなく彼の態度は変わっていってた。
「……さっき食べた飴とおんなじだ」
くっと、口から笑いがこみ上げる。
そうだ、こいつ、さっき食べた飴と似てる。最初こそ「あれ、美味しいかも」なんて思っても、味わっていくとどぎつくて口に合わない味に変化する。
完全に服を身に着け、私はテーブルの上の袋から飴をひとつ取り出して口の中に放り込んだ。
優しい、ミルクの味が口に広がる。
いつもなら、最後の最後まで味わうそれを、私は彼の真似をしてがりがりと噛み砕く。
その瞬間、あれ程どぎつくて酸っぱすぎてイヤだと思っていたレモンの味が、優しいミルクの味と一緒になって口の中に広がる。
それは、最後まで味わって食べるよりも、ずっとずっと美味しかった。
そうか、モノによってはこうしてがりがり噛み砕いちゃったほうが、美味しい場合もあるんだな。
……非常に役に立ったよ。
でも私はきっとこの飴を二度と食べることはないだろうな。
だって私はやっぱり飴は最後まで味わうのが好きだし、最後まで美味しいもののほうがいいから。
だから、もういらないや。
テーブルの上の袋を掴んで、中身を一気にゴミ箱の中にぶちまける。
ざらざらと、気分良く一気に中身がゴミ箱の中に落下していくのを見届けて、私はその袋をぽいと放り投げた。
「さよならぁ」
どこか歌うような口調で寝ている彼の背中に言葉をぶつける。
あの飴はゴミ箱の中へ。
この男は過去へ。
不味いものはもうたくさん。
珍しいものを口にするときは注意が必要だ。