セリーナ
進捗が見られなかった隣国の大手商会との商談が、やっと纏まった。
久しぶりの休暇、晴天の空。スッキリして気分がいい。
(頑張ってくれた皆に、お菓子でも差し入れしようかしら)
出掛けた市場で、最近気になっている男を偶然見つけた。
後ろ姿でもわかるくらい、彼のことは商人仲間として気に入っている。できれば自分の元へ引き抜きたいと思うくらいに。
周りから少し飛び出ている頭。その隣には小柄な女。
(あら、手繋いじゃって)
声をかけずにいられなかった。
「あら、ヴィンセントじゃない!」
振り返ると同時に離れる手。
(あら……)
彼女はローゼンベルグ伯爵家の令嬢だった。男爵家の次男であるヴィンセントにはそこそこの後ろ盾にはなるだろう。
(作り笑顔ね。まぁいいわ。手は少し震えているけど、声は震えていないわね)
つい癖でじっと観察するように見てしまう。
(彼の将来性を考えると、隣に立つには……少し物足りないわね)
来週の夜会の参加を尋ねた時、ヴィンセントの視線が一瞬彼女を見る。
(あら、あらあら)
再び繋がれた手。彼の耳が僅かに赤い。婚約を尋ねれば、少し気まずそうに微かに眉が下がる。ただ目は真剣だ。
商人である彼がここまで動揺している姿を見るのは初めてだった。
(珍しいわね)
「あら、そうなのね。なるほどねぇ」
思わずこちらまで商人の顔が崩れて笑みそうになる。
まるでそこが自分の指定席であるかのように、自然に隣にいる彼女。
作り笑いの奥に不安が見え隠れしている。瞳が僅かに揺れている。
(怖がらせてしまったかしら?そんなつもりはなかったのだけれど)
去り際まで作り笑顔を崩さず冷静さを装っていた姿は、合格点。
だけど、彼女ではヴィンセントはここまでだ。
彼の商人としての未来のためにはならない。
(ただ、ヴィンセントのあの目は……)
興味……いや、違う。
彼女に勝ちたいわけではない。
選ばれるのではない、選ぶ側にいたいだけ。
「さて、どう動こうかしら」
思わず出た独り言に、口角が上がる。
(まずは、夜会ね)
頭の中では、計算が始まる。
商会の扉を開ける。
手土産の焼き菓子を受付にいる新人に渡して皆に配るよう伝え、そのまま二階の副会長室へと向かう。
「会長、今日は休みでしょう?何で来てるんですか?」
かなり年上だが義弟。副会長の目が怒っている。
休みの日にはしっかり休むこと。前会長が倒れてから決めたルール。
「あら、ごめんなさいね。ただ焼き菓子を買ってきたから、それだけよ。甘いもの、お好きでしょ?」
「……会長、何かありました?」
「あら、わかる?でも大丈夫よ、気になさらないで。ちょっと確認したい書類があるから、それだけ。
そこだけ確認したらちゃんと帰るわ」
副会長との関係は良好。ただ世間では心無い噂もあった。
前会長は財産狙いの年若い女に現を抜かし、終いには薬を盛られた。前会長の妻がシモンズ商会を乗っ取ったなど。
けれど、事実は違う。
前会長である夫には商人としての能力を認められ、立場を盤石にするために妻となった。
結婚して一年が過ぎた頃、会長室で副会長と会議中にいきなり胸を押さえ、そのまま帰らぬ人となった。結婚する前から胸の痛みは時々あり薬を処方されていたが、余りにも早い別れとなった。
会長職に就いたのも、副会長である義弟の提案だった。兄と歳が近い自分が継ぐより、商才もある若いセリーナが継いだ方が商会の今後のためになると。
会長室に飾られている夫の肖像画を眺める。
「選んでも、怒らないわよね?」
返事はない。
でも、悩み立ち止まることはしない。
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