第四話 俺の婚約者に手を出そうとした愚かな勇者と王国に、二人で本当の力を見せつけてやりました。末永くお幸せに、なります。
しんと静まり返った大広間。すべての視線が、壇上へと歩みを進める俺、アレン・ヴェルフェン一人に注がれていた。
貴族たちの戸惑い、騎士たちの訝しむような眼差し、そして、壇上にいる国王と大神官の怪訝な表情。そのすべてを意に介さず、俺はゆっくりと階段を上りきった。
「き、貴様、アレン! 何のつもりだ! ここは貴様のような者が上がる場所では……」
我に返ったユウトが、怒りと混乱の入り混じった声で俺を咎めようとする。だが、俺は彼を一瞥もせずに通り過ぎ、国王の目の前で足を止めた。
「何用かな、魔法使いアレン・ヴェルフェルよ。今は祝賀の最中であるぞ」
国王が、威厳を保とうとしながらも、わずかに動揺を滲ませた声で問いかける。
俺は軽く一礼すると、落ち着き払った声で、しかし広間の隅々まで響き渡るように、はっきりと告げた。
「恐れながら申し上げます、国王陛下。先ほどの婚約発表ですが、一つ、訂正していただきたい儀がございます」
「……訂正だと?」
「はい。聖女セレスティア・リーリエングランツは、勇者ユウト殿の婚約者ではございません」
俺の言葉に、広間が再びざわめき始める。ユウトが「てめえ、何を言ってやがる!」と顔を真っ赤にして叫んだ。
俺はそんな雑音を無視し、言葉を続ける。
「彼女は、俺の婚約者です」
その一言が投下された瞬間、大広間の空気は完全に凍りついた。
誰もが、俺が何を言っているのか理解できない、という顔をしている。
「……は?」
最初に声を発したのは、ユウトだった。
「はは……ははは! おいおい、何言ってんだよ、アレン! お前、頭でもおかしくなったのか? 雑用魔法使いのお前が、聖女様の婚約者? 今まで聞いた中で一番面白いジョークだぜ!」
ユウトが大声で笑い飛ばすと、それに同調するように、貴族たちからも失笑が漏れ始めた。
「身の程を知れ、小僧!」
「聖女様への侮辱だぞ!」
野次が飛び交う。だが、俺の表情は変わらない。
俺は静かに広間を見渡し、腕を組んだまま冷たい瞳で俺を見下ろしているセレスティアと視線を合わせた。彼女の瞳に「後は任せた」という信頼の色が浮かぶのを確認し、俺は再び国王に向き直る。
「陛下、これは決して戯言ではございません。我々は故郷の村を出る以前より、将来を誓い合った仲。神殿も王国も介在しない、我々二人だけの神聖な誓いです」
「……黙れ!」
ついに堪忍袋の緒が切れたのか、ユウトが聖剣を抜き放ち、俺に襲い掛かってきた。
「身の程知らずが! その汚い口を永遠に閉じさせてやる!」
周囲から悲鳴が上がる。王国の騎士たちも、止めようとするが間に合わない。
聖剣が、俺の喉元を目掛けて突き出される。
しかし。
俺は、動かない。
詠唱もしない。杖も構えない。
ただ、静かに立っているだけ。
ユウトの聖剣の切っ先が、俺の首の皮一枚のところで、ぴたりと停止した。
まるで分厚いガラスに阻まれたかのように、それ以上一ミリも進むことができない。
「なっ……!?」
ユウトが驚愕に目を見開く。何度か力を込めて剣を押し込もうとするが、びくともしない。
「な、なんだこれは……!?」
「無駄だ」
俺は静かに告げる。
「俺の周囲には、不可視の『絶対防御結界』が常に展開されている。お前の剣じゃ、傷一つつけられない」
俺が指を軽く振ると、ユウトの身体がまるで人形のように吹き飛ばされ、壇上の壁に叩きつけられた。聖剣が甲高い音を立てて床に転がる。
「ぐはっ……!?」
「ゆ、勇者様!?」
「何をした、貴様!」
王城の騎士たちが、一斉に剣を抜き、俺を取り囲んだ。殺気立った視線が、四方八方から突き刺さる。
「アレン・ヴェルフェン! 勇者様への暴行、許されると思うな! 神妙にしろ!」
騎士団長らしき男が怒声を上げる。
俺は小さくため息をつくと、ゆっくりと右手を持ち上げた。
「邪魔だ」
その一言と同時に、俺を中心として無色の衝撃波が放たれる。
それは、物理的な力ではない。純粋な魔力の奔流。
「ぐあああっ!?」
「う、動けん……!」
俺を取り囲んでいた騎士たちが、一人残らずその場に膝をつき、金縛りにあったように動けなくなった。彼らが振るおうとした剣は、まるで鉛のように重くなり、持ち上げることすら叶わない。
詠唱も、魔法陣も、何の予備動作もない。
ただ、意思一つで数十人の手練れの騎士を完全に無力化する。
それが、俺が今まで隠してきた、世界最強の魔法使いの力の片鱗だった。
広間は、死んだように静まり返っている。
失笑していた貴族たちは顔面蒼白になり、誰もが目の前の信じられない光景に言葉を失っていた。
「……まさか……あの魔王との戦い……四天王との戦いも……」
ガイさんが、震える声で呟くのが聞こえた。彼はようやく、旅の道中で起きていた数々の「幸運」の正体に気づいたのかもしれない。
俺が壁際で呻いているユウトを一瞥すると、彼は恐怖と屈辱に顔を歪ませながら、俺を睨みつけていた。
「嘘だ……こんなの嘘だ……! お前みたいな地味な奴が、こんな力を持ってるわけがない……! セレスティアは俺の……魔王を倒した英雄である、俺の嫁になるんだ!」
見苦しい負け惜しみだった。
その言葉が、最後の引き金となった。
「――黙りなさい、虫けらが」
凛とした、しかし氷よりも冷たい声が、広間に響き渡った。
声の主は、セレスティア。
彼女はゆっくりと壇上に歩み寄ると、俺の隣に立ち、その場にいる全てを睥睨した。その姿は、もはや慈愛に満ちた聖女ではない。すべてを裁く、冷徹な女神そのものだった。
「わたくしの旦那様は、アレンただ一人。貴様のような下劣な欲望に塗れた男が、わたくしの名前を口にすることすら、万死に値します」
セレスティアがユウトに指先を向ける。その指先に、眩い光が集束していく。
「セレスティア、やめろ」
俺が彼女の手を掴んで制止する。彼女は不満そうな顔で俺を見上げた。
「ですがアレン! この虫は、アレンを侮辱しました!」
「わかってる。だから、こいつらには俺から、ちゃんとお灸を据えてやる」
俺はそう言って、セレスティアを安心させるように微笑んだ。
しかし、セレスティアの怒りは、ユウトだけに向けられたものではなかった。
彼女の視線が、恐怖に顔を引きつらせている国王と大神官に向けられる。
「そして、国王陛下。大神官様。アレンという、わたくしにとって世界で最も尊い方がいると知りながら、このような茶番を演じてくださったこと、感謝いたします」
彼女は完璧な淑女の笑みを浮かべた。しかし、その瞳は全く笑っていない。
「そのお礼に……この国に、神の祝福を授けましょう」
セレスティアがそう呟くと、王城が、いや、王都全体が大きく揺れた。
窓の外で、悲鳴が上がる。
何事かと人々が窓の外を見ると、誰もが絶望に息をのんだ。
王都の上空。夜空を埋め尽くさんばかりの、無数の光の槍が出現していたのだ。
一つ一つが、城すらも容易に貫くほどの絶大な神聖エネルギーを秘めている。
それが、何千、何万と浮かび、そのすべての切っ先を、この王城に向けていた。
「ひっ……!」
「こ、これは……!」
国王も大神官も、腰を抜かしてその場にへたり込む。
あれこそが、セレスティアの本当の力。彼女がその気になれば、この国を滅ぼすことなど、呼吸をするより簡単だという、紛れもない事実の証明だった。
「セレスティア、やりすぎだ」
俺が呆れ気味に言うと、彼女は「あら、そうですか?」と小首を傾げる。
「ですが、わたくしたちのこれからの平穏な生活のためには、これくらいしておかないと。また余計な虫が湧いてくるかもしれませんから」
彼女はそう言うと、へたり込んでいる国王に、女神の微笑みを向けた。
「陛下、ご理解いただけましたでしょうか? わたくしとアレンの婚約、祝福してくださいますね?」
「も、も、もちろんでございます! 聖女様と、アレン様の婚約を、心より、しゅ、祝福いたします!」
国王は、涙と鼻水を垂らしながら、必死に叫んだ。
その言葉を聞いて、セレスティアは満足そうに頷く。すると、王都の上空を埋め尽くしていた光の槍が、すうっと幻のように消えていった。
絶対的な恐怖から解放され、広間のあちこちで安堵のため息や、へたり込む音が響く。
ユウトは、すべてを失った顔で、ただ呆然と俺たちを見上げていた。彼にとって、これは信じたくない悪夢なのだろう。自分が手に入れたはずのヒロインが、最初から「雑用」と見下していた男と結ばれていたという、残酷な寝取られ(NTR)の現実。まあ、彼が勝手に思い込んでいただけなのだが。
「さて、と」
俺は騎士たちの金縛りを解くと、セレスティアの手を優しく取った。
「茶番は終わりだ。帰ろう、セレスティア。俺たちの家に」
「はい、アレン……いえ、旦那様」
セレスティアは、世界で一番幸せそうな笑顔を浮かべ、俺の腕に絡みつく。
俺たちは、もはや誰の言葉も耳に入らないといった様子で、呆然とする人々を置き去りにして、大広間を後にした。
後日、俺とセレスティアは、王都を離れ、生まれ故郷の小さな村へと帰った。
王国と神殿は、俺たちの圧倒的な力の前にもう何も言ってくることはなく、勇者ユウトは失意のうちにどこかへ姿を消したと風の噂で聞いたが、どうでもいい。
俺たちは、村の小さな教会で、二人だけのささやかな結婚式を挙げた。
誰にも邪魔されない、丘の上の小さな家。それが、俺たちが手に入れた新しい城だ。
「アレン、幸せです……」
俺の腕の中で、俺の妻となったセレスティアが、とろけるような声で囁く。
聖女の仮面を脱ぎ捨てた彼女は、ただの、俺だけを愛してくれる一人の女性だった。
時々、その愛が重すぎて暴走しそうになるのが玉に瑕だが、それもまた、彼女の可愛らしいところだと思えるようになっていた。
「ああ、俺もだよ、セレスティア」
俺は彼女を強く抱きしめ、その唇に優しいキスを落とす。
世界最強の魔法使いと、神に愛されし規格外の聖女。
二人の英雄は、こうして歴史の表舞台から姿を消し、誰にも知られることなく、永遠の愛を誓い合った。
俺たちの、誰にも邪魔されない甘くて平穏な日々は、まだ始まったばかりだ。
めでたし、めでたし。




