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巨悪を暴く新聞記者

『―――絶対、ジーメンス事件を越える事件になるんですよ!』


 帝國新聞社の記者『新田義明(にったよしあき)』は、編集部で大きな啖呵を切った手前引き返せなくなっていた。義憤に駆られる胸を押さえ、東京駅まで走る。国家の不正を暴く絶好の機会を前にして、黙っていられるほど新田は()()()()()()()ではなかった。


 ジーメンス事件とは、征歴1914年に起きた海軍高官と連邦『ジーメンス社』の間で起きた収賄事件で、帝国海軍が世間から連邦派と目されるきっかけとなった特大スキャンダルである。この事件をきっかけに海軍長老だった首相の責任まで追及されることになり、最終的には内閣が一つ倒れてしまうほどの大きな事件だ。


「――はぁ……はぁ……やっと着いた!」


 朝八時半の東京駅。

 帝國の近代化を象徴する鉄骨レンガ造りの建物の周辺は、多くの人でごった返している。駅前の広大な広場では、日の丸を持って兵隊ごっこに興じる子どもたちや、 少し離れた場所では原色のドレスを着た貴婦人たちが立ち話に花を咲かせている。少し離れたところでは、連邦派と合衆国派の集団がそれぞれに分かれて、来るべき世界大戦を前にしてどちらの陣営に与するべきか言い争っている。


「おい、どいてくれ! 頼むっ! 急いでいるんだ!」


 しかし、新田の目には、汚職の腐臭を漂わせた獲物しか映っていない。

 目深に帽子を被った背広姿の人物『宮都中佐』――経歴や顔写真も全て不明の陸軍将校の姿が。

 中佐は、まるで雲のように巧みに人混みの中を進む。対して、新田は人混みをかき分けて中佐の背中を必死に追いかけ、やっとの思いで東京駅の南側にある『乗車口』到着する。

 

「あのカバンの中に……絶対にある」


 中佐が手にしている革製の大きな旅行鞄。

 そこに賄賂として送る予定のお金が入っていることを知らされたのは、ちょうど一時間前。『本日、一覧表の取り交わし』――常連の匿名通報者から手紙で、新田はこれまでこの匿名通報者からの情報提供によっていくつもの政治家や軍人の汚職や不祥事のスクープに成功しており、新聞記者として確固たる地位を築くことに成功していた。


 新田は、この匿名通報者を正義感溢れる軍人や政界人の誰かだろうと理解し、かなり信頼していた。

 

 今回新田の獲物に選ばれたのは二人。

 新田のすぐ目の前で無警戒に立っている宮都中佐と、合衆国の兵器商人であるミュラーだ。

 疑惑の一つは、陸軍上層部の相当数が、合衆国から兵器購入の見返りとして賄賂を貰っているのではないかというもので、宮都中佐とミュラーは詳細な匿名通報によると「陸軍側と合衆国側の使者」であり、毎回陸軍から賄賂の金額と渡すべき人物の一覧表(リスト)がミュラーに手渡されるとのことだった。


 新田は最初に情報が寄せられた三ヶ月間に渡って中佐を尾行し、会社員に扮した中佐が月に一度に小さな手提げ鞄を持って東京駅へ向かう姿を見ている。

 そして考えた。


『大量の札束を入れていても、違和感を持たれない入れ物』

『目を避けて安全に賄賂の受け渡しができる場所』


 きっと、旅行鞄を列車の中で受け渡してミュラーから現金を受け取ると、新田は大佐の行動から半ば確信していた。 政界と軍部を揺るがす大スキャンダルが目の前にあると思うと、新田は興奮と緊張を隠せない。だが――


「――あっ!」


 突然、新田は横から誰かに突き飛ばされて転んでしまう。空転する視界の着地点は、彼と同じように彼に背中を向けて派手に転んでいる女の姿で、彼は自分の進路を横切ろうとした若い女と衝突したことをすぐに理解した。


「気をつけろよ、馬鹿野郎がッ!」


 大きな革製の旅行鞄から出てきた新聞紙を拾い集める女の背中に向かって、思わず怒鳴ってしまう新田。すぐに立ち上がって視線を前に戻すと、人垣のわずかな隙間から、獲物が足早に乗車口へ向かう姿が垣間見えた。


 女は足でも捻ったのか、足首を手で押さえて何やら呻いているが新田は助けることなく素早く立ち上がる。


「くそっ! なんとか乗車しないと……」


 背広姿の中佐はすでに乗車口に入ってしまったらしく、もう姿は見えなくなっていた。しかも、中佐が乗車したのは一等寝台車で、当然新田は切符なんて持っていない。だが、新田はなんとかして乗車しようと、できる限りの方法を思案する。

 慎重派の編集長に啖呵を切って飛び出してきた手前、新田に今更引き返すという選択肢はなかった。


「おい車掌さん!」

「は、はぁ? なんでしょうか?」


 新田は慌てて偶然近くを通った駅員を捕まえ、今から出る列車の行き先を尋ねる。


「あの列車はなんだ!? 」

「あれですか? あれは東京・下関間の特別急行ですよ。あと十五分で出てしまいますよ」


  特別急行と聞き、新田の焦りは最高潮に達した。匿名の情報提供者がもたらした情報に『昨日にミュラーが横浜港に到着した』旨の内容があったことを思い出したのだ。


「なぁ、特別急行の停車駅に『横浜』はあるか!?」

「えっ、えぇ………あ、ありますが、それがどうされましたか?」

「くそっ、そういうことか!」


 停車駅には『横浜』がある。

 つまり、列車の中で合流する可能性が高い。

 新田は希望に目を輝かせる--が、車掌は対照的に怪訝そうに新田を見て首を傾げる。

 

「ちなみに貴方が今立っている先の客車は一等寝台でして、値段は三十円しますよ。失礼ながら見たところ…別の客車の方がいいように思いますが」

「はぁぁ!? さ、三十円だとっ!?」

「はい、一等寝台車に乗って大阪まで行く場合の料金になりますがね」


 それは、新田の月給に相当する金額だった。

 金がない。新田は頭を抱えたまま切符売り場の前を右往左往するが、無情にも時は刻々と進んでいく。


(くそっ、ここまで来て! 賄賂は絶対一等寝台車で貰っているはずなのに!)


 どうにかして忍び込めないか。 ついに悪へ寄った考えに支配されてしまう。

 ウロウロと歩き回り、侵入方法考える。

 そのとき、新田は今度は後ろから誰かに押されて顔から転んでします。


「―――おい、邪魔だよ!」


 突然、誰かが季節外れの大汗をかいた新田の尻を乱暴に足でどかそうとした。


「貧乏人が俺の道を邪魔しないでくれるか? ここは一等寝台車の乗車口だぞ?」


 顔を上げると、新田の視界に帽子から靴まで焦茶色で統一された高そうな背広を着た青年が映った。視線をずらすと、派手な着物と特徴的な金のかんざしを挿した芸者が、周囲の目を気にする様子もなく青年の右腕にしがみつくように身体を密着させている。

 二人とも、転んで床に膝をつく新田に侮蔑の視線を注いでいた。


「おいお前、人を蹴るとはどういう了見だ!?」

「邪魔だからだよ。ほら、さっさと退けよ。おっさん」

「このガキが! 年上には敬意を払うもんだぞ!?」

「ハハハッ、その台詞は俺みたいに一等寝台に乗れるようになってから言いな」


 青年がこれ見よがしに上衣から札束を抜き取り、新田の顔の前でヒラヒラとなびかせる。時計に琥珀のステッキと、持ち物を見るだけで豊かな育ちであることがうかがえた。

 青年の年齢は二十代ぐらい、態度や女の趣味の悪さなどを踏まえて、新田は成金の息子かどこか貴族子弟だろうと予測して奥歯をギリギリと噛み締める。


「ねぇ、もう早く列車に乗りましょ? アタシ、早くお部屋でゆっくりしたいわぁ」


 ずっと沈黙を保っていた芸者が、青年の右腕をグッと胸に引き込む。きっと金で尻尾を振ったタチに違いないと、見せつけるような色気に新田は胸を揉まれた。


「へへっ、そうだな。 早くいこうか」


鼻の下を伸ばした青年は、手にしていた札束を芸者の着物の袖に差し込んで歩き出す。金の力がモノを言う時代の象徴とも言える光景に、周囲も遠巻きに見守るだけでいまだに起 き上がれない新田に誰も手を貸そうともしない。


だが―――


「――あれ?」


 それはまさに奇跡と呼ぶべき出来事だった。


 新田は膝の前に硬質の白い紙が落ちていることに気づく。 新田は這いつくばってそれを手で覆い隠し、ゆっくりと自分の体の方に引き寄せて慎重に手の中で確認する。


「あはは……バカが!」


 手のひらに収まりそうなそれは、 今まさに新田が喉から手が出るほどに欲していた一等寝台車の乗車券。切符にはさっきの男と思われる苗字が記されており、行き先は神戸。


(いける! いけるぞぉぉぉぉ!!)


 新田の頭の中には、二日後の朝刊に載る紙面がすでに出来上がっていた。


『第二のジーメンス事件発生!』


 取材者はもちろん新田義明。

 帝国で最も権力者たちから嫌われている新聞記者。


「ふふっ、待っていろ。中佐!ミュラー!」


 新田は、倒すべき悪が断末魔の叫びと共に崩壊する様子を想像して、身体の芯から急速に熱くなっていくのを感じたのだった。

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― 新着の感想 ―
新田さんの視点と別視点やと、また違うシーンが観えてくるかな。台本の想像しておもしろい。
常連の匿名通報者って誰なんでしょうねえ? 今で言うネットの書き込みみたいなものだと思うんですけど、それを信用してしまう程には確度の高い情報提供者なんですね
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