第二話 いよいよ魔王討伐!のはずが、勇者は聖女との結婚に夢中で、聖女は俺とのイチャイチャのことしか考えていなかった
魔王の居城、ヴァルハザード城の威容が、不気味な紫色の瘴気を放ちながら眼前にそびえ立っていた。
鋭く尖った塔が天を突き、巨大な城門はまるで冥府への入り口のように、挑戦者たちを黙して見下ろしている。
「ついに来たな……魔王城!」
勇者ユウトが、妙にテンションの高い声で叫んだ。彼の掲げた聖剣が、瘴気を払うかのように淡い光を放っている。
「ここをクリアすれば、俺は名実ともに世界の英雄! そしてセレスティアも俺の嫁だ! 行くぜ、お前ら!」
「応っ!」
ユウトの檄に応えるのは、いつも通り戦士のガイさんだけだ。
俺はと言えば、ユウトの最後の一言に内心で眉をひそめつつ、冷静に周囲の魔力濃度を分析していた。城全体が、強力な結界と呪詛で覆われている。普通の人間なら、この場に立っているだけで正気を失いかねないだろう。
「アレン、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
俺の隣に並んだセレスティアが、心配そうに俺の顔を覗き込む。もちろん、聖女としての完璧な演技だ。
「……平気だよ、セレスティア。少し、空気が悪いだけだ」
俺がそう答えると、セレスティアは小さく頷き、俺にだけ聞こえるように念話を送ってきた。
『アレン、ご気分が優れないなら、わたくしが一瞬でこの城ごと浄化いたしますが?』
その念話には、昨夜のテントでの甘い声とは打って変わって、冷徹な響きが宿っていた。彼女なら本当にやりかねない。
『やめろ。計画通りに進めるぞ。目立ちすぎるな』
『……御意。アレンとの甘い凱旋のためですものね。我慢いたしますわ』
ふふふ、と脳内に響く妖艶な笑い声に、俺はこっそりとため息をついた。
この聖女様、魔王討伐よりも俺とのイチャイチャのことしか頭にないらしい。
「よし、開門だ! 俺に続け!」
ユウトが聖剣を城門に叩きつけると、轟音と共に巨大な扉が内側へと吹き飛んだ。派手なパフォーマンスだが、実際には俺が事前に門の魔法的ロックを解除しておいたからに他ならない。
城内に足を踏み入れると、広大なホールに待ち構えていたのは、魔王軍が誇る四天王のうちの二人だった。牛頭の巨漢、魔将軍ミノタウロス。そして、妖艶な美女の姿をした魔女リリス。
「よく来たな、人間ども! 我が名は魔将軍ミノタウロス! ここから先へは一歩も通さん!」
「あらあら、可愛い勇者様一行ね。アタシはリリス。あなたたちの絶望する顔、見るのが楽しみだわ」
「二人同時か! だが、好都合だ! まとめてかかってこい!」
ユウトは臆することなく聖剣を構え、ガイさんも戦斧を握りしめて前に出る。典型的な前衛脳だ。
「セレスティアは後方支援! アレンは……まあ、適当に火の玉でも撃ってろ!」
「了解しました」
雑な指示に無感情に頷きつつ、俺は杖を構える。
戦闘が開始されると同時に、俺は自分の役割に徹した。
「喰らえ! ギガインパクト!」
ミノタウロスの巨大な斧が、ガイさん目掛けて振り下ろされる。ガイさんは戦斧で受け止めようとするが、力量差は明らかだ。
『ウィンド・クッション』
俺は無詠唱で風の障壁を展開し、ミノタウロスの斧の威力を八割方相殺する。
「ぐっ……お、重い! だが、耐えられる!」
ガイさんは自分の力だけで受け止めたと信じ込んでいるようだ。その隙に、ユウトがミノタウロスの脇腹に聖剣を突き立てる。
「どうだ!」
「ぐおおっ! 小癪な!」
一方、魔女リリスは後方から俺たちに向けて呪詛の弾幕をばらまいていた。
「死の舞踏!」
無数の髑髏の形をした魔力弾が、俺たちに襲いかかる。
「セレスティア! 聖なる障壁を!」
ユウトが叫ぶ。だが、セレスティアが動くよりも早く、俺は指先だけで魔法式を組み上げた。
『ディスペル・フィールド』
リリスが放った呪詛の弾幕は、俺たちの数メートル手前で何の予兆もなく、すべて霧散した。
「なっ!? アタシの魔法が……消された!? バカな!」
リリスが驚愕に目を見開く。その隙を見逃すほど、ユウトは馬鹿ではなかった。
「隙ありだぜ、おばさん! スターダストブレイク!」
ユウトの必殺技が、リリスの華奢な身体を直撃する。聖なる光に包まれ、彼女は悲鳴を上げながら塵と化した。
「リリス! 貴様らああああ!」
相棒を討たれたミノタウロスが激昂し、ガイさんを吹き飛ばしてユウトに突進する。
「勇者様、お危ない!」
セレスティアが悲鳴を上げる。もちろん演技だ。
同時に、俺の脳内に彼女からの念話が届く。
『アレン、あの牛、今すぐミンチにしてよろしいでしょうか?』
『待て。まだだ』
俺は冷静に返信し、ミノタウロスの足元に意識を集中する。
『グラビティ・ホール』
ミノタウロスの足元に、不可視の重力場を発生させた。巨体が前のめりによろめき、無防備な体勢を晒す。
「もらったあああ!」
その千載一遇の好機を、ユウトの聖剣が貫いた。ミノタウロスの心臓を正確に捉えた一撃は、その巨体を内側から破壊し、光の粒子へと変えていく。
「ぐ……おのれ……勇者……」
断末魔を残し、魔将軍ミノタウロスも消滅した。
「はあ……はあ……。どうだ! 俺たちの敵じゃねえんだよ!」
肩で息をしながらも、ユウトは勝ち誇ったように笑う。
ガイさんも、「すげえぜ勇者様! 四天王二人をあっという間だ!」と興奮気味だ。
彼らは知らない。この戦闘の勝敗を完全に支配していたのが、後方で「適当に火の玉でも撃って」いた俺だということを。
『アレン、お見事ですわ。まるでアレンの操り人形のようでしたわね、勇者様も魔将軍も』
セレスティアからの賞賛の念話に、俺は小さく口角を上げた。
まあ、実際その通りだ。
「さあ、感心してる暇はねえ! このまま魔王のところまでノンストップで行くぜ!」
ユウトの号令で、俺たちは城の奥へと進んでいく。
残りの四天王も、同じような手口で危なげなく突破した。竜騎士は俺が操る風で飛行能力を奪い、死霊術師はアンデッドを召喚する前に俺が魔力供給源を断ち切った。
もちろん、表向きの手柄はすべてユウトと、彼を補助したガイさんのものだ。セレスティアは時折、治癒の光を放つだけで、ほとんど何もしていない。
『アレン、まだですか? 早く終わらせて、アレンの部屋でゆっくりしたいのですが……』
『もう少しの辛抱だ』
『わたくし、もう我慢の限界かもしれません。あの魔王という不埒な輩を消し炭にして、早くアレンに褒めていただきたいです』
念話で甘えてくるセレスティアを宥めながら、俺たちはついに魔王の間にたどり着いた。
玉座に鎮座していたのは、漆黒の鎧に身を包み、禍々しいオーラを放つ巨躯の男。これが、魔王ゴルベーザ。
「……来たか、勇者よ。そして、神の寵姫」
魔王の重々しい声が、広間に響き渡る。その視線はユウトを通り越し、セレスティアに注がれていた。
「俺は勇者ユウト! テメエを倒しに来たぜ、魔王!」
ユウトは話を聞く気など更々ないらしく、名乗りを上げると同時に聖剣を構えて突進した。本当に、脳筋というか、猪武者というか……。
「愚かな……!」
魔王が右手をかざすと、ユウトの足元から無数の闇の触手が現れ、彼の身体を瞬く間に拘束した。
「ぐっ……な、なんだこりゃ!?」
「勇者よ、貴様の力はその程度か。真の脅威は、貴様の後ろにいる聖女……いや、それすらも違う。そこにいる冴えない魔法使い。貴様こそが、この戦局を操っていた者だな?」
魔王の深紅の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。
さすがは魔王と言うべきか。俺の小細工に気づいていたらしい。
ユウトとガイさんが、「は? アレンが?」と間の抜けた声を上げる。
セレスティアの纏う空気が、すっと冷たくなったのを肌で感じた。
『アレン。この魔王、アレンの偉業を看破するなど、身の程知らずにも程がありますわ。万死に値しますね』
ヤバい。セレスティアの怒りの沸点が、どんどん下がっている。
「ち、ちがう! こいつはただの雑用魔法使いだ! 俺を操ってたなんて、そんなことあるわけ……」
ユウトが必死に否定するが、魔王は聞く耳を持たない。
「小僧、貴様の放つ魔法の波長は、古の禁術に酷似している。いったい何者だ?」
まずいな。これ以上問答を続けても、ボロが出るだけだ。
それに、セレスティアの我慢も限界に近い。
俺は決断した。
『セレスティア、合わせろ』
『! はい、アレン!』
念話で指示を出すと同時に、俺は杖を構え、一つの古代魔法を脳内で組み上げる。
対象は、魔王の鎧の内側にある魔力循環器官――魔石。
発動するのは、物質の分子結合を強制的に解除する分解魔法『アトム・ブレイク』。
詠唱も、魔法陣も必要ない。俺の魔法は、俺の意思そのものだからだ。
――発動。
刹那、魔王の巨体が内側から不自然にひび割れた。
「なっ……!? 我が肉体に、何が……ぐおおおおおっ!」
魔王が苦悶の声を上げる。
その瞬間を、セレスティアは見逃さなかった。
「神の御前にて、その穢れた魂に裁きの光を!――ジャッジメント・レイ!」
セレスティアが天に手をかざすと、玉座の天井が光と共に消し飛び、天から極大の神聖な光の柱が降り注いだ。
その光は、苦しむ魔王の身体を正確に捉え、跡形もなく浄化していく。
表向きは、聖女セレスティアが放った渾身の神聖魔法によって、魔王が討伐されたようにしか見えない。
「そ、そんな……我が……この魔王ゴルベーザが……こん、な……」
断末魔の叫びも途中でかき消え、絶対的な支配者だった魔王は完全に消滅した。
後に残ったのは、天井にぽっかりと大穴が開いた玉座の間と、呆然と立ち尽くす俺たちだけだった。
「……え?」
闇の触手から解放されたユウトが、何が起きたのかわからないといった表情で、セレスティアと天井の穴を交互に見ている。
「す、すげえ……セレスティア、今の魔法はなんだ!? 魔王が一撃じゃねえか!」
ガイさんが興奮した様子で叫ぶ。
「……神が、わたくしに力を貸してくださいました。すべては、勇者様が魔王を追い詰めてくださったおかげですわ」
セレスティアは、はにかみながらそう答える。完璧な聖女の演技だ。
俺は内心で、彼女の女優ぶりに感心する。
「そ、そうか! 俺が追い詰めたから……! だよな! さすが俺!」
ユウトは単純なので、すぐにその言葉を信じ込んだようだ。自分の手柄だと認識を改め、途端に得意げな表情になる。
「やった! やったぞおおお! 俺は魔王を倒した! これでセレスティアと結婚できるんだ!」
歓喜の声を上げ、ユウトはセレスティアに抱きつこうと駆け寄った。
その瞬間。
セレスティアの瞳から、すっと光が消えた。
彼女は抱きつこうとしたユウトを、まるで汚物でも避けるかのように、最小限の動きでひらりとかわす。
「え?」
空振りして体勢を崩したユウトが、きょとんとした顔でセレスティアを見つめる。
『アレン……今、この虫がわたくしに触れようとしました。不愉快です。不愉快です不愉快です不愉快です! もう我慢できません、浄化します!』
脳内に、セレスティアのブチギレた念話が叩きつけられる。
彼女の周りの空間が、神聖な力で極微に震えているのがわかった。
『落ち着け、セレスティア! もう終わったんだから!』
『ですが!』
『凱旋したら、ご褒美をやる。だから今は我慢しろ』
『……ご、褒美……?』
俺の言葉に、セレスティアの念話のトーンが途端に甘ったるいものに変わる。単純なのは、勇者だけではないらしい。
『……わかりました。アレンのご褒美のためなら、この程度の不快、我慢いたしますわ。どんなご褒美か、楽しみにしておりますね……ふふっ』
危機は、去った。
俺は誰にも気づかれないように、安堵のため息をついた。
こうして、俺たちの魔王討伐の旅は、表向きは「勇者一行の活躍により、最後は聖女の一撃で魔王が浄化された」という形で幕を閉じた。
これから始まる王都での祝賀会と、その後に待っているであろう面倒事を思うと、俺の頭は少しだけ痛むのだった。
そして、セレスティアに約束してしまった「ご褒美」のことも。




