第一話 陰キャ魔法使いの俺、最強の力を隠して勇者パーティで雑用係をやる傍ら、夜はヤンデレ聖女(婚約者)にめちゃくちゃ溺愛されている
「うおおおおっ! 喰らえええええ! 聖剣技・スターダストブレイク!」
勇者ユウトの叫び声が、薄暗い森に木霊する。
彼が掲げた聖剣が眩い光を放ち、その軌跡が星屑のようにきらめきながら、眼前に迫っていたオークキングの巨体を十字に切り裂いた。
断末魔の叫びを上げる間もなく、オークキングは光の粒子となって霧散していく。
取り巻きのオークたちも、その神々しいまでの光景に怯み、動きを止めた。
「今だ! ガイさん!」
「応っ!」
俺、アレン・ヴェルフェンの声に、パーティの戦士であるガイ・ブレイブハートさんが雄叫びを上げて突貫する。巨大な戦斧を振り回し、怯んだオークたちをなぎ払っていく姿は圧巻だ。
「ははっ! 俺の聖剣技の前にひれ伏しな、ザコどもが!」
オークキングを倒していい気になったユウトも、再び剣を構えて残敵掃討に加わる。
その姿は確かに、物語に出てくる勇者のように勇ましかった。まあ、雰囲気だけは。
「アレン! 後方からファイアボールで援護を!」
聖女セレスティアの凛とした声が飛ぶ。彼女は最後尾で回復魔法の準備をしながら、冷静に戦況を見つめている。
「了解!――来たれ、炎の塊! ファイアボール!」
俺は詠唱と共に杖を振り、手頃な火球をオークの群れへと放つ。
もちろん、これは表向きの仕事だ。俺の本当の仕事は、もっと地味で、誰にも気づかれないところにある。
ちらりとユウトに視線を送る。彼は調子に乗ってオークの群れに深く切り込みすぎている。案の定、彼の死角からオークメイジが不気味な詠唱を始めた。狙いはユウトの背中。
「……面倒な」
俺は誰にも聞こえないように小さく呟くと、指先だけで魔法式を構築する。
発動するのは、古代魔法に分類される無属性の干渉魔法『サイレント・キャンセル』。
オークメイジが放った漆黒の魔力弾が、ユウトに届く寸前で何の兆候もなく、かき消えた。
「ん? 何か今……まあいいか! 俺の勢いは誰にも止められねえぜ!」
一瞬だけ首を傾げたユウトだったが、すぐに気を取り直して剣を振るう。オークメイジは自分の魔法が消えたことに混乱している隙に、ガイさんの戦斧で頭をかち割られていた。
「ガイさん、右! 三体!」
「おう!」
俺はガイさんの足元に、不可視の土壁を瞬間的に生成してオークの斧を受け止めさせる。衝撃に体勢を崩したオークたちを、ガイさんがまとめて薙ぎ払った。
「よし! さすが俺の指示だな!」
……いや、俺がサポートしたからなんだが。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。俺の役割は、この勇者パーティの縁の下の力持ち。魔法使いとしては「中級魔法が少し得意な平凡な魔法使い」を演じ、勇者ユウトを英雄として輝かせることなのだから。
世界最強の魔法使い?
そんな称号は、俺の望む平穏な未来には邪魔なだけだ。
すべての魔物を掃討し終えると、森に静寂が戻った。
「ふう……さすがは俺たちだな! オークキングなんて敵じゃなかったぜ!」
ユウトは聖剣の刀身についた血を振り払い、得意げに胸を張る。その隣で、ガイさんも「勇者様のおかげだ!」と豪快に笑っていた。
「見たか、セレスティア! 俺のスターダストブレイク、マジでやばくなかった?」
ユウトはくるりと振り返り、パーティの華である聖女セレスティアに同意を求める。茶髪をかき上げる仕草がいちいち鼻につくが、彼はこれをイケメンの所作だと信じて疑っていない。雰囲気イケメンの典型だ。
「ええ、とてもお見事でしたわ、勇者様。神々しいまでの御力、感服いたしました」
セレスティアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、完璧な返答をする。その白銀の髪は月の光を受けて輝き、アメジストの瞳はどこまでも澄んでいる。誰もが認める絶世の美少女であり、このパーティの誰もが彼女に好意を寄せていた。
もちろん、俺も例外じゃない。いや、俺の場合は「好意」なんて生易しいものじゃないが。
「だろ? 魔王を倒したら、俺の聖剣技はもっとすごいことになるぜ! 楽しみにしててくれよな!」
「ええ、楽しみにしております」
にこやかに返しながらも、セレスティアの視線が一瞬だけ俺の方に向けられた気がした。気のせいだろうか。
「おい、アレン」
不意に、ユウトが俺を顎でしゃくった。
「お前もまあ、ちょっとは役に立ったな。雑用魔法使いにしては上出来だ。これからも俺たちの足手まといにならないよう、せいぜい頑張ることだな」
「……はい、勇者様」
俺は感情を消して、無感動に返事をする。
雑用魔法使い。それが今の俺の、パーティ内での立ち位置だった。戦闘後の死体処理、野営の準備、見張り……戦闘以外の面倒事はほとんど俺の仕事だ。
別に構わない。むしろ、そっちの方が好都合だ。目立たず、騒がれず、ただ静かに目的を達成する。それが俺の望みだから。
このパーティの本当の戦力バランスを、ここにいる誰も知らない。
転生者特典でやたらと威力の高いスキルを使えるだけの勇者ユウト。
騎士団上がりの実力者だが、ただの人間である戦士ガイ。
そして、神に寵愛されし聖女セレスティア。
――本当は、セレスティア一人いれば魔王軍なんて半日で壊滅する。
彼女の持つ「聖女」の力は、伝承にあるそれとは比較にならないほど規格外だ。彼女が本気を出せば、国の一つや二つ、地図から消し飛ばすことだって容易いだろう。
ではなぜ、俺たちはこうしてちまちまと旅を続けているのか。
それは、彼女が「アレンとの旅の時間を、一日でも長く楽しみたいから」という、とんでもない理由で力をセーブしているからだ。
そして俺もまた、そんな彼女の我儘に付き合って、自分の力を隠し続けている。
すべては、魔王討伐という面倒な使命を終えた後、二人で静かに暮らすため。
そのために、俺は今日も「平凡な魔法使い」を完璧に演じきるのだ。
その日の夜、俺たちは森の中に野営地を設けた。
俺が手早く結界魔法を張り、火を起こして簡単なスープを作ると、自然と焚火の周りに四人が集まる。
定位置のようにセレスティアの隣に陣取ったユウトが、またしても軽薄な口を開いた。
「それにしても、今日のセレスティアの回復魔法はすごかったな! ガイが斬られた傷、一瞬で塞がったもんな」
「お恥ずかしい限りです。本来であれば、勇者様やガイ様がお怪我をなさらないよう、わたくしが神聖なる障壁を張るべきでしたのに」
しゅん、と効果音がつきそうなほど可憐に俯くセレスティア。その姿に、ガイさんは「いやいや! 俺がヘマしただけだから、聖女様は気にしないでくれ!」と慌ててフォローを入れている。
本当に、外面だけは完璧な聖女様だ。俺は内心でため息をつきながら、黙々とスープを啜る。
「なあ、セレスティア」
ユウトの声のトーンが、少しだけ真剣なものに変わった。
「前にも言ったけどさ。俺が魔王を倒したら、ご褒美に俺と結婚してくれよ。王国の陛下も大神官様も、内々にOKしてくれてるんだぜ?」
来た。今日何度目かのプロポーズだ。
王国と神殿が、勇者と聖女を結びつけようとしているのは知っている。英雄と聖女の結婚。民衆が熱狂する物語としては、これ以上ない組み合わせだろう。
だが、聞いている俺の胸中は穏やかじゃない。
わかっている。セレスティアがこんな男に靡くはずがないことくらい。それでも、俺の婚約者に向かって堂々と求婚されるのは、単純に気分が悪い。
俺は表情を変えないまま、スープ皿を持つ手に力がこもるのを感じていた。
セレスティアは、うっとりとした表情で揺らめく炎を見つめていたが、ユウトの言葉にゆっくりと顔を上げた。その唇が、完璧な弧を描く。
「まあ、勇者様。そのような戯れ言は、本当に魔王様を討伐なさってからおっしゃってくださいませ」
「戯れ言じゃねえって! 俺は本気だぜ!」
「まずは目の前の使命に集中なさいませんと、神のお導きも鈍ってしまいますわ。さあ、今宵はもうお休みになって、明日に備えましょう」
ふわり、と微笑んで話を打ち切る。あまりに見事なスルー技術だった。ユウトは何か言いたげに口を開きかけたが、聖女の微笑みの前ではそれ以上何も言えず、「……お、おう。そうだな!」と納得するしかなかったようだ。
俺はそっと息を吐き、残りのスープを飲み干した。
大丈夫だ。嫉妬なんてする必要はない。俺たちの絆は、こんなことで揺らぐほど脆くはないのだから。
「じゃ、俺は先に見張り番やるんで。ガイさんは先に休んでください」
「おう、悪いなアレン。後半頼むぜ」
俺はそう言って立ち上がり、野営地の外れにある見張り用の切り株へと向かった。
冷たい夜気が、少しだけ火照った頭を冷やしてくれる。
――俺の婚約者。
故郷の村を出る前、二人で将来を誓い合った。彼女は俺のもので、俺は彼女のもの。それは誰にも覆せない、俺たちだけの真実だ。
そう、頭ではわかっているのに。
胸の奥に燻る、黒い靄のような感情が消えない。ユウトが彼女に触れようとするたび、馴れ馴れしく名前を呼ぶたび、この感情は少しずつ濃くなっていく。
「……らしくないな」
自嘲気味に呟き、夜の闇に意識を集中させる。
今はただ、パーティの一員としての役目を全うするだけだ。
深夜。ガイさんとの見張りを交代し、自分の簡素なテントに戻った俺は、ごわごわした毛布にくるまって目を閉じた。
疲れているはずなのに、なかなか寝付けない。焚火の前でのユウトとセレスティアのやりとりが、脳裏にちらついていた。
その時だった。
テントの入り口が、ほとんど音もなく、僅かに開かれた。
侵入者の気配。しかし、俺の張った結界は一切の警告を発していない。つまり、この結界が「敵ではない」と認識している人物。
そんな相手は、一人しかいない。
「……セレスティア」
俺が囁くと、滑るように入ってきた人影が頷いた。
月の光を背負い、俺の寝床の隣に静かに膝をつく。その姿は、昼間の慈愛に満ちた聖女とはまるで違う、どこか妖艶な空気をまとっていた。
「アレン……お邪魔しますね」
「……見つかったらどうするんだ。ユウトやガイさんが起きるかもしれないだろ」
「ご心配なく。お二人がぐっすりと眠れるように、祝福をかけて差し上げましたから。朝まで決して目覚めませんわ」
さらりと言われた言葉に、俺は苦笑するしかない。彼女の言う「祝福」が、一種の強力な昏睡魔法であることは明白だった。
セレスティアはゆっくりと俺の毛布に潜り込んできた。ひんやりとした彼女の身体が、俺の腕にぴったりと寄り添う。清らかな花の香りが鼻腔をくすぐり、俺のささくれた心を穏やかに溶かしていく。
「アレンの匂い……落ち着きます……」
彼女は猫のように俺の胸に顔を埋め、すりすりと甘えてくる。この瞬間だけが、俺が本当の自分に戻れる時間だった。
「……なあ、セレスティア」
「はい、アレン」
「昼間、ユウトに言われてたこと……」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。嫉妬していると、認めているようなものじゃないか。なんて情けない。
だが、セレスティアは俺が言いたいことを正確に察したようだった。彼女は顔を上げ、アメジストの瞳でじっと俺を見つめる。その瞳にはもう、聖女の慈愛など欠片もなかった。代わりに宿っているのは、底なしの独占欲と、狂気的なまでの愛情の色。
「ああ、あの虫のことですわね」
吐き捨てるような声色に、ぞくりと背筋が震える。
「本当に、不愉快でした。アレンが見ていらっしゃる前で、このわたくしに求婚するなど……万死に値します」
彼女の身体から、ぴりぴりとした神聖な圧力が漏れ出し始めた。冗談などではない。本気で怒っているのだ。
「今から浄化してきましょうか? あの男が存在した痕跡ごと、この森から消し去るくらい、容易いことですわ」
「やめろって。本気で言うな」
俺は慌てて彼女の身体を抱き寄せ、その背中を宥めるように叩く。彼女の力なら、本当にやりかねない。
「大丈夫だから。俺はセレスティアを信じてる。あんな奴に何を言われても、何とも思わないさ」
「……でも」
「それに、俺たちが婚約者だってこと、あいつは知らないんだから仕方ないだろ」
「……アレンが、そうおっしゃるなら」
俺の言葉に、セレスティアから漏れ出ていた圧がすうっと消えていく。彼女は 다시俺の胸に顔を埋め、しかし先ほどよりも強く俺を抱きしめた。
「わたくしは、アレンのものですから」
吐息と共に、甘い声が耳元で囁かれる。
「この髪の一筋も、指の先も、唇も、心も……すべて、すべてアレンだけのものです。他の誰にも触れさせません。わたくしに触れていいのは、アレンだけ」
「ああ、わかってる」
「あの虫がわたくしの名前を呼ぶたび、その舌を引き抜いてやりたくなります。あの目がわたくしを映すたび、その眼球を抉り出してやりたくなります」
「物騒なこと言うなよ……」
「アレン……」
重すぎる愛情。ヤンデレと呼ぶには生易しいほどの、狂信的な執着。
だが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、昼間のやり取りで生まれた胸の靄が、彼女のこの重い愛によって綺麗に晴れていくのを感じる。
俺が嫉ötを感じる必要など、最初からなかったのだ。
彼女は、俺が心配するよりもずっと深く、俺だけを愛してくれている。
「大丈夫だ、セレスティア。俺はお前のものだし、お前は俺のものだ。魔王を倒したら、村に帰って式を挙げよう。誰にも邪魔されない、俺たちだけの家で暮らすんだ」
「はい……はい、アレン……」
セレスティアは恍惚とした表情で頷き、俺の唇に自分のそれを重ねてきた。
夜の闇に閉ざされた小さなテントの中だけが、俺たち二人の世界だった。
明日になれば、彼女はまた完璧な聖女様を演じ、俺は冴えない雑用魔法使いを演じる。
この歪で、けれど俺たちにとってはかけがえのない旅は、まだ始まったばかりだ。




