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約束を延ばす人より、今日を選ぶ人の方が誠実だと知りました

作者: ピラビタ
掲載日:2025/12/31

「話は以上だ。君なら理解してくれると思っている」


 そう言って、彼はもう私を見ていなかった。

 机に広げられた書類へと視線を戻し、羽根ペンを走らせる。


 私は一度、深く呼吸をしてから答える。


「ええ。承知いたしました」


 その返事に、彼――王弟補佐官であり、私の婚約者であるセドリック様は満足そうに頷いた。


「助かる。今は本当に立て込んでいてね。式の話まで手が回らない」


 それは、これで何度目の言葉だろう。


 私はマリア・ハルフォード。

 侯爵家の娘として、彼と婚約してから四年が過ぎていた。


 婚約は順調だった。

 問題があるとすれば、ただ一つ。


 ――「決定」が、常に後回しにされること。


「落ち着いたら必ず」「状況が整い次第」「今は最善ではない」


 彼の口から出る言葉は、どれも正しく、もっともで、反論の余地がなかった。

 だから私は、否定しなかった。


 否定しない代わりに、黙って待った。


「君は本当に賢明だな」


 ふと、セドリック様が顔を上げる。


「感情で騒がない。理解がある。理想的な婚約者だ」


 その言葉を、褒め言葉として受け取れなくなったのは、いつからだっただろう。


「……恐れ入ります」


 私は礼儀正しく頭を下げ、部屋を辞した。


 その廊下で、偶然にも聞いてしまったのだ。


「ねえ、セドリック様。私、いつまで“仮”なの?」


 軽やかで、甘えた声。

 最近、彼の周囲に出入りしている子爵令嬢のものだった。


「急ぐ必要はないよ。君には、余裕が似合う」


「でも、あの人……婚約者の方は?」


「彼女は問題ない。分別があるからね。波風を立てない」


 私は、その場で足を止めた。


 問題がない。

 波風を立てない。


 それが、私の評価だった。


「じゃあ、私が隣に立つ未来も……?」


「否定はしないさ。君の方が柔らかくて、息がしやすい」


 息がしやすい。


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに崩れた。


 怒りではなかった。

 悲しみでもなかった。


 ただ、理解してしまったのだ。


 ――私は「選択を先延ばしにするための、安定装置」だったのだと。


 ***


 翌朝、私は父に全てを話した。


 怒りも失望も、父は口にしなかった。

 ただ一言、「お前の判断に任せる」とだけ言った。


 それで十分だった。


 私は書類を用意し、セドリック様の執務室を訪れた。


「どうしたんだい?」


「確認したいことがございます」


 私は、机の上に一枚の文書を置いた。


「婚約の見直しについてです」


「……見直し?」


「はい。続けるか、終えるか」


 彼は一瞬、冗談だと思ったように笑った。


「急だな。今はそんな話をしている場合じゃ――」


「だからです」


 私は遮った。


「いつも“今ではない”と言われ続けてきました。

 ですが私は、自分の時間を無期限で預けるつもりはありません」


 彼は言葉を失った。


「私は、決断できない方と人生を共有することは出来ません」


「待て。誤解だ。君を軽んじているわけじゃない」


「分かっています」


 私は頷いた。


「だからこそ、余計に質が悪いのです」


 彼の顔が歪む。


「君がいなくなったら、誰が調整役を――」


「それは、私の役割ではありません」


 私は静かに書類を指し示した。


「署名を」


 沈黙の末、彼は震える手でペンを取った。


 ***


 婚約解消は穏便に発表された。

 理由は「価値観の相違」。


 噂は広がったが、私はそれに関与しなかった。


 数週間後、私は隣国との交流会に参加していた。


「あなたが、マリア・ハルフォード嬢ですね」


 声を掛けてきたのは、外交官として名を馳せる青年だった。


「あなたの判断は、正しかったと思います」


「……なぜ、そう思われるのですか」


「決断を避ける人間は、責任も避けます。

 あなたはそれを、きちんと見抜いた」


 その言葉に、初めて心が軽くなった。


「もし、今後お話しする機会があれば」


 彼は穏やかに微笑んだ。


「今度はいつかではなく、今日を基準にしませんか」


 私は少し考え、答えた。


「……ええ。それなら」


 誰かの都合で止まる時間ではなく、

 自分の意思で進む未来なら。


 それはきっと、悪くない。


 それからしばらく、穏やかな日々が続いた。


 婚約解消後、私は実家に戻り、父の補佐として領地経営の書類を見直していた。

 忙しくはあったが、不思議と心は軽かった。


 ――待たなくていい。


 その事実が、これほど人を楽にするとは思わなかった。


 そんなある日、一通の正式な招待状が届いた。

 差出人は王都。差し出しの名を見た瞬間、指先が一瞬だけ止まる。


「……セドリック様」


 父は何も言わず、私を見た。


「行くかどうかは、お前が決めろ」


「……はい」


 私は、少しだけ考えてから頷いた。


 逃げる必要はない。

 もう、私は彼の決断を待つ立場ではないのだから。


 ***


 王都での会合は、表向きは穏やかだった。


 だが、席に着いた瞬間から分かった。

 これは業務ではない。


「久しぶりだね、マリア」


 セドリック様は、以前より少しだけ疲れた顔をしていた。


「お変わりありませんか」


 形式通りの挨拶を返す私に、彼はわずかに目を細める。


「……君は、本当に変わらないな」


「そうでしょうか」


「いや。違う」


 彼は首を振った。


「以前の君は、こちらを見ていなかった。

 今は……自分の足で立っている」


 沈黙が落ちる。


「君がいなくなってから、分かったことがある」


 その言葉に、私は続きを促さなかった。

 聞く価値があるかどうか、判断していたからだ。


「私は、決断しないことで、全てを保てると思っていた」


 自嘲気味な笑み。


「だが実際は、誰も守れなかった。

 仕事も、信頼も……君も」


 私は、ゆっくりと息を吐いた。


「それは、私の責任ではありません」


「分かっている」


 彼は即答した。


「だから、謝罪をしたかった」


 そう言って、彼は深く頭を下げた。


 あまりに予想外で、私は言葉を失った。


「君の時間を奪った。

 選択を先延ばしにして、君を縛った」


 顔を上げた彼の目に、言い訳はなかった。


「許されるとは思っていない。

 ただ、言うべきだった」


 ……なるほど。


 私は、そこでようやく理解した。


 彼は“変わろうとしている”のだ。

 遅すぎたけれど。


「謝罪は、受け取ります」


 私は静かに答えた。


「ですが、それ以上の関係には戻れません」


「……だろうね」


 彼は苦笑した。


「君はもう、待つ人ではない」


「はい」


 私は、はっきりと頷いた。


「私は、自分で決めて進みます」


 それが、私なりの区切りだった。


 ***


 会合の帰り道、王都の庭園で声を掛けられた。


「先ほどは、どうも」


 そこにいたのは、あの外交官――

 交流会で言葉を交わした、エリオット卿だった。


「お話し中のご様子でしたが」


「ええ。過去と、きちんと別れてきました」


「それは……良い表情です」


 彼は微笑んだ。


「もし差し支えなければ、お茶でもいかがですか。

 今度は“確認”ではなく、“雑談”を」


 私は少し考えたあと、答える。


「条件があります」


「ほう?」


「急がないこと。でも、曖昧にもならないこと」


 彼は、迷わず頷いた。


「素晴らしい条件です」


 その返事に、胸の奥が静かに温かくなった。


 ――きっと、これでいい。


 私はもう、

 誰かの「決断待ち」では生きない。


 自分で選び、

 相手にも選ばせる。


 それが対等で、

 健やかな関係なのだと、今なら分かる。


 未来は、まだ白紙だ。

 けれどその白紙は、誰かの都合で埋められるものではない。


 私の意思で、

 一行ずつ、書いていくためのものなのだから。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

待たないことを選ぶ話でした。

もしどこか一行でも心に残ったなら、そっとブックマークしてもらえたら嬉しいです。

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