別れ
さらに五日が過ぎ、事故から十日が経った。彼の意識はまだ戻らない。
ただ、続いていた熱は下がったそうだ。
私は自室内ならベットから出ても良いと、先生から許可が下りた。
だが、支えがなければまだ歩くことも難しい。
あの日、落ちて片方を無くしたイヤリングは見つからないまま。
探しに行きたいのに、行けない。
もう流されて遠くに行ってしまったのかもしれない。
テーブルに移動し、エイミーが淹れてくれた紅茶を飲む。
左手で持つことにも慣れてきた。
ノックが聞こえ、返事をする。
お父様とお母様だった。
エイミーは二人にも紅茶を淹れる。
三人揃って紅茶を飲むのは久しぶりだ。
「ハリエット、ヴィンセント君のことなんだが……。
熱が引いたこともあって、明日アルディン男爵家へ戻るそうだ」
「でも、まだ意識は戻らないんでしょ?このまま我が家にいてもらっても良いじゃない!」
ガチャンとソーサーにカップを落とした。
「アルディン男爵には、お父さんもそう伝えたよ。
だけどね、いつまでも、意識が戻るかもわからないまま他所様にお世話には慣れないって」
「……」
「ハリエット、アルディン家の皆様の気持ちもわかるだろ?」
「……はい」
「君たちの婚約は保留のままだ。向こうさんはこんな状態だし、一度白紙にしようと仰っている。
いいかい?」
「……嫌です。
帰りの馬車の中で…、事故の前に馬車の中で言ったんです。
明日婚約の書類にサインしようって…、指輪もどうするかって…、話したんです」
お父様の顔が滲む。溢れ出した涙は止められなかった。
「お前の気持ちはわかった。
だが、このまま意識が戻らない可能性もあるんだぞ?」
「絶対に戻りますっ!」
お父様とお母様が顔を見合わせている。
「約束したんです、しわくちゃのおばあちゃんになっても隣にいるって!」
嗚咽が止まらなかった。
「そうか、わかったよ」
そう言いながら、お父様とお母様が優しく背中を撫でる。
ダムが決壊したように、しばらくの間涙は止まらなかった。
翌日、アルディン男爵家の馬車が大きな馬車と共に屋敷に入ってくるのが窓から見えた。
階下がバタバタと騒がしい。
私はお見送りにも行けない。
窓から外を眺めるだけ。
担架に乗せられた彼の姿が見えた。
頭にはまだ包帯が巻かれている。
シーツがかけられていて、手や足は確認出来ない。
大きな馬車の後ろの扉が開き、担架に乗せられたまま彼の姿は見えなくなった。
その光景を窓から眺めるしか出来ない。
お父様がやや背の高い男性に声を掛け、こちらを見上げた。
彼と似た目元の初老の男性。
深々と頭を下げ、馬車に乗り込む。
数分もしないうちに馬車は屋敷の外へ走って行く。
その姿が見えなくなっても、ずっと窓の外を見ていた。
あの夢は見なくなった。
なのに、虚無感は消えることがない。
手の中にある片方だけのイヤリングをギュッと握る。
エイミーが扉を開け、お父様が入ってきた。
ノックの音に気づかなかった。
お父様に支えてもらい椅子に座る。
イヤリングは握りしめたまま。
「アルディン男爵からお前に伝言だよ」
「先ほど外にいらっしゃった……」
「そうだ。お前が見ているのが見えたからな」
目尻を下げ優しく笑い、私の頭をひと撫でする。
「ヴィンセント君の容態は都度連絡をくれるそうだ。
お前が歩けるようになったら、是非見舞いに来て欲しいって」
「はい、是非行かせてください」
「あと、婚約の件だ」
「……はい」
「お前たち二人が約束をしていたんだ。それを意識がない間に勝手に白紙にしてしまったら、ヴィンセント君が怒るだろうって。
アルディン男爵もそのまま保留することに納得してくれたよ」
「お父様……」
「ん?
ふふ…、なんだ?」
抱きつきたいのに自分から抱きつけないので、動く左腕を目一杯広げる。
「お父様、ギュッてしてください」
「甘えん坊になったのかい?」
そう言いながら、嬉しそうな顔で抱きしめてくれた。
先生の指示を聞いて無理はしない。
絶対彼に会いに行く。
きっと信号はもうすぐ青に変わると信じて。
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