表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

黒死病の影 ― 異端の医師

――人は恐怖の中で、最も原始的な“信仰”を求める。

 そしてそれが、理性を殺す刃にもなるのだ。


夜明け。

炎上した都に、ようやく薄い光が差し込んだ。

焼け焦げた街は静まり返り、崩れた聖堂の鐘楼が、煙の中に影のように立っていた。


ライオン・アルカディアは、修道服の少女――アリシアを背負いながら、

街の外れへと向かって歩いていた。

彼女の呼吸はまだ弱いが、命の灯は確かに戻りつつある。


「……このままではいずれ感染する。」

彼は足を止め、路地の奥で倒れている人々を見下ろした。

皮膚が黒く腫れ上がり、首元に紫の斑点。

腐臭と共に、蝿が群がっていた。


黒死病――。

未来の記録に残る「人類史上最悪の疫病」。

だが、彼の時代においては完全に根絶されていたはずだ。


「なるほど……ここが“最初の波”というわけか。」


彼は掌の装置を起動した。

淡い光が生まれ、空気中の菌を解析する。

だが、結果に彼は眉をひそめた。


「……ペスト菌ではない。構造が歪だ。

 もしかすると、時間跳躍の副作用で変異したか……?」


アリシアが目を覚ました。

虚ろな瞳で辺りを見渡し、唇を震わせる。


「……神が、罰を……お与えになったのです。

 都は、罪で満ちていたから……」


アルカディアは静かに頭を振った。


「違う。これは罰ではない。

 神が世界を放棄した結果だ。」


彼の声には怒りも悲しみもなかった。

ただ、淡々とした冷たい理性だけがあった。


彼は倒れている男の腕に小さな針を刺し、血を採取する。

掌の装置が青く光り、血液の成分を解析する。

ナノデータが光の文字として空中に浮かぶ。


「……免疫崩壊。だが、これなら再生酵素で抑制できる。」


アルカディアは腰のポーチから小瓶を取り出した。

中には、彼が未来から持ち込んだ唯一の“万能触媒”――エーテル錬金液。


彼はそれを焚き火の上で温め、草の汁と混ぜた。

黄金色の光が液面に広がり、やがて静かに沈んでいく。


「これが……あなたの“魔法”ですか?」

アリシアが小さく尋ねた。


「違う。これは科学だ。

 人が神を待たずに、命を救うための知恵だ。」


彼は液を飲ませ、男の胸に手を置いた。

淡い光が男の身体を包み、紫の斑点がゆっくりと薄れていく。


「……っ……!?」

アリシアは息を呑んだ。

それは、まるで聖母の奇跡のように見えた。


「神の……癒し……」


「いいや。」

アルカディアは首を振り、淡く笑った。

「これは人の手で作った“救い”だ。

 神がいなくても、人は自らを救える。」


だが、その行為は――

翌日、異端の奇跡として街全体に広がった。


「死者を蘇らせた男がいる!」

「教会の奇跡を盗んだ悪魔だ!」


瓦礫の街に、人々の声が渦巻いた。

恐怖と熱狂。祈りと暴力。

それは常に、同じ場所から始まり、同じ終焉を迎える。


夕刻、十字を掲げた神官たちがやってきた。

鎧を纏った衛兵が、アルカディアを取り囲む。

その中心に、赤い法衣を纏った男が立っていた。


「異端者ライオン・アルカディア。

 貴様は死者を弄び、神の領域を侵した罪で拘束する。」


アルカディアは一歩も退かなかった。

その手には、まだ温かいエーテルの光が灯っている。


「俺は救っただけだ。

 死を拒むことが罪なら、神こそが罪人だ。」


その瞬間、群衆がざわめき、神官の顔が憤怒に染まった。


「黙れ! お前の口から“神”を語ることが最大の冒涜だ!」


剣が抜かれた。

アリシアが震える手でアルカディアの袖を掴む。


「逃げて……! このままでは殺されます!」


アルカディアは微笑した。

その瞳は冷たく、しかしどこか懐かしい光を帯びていた。


「心配するな。

 俺は何度でも焼かれ、何度でも蘇る。

 人のことわりを証明するために。」


夜。

彼は捕らえられ、崩れた修道院の中で鎖に繋がれていた。

外では群衆が松明を掲げ、

「異端を焼け!」と叫んでいる。


アリシアはその外で泣いていた。

彼の救った命を見た人々が、今は彼を殺そうとしている。


――それが、“信仰”という名の業。


アルカディアは微かに笑い、

手首の装置に残る最後のエネルギーを起動した。


「この時代の文明はまだ未熟だ。

 だが、ここからすべてを始めよう。

 科学が、祈りを超える日まで――。」


鎖が青白く光り、金属が弾ける音がした。

次の瞬間、修道院の屋根が吹き飛び、夜空が開いた。


群衆が息を呑む中、

炎の中に立つ男が静かに言葉を紡ぐ。


「――神の奇跡は終わった。

  これからは、人の奇跡の時代だ。」


その声は、燃え盛るビザンツの夜空を裂いた。

そして、その日から彼の名は“異端の賢者”として、歴史に刻まれることとなる。


――人は恐れるものを焼き、

 焼いた灰の中から、新しい“知”を拾い上げる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ