街歩き
彼から手紙が届いたのは翌日だった。香水だろうか、ふわりと落ち着いた爽やかなウッディな匂いが、微かに鼻腔を掠める。
開いた便箋の間には、白い花の描かれた栞が挟まれていた。読書が趣味だと聞いたからだろう。
凝ったものでもない、飾り気もないシンプルな栞に胸がくすぐったくなり、思わず笑んでしまう。
テーブルの上の読みかけの本の横に、そっと置く。
手紙は、体調が良ければ出かけないかという誘いと、レイノルド商会が主催する夜会への誘いだった。
「初めてのデートですね」
エイミーに言われて、意識した瞬間に顔が熱くなる。
会話は少なく、静か。ガタゴトと馬車の音だけが聞こえる。
でも、嫌ではない。
近くに感じる彼の温度も心地良い。
(この人となら、一緒でも無理なく過ごせそう)
前向きに将来を考えても大丈夫、そう思える。
市場のほど近くで馬車が止まる。
開いたドアから少し冷えた空気が入り、思わず手を擦り合わせてしまう。
「あの、このままここで少しお待ちください」
そう言うと、彼はドアを閉めどこかへ行ってしまった。
「え……?」
ドアは閉まっているのに風が抜けたように、一人きりの車内、空気が冷えていく。
ただ窓から行き交う人々を眺める。
(仕事があるなら、あるって言ってくれればいいのに……)
ノックの後開いたドアの外、走ったのか、少し息の上がっている彼が立っている。
「お待たせしました。これを」
戻ってきた彼が差し出したのは手袋だった。
「この辺りは風の通り道で少し冷えますので、どうぞ」
「……ありがとうございます」
さりげない気遣いが素直に嬉しい。仕事だと勝手に思い込み、置いていかれたと拗ねた子供のような気分になっていた自分が、情けなくて恥ずかしい。
差し出された手袋は、白地に黄色い花の飾りが付いたシンプルなものだった。
(私の好きなデザイン)
「向こうに書店が新しく出来たんです。行ってみませんか?」
「行ってみたいです」
私の好みをちゃんとわかってくれている。それだけで自然と頬が上がってしまう。
香辛料の鼻にツンとくる匂い、焼きたてのパンの香ばしい匂いに混ざって漂う甘い匂い。
店員と談笑しながら商品を品定めしている人、急いでいるのか、店には目もくれず足早に通り過ぎる人。
久しぶりに来た市場の賑やかな雰囲気に、どんどん気分も上がる。
「危ないっ!!」
「っ!!」
よそ見をしていたため、目の前に迫った積み上げられた木箱に全く気づいていなかった。彼が咄嗟に腰を支えてくれたおかげで醜態を晒さずに済んだ。
「お恥ずかしい……周りに気を取られていました」
突然のことに心臓はバクバクしている。顔は熱い。きっと真っ赤になっているだろう。
「ぶつかりそうだったとは言え、いきなり触れてしまい……すみません」
「……助けてくれてありがとうございます」
「あの……、よろしければお手を……」
差し出された大きな手。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
彼の手に自分の手を重ねる。
「……行きましょう」
見上げた彼の耳が赤い。
(照れているの?)
「ふふっ……
ええ、行きましょう」
繋がれた手の温もり、すぐ隣に感じる彼の温度が暖かい。
胸の奥、欠けた部分も暖かくなる。
理由はわからない。でも、なぜか覚えている。この手も温度も。
(どこで……?)
ただ、この手を離したくない、離しちゃいけないと強く思う。
青い看板の店の中、ランプの灯りがまるで点滅しているかのように、ジジッジジッと音を立てている。
「あら、ヴィンセントじゃない!」
振り返った先には、知らない年上であろう女性。よく通る声に凛とした立ち姿、きちりと纏められた髪。いかにも仕事ができる女の雰囲気。
微笑んでいるが、目が鋭く光っているように見えた。
離れた手から温もりが消える。
「セリーナさん、ご無沙汰しています」
(セリーナさん?親しい方かしら……)
「商談でちょっとここを離れていたのよ。
あちらこちらで話題になっているわよ、あなたのこと」
「えっ?何の話ですか?」
「ええ、若いのになかなかのやり手だってね。
ところで……初めまして、ですよね?」
彼女と目が合った瞬間、手が急速に冷える。
「お初にお目にかかります。ハリエット・ローゼンベルグと申します。以後お見知り置きを」
「シモンズ商会のセリーナ・シモンズですわ」
シモンズ商会はこの国で一番の商会だ。もちろん名前だけなら知っている。
一昨年に亡くなった商会長の後を引き継いだのは、副会長の弟ではなく、嫁いだばかりだった彼の若い妻だと言うことも。
値踏みされているような、牽制されているような。刺さるように向けられた視線に、作り笑顔が崩れそうになる。
「ハリエット様も来週の夜会には出席されるのかしら?」
「……はい、その予定です」
「私のパートナーとして一緒に参加する予定なんです」
彼の手が、再び重なる。
守るように。
「あらヴィンセント、婚約したの?」
「あ……、いや、まだ候補というか……、正式にはまだですが……」
彼女の口角がわずかに上がる。
「あら、そうなのね。なるほどねぇ」
獲物を見つけた捕食者のような、面白いおもちゃを見つけたような、逃さないという視線。
「じゃ、また夜会でお会いしましょう」
(また、盗られるの?……また?)
胸の中が、降り止まない土砂降りのようにうるさい。
(欠けている感覚は、覚えていない記憶だけ?)
赤い髪飾りをした彼女の姿が見えなくなるまで、足は動かなかった。
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