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欠けたまま、もう一度  作者: 志井岳


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2/10

街歩き

彼から手紙が届いたのは翌日だった。香水だろうか、ふわりと落ち着いた爽やかなウッディな匂いが、微かに鼻腔を掠める。

開いた便箋の間には、白い花の描かれた栞が挟まれていた。読書が趣味だと聞いたからだろう。

凝ったものでもない、飾り気もないシンプルな栞に胸がくすぐったくなり、思わず笑んでしまう。

テーブルの上の読みかけの本の横に、そっと置く。


手紙は、体調が良ければ出かけないかという誘いと、レイノルド商会が主催する夜会への誘いだった。

「初めてのデートですね」

エイミーに言われて、意識した瞬間に顔が熱くなる。



会話は少なく、静か。ガタゴトと馬車の音だけが聞こえる。

でも、嫌ではない。

近くに感じる彼の温度も心地良い。


(この人となら、一緒でも無理なく過ごせそう)


前向きに将来を考えても大丈夫、そう思える。



市場のほど近くで馬車が止まる。

開いたドアから少し冷えた空気が入り、思わず手を擦り合わせてしまう。


「あの、このままここで少しお待ちください」


そう言うと、彼はドアを閉めどこかへ行ってしまった。


「え……?」


ドアは閉まっているのに風が抜けたように、一人きりの車内、空気が冷えていく。


ただ窓から行き交う人々を眺める。


(仕事があるなら、あるって言ってくれればいいのに……)


ノックの後開いたドアの外、走ったのか、少し息の上がっている彼が立っている。


「お待たせしました。これを」


戻ってきた彼が差し出したのは手袋だった。


「この辺りは風の通り道で少し冷えますので、どうぞ」

「……ありがとうございます」


さりげない気遣いが素直に嬉しい。仕事だと勝手に思い込み、置いていかれたと拗ねた子供のような気分になっていた自分が、情けなくて恥ずかしい。


差し出された手袋は、白地に黄色い花の飾りが付いたシンプルなものだった。


(私の好きなデザイン)


「向こうに書店が新しく出来たんです。行ってみませんか?」

「行ってみたいです」


私の好みをちゃんとわかってくれている。それだけで自然と頬が上がってしまう。



香辛料の鼻にツンとくる匂い、焼きたてのパンの香ばしい匂いに混ざって漂う甘い匂い。

店員と談笑しながら商品を品定めしている人、急いでいるのか、店には目もくれず足早に通り過ぎる人。

久しぶりに来た市場の賑やかな雰囲気に、どんどん気分も上がる。


「危ないっ!!」

「っ!!」


よそ見をしていたため、目の前に迫った積み上げられた木箱に全く気づいていなかった。彼が咄嗟に腰を支えてくれたおかげで醜態を晒さずに済んだ。


「お恥ずかしい……周りに気を取られていました」


突然のことに心臓はバクバクしている。顔は熱い。きっと真っ赤になっているだろう。


「ぶつかりそうだったとは言え、いきなり触れてしまい……すみません」

「……助けてくれてありがとうございます」


「あの……、よろしければお手を……」


差し出された大きな手。


「……では、お言葉に甘えさせていただきます」


彼の手に自分の手を重ねる。


「……行きましょう」


見上げた彼の耳が赤い。


(照れているの?)


「ふふっ……

ええ、行きましょう」



繋がれた手の温もり、すぐ隣に感じる彼の温度が暖かい。

胸の奥、欠けた部分も暖かくなる。


理由はわからない。でも、なぜか覚えている。この手も温度も。


(どこで……?)


ただ、この手を離したくない、離しちゃいけないと強く思う。


青い看板の店の中、ランプの灯りがまるで点滅しているかのように、ジジッジジッと音を立てている。




「あら、ヴィンセントじゃない!」


振り返った先には、知らない年上であろう女性。よく通る声に凛とした立ち姿、きちりと纏められた髪。いかにも仕事ができる女の雰囲気。

微笑んでいるが、目が鋭く光っているように見えた。


離れた手から温もりが消える。


「セリーナさん、ご無沙汰しています」


(セリーナさん?親しい方かしら……)


「商談でちょっとここを離れていたのよ。

あちらこちらで話題になっているわよ、あなたのこと」

「えっ?何の話ですか?」

「ええ、若いのになかなかのやり手だってね。

ところで……初めまして、ですよね?」


彼女と目が合った瞬間、手が急速に冷える。


「お初にお目にかかります。ハリエット・ローゼンベルグと申します。以後お見知り置きを」

「シモンズ商会のセリーナ・シモンズですわ」


シモンズ商会はこの国で一番の商会だ。もちろん名前だけなら知っている。

一昨年に亡くなった商会長の後を引き継いだのは、副会長の弟ではなく、嫁いだばかりだった彼の若い妻だと言うことも。


値踏みされているような、牽制されているような。刺さるように向けられた視線に、作り笑顔が崩れそうになる。


「ハリエット様も来週の夜会には出席されるのかしら?」

「……はい、その予定です」

「私のパートナーとして一緒に参加する予定なんです」


彼の手が、再び重なる。


守るように。


「あらヴィンセント、婚約したの?」

「あ……、いや、まだ候補というか……、正式にはまだですが……」


彼女の口角がわずかに上がる。


「あら、そうなのね。なるほどねぇ」


獲物を見つけた捕食者のような、面白いおもちゃを見つけたような、逃さないという視線。


「じゃ、また夜会でお会いしましょう」


(また、盗られるの?……また?)


胸の中が、降り止まない土砂降りのようにうるさい。



(欠けている感覚は、覚えていない記憶だけ?)



赤い髪飾りをした彼女の姿が見えなくなるまで、足は動かなかった。


お読みいただきありがとうございます( ´ ▽ ` )

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