我々はただ、勇者と聖女の結婚で国を盛り上げたかっただけなのです。あの化け物カップルの逆鱗に触れるまでは。
予言は絶対であった。
「闇の魔王が復活し、世界は混沌に包まれる。その時、光の勇者が異界より現れ、神の寵愛を受けし聖女と共に、闇を打ち払うであろう」
古より王国と神殿に伝わる、絶対遵守の神託。
そして、その予言通り、世界は瘴気に覆われ、魔王軍の侵攻が始まった。
我々、アルビオン王国の国王エドワード三世と、聖アグネス教団の大神官ピウスは、神託に従い、勇者召喚の儀を執り行った。
現れたのは、ユウトと名乗る奇妙な身なりの若者であった。
言葉遣いは軽薄で、王である余を前にしても臆する様子もない。正直、第一印象は最悪であった。「本当にこの者が勇者なのか?」と、大神官と顔を見合わせたほどだ。
しかし、彼が聖剣を手に取った時、その疑念は払拭された。剣は燦然と輝き、彼が紛れもない勇者であることを証明したのだ。
そして、もう一人の希望。聖女セレスティア。
辺境の村で発見された彼女は、まさに神の奇跡と呼ぶべき存在であった。歴代のどの聖女よりも強力な神聖力を持ち、その美貌は天使の如し。彼女の存在は、不安に喘ぐ民衆にとって何よりの心の支えとなった。
「計画通りに進めるしかないな、大神官」
「御意に、陛下。すべては神託のままに」
我々の計画はこうだ。
勇者ユウトと聖女セレスティアに魔王を討伐させる。そして、凱旋した二人を英雄として盛大に迎え入れ、その場で二人の婚約を発表する。
英雄と聖女の結婚。これほど民衆の心を掴み、国の結束を高める物語があるだろうか。戦乱で疲弊した人心をまとめ、王家と神殿の権威を盤石にするための、これは必要不可欠な「国策」であった。
問題は、当人たちの意思だ。
勇者ユウトは、聖女セレスティアを一目見るなり、その目を欲望にぎらつかせた。
「魔王を倒したら、褒美に彼女を俺の嫁にしてください」
あまりにも俗物的で下品な要求に眩暈がしたが、彼のモチベーションを維持するためには好都合であった。我々は、その密約を内々に交わした。
一方、聖女セレスティアは、読めない娘であった。
常に慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、誰に対しても丁寧な言葉遣いを崩さない。勇者の露骨なアプローチにも、完璧な笑顔で柳に風と受け流している。
その態度は、余や大神官に対しても同様であった。彼女の心の内には、決して立ち入らせないという、見えない壁が存在するように感じられた。
「まあ、よい。彼女も聖女としての立場は理解しておろう。国のため、民のためと言えば、否とは言うまい」
「左様ですな。個人の感情よりも、大いなる使命を優先する。それこそが聖女の徳というもの」
我々は、そう高を括っていた。それが、我々の犯した致命的な過ちであったと、後になって思い知ることになる。
パーティには、聖女の強い推薦でアレンという魔法使いの青年が加わった。聖女と同じ村の出身で、幼馴染だという。
報告書によれば、平凡な外見で、魔法の腕も中級がやっと。なぜ聖女がこれほど彼に固執するのか理解に苦しんだが、彼女の機嫌を損ねて旅立ちを拒否されては元も子もない。我々は、護衛という名目で同行を許可した。所詮は荷物持ちか、壁役が関の山であろう、と。
旅の経過は、驚くほど順調であった。
各地の魔将軍は次々と討ち取られ、勇者一行の快進撃は瞬く間に王国中に広まった。民衆は「勇者ユウト」の名を熱狂的に叫び、我々の筋書き通りに事は進んでいるように見えた。
そして、運命の日。
「魔王ゴルベーザ、聖女の一撃により浄化さる!」
その報が王都にもたらされた時、我々は勝利を確信した。
凱旋パレードは大成功。民衆の熱狂は最高潮に達した。
そして、祝賀の宴。
余と大神官は壇上に立ち、計画の総仕上げにかかった。
「勇者ユウト殿と、聖女セレスティア様の婚約を、ここに宣言する!」
大神官の声が響き渡り、広間は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
よろしい。これで全ては計画通りだ。余は満足げに頷いた。
勇者ユウトは、勝利の雄叫びを上げて聖女の元へ駆け寄る。ああ、絵になる光景だ。明日の朝刊の一面はこれで決まりだな。
――その時までは、そう思っていた。
突如、広間の空気が凍りついた。
熱狂が嘘のように静まり返り、代わりに肌を刺すような、絶対的な威圧感が満ちていく。
発生源は、聖女セレスティア。
彼女の顔から、あの完璧な微笑みが消え失せていた。その瞳は、神の寵愛などという生易しいものではない、神そのものの冷徹な光を宿し、この世の全てを断罪するかのように、静かに我々を見据えていた。
そして、あの地味な魔法使い、アレンが壇上へと歩みを進める。
後の展開は、悪夢としか言いようがなかった。
「彼女は、俺の婚約者です」
その一言を皮切りに、我々の描いた完璧な物語は、音を立てて崩れ去った。
アレンという青年は、ただの魔法使いではなかった。詠唱も魔法陣もなしに、勇者を玩具のようにあしらい、王城の精鋭騎士団を赤子同然に無力化した。あれは、人間業ではない。伝説に語られる、大魔導師……いや、それすらも超越した何かだ。
我々が「雑用」と侮っていた男こそが、このパーティの真の支配者だったのだ。
我々は、虎の群れを率いる竜の存在に、全く気づいていなかったのである。
そして、聖女セレスティア。
彼女が夫を「旦那様」と呼び、その夫を侮辱されたことに激怒した時、我々は本当の神の怒りというものを目の当たりにした。
王都の上空を埋め尽くした、無数の光の槍。
あれ一本で、この王城が吹き飛ぶであろうことは、魔力に疎い余にすら理解できた。あれが、何万も浮かんでいるのだ。
抵抗? 逃亡? 馬鹿馬鹿しい。我々にできることなど、何一つなかった。
「陛下、ご理解いただけましたでしょうか? わたくしとアレンの婚約、祝福してくださいますね?」
女神の微笑みを浮かべた聖女が、死の宣告にも等しい問いを投げかける。
余と大神官は、ただただ、涙と鼻水を流しながら、ひれ伏すことしかできなかった。
「も、も、もちろんでございます! 心より、しゅ、祝福いたします!」
情けない。実に情けない。一国の王が、これほど無様に命乞いをするとは。
だが、プライドなど、絶対的な『力』の前では塵芥に等しい。
あの化け物――いや、神々と言うべきか――カップルが去った後、我々はしばらく立ち上がることすらできなかった。
王家の権威? 神殿の権威?
そんなものは、彼らの機嫌一つで、この国ごと消し飛ばされるという現実の前には、何の価値もなかった。
「……大神官よ」
「……は、陛下」
「我々は、とんでもないものを敵に回しかけたようだ……」
「お言葉もございません……。神託にあった『神の寵愛を受けし聖女』とは、我々の想像を遥かに超えるものだったようでございます……」
神託は、嘘ではなかった。
ただ、我々がその真の意味を、あまりにも浅はかに解釈していただけなのだ。
勇者と聖女が「共に」闇を払うとは、こういう意味だったのか。
後日、我々は震える手で、一つの法律を制定した。
『聖アレンおよび聖セレスティア居住区、並びにその親族に対する、王権および神殿権の一切の不可侵』
そして、歴史書にはこう記すことにした。
『魔王討伐後、勇者ユウトはその任を解かれ、聖女セレスティアは、陰で一行を支え続けた大賢者アレンと結ばれ、共に神々の座へと昇った』と。
嘘ではない。ある意味、真実だ。
彼らは、もはや我々人間が関与していい領域の存在ではないのだから。
国策? 権威?
もう、どうでもいい。
ただ、あの二人が、どこかで平穏に暮らしてくれることだけを、心から祈るばかりである。それが、この国の安寧に繋がる、唯一の道なのだから。




