回想3
「アレク、これ…」
「だ、大丈夫なら良かったよ。俺は全然平気だから、本当に。じゃあね」
何かしら嘘を吐いて誤魔化せていたなら少し違っていたのかもしれないが、この時、俺の頭は文字通り真っ白になっていたので、適当に話を逸らしてその場から逃げた。
人は秘密が露呈すると“らしさ”を失う。
他人がそうなるのは何度も見てきたが、自分でそれを体験するのは初めてだった。
家に逃げ帰った俺は腕の露出した部分を包帯で覆った。
それから体に染みついた習慣で母の分だけ昼食を作り、母と言葉を交わすことなくそれを渡してその後すぐ家を飛び出した。
母に話さなかったのは、心のどこかでカイルとあの子供が別の何かに勘違いしてくれているかも、と期待してしまっていたからなのかもしれない。
あの子供はともかく、カイルなら話せば分かってくれるのではと思い、とりあえずたまり場を目指して歩いた。
「アレク君こんにちは。今日はよく通るね」
「…」
「アレク君?」
俺は二回目でようやく話しかけられた事に気付いた。
「す、すみません。ボーっとしてました」
「それなら良かった。もしツライ事とか悩み事があったらおばちゃんに言いな。いつでも相談に乗ってあげる」
「…分かった。ありがと、おばさん」
結局俺は、優しく声をかけてくれた彼女の顔を見る事が出来ず、最初から最後まで俯いたままその場を後にした。
そうしていたのは、俺の表情を見られれば彼女にも加護無しだとバレてしまうかもしれないと、目を合わせる事を恐れていたからだ。
それでも会話したのは、その恐れと同時に、おばさんなら加護無しだと知っても受け入れてくれるんじゃないかとも思っていたからだ。
俺はできるだけ通行人と目が合わないように下を向きながらルイスの家に向かった。
カイルの家はパン屋からそう遠くない所にある。
そこに到着するまでの数分間、俺は頭の中で何度も何度もルイスに何と話しかけるか繰り返し考えていた。
しかし、その答えが出る前にカイルの家に着いてしまった。
外見はウチよりも数倍清潔感があるが、その扉は劣化して少し隙間ができている。
目を閉じ、深呼吸をしてからノックをしようと手を返し指を軽く曲げた。
すると中から酒で焼けたようなカスカスとした声が聞こえてきた。
盗み聞きは良くないという常識は備えていたが、俺について話していたならと思うと聞かずにはいられず、俺は扉の隙間に耳を当てて耳を澄ませた。
「それは…本当なの?」
中ではカイルの母親がアイルに対して少々高圧的な態度でそう質問していた。
「…?うん、見間違えとかじゃないと思うよ。それがどうかしたの?母さん」
見間違え、とカイルが言った時点で、俺の事について話しているのだろうと分かった。
ただ、カイルは紋様が無い事の意味を知らないようだった。
「でかした!これで毎日もっと良い酒を飲めるわ!」
カイルの母はそう言うと勢いよく何かから立ち上がる音を出すと、扉の方へやや駆け足気味で迫ってきた。
カイルが「なんで、どういう事?ねぇ母さん、どういう事なの?」と話しかけるも、「後でね」と言って軽くいなした。
俺はその会話に聞き入るあまり、逃げ遅れてしまった。
扉のそばから離れる事すらできず、バンッと音を立てて開けられた扉に押され、後ろへ尻餅をついてしまった。
「はは、丁度良いわ」
俺を見つけたカイルの母は、俺の腕を掴み、カイルに見えるように引っ張り上げた。
「アレク?どうしてそこに…」
「いや、俺、カイルと話しを…」
俺とカイルが話そうとすると彼女は声を張って妨げ、俺の腕に巻かれていた包帯を無理やり剥がした。
「カイル、教えてあげる」
「やめて」
「コイツはね、人類種なら誰もが持っている魔法神の加護を持たずに生まれた」
「やめて!」
「加護無し、人としての劣等種なのよ!カイルにも昔読み聞かせてあげたでしょう?私達人間を虐殺しようと企んだ加護無しが正義の心を持った優しい大人達に倒される昔話を!コイツを帝国兵に突き出せばきっと謝礼金が貰える」
「待ってよ母さん!」
カイルはそう言って、俺を連れて行こうとしたカイルの母のお腹のあたりに抱き着き引き留めた。
「その昔話を聞かせてくれたのは覚えてる。でも!その人がそうだったからといって、アレクもそうだとは限らない!」
それを聞いた彼女は興奮状態から一転して不機嫌になり、俺を掴んでいた手を離してからカイルの髪を引っ張り、体から剥がした。
「はぁ?何言ってんの?加護無しは加護無しでしょ?」
それを俺とカイルが聞いた瞬間、場の空気が固まった。
その認識が本人の思い込みなどではなく、長年にわたる教育によるものだと分かってしまったからだ。
きっとカイルがこうなっていなかったのは、まだ学校に通っていなかったからだろう。
「でも、でも…」
この一瞬で、彼女の認識が変わる事は無い。
この場から逃げ出す事も考えたが、そうした事で俺が加護無しである事を言いふらされれば、母に何をされるか分からない。
大人しく連れて行かれる事が、最善だった。
彼女は再度俺の腕を掴み、もう抵抗する気の無くなった俺を引きずりながら歩き出した。
扉の外へ出た時、床に座って俯いたままのカイルを視界の端で捉えた。
彼は、加護無しだと知っても俺の為に反論してくれた。
本当に、良い奴だ。
カイルの母は、俺を帝都中央にある憲兵所へ連れて行った。
そこに到着するまでに知り合いの人にも、そうじゃない人にも話しかけられた。
大人の女性が子供を引きずって道を歩いているのだ。
流石に誰か一人くらい助けようとしてくれるんじゃないかと思っていたが、話しかけてきた人全員に、彼女は話した、見せた、見せびらかした。
紋様の無い腕は遠くまで見えるよう高く掲げられ、加護無しである事が人を伝って伝播していった。
この時、俺の頭の中は真っ白に塗りつぶされ、大好きな母の事すら失念していた。
誰も、助けてくれなかった。
パン屋のおばさんも、いつも挨拶を交わす顔見知りの通行人も、冒険者協会の受付嬢も、検問所の帝国兵も、すぐ近くに寄って来ていたのを、俺は知っている。
なのに、声をかけてすらもらえなかった。
…カイルの母が言っていた加護無しは劣等種という言葉。
彼女の言う劣等が人間とは違うという意味なら、加護無しで、本当に良かった。
もし俺がこいつらと同じ人間だったならきっと…
昔話に登場した加護無しも、こんな気持ちだったのだろうか。
俺とカイルの母の周りに帝都の人々が集まっては散ってを繰り返しているうちに、憲兵所の前に到着していた。
中に居た手すきの憲兵が、外の騒がしさを感じて続々と出てきた。
カイルの母は憲兵に全てを話し、俺を憲兵に引き渡した。
その際、カイルの母が金だ金だと騒いでいたが、それは皇帝が俺の処分を決定するまで保留となったようだった。
それから1時間程憲兵所で待機させられ、その後すぐに皇帝の住む城の地下にある牢屋に収容された。
そこは妙に小奇麗で、少し汚いベッドとトイレが設置されていた。
本来ここは、不正を働いた貴族などを収容するための場所なのだろう。
食事も普段食べている物と大差なかったので、牢屋内で過ごすのは想定していたよりもずっと楽だった。
結果から言えば、俺は2日程牢屋に監禁された後、何故か釈放された。
加護無しである事についてもお咎め無しだった。
その理由はよくわからなかったし、何より俺の案内を担当した帝国騎士全員が会話することなく黙々と与えられた仕事をこなしていたので、聞く気にもなれなかった。
騎士がついてきたのは城の前までで、そこからは一人で帰った。
特に解放感などは無く、感じられたのは全身にしつこく纏わり付いている虚無感のみ。
それでも歩みを止めなかったのは母の事が心配だったからだ。
道中、すれ違う人々は誰一人も俺に近づこうとはしなかった。
俺に極力近づかないために道の端を歩く者や、わざわざ脇道へ入る者もいた。
ムカついたので走って追いかけてやろうかと思ったが、そんな奴らに体力を使うのも馬鹿らしいので引き続き家路を辿った。
もう少しで家に到着するという所で帝国騎士数人と遭遇した。
彼らは俺に気付く事なく通り過ぎて行ったが家の方からやって来たのを見て、少し嫌な予感がしたので急いで家へ向かった。
少し速度を落として角を曲がると、そこにはいつもと何一つ変わらない家が在った。
「おかえり、アレク」
いつも通り帰宅して早々に母の部屋に入ると、いつもと変わらない態度で出迎えてくれた。
「ねぇ、母さん、聞いた?」
あまりにも省略しすぎた質問だったが、母は俺の聞きたい事を汲み取り、母はその特徴的な滑らかでむらの無い声で答えた。
「ええ、聞いたわ。災難だったわね」
絶対に隠さなければならない事が帝都中に広まってしまったのに、母は何故か落ち着いていた。
普通取り乱したり、俺を叱ったりするものだと思う。
だがこの母は冷静で居るだけでなく、「加護無しだと知れ渡ってしまったのは良くないけれど、友達を助けた事だけは後悔してはダメよ」とその場に居た者しか知りえない情報を使い俺を諭す余裕すらあった。
どうしてそんなに落ち着いているのか、何故加護無しだとバレたきっかけが友達を助けた事だと知っているのか、聞きたい事は色々あったけど、そんな事よりもまずは一言。
「ただいま、母さん」
「ええ、おかえりなさい」
いつもと変わらないそのやり取りが、2日間人間の愚かさに晒され続けたこの身に沁みた。
内から何かがこみ上げて、涙が溢れて止まらなかった。
それからはずっと、母の腕の中でうっかり荒れてしまった心を落ち着かせていた。
日が沈み、再度帝都を照らすまで。
目が覚めた時、俺はベッドに寝かされていた。
隣には母が居て、珍しくまだ起きていないようだった。
上体を起こし、ベッドから降りると、前日にあった出来事を忘れたわけでは無いのに不思議と心が軽くなっているのを感じた。
吹っ切れたのか、関心が薄まったのか、どちらにせよ、冒険者業を再開しなければならないので丁度いいと思い、母が起きないよう細心の注意を払いながら朝食を作り、それをベッドのそばに置いてから家を出た。
帝都の人々から向けられる視線は、痛かった。
人々に避けられ、恐れられ、陰口を叩かれ、あんなに軽かった心は次第に重くなっていった。
「お、おはようございます」
俺はつい習慣で通りすがりにパン屋のおばさんに挨拶した。
おばさんは俺を見るなりそばに立てかけてあっためん棒で、俺の腹を突き、道の中央へ追いやった。
「近寄らないでおくれ!ウチの商品価値が下がったらどうしてくれるんだい」
この人も、人間だった。
「こちらも仕事なので拒否はしませんが、そちらで勝手に依頼を受けて、勝手に承認の印鑑を押してください。どこか適当に置いておくので。…もう二度と、私に話しかけるな、加護無し」
冒険者協会の受付嬢も。
「お前が出入りする程度の事、検閲せずとも帝国に何ら影響は無い。勝手に出入りしろ。お前に俺らの苦痛を理解できる心があるなら、二度と戻ってくるな」
気の良い帝国兵も。
彼ら全員、中身が、人間だった。
ボロボロの心が、体を動かしていた。
傷一つ無い綺麗な肉体が、心を守っていた。
依頼を終えて、家に帰るために人気の無い裏路地をゆっくりと歩いていると、カイルと出会った。
腫れた頬、汚れた衣服、打撲痕のある手足。
彼の様子がいつもと違う事に気付くのにそう時間はかからなかった。
俺が話しかけると、彼は光の無い目をこちらに向けて口を開いた。
「君か、アレク」
「うん…どうしたの?」
俺が言えた事ではないが、自然な流れでそう問うた。
すると彼は声の音程を数段下げてそれに答えた。
「…母さんが、怒ってたんだ。君が釈放された事で母さんが要求していた謝礼金も無しになったから。母さんは、更に酒に溺れた。貰えると思っていた金が貰えなかったから」
彼は俺に一歩近づき、声量を大きくして話を続ける。
「酒で判断力が鈍った母さんの怒りの矛先は、一体どこを向くと思う?」
俺はそう言われた瞬間、理解した。
こんな状況になっても俺の事を加護無しと呼ばない、本当の友達を傷つけてしまった。
全部、俺のせいだ。
全部、全部、全部。
そんな俺に追い打ちをかけるように、彼は打撲痕が良く見える様裾をまくってこう言った。
「全部、全部、君のせいだ。アレク。もう、関わらないでくれ」
ーー
「…人の話を重いとか言っておきながらよくもそんな話ができたわね、しかも最悪な終わり方…」
「続きを気にならせるような終わらせ方よりは良いだろ?」
「主に内容が良くないって言ってるの!」
話を聞き終えた私はアレクに文句を言った。
同じあぶれ者だけど、忌み嫌われる理由が違う分余計に聞いててしんどかった。
「貴方のせいで気分が落ち込んだんだけど」
「ごめんごめん」
「話を聞いてて思ったんだけど、貴方の母親、何者なの?」
アレクは腕を組んで、天井を仰ぎ見ながらそれに答えた。
「普通じゃないのは知ってるんだが、聞いてもはぐらかされるんだよ。確かなのはルミアと同じで美人って事だけだ」
「…私と同じでは余計よ」
そうやって私をからかっていると彼は何かを思い出したようで、何の関係があるのか師匠について質問してきた。
「さっきルミアが話してた師匠のフルネーム、エファリア・フランローズだったりするか?」
「ええ、そうだけど、何で貴方が知ってるの?」
「俺がその人の事を知ってるかも」
「知っている?貴方が?」
師匠が生きていたのは200年くらい前。
普通に考えてアレクが彼女の事を知っている訳が無い。
「言い方が悪かったな。正確には、教科書に記載されている歴史的犯罪者、帝国筆頭魔法師エファリア・フランローズとは、まるで別人だなって言いたかったんだ」
「教科書?」
「ああ、ごみ箱に捨てられてたのを取り出して路地裏で読んだりしてたんだよ」
「いや、どうして師匠が教科書に載ってるのって意味で聞いたんだけど…」
「そうなのか。てっきり、教科書を読んだことあるの?そんな教育を貴方が受けている訳無いじゃんって意味だとばかり…」
「馬鹿にされ慣れるのも考え物ね」
アレクの話によると、帝国で現在使用されている教科書の1ページには、犯罪者として記載されている。
歴史的犯罪者、帝国筆頭魔法師エファリア・フランローズ。
魔法の名家フランローズ家に天才として生を受け、史上最年少で筆頭魔法師になり、浮遊魔法、牽引魔法を発明、帝国の物流に大きな影響を与えた。
帝国筆頭魔法師就任から3年後、皇帝と皇女の2名を殺害し逃亡。
それによる皇室の混乱と、帝国各地で発生した大飢饉が重なり、延べ数万人が亡くなり、フランローズ大飢饉と呼ばれている。
エファリア・フランローズは逃亡の際呪いを受け、その8年後に死亡が呪いをかけた魔法師によって確認された。
「俺が知っているのはこのくらいだな」
あの優しい師匠が皇帝殺しだなんて思えない。
絶対に、何か理由があったはず。
それに、フランローズ大飢饉。
自分のせいで沢山の人が死んだから、その罪悪感に囚われていたから、あの晩、私が幸せと言った時、師匠は泣いたのだろうか。
天井を見ながらそんな事を考えていると、「そういえば何でルミアは師匠の口調を真似してたんだ?」と質問された。
素直に忘れていればいいものを…
「今後一人で生きていく時には私の喋り方を真似しなさいって。そうすれば貴族を会話したとしても舐められないし、一般人にも近づかれにくくなる。加えて盗賊とかには警戒されないから、逆に魔法で制圧しやすくなると、師匠の手紙に書いてあったの」
「へー、理由があって真似してたんだな。てっきりルミアが真似したくてしてるものかと」
「私を何だと思ってるの」
そんな会話をした後、場を再び静寂が包む。
ふいに師匠と過ごした日々を思い出したおかげか、すっかり忘れていたことまで段々と記憶の底から湧き出てきた。
天井を仰ぎ見ながら、その思い出に浸かる。
その行為が、この瞬間にできる行動の中で最も有意義な事だと、そう思える程心地良かった。
「なぁルミア、その師匠が遺した手紙には他に何が書いてあったんだ?」
その声が聞こえた瞬間、深い海底から一気に引き上げられるような感覚を覚えたと同時に、その遠慮の無い質問に少しイラついた。
「貴方ね、よく無礼だって言われなかった?」
「いや、言われたことないな。身の程を弁えろとは死ぬほど、というか、殺されそうになるほど言われたけど。てか普通に殺されかけた」
「…そういうの触れずらいからやめて?」
手紙の内容、ね。
そう心の中で呟くと、手紙の内容が思い浮かんだ。
「手紙の内容だけど、貴方にだけは言いたくない」
ここで嘘を吐くこともできたのに、私は内容を伏せるという方法を選択した。
アレクに嘘は吐きたくない、そう思ったから。
「え、何でだ?」
「…言いたくないから」
「いや、理由を聞いてるんだけど」
「言いたくないからって言ってるでしょ⁉それで納得しなさいよ!」
「…語気が強くなってるって事は…照れ隠しか?」
アレクは私の心を見透かしたかのようにそう言い放つ。
「何勝手に私の事を分析してるの?そんな訳ないでしょ?ああ、もう!不愉快!今日の夕食は貴方が作って!」
「おいおい、今日の担当はルミアだろ?何で俺が」
「私を勝手に分析した罰よ!夕食ができたら私の書斎まで呼びに来て!」
一方的に言葉を押し付けて勢いよくイスを立ち、そのまま私は書斎に早歩きで向かった。
「おい、ちょっと待て!その埋め合わせは!?」
そう問うアレクを無視して書斎に入り、ドアを勢いよく閉めた。
イスに座ったのち、師匠の手紙に書いてあった言葉の中で、一番印象深かったを一文字ずつ丁寧に思い出す。
『もし、ルミアが魔女だと言ってもそれを否定してくれる人に出会ったなら、その人を大切にしなさい。きっとその人が、貴方を幸せに導いてくれる』
こんなの、アレクに言えるわけない。
だって師匠の言うその人って_
「アレクみたい_」
数秒後に自分の言った事を自覚し、恥ずかしくなって顔を両手で押さえる。
私、何言ってるんだろう。
アレクを思い浮かべながらふと呟く。
「私、幸せになれるのかな」




