女探偵と武器商人
新田とチカが作戦会議を終えたのと同時に、列車はミュラーが乗車してくると目される『横浜駅』に到着した。
ここでは補給や乗降者の整理のために一五分間停車することになっている。チカは可憐な女探偵になりきって、隣に座る新田にウインクを返した。
『――さて、まもなく発車ですね、そろそろ私たちも動きましょう』
チカは個室の引き戸を開けて首を振り、新田にも立ち上がるように促す。
「では、新田様は元のお部屋に戻ってもらってもよろしくて?」
「えっ? も、元の部屋って?」
「拾った切符に書かれているお部屋のことですよ。その……やはり、お部屋に殿方が一人でいるというのは私も少し恥ずかしいのです」
頬にポッと桜を咲かせるチカの異変に気づいた新田は、自分がいる部屋がチカの部屋であることに思い出す。慌てて拾った切符を確認すると、ちょうど隣の部屋だった。
「あっ、なるほど! こ、これは失礼しました」
新田は、いそいそとチカの前を通って、例の青年と芸者が泊まるはずだった部屋へ移動。扉から顔を半分だけ出して、彼女の任務遂行の様子を観察することにした。チカは一旦部屋の扉を閉め、数秒の静寂の後、麦わら帽子をかぶって部屋から出てくる。
「んんんんんっ……うっ」
(あいつは何をしているんだ?)
新田は声を出さないように注意しながら首を傾げた。部屋から出てきたチカは、東京駅で新田に運ばせた大きな革製の旅行鞄を持っていた。
しかも、二つも。
重い荷物のせいでおぼつかない足取りに新田は一抹の不安を覚える。
「あ、あの……どうするつもりで?」
囁くようにチカに声をかける新田。
チカは一瞬後ろに振り返って、力仕事で紅潮する顔をニコッとさせて口を開いた。
「うろうろするのは流石に怪しいと思いまして」
「だからってなんでそんな重い荷物を??」
「横浜駅から乗車してきた設定で一つ一つの部屋を見て回ろうと」
「あーー……なるほど」
新田はここでようやくチカの行動に納得し、顔を部屋の中に引っ込めることにした。チカの機転の効きに関心し、自分が周囲を警戒することによるリスクを考慮しての行動だった。
引き戸に耳を当てて外の音を拾うと、チカの楽しそうな声がうっすらと聞こえてくる。
しばらくして――
『――お待たせしました。新田様、中におられますか?』
五分も経たないうちに、チカは新田の寝台室の戸を叩く。
新田はすぐに顔を出して、再びチカの寝台へ移動した。
新田の横に座る彼女は、遊びを終えたばかりの子どものような笑顔を浮かべて報告を始めた。
「お名前は存じませんが、外国の方は一番後ろのお部屋におられました。横浜から」
「そうですか。背広姿の男はいませんでした? 背丈は私より少し小さいくらいですが」
「いえ……ミュラー様のお部屋に間違えて入ったときは、お一人でいらっしゃっていて。ちなみにその方の隣のお部屋は誰もおられませんでしたので、あとは私たちだけ……」
「しまった! あいつは横浜で降りたのか!」
新田は思わず顔を手で覆って天を仰いだ。
冷静に状況を整理すると、宮都中佐は東京駅から横浜駅までの区間を乗車し、横浜駅から乗車してきたミュラーが、停車時間中に降車した宮都中佐とどこかで邂逅した可能性が高く、すでに汚い金の受け渡しは終わっていても不思議ではなかったからだ。
新田はここで、ミュラーと中佐があくまでも両陣営の使者であることを思い出す。
二人とも運び屋でしかないのだ。
(こうなれば一覧表だけでも……)
静かに苦悶する新田だったが、チカは嬉しそうに話を続ける。
「実はミュラー様ね、私が重い荷物を持っていることを気にして、わざわざ声をかけてくださりましたの。簡単に挨拶をしましたら、一人旅で退屈だから後で部屋に遊びに行っていいか尋ねられましたわ」
「えっ!? ……ちなみに奴はどんな荷物を持ち込んでしましたか?」
チカは「うーん」を斜め上を向いて可愛らしく思い出そうとする。
「えっと、大きな革製の旅行鞄を二つと煙草用のパイプのケース……うーん。どれも重たそうでしたわ」
「どっちかに一覧表が……ここからどうするかだな」
新田はポツリと漏らす。隣でふんふんと鼻を鳴らすチカのことを気にするそぶりも見せない。
ひたすらに、ここからどのように一覧表を手に入れるのか思案を巡らせる。
「うーーん、どうしたものか」
そのときだった。
突然チカの部屋の扉が優しく3回ノックされた。
『――Excuse me?』
新田の耳に、突如聞き慣れていない外国語が飛び込む。
ギョッと目を見開く新田に対して、チカは嬉しそうに鼻を鳴らして席を立った。
「あら、噂をすれば来られました!」
新田に断りを入れることなく、チカは無警戒に扉を開く。
「hahaha!……コレハ、オタノシミ中デシタ?」
部屋の外の廊下に立っていたのは、顔の輪郭からはみ出た鋭利な口ひげを生やした西洋人だった。パリッとシワひとつない背広を着た男の身長は、見上げなければ目が合わせられないほど高く、肩幅もかなり広いため、突然近くに現れると、取材で幾多の死線を潜り抜けてきた新田でも、かなりの威圧感を覚えてしまうほど。
初対面だったが、新田の頭にはこの男の名前がすでに浮かんでいた――ミュラーだ。
爽やかな笑みを見せるミュラーは、大きな麦わら帽子を手にしていた。
それに真っ先に反応したのは、チカだった。
新田はここで、チカが麦わら帽子をかぶっていないことに気づく。
「まぁ! Thank you so much!(ありがとうございます!)」
「オ嬢サン……ヤハリ、英語が上手デスネ」
ミュラーは中腰になってチカと目線を合わせながら彼女の頭に麦わら帽子をちょこんと乗せた。
両者の年齢から見ても、祖父が孫娘に帽子を被せるように見える。
チカは嬉しそうに彼の手を取り、健気に何度も上下に腕を動かして落とし物を届けてくれたミュラーに感謝の意を示す。一方で、喜びを爆発させる可憐な美少女を前にした老紳士は、シルクハットをわずかに浮かせ「いえいえ……」と微笑みながら謙遜する。
やがて、その優しい視線は、ポカーンとやり取りを見ている新田に向けられた。
「フィアンセ、デェスカ? ドモ、ミュラーデェス」
怪しいカタコトの日本語に遅れて差し出される右腕に釣られ、新田は握手に応じるしかなかった。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。
スマホで執筆してパソコンに上げているため、ズレている部分などがあり、それを皆様に助けていただけて本当にいい作品になりそうです。引き続き応援よろしくお願いします。