初恋
ローゼンベルクの屋敷に着くと、両親が心配して出迎えてくれた。
きっと彼が手配したのだろう、体調が悪くなったと連絡があったそうだ。
「大丈夫です。人に酔ってしまったみたいです」
自室に戻ってから軽く湯浴みを済まし、もう寝るからと一人にしてもらう。
鏡台の引き出しから、アクセサリーボックスを取り出し、濃い茶色のイヤリングに触れてみる。
ついさっきまで確かに感じていた温もりが、今は冷たいだけだ。
(春香は私。ヴィンセント様は倫人なの?セリーナ様が凛?)
確信はない。だけど、きっとそうなのだろう。胸がギュウっと締め付けられる。
(前世のやり直し……?)
わからない。胸の奥が欠けている感覚はなぜなのか、どうすればいいのか。
『春香……、俺は……』
あの言葉がふと過る。倫人は何を言いたかったのか。
(やり直しじゃなくて、伝え直し?)
引き出しを閉め、灯を消してからベッドに潜り込む。
目を閉じたその時、外から馬車の近づく音が聞こえてきた。
(彼だわ……)
直感でそう思った。
しばらくすると、馬車が遠くへ去って行った。
(呼ばれなくて良かった……)
今は会いたくない。気持ちの整理が追いつかない。
再び目を閉じる。
真っ暗な瞼の裏に、赤信号が浮かぶ。
進み出せると思っていたのに、進めない。立ち止まってばかりだ。
翌朝はいつもより早く目覚めてしまった。あの夢は見なかった。
ベッドから降り、カーテンを開ける。外は気持ちと同じ曇空。
鏡台の前に座り、鏡に映る自分を見る。
透き通るような肌、腰まである艶やかな髪。
頬も顔に触れた手も白くふっくらとしている。
そこに映るのは三十九歳だった春香ではない。十八歳のハリエットだ。
まだ全てを思い出せない。断片的な欠片だけだ。
アクセサリーボックスからイヤリングを取り出す。
昨日と変わらないキラキラした光を眺める。
イヤリングをなんとなく着けてみる。
大丈夫、そう思えた。
午前のお茶の時間、ミシェル様が来られたと聞き挨拶へと向かう。
サロンの扉の前、お喋りなミシェル様の楽しげな声が聞こえた。
話を中断させないように、タイミングを計る。
「でね、シモンズ商会の会長さんがそのアルディン男爵の次男と踊っててた姿がすごくお似合いで!昨日の夜会で一番のカップルだったわ!二人ともいい笑顔でーー」
これ以上ここに居られない、居たくない、聞きたくない。
「エイミー、やっぱりまだ調子が悪いみたいなの。ミシェル様には申し訳ないけれど、そう伝えてくれる?」
「ハリエットお嬢様……」
笑顔で伝えるが、エイミーの顔は困惑している。
部屋に戻りベッドに腰掛ける。
(私が隣に居なくても……セリーナ様が隣に居れば良い)
耳で揺れるイヤリングを外そうと触れる。
外したくない、離したくない……
(まだ婚約はしていない。今ならまだ傷にはならないわ……)
ノックの音。エイミーが扉を開け執事のベルツと話している。
エイミーがチラリとこちらを見てからベルツに頭を下げた。
「何かあったの?」
「アルディン様がお嬢様のお見舞いにいらしたそうです。
まだ体調が悪いのでとお断りさせていただきました」
「そう……」
「すみません。お嬢様の顔色があまりにも悪いので、勝手にお断りしてしまいました」
「いえ、断ってくれてありがとう」
(本当にお見舞いなの?セリーナ様のことを話に来たの?)
胸の奥の欠けた部分が真っ黒になる。
「少し横になるわ。一人にしてもらえる?」
「……かしこまりました」
重たく感じるイヤリングを外し、握り締める。涙が溢れてくる。視界がぼやけていく。
(まだ、間に合う。大丈夫、傷つかないわ。最後に一言挨拶だけすればいい、ご縁が無かったって言えばいい)
まだ数回しか会っていないのに、初めてだった。こんな気持ちになるとは思っても無かった。
「好きになってたのかしらね……」
濃い茶色のコニャックダイヤモンド、彼の落ち着いた優しい瞳の色。
アクセサリーボックスではなく、プレゼントされた時に入っていた小箱に思いと共にしまう。
真っ暗な引き出しの奥に入れ、閉じ込めるように閉める。
横になり目を閉じる。
窓の外、雨が降り出した。
昼食も喉が詰まって食べられなかった。
胸の奥が苦しい。
部屋に飾られたベイビーズブレス。小さな可愛らしい花。
「アルディン様がお見舞いにお持ちくださいました」
その優しさが、今は辛い。素直に喜べない。
夜になっても、喉の詰まりも胸の痛みも治らない。
(好きよりも、愛してたのかもしれない……)
引き出しに手を掛けて、止める。
開けたい、だけど開けられない。
雨は降り続いている。
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