巡査が捜査をサボる理由
「――はぁ、ついに俺にも監視付きか。舐められたもんだ」
強がる言葉に反して、源一郎の肩は落ち込んでいた。
帝国の繁栄を象徴するようなオフィス街に背中を向けて、逃げるように向かったのは都会のど真ん中に築き上げられた帝国最大の貧民窟。一歩足を踏み入れると、そこは金と力が全ての別世界になっている。
喧嘩は誰も止めず、どちらかが動かなくなるまで続き、その脇では盗品市が堂々と催されている。半裸の女たちが細長屋の玄関から手招きをして通りを歩く男たちを誘惑している通りの反対側では、路上で禁止されている賭博に興じる者もいれば、一心不乱にキセルを吸っては不気味に高笑いをあげる子どもがいた。
一言で言い表すならば、まさに混沌の地。
そのような場所を警察官が制服のまま歩くのは危険だが、源一郎の場合は別らしい。
着崩した制服を着用しているやつれた顔の大男に警戒感を示す住民はいない。
それどころか、玄関扉が開いたままの長屋や木賃宿からは「ゲンさんおいでよー」「スッキリしていきましょうや」と黄色い声が絶えず投げかけられるほどで、源一郎はどれも丁寧に手を振って断りながら、いきつけの酒場を目指して歩いていた。
「はぁ……めんどくせぇ」
あそこならもう開いているはず。
頭に斜めに乗っているだけの制帽も直さず、フラフラと歩き進めると、すぐに目的地に到着した。
軒が崩れかけた居酒屋。
ここが源一郎の隠れ家だった。
「おやじ、席は空いてるかい?」
無口な店主は源一郎を見るなり、店の奥のカウンター席に目配せする。
店主の無言の「座れ」という指示に従って固い丸椅子に腰を下ろすと、すぐにお気に入りの酒が提供された。
朝から仕事にありつけなかった貧民窟の住人が床や机に突っ伏して寝ているのを横目に、源一郎は気を紛らわそうと一気に酒を胃の中に注ぎ込んだ。
そして腹の中に隠していた鬱憤を吐き出す。
「――はぁ……やってられるかってんだ!」
机を叩く。
ドンッと鈍い音が店内に響き渡ったが、誰も気にする様子はない。
誰も起き上がってこないし、店主も顔色一つ変えないでいる。
源一郎はどんどん酒を煽る。
飲酒量に比例して、ぶり返してくる怒りの度合いも大きくなってきた。
「何も知らないクソガキがよぉ!」
さすがに店主が酒を取り上げようか悩み始める。
直後、ふらっと暖簾をくぐってきた男が源一郎の隣に座り、顔を真っ赤にして上半身を震わせる源一郎の肩に優しく手を置いた。
「おーーゲンさん大荒れっすねぇ」
「あぁん?」
睨みつける。
振り向きざまに手を払いそうになった――が、隣に座った警察官の顔を見て、すぐに表情を改める。
そこにいたのは、共に特別捜査本部で働く源一郎が可愛がっている後輩だった。
「んだぁよ、黒鷺じゃねーか。お前、仕事はどうしたんだよ」
「ゲンさんそれはこっちのセリフですよー! 聞き込みのついでに巡回警邏していたらゲンさんの声が聞こえてきて、もう何事かと思いましたよ」
「うっせーな。俺だってわかってんなら、一人にさせろよ」
「聞きましたよー。士官学校あがりの少尉殿がお目付け役になったらしいじゃないですかぁ」
「ったく好き勝手言いやがって……」
源一郎は呆れたように溜息を吐いた。
年齢的にも親子ほどの年齢差がありそうな年下の相手が、自分のお目付け役に選ばれたという現実が彼の頭に重くのしかかる。しかも、その事実を成績優秀な後輩警察官に指摘されてしまい、恥ずかしさも二倍だ。一方、源一郎の隣に座った快活愉快な好青年は、気を落とす源一郎を気にも留めず、腕を組んで客を威嚇する店主に笑顔を振り撒く。
「親父さん、僕にも酒を。とびっきり良いものをください」
「おい、あんまり羽振りよく振る舞うなよ」
「へへっ、イイじゃないですか。たまには一緒にサボりましょうよ」
屈託のない笑みを浮かべる黒鷺だったが、源一郎はそうじゃないと首を横に振る。
失業者や貧困に喘ぐ町の住民を前に、羽振りの良さを見せつける行為は自殺行為に他ならないことを知らせたかったのだ。店主が店の奥に消えるなり、源一郎は静かに当たりを見渡す。
幸運なことに、他の客には聞こえていなかったらしい。
安堵した途端、機嫌を取り戻した店主が上等な酒を持って現れる。
お猪口が二つ用意され、そこにこのあたりでは見かけない清酒が注がれた。
「それでゲンさん。実は、班長から色々と聞いた話なのですが、どうやらあの少尉殿はかなりのワケあり品らしいです。知ってました?」
「ワケあり? そりゃ……なんか変なやつだが」
「違いますよ。誰も行きたがらない捜査本部への出向に自ら志願したらしいんですよ。別にここで功績を上げても昇進には全く影響しない……それどころか、軍務から離れるわけですから、むしろ出世を自ら蹴ってしまうことに。それをわかっていて本人は手を上げたらしいのです」
「へぇー、それならアイツは、出世よりも臣民安寧を優先している変わり者なのか?」
だが、感心する源一郎とは反対に、黒鷺は何やら複雑そうな表情を浮かべる。
何か言い淀んでいる感じ。
源一郎は残りの酒を口につけながら、黒鷺の言葉を静かに待った。
「それがねぇ……どうやらちょっと違うらしいのですよ」
「なんだよ、勿体ぶらずに話せ」
ここで黒鷺が源一郎の耳に顔を近づける。
「敵討……らしいです」
「敵討ぃ?」
「そう。僕も気になっていろいろと調べたんですけど、どうやらあの少尉殿には許嫁がいるらしいのですが……その許嫁が大金持ちの金井家の長女らしくて」
「まさか! 金井って、去年の秋に過激派の襲撃を受けた金井財閥の!?」
「げ、ゲンさん声がでかいですって!」
ハッと我に帰って辺りを見渡す。
幸いこれも誰にも聞かれなかったらしく、源一郎は胸を撫で下ろして黒鷺に身体を傾けた。
「あの事件で金井家は長男夫婦が両方死亡してしまったでしょ? 三月に士官学校を卒業して、すぐにこの特別捜査本部への出向を志願したということは……」
「なるほど……そりゃ俺たちへの当たりも強いわな。まったくこれは申し訳ない話だ」
源一郎が見つけた納得の理由。
出世を捨ててでも、やり遂げなければならないことがある――日向少尉がどんな思いで捜査本部にやってきたのか想像する。日向少尉の評価も一変する。
許嫁のことを好いているのだろう。
家族思いなやつだと胸の中で感心した。
同時に、勝手に冷徹漢扱いしてしまったことへの申し訳なさも込み上げてきた。
「はぁーまいったなこりゃ」
源一郎はおもむろに煙草を咥えて、ボロボロの天井を眺める。
サッと差し出されるマッチの火。
源一郎は器用に煙草の先端を火に乗せて煙を吐き出した。
ここで、黒鷺が神妙な面持ちのまま源一郎に告げる。
「ゲンさんも気をつけてくださいね」
「おいおいなんだよ急に……」
「実はどんなやつか探ろうと思って、何も知らないふりをして隣の部屋まで挨拶に行ったんですよ。そうしたら、アイツ……捜査資料じゃなくて、ゲンさんの資料を読んでいたんですよね」
「俺の資料? 俺が容疑者だと思ってんのか?」
「いや、それはさすがにないと思いますけど……でも、部屋の中でも制帽は被ったままだし、部屋に篭ったきり出てくる気配もない。僕が挨拶した後、誰も入ってくるなと言わんばかりに扉の内鍵までかけていたんですよ……一緒に捜査する気がないというか、なんか変なんです」
「フンッ……そうかい」
「あれ? 興味なさげですか?」
「別に勝手にすりゃいいさ。はぁ……めんどくせぇ」
おそらく警察に対して不信感が高まっているのだろうと、源一郎は深く考えなかった。
様々な事件と巡り合い、被害者たちと顔を合わせたことのある源一郎からすれば、一向に犯人を検挙できない警察に対して不信感を募らせている典型的な被害者の様子だった。
それ以上に出てきそうな言葉を、酒と一緒に飲み込み、また煙草を咥える。
「ゲンさんもあんまりサボっているとまた勤務評定に響きますよ。たまには捜査するそぶりくらい見せてくださいよ。いつまでも一匹狼はさすがに見ていられないですから」
「っるせーなお前も相変わらず。こっちはやらなきゃいけないことがあんだよ」
「……姪っ子さん……えっと、千夏ちゃんでしたっけ? どこかで生きているとしたら、あの少尉と同じくらいの歳か」
源一郎の脳裏に、屈託のない笑みを浮かべて彼を手招きする少女の姿が浮かび上がった。
「…………はぁ」
「ゲンさん、所轄時代の先輩後輩の関係だから言いますけど、さすがに引きずりすぎですよ」
「なんだよおめーに関係ないだろうが」
「言いづらいですが……あの子は自分でいなくなった。自分の家族を殺して……逃げた。警察官として辛いかもしれませんが、これが警察としての最終的な結果だったはずです」
「ちげーよ……あの子はそんなことしねぇ。攫われたんだ」
「ゲンさん、それ以上あの子を守るようなことをすれば警察にもいられなくなりますよ? ちょっと前に人売りをしていた輩を無理やり捕まえて署長に呆れられていたじゃないですか。それとも、また自棄を起こして僕をここで殴りつけますか? そろそろ目を覚まして、千夏ちゃんのことは忘れましょうよ……」
源一郎は事実の受け入れを拒否するかのように首を横に振った。
断片的に思い浮かぶ、大荒れした家の中、天井にまで飛んだ血飛沫、積み重なるように倒れている源一郎の姉と義理兄と兄妹たちの死体の様子。雨の中の強盗と思われたが、捜査本部の結論は唯一行方不明になった長女の一家惨殺だった。彼女は十八歳の殺人犯として、帝国では広く知られた存在になっている。
だが、源一郎は、誘拐されたと思っていた――美人で、人当たりも良く、源一郎のお弁当も作って家にまで持ってきたような『出来た娘』が、突然一家殺人を犯すわけはないと。
しかし、源一郎の話を信じる者はいない。
そこで源一郎は一人で、捜査を続けることにしていたのだった。
署長を殴って左遷されて送られた先がテロ捜査。そもそもやる気がないのである。
「はぁ……とりあえず、あの少尉殿には気をつけてくださいね。何かあったら僕も報告しますし、ゲンさんもあんまりベラベラとウチの内情とか話さない方がいいですよ。班長が別室送りにしてくれたのは本当に良い判断でした」
「なんだよお前さん、かなり警戒しているみたいじゃねーか」
「当然ですよ。都市では好戦的な連中が『連邦派』『合衆国派』に分かれて政府に『即時介入』を叫んで毎日大揉め、貧民窟や農村だと『奪われた富を奪い返すぞ』の号令で過激派が暗躍。たしかに、我々も猫の手も借りたいくらいに忙しいわけですが、本来捜査権限のない軍がコチラ側にでしゃばってくるのはさすがにおかしいでしょ?」
「別にあのピカピカ少尉はなにもしていないだろ?」
「まぁそうですけど……ゲンさんは人が良いから変に肩入れしないか心配でね。我々は警察ですからね」
黒鷺は最後に念押しするように源一郎の肩を叩いた。
もう言いたことを言えてスッキリしたのか、おもむろに立ち上がると、財布からお札を数枚抜き出してカウンターに叩きつけるように置いた。
「はい、これで。お釣りはゲンさんのこれまでのツケ代の足しにでもしてください」
「おん? なんの真似だ?」
「どうせ昨日も賭場に行ってすっからかんでしょ? ゲンさんのも僕が奢りますよ」
「……わけぇのに羽振りがいいな」
「今日だけですよ。次はなにかご馳走してください、期待はしていないですけど」
源一郎は黒鷺の財布にぎっしり詰まった札束を見て、羨ましそうに目を伏せた。何事もなかったかのように陽気に店を後にする後輩を目で追いかけたあと、源一郎はがっくりとカウンターにうなだれる。
「はぁ……どいつもこいつも」
刹那、突然差し出される新しい酒。
「ゲンさん、これはウチからのお気持ちで」
普段無口な店主から差し出された、お猪口一杯分の清酒。
どうやら全部聞かれていたらしい。
慈愛に満ちた瞳から労いが伝わる。
だが、源一郎はゆっくりと頭を下げて、静かに席を立った。
「すまねぇな……今日は何飲んでも酒が不味ぃや」
源一郎は、何度も酒に足を絡め取られそうになりながら、居酒屋の暖簾をくぐって外に出る。
そして、ほぼ日課となっている色町の巡回に向かうのだった。
今月もう一回更新できればと思います。
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