夢
※不妊に関する記述があります
静かな車内。隣に居たのは夫だった人、倫人。
エンジンの振動と規則的に動くワイパーの音、雨粒に滲む信号の赤い光だけが私たちの無言を埋めている。
子供がなかなか授からないという事実は、思っていた以上に私たちの心を擦り減らしていた。
お互いを責めたことはない。けれど、どちらともなく視線を逸らすことが増え、会話も減っていった。
病院の待合室、幸せそうな妊婦さんの丸いお腹からいつも目を逸せていた。
壁に掛けられたテレビから流れる育児番組が目に入るたび、胸の奥がズキリと痛む。
楽しげな音だけが、やけに大きく響く。
周りに悟られないよう、私は静かに息を整え、視線を落とした。
病院からの帰り道、普段と変わらぬ表情で駐車場まで歩く。
痛みを隠し、冷静さを保つことも上手くなってきた。
三十九歳、あと三週間で四十歳。
このまま治療を継続するか諦めるか、話ができない。怖くて聞けなかった。
いつからか私たちの隙間に入り込んできた『凛』という女性の名前。
会社の同僚で良き相談相手。
確かな証拠はない。ただ、信じ切れなかった。
確信に似た不安だけが胸を押し潰していく。
赤信号がいつもより長い。
「春香……、俺は……」
倫人の言葉の続きを聞く前に、信号は青に変わった。
車が加速していく感覚。正面からの強い光。そして雨音。
ぼやける視界に映るのは、生成りの天井。
(何を言いたかったの……?)
欠けていたのは記憶だけじゃない。聞けなかった言葉、言えなかった言葉。
カーテンを開ければ晴天。
雨の音はまだ聞こえている。
窓の外、そこにないはずの赤い信号が見える。
私は立ち止まったままだ。
お読みいただきありがとうございます( ´ ▽ ` )




