頑張ってね
「…落ち着いたか?」
散々泣きじゃくった後、自然と涙が止まった。
が、依然として私の心は悲しみで満たされている。
私が泣いている間、皇帝は私に話しかける事無く、ただ待ってくれた。
下手に話しかけたり、なだめようとしないあたり、皇帝は善い人だという事が分かり、嫌になった。
私の大切な人を奪ったなら、悪人であってほしい。
心の底から、そう思った。
「お前は、これからどうするつもりなんだ?」
涙を拭って立ち上がると、皇帝にそう問われた。
「お前、北の魔女なんだろ?やっぱり北の大陸に戻るのか?」
「ええ、そのつもりよ」
皇帝には私の計画を話す必要は無いので、とりあえずそれを肯定しておいた。
本来私はこの耳を見せるつもりは無かったのだが、あの時は感情が昂って勢いでフードを取ってしまい、彼に北の魔女であることがバレてしまった。
皇帝は私に敵対的な態度を取る事無く、何でもない事かのようにその話題に触れた。
ミドラの時もそうだったので、今や北の魔女という存在はエルフの戯言として権力者達には受け止められているのかもしれない。
「…一つ聞かせて」
「何だ?国家機密とかは流石に話せないぞ」
「そんなの聞かないわよ」
どれだけこの男を嫌っても、こういう会話をしていると彼がアレクの父親だと意識させられる。
本当に、嫌。
「貴方は、本当に帝国の寿命が短いと思っているの?」
「ああ」
皇帝は間を空けることなく即答した。
「それじゃあ貴方を殺さない代わりに、取引をしましょう」
私は彼を殺す気などとっくに無くしていたが、出任せにそう言った。
「取引?」
「ええ、例え200年経ったとしても効力を持つ、書類のような物を作って欲しいの。そして、貴方には最低限、皇族が存続できるようにしてほしい。少なくとも貴方の代で帝国が終わらないように」
「…書類の内容は?」
「“帝国は北の魔女に10万の帝国民を差し出す契約を交わした事を、これを以って証明する”」
そう言うと、彼は今自分が聞き取った事が聞き間違いでないか問い返した。
加えて正気なのかとも聞かれた。
「私は至って正気よ。そもそも、それを作ってもらったとしても、私がそれを使う事になるのは数百年先になるわ。もう帝国はそう長くないのでしょう?なら、貴方にとっても悪くない話だと思うけれど?」
皇帝は深いため息を吐き、イスに座って天井を見つめる。
「はぁ、ホント、お前に帝国はそう長くないなどと言わなければ良かった」
「それで、返事はどうなの?」
「…皇帝に自分の命を10万の国民の命で買うような取引を持ち掛けるなんて、お前は、魔女だ」
「何よ、今更?」
皇帝の言葉に強く返したものの、アレクの父親に魔女と言われたのは少し、悲しかった。
はぁ…アレクが魔女じゃないと否定してくれたように、彼もまた、同じように否定してくれるんじゃないかと勝手に期待して、勝手に落ち込んで。
ほんとバカみたい。
私は脅しの為、また、皇帝が自国民を守る事を選択した時の為に、一つ手のひらの上に小さなサイズの炎魔法の炎槍を作り出した。
元々の魔法を小さくしたものではあるが、この男の心臓を焼き貫く程度は容易にできるだろう。
「返事は?」
私がそう聞いても、皇帝は口を閉じたまま私の手のひらにある炎の矢を見つめていた。
「俺はこういう事態に動じない部類の人間だと思っていたが…怖いな、脅されると」
そう言う彼の声は震えていた。
私は何か言葉をかけるでもなく、ただ待った。
彼が私の提案に答えるまで。
数分後、彼は深いため息を吐いてから口を開いた。
「…誓約書を書いて、最低限後継を残せば良いんだな?」
「ええ。それだけやってくれれば、とりあえず殺さないであげる」
皇帝は帝国民に対しての裏切りに近い決定をした割には柔和な表情をしていた。
「どうしてそんなに穏やかでいられるの?貴方、今じゃないとはいえ、10万の帝国民を売ったのよ?」
「何というか、吹っ切れたんだ。俺は今の皇帝であって、未来の事は未来の皇帝に任せればいいってな。まぁ、それほど帝国が続くとは思えないが」
「皇帝ともあろう者が、それで良いの?」
「取引を持ち掛けたお前にだけは言われたくないな」
「それもそうね」
会話が終了してすぐ、皇帝は机の引き出しからかなり丈夫そうな羊皮紙を取り出し、取引した内容に従って書類を作成した。
それには皇帝の直筆で第8代皇帝アルフレート・イル・サイルと書かれており、正式な皇室の印鑑も押されているので、200年先でも帝国が存在していれば効力を持つはずだ。
私は受け取ったそれが劣化しないよう保存魔法をかけ、それを腰の小さなポーチにしまった。
もう用が済んだので部屋を出ようとした時、皇帝に呼び止められた。
「なぁ、一つ聞きたいんだが…アルシェミラは、元気か?」
「ええ、元気よ。私が衰弱病を治したもの」
私がそう告げると、「そうか」と言って胸を撫で下ろし、私に深く頭を下げた。
「本当に、ありがとう」
「感謝される筋合いは無いわ。私はただ、アレクに頼まれたから治しただけよ。感謝するなら、殺した自分の息子にする事ね」
私は皇帝に後悔させる為に、そう言った。
彼の父親に同じ過ちは犯してほしくないから。
「それじゃあ、私は帰らせてもらうわ…じゃあね、クソ野郎」
俯きながら手元の紙を強く握りしめている皇帝を背に、言い慣れない侮辱の言葉を呟いて私はその部屋を出た。
去り際、彼が言葉を発する事は無かった_
「はぁ、それで?」
「…皇帝脅して、10万人の命差し出す契約書書かせました」
私は今、アルシェさんの目の前で正座をしています。
アルシェさんからは、心の声までも敬語になってしまう程の圧を感じる。
確かに殺すなとだけしか言ってないけどさぁ、みたいな圧だ。
何故ここに戻って来たかと聞かれても、私には分からない。
城を出た後、私としては戻るつもりは無かったのに、何故かアルシェさんの家に戻ってきてしまったからだ。
私は心のどこかで、帰る前にアルシェさんと話したいとでも思っていたのだろうか。
「まぁその場の勢いで言った事だと思って紹介状を書いた私も悪いからあまり強くは言えないけれど、ちょっとやりすぎよ」
確かに、アルシェさんの言う通り、皇帝を脅して未来の帝国民の命を差し出させたのはやりすぎだと思う。
けど…
「私、後悔も、反省もしてませんし、この先もするつもりはありません。私はアレクの為に…私の為に出来る事をしただけですから」
反省なんてしてやるものか。
そもそも帝国がアレクを殺したのが悪いのだし、何より大好きな人を想って行動することの、何が悪いの?
人はどこまで行っても誰かの為でしか何かを変えられないというのに。
「そう、分かったわ」
私に何を言っても無駄だという事を察したのか、アルシェさんは「もういいわ」と言ってため息を吐いた。
それと同時に、私のお腹から大きな音が鳴った。
よくよく考えたら朝食を食べずに城へ向かったので、当然と言えば当然である。
「ふふ、お腹が減っているようだし、昼食にしましょうか」
「あ、ありがとうございます」
は、恥ずかしい…
誰かの前でお腹が鳴る事がこんなにも恥ずかしいとは思わなかった。
でも、誰かとこういうやり取りをするのは、楽しいな。
こういうのが、普通の幸せというものなのだろうか。
席を立ち、食事の準備を始めるアルシェさんの背を見てふと思う。
…ああ、どうして今こんな事を感じてしまったのだろう。
私は魂の回収法を見つけた遠い未来で、こういった無数の幸せを奪う事になるのに。
早く帰ろう。
このままではアレクの為に決めた覚悟が、揺らいでしまいそうだ。
「はい、どうぞ。朝に作り置きしておいたものだけれど」
底が深い皿に盛られて出てきたのは、私が初日に作ったスープだった。
味も全く同じ…というよりも、味が私のものよりもずっと洗練されている。
「実はね、ルミアさんが作ってくれたスープ、アレクに最初に教えた料理なの」
スープを黙々と食べ進める私に、彼女はアレクとの思い出話をしてくれた。
アレクも最初は料理がてんでダメだった事。
一度家にあった調理器具を壊した時の事。
初めてアレクが作ったスープの味は、塩と砂糖を間違えたせいでとんでもなく不味くなった事。
「ふふ、それでね、あの子ったら間違えて私の_」
思い出を話すアルシェさんはとても楽しそうだった。
話を聞いている私もつられて楽しいと感じる程に。
でも私はアルシェさんの話に相槌を打たなかった。
打てなかった。
誰かと談笑するという幸せを今享受してしまったら、大勢の命を奪う時にこの事を思い出して辛くなってしまうし、大好きな人の為とは言え、私は目の前の尊い光が自らの手によって消えてしまう瞬間を直視できるほど強くないから。
だから、やめてください、アルシェさん。
もう、話しかけないで。
スープを完食してスプーンを置くと、アルシェさんは私の手を取り、神妙な面持ちで私の目を見つめた。
「ルミアさん、これからあなたは長い時間を一人で過ごす事になる。その長い時間の中で、あの子との思い出を忘れてしまいそうになるかもしれない。だから時々で良いわ。こういう風にあの子との思い出して、浸って。きっとそれがあなたの支えになるから」
その言葉に対して何と返答すればよいのか分からず、その場から逃げる事を試みた私を、アルシェさんは握っていた手を引っ張り咎めた。
そして諭すような優しい声色で私に言葉を投げかける。
「私、あなたに感謝しているの。あの子が加護無しだと知っても普通に接するだけじゃなく、あの子の為に何か行動を起こそうとするまでに大切に思ってくれた血縁以外の、唯一の人だから」
「アルシェさん、私は人じゃなくて」
「ルミアさん」
アルシェさんは私にその先を言わせまいとしたのか、言葉を遮るようにして私の名前を呼んだ。
「あなた自身がどう思っていようと、あなたを知らない人達から何と呼ばれていようと、あなたは私とあの子の大切な人なの。だから、自分を卑下しないで」
彼女はきっと、私にその言葉を言わせたくないのだろう。
そこまで私を気にかけてくれるのは、どうして?
どうしてこの人は、私を肯定してくれるの?
ねぇ、どうしてそんなに優しくするの?
「もう、行ってしまうのでしょう?あまり長く引き留めるのも悪いから、最後に一つだけ」
アルシェさんは座っている私の後ろに回って、そっと抱きしめた。
「これからあなたがやろうとしている事は決して褒められたことではないし、あの子が喜ぶような手段ではないけれど、頑張ってね」
自然と涙が溢れた。
「はい、はい_」
零れた涙を拭いながら、震える声で何度もそう言った。
ああ、もし私にも母親と呼べる人が居たなら、きっとこんな感じだったのかな__




