中佐の正体①
中佐が笑一の寝室の戸を閉めると、中佐は居間から最も離れた寝室の壁際に笑一を呼び寄せる。
「――急にどうしたんです? ははっ、まさかここで折檻ですか?」
「違う。アヤのことだ。この半年の様子を教えろ」
笑一は安堵したように笑顔を取り戻し、いたずらっぽく首を傾げて笑う。
「なんだかんだ心配しておられたのですね?」
「さっさと報告しろ」
中佐に陽気な雰囲気をピシャリと一刀両断され、笑一は「あはは……」と苦しそうに笑いながら報告を行った。
「『華山アヤ』になって半年。役をもらったのに、新しい任務を受けられていないと焦っているようです。あと、ほぼ毎日男装して帝都の方々を歩き回っているようです。ここ最近はお気に入りの喫茶店を見つけたらしく……ただ、そこで連邦派の男と揉め事を起こしていましたね」
「なるほど。だが、喫茶店の話は特に問題ない。すでにこちらで処置済みだ」
「わーお、さすが皇女様……根回しが早いこと」
「貴様ッ!」
その瞬間、笑一は目の前にいる将校から並々ならぬ殺気を感じ取った。
ずっと俯いていた中佐が、自身より身長の高い笑一を見上げる。制帽のつばで隠れていた部分には非常に整った女性の瞳があった。だが、透き通るような瞳の奥には、力強さと笑一への激しい警告の色を帯びており、さすがの笑一も動揺を隠せない。
「……も、申し訳ありませんでした」
「まぁいい……笑一、アイツがほっつき歩いている件は目を瞑ってやれ」
「承知しました。見守りも継続で?」
「そうだ……あれは間違いなく逸材だ。この国を救う存在になるだろうな」
「そうですね。体術、棒術、そしてあの台本の読み込む速度も……」
「瞬間記憶能力だよ、あぁ、本当に化け物だよ。あいつは……私のせいで可哀想なことをしてしまったと思っている」
中佐は声に後悔を滲ませる。普段感情を露わにしない中佐の珍しい現象に、笑一は目を丸くした。
ここで笑一は、白手袋に覆われた中佐の両手が、硬く握られていることに気づく。
「毎日出歩く理由ですが、あの子は両親を殺した相手を探しているのかもしれません。任務中に仇をみつけたとき、任務か、復讐か、心が揺れる可能性もあるかと」
「そうか……。じゃ、これもお前に頼むとしよう」
直後、書類の束が笑一の足元に投げられる。
笑一用の台本だった。
しかも、アヤと同じ演目の。
「へぇー、なるほど。そういうことですか」
笑一は笑顔を取り戻し、台本を拾って目を通す。
「さっさと覚えろ」
「しかし困りました。僕は台本覚えが悪ぅございまして」
「...............まぁ良い。お前には五分やる。覚えたら燃やせ」
「へへっ、それはありがたいです............」
笑いながら台本を捲っている笑一だったが、身体の横から物々しい重圧を受けた。
「あっ……」
黙って視線を台本から横へ移すと、さっきまで前にいたはずの中佐がすぐ隣を歩いていた。
足音も立てず、移動中の気配を殺し、ポンッと死角から現れる。
それは、瞬間移動能力を疑ってしまうほどで、笑一の笑顔も消えてしまう。
すると、笑一より一回り小さい中佐の手が彼の肩に優しく置かれた。
「............いよいよだ。 明日より我々は本格的に亡霊狩りを行うことになる。心してかかれ」
「ははっ、墓荒らしが墓穴に入らないようにしないと……ですね」
崩された余裕を取り返そうと皮肉っぽく返すが、 中佐は動じることなく鼻で笑う。
『――中佐、完了しました』
襖の向こうからアヤの声。台本の焼却が終わったらしい、と笑一は再び『華山笑一』の仮面を被り直して襖を開けて中佐を居間へ通し、アヤには見えないように台本を背中に隠した。
「あ、あの……」
アヤは報告のついでに二人の顔色をうかがおうとした。
だが、 制帽を目深に被った中佐の表情は相変わず判然としない。実は、アヤは中佐の素顔をはっきりと見たことがなく、これまで中佐が醸し出す雰囲気や声の高低で機嫌などを判断していた。
見えない恐怖。
アヤはいつも中佐を前にすると緊張してしまうのだ。
「アヤ。お前は確かに優秀だが、まだまだ二流の役者だ」
アヤは、中佐に背中越しに声をかけられ、うっかり心臓が止まりそうになった。
「いや、その······申し訳ありません」
「謝ることはない。お前はまだ未熟で当然。 男の格好をして出歩くのは別に構わんが、はやく本物の『華山アヤ』になれ。今のお前は『華山アヤ』の皮を被った人形だ……以上」
宮都中佐は冷たく言葉を切り、無言のまま二人の家を出ていく。
玄関を出た中佐の姿は、二人の瞬きの間に完全に消えてなくなった。
重い静寂の中、アヤは返す言葉のない自分への苛立ちを笑一に悟られないように自室へ駆け 込んだ。
一方、笑一も自分の部屋に篭って台本を再読する。
「君は次の役をどう演じるのかな。ふふっ、お手並み拝見といこう」
繊細で多彩な役柄に、綿密な演目構成。
誰がいつ、どこで、どのような会話をするかまで、事細かに文章で描かれていた。
「さすがだな……あの人には一生勝てないかもなー」
美しさすら覚える台本は、本物の舞台の台本に見えなくもないほどの出来だった。
ついつい真剣に読み耽ってしまう。まるで子どもが新しく買ってもらった本を読み進めるかのように食い入るようにそれを眺める。そして最後の項に辿り着いた瞬間――
「――ほーう」
笑一は鼻先に垂れてきた前髪を掻き上げて、複雑そうな表情を浮かべ、天井を仰いだ。
「..................はぁ、中佐も素直になれば可愛いのになぁ」
笑一は、台本に赤文字で記されている一文を指でなぞる。
【最優先事項:華山アヤの保護】
大きく記された中佐の本当の気持ちに、笑一は心地よい余韻を感じ取った。
次回は9月15日の更新となります。
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