出会い
いつからかは覚えていない。でも、幼い頃から同じ夢を繰り返し見る。
その夢を見た朝は、いつも虚無感に襲われる。心の中にあるパズルのピースが足りないみたいに、欠けている感覚。
隣に座る誰かの温もり。ポツポツと雨が落ちて当たる音。ガラスに滲んだように揺らめく赤い色。目の前に急に現れる眩しい光。
『春香……、俺は……』
そして、どこか哀しげな男性の低い声。
コンコンコン。
ノックの音で意識が夢から引き戻される。
「ハリエットお嬢様、お目覚めですか?」
笑顔で侍女が入ってくる。
「おはよう、エイミー……今日はまたあの夢を見たの」
長く私に付いてくれているエイミーはわかってくれている。
「では…あまりお加減はよろしくないのですね。
午後までは予定もございませんし、もう少しゆっくりなさいますか?」
「いえ、大丈夫よ。いつも通りに過ごした方が楽になるから。
……でも、朝食は軽くでいいから、ここにお願いするわ」
身支度を終え、鏡に映る自分を見る。
自分の中に違う自分がいるような、胸の欠けは何なのか、見つめる先の黒い瞳に答えは映らない。
朝食を終え、テーブルの上の読みかけの分厚い本を開く。遠い異国の物語。
あの夢も、どことなく異国が舞台のような気がしている。
いつも霧の中のみたいにモヤっとしていてよくわからないのだが、馬車ではない、何か乗り物に乗っている気がする。
その正体がわかればと、翻訳された様々な国の本を読むようになり、いつの間にか読書は趣味に変わっていた。
何冊も、何十冊も読んだけれど、夢の謎は未だわからないまま。
「ハリエットお嬢様、そろそろ昼食の時間となります」
エイミーに声を掛けられ、物語の世界から戻る。
「随分と集中されていましたね」
「面白いのよ、この本」
本に栞を挟み、食堂へ向かう。まだ気持ちが沈んでいる。
夢のせいだけではない、午後の予定のせいだ。
食欲はない。かなり残してしまう。
「緊張しているのね」
お父様もお母様も、私の気持ちがわかっているのか苦笑いをしている。
食後のお茶の席、二人にこれから会うお客様の事を改めて聞く。
男爵家次男のヴィンセント様という二歳年上の、レイノルド商会に勤めている方。
レイノルド商会の会長にも将来を期待されているくらい優秀らしい。
事前に私のことも相手に伝えているのだろう、婚約が前提での面会だが、どうしても無理なら断っても良いと仰ってくれたそうだ。
私は人見知りで、相手に心を開くまで時間がかかる。家族や使用人など何度も会ったことがある人以外は苦手。貴族令嬢としてなんとか作り笑顔で切り抜けてきたが、両親も無理はさせたくないと十八歳の今まで婚約者はいない。
両親からせめて会うだけでもと、懇願されての今日だ。正直、気分は乗らない。
(わかりやすく意地悪な方とかじゃなければ、断り辛い……)
沈んだ気持ちのまま、自室に戻り支度をする。
「ハァ……」
思わず溜息が出る。
(ダメダメ、溜息を吐いたら幸せが逃げるって本に書いてあったじゃない…)
「フゥ……」
二度目の溜息のあと、エイミーに呼ばれる。
「ハリエットお嬢様、行きましょう」
エイミーも苦笑いだ。
重たい足取りで応接室の前まで来たが、ノックしようとしても手が緊張からか動かない。
代わりにエイミーが前に出る。
「失礼いたします、ハリエットお嬢様をお連れいたしました」
覚悟を決めて部屋に入り、形式通りの挨拶をして顔を上げる。
「お初にお目にかかります。レイノルド商会のヴィンセント・アルディンと申します」
懐かしさを感じる、なぜか聞き馴染みのある低い声。
(あの声に似てる…)
胸がギュッとなり苦しい。手がどんどん冷たくなる。
震え出す膝を隠すよう、ソファーへ腰をかける。笑顔を作るので精一杯。会話は半分も頭に入ってこなかった。
「顔色が優れないようですが、具合は大丈夫ですか?」
応接室での顔合わせの後、お母様に促されるまま庭へ来たが、会話は少ない。
ほのかに香るカモミールの花壇の前、彼に声をかけられた。
「ハリエット嬢……少し冷えるので、戻りますか?」
体調を気遣った優しい声に顔を上げる。心配そうに下がった眉、少し垂れた濃茶色の瞳。どうしてか目が離せない。
(初めて会ったはずなのに……)
胸の奥の欠けを強く感じる。見たことがある、いや、見慣れた表情。
(どこで?)
「いえ、すみません。考え事をしていて……失礼しました」
「それなら……、良かった…。」
『春香……、俺は……』
一瞬、言葉が重なって聞こえた。晴れているはずなのに、耳の奥でポツポツと雨の音が聞こえる。
(どうして……)
わからない。ただ、胸がざわつく。
「やはり、中へ戻りましょう。また今度案内していただけますか?」
サァーっと風が吹き抜ける。カモミールの甘い香りが漂う。
「そうですね、また今度……」
“今度”はないかもしれないという不安か焦りか、夢を見た後と同じ虚無感が襲う。
屋敷に戻り、両親に挨拶を終えた彼を玄関ホールまで見送る。
(今度はいつ……)
言えない、聞けない。なぜ初めて会った人なのにこんな気持ちになるのか、わからない。
「あの……よろしければ、またお会いできますでしょうか」
「……はい」
声にしていないはずの言葉を聞かれたのかと、胸が跳ねる。
「では、またご連絡します」
「ええ、お待ちしております」
馬車へと向かう背の高い大きな背中。
(前もこうしていつも見送って……どこで?いつも?)
晴れているのに雨音が聞こえる。そこにはないはずの赤い色が濡れて揺らめいている。
私は立ち止まったまま、その背中を見つめる。
一歩も進めないまま。




