アヤが泣いた理由
スズカの病室にやってきたのは、いつもの尋問官ではなかった。
奇妙な男装をしている少女は、病室の扉を開けるなりズカズカとベッドに横たわるスズカの元へまっすぐ歩み寄ってくる。一瞬だけスズカは戸惑ったが、顔を近くで見てハッと目を見開いた。
「――中佐からここにいると聞いた。十五分しか時間を貰えなかったから早く終わらせましょう」
アヤの冷淡な物言いと虚ろな眼差しから、スズカはすぐに状況を理解した。
だが、抵抗することはしない。
むしろ全てを受け入れる覚悟が決まった瞬間だった。
落ち着いた病院着と彼女の両手両足に繋がった手錠のアンバランスさ、顔の半分を覆う赤黒い火傷痕の痛々しさ。リンに扮するアヤと出会ったときに纏っていた勝ち気な雰囲気は一切感じられない。
リンとメイに打ちのめされたスズカは、八咫烏に拘束されてからずっとここにいる。
尋問と怪我の治療の日々を送るなかで、ついに来たる時がきただけだと自分に言い聞かせた。
「――そうか。私は殺されることになったんだな」
その証拠が、スズカの視線の先にある。
アヤの右手には白鞘の短刀がしっかりと握られていた。
「何も答えないということは、そういうことなんだな?」
アヤは返事をしない。
スズカを見定めるように枕元で黙ったまま彼女を見下ろしている。
しかし、スズカには、アヤの手にさらに力が入ったように見えた。
「当然だな。私がお前の立場でも同じことをするだろう」
アヤの表情を確認する。
その目は、強い怒りと悲しみに満ちていた。
小刻みに震える固く結ばれた唇には、はっきりと迷いが浮かんでいる。
だが、それは仕方ないことだと、スズカは諦めたように目を瞑って顔を天井に向けた。
覚悟していたのだ。なぜなら彼女もそうしたからである。
「…………どうした? さっさと殺せ」
「その前に聞かせて。どうして父と母を殺したの?」
絞り出したような平静を装う声に、スズカは少し迷って沈黙を選んだ。
だが、その刹那。
「答えろ!」
病室にこだまする叫び。同時に感情をむき出しにしたアヤが飛びかかる。
だが、四肢を拘束されている今、スズカは抵抗できない。抜き捨てられた鞘が床を舞う音よりも早く、アヤはスズカの腹の上に馬乗りになって、短刀の刃を彼女の首筋に押し当てた。
「ははっ……」
スズカは皮肉っぽく笑って、むしろ自ら鋭く磨かれた刀身に首を強く押し当てる。
「ほら、さっさと復讐を果たせ。そのまま一気に刀を引けば確実に殺せる」
むしろスズカはわずかに動く首を自ら縦に振って首を切ろうと思ったほどだった。
だが、それもできなかった。
アヤの異変に気づいてしまったのだ。
「お前……まさか、人を殺すのが怖いのか?」
「ち、違う! お前なんて……お前なんて!!!」
しかし声の威勢とは反対に、アヤの手は震えていた。
そこにあったのは、恐怖や怒りではなく、葛藤。
この感情にスズカは見覚えがあった。
昔の自分である。
スズカは決意して口を開いた。
「どうして殺したのか……それは、お前と……同じ理由だ」
「どういうこと! 私の父と母は普通の――」
スズカは火傷の痕が突っ張る首を静かに横に振って、アヤの言葉を遮った。
アヤの表情がこわばり、口が固まった。
スズカはまっすぐな視線をアヤに送る。
震えが激しくなった彼女の手を見て、頭が事実の受け入れを拒否しているように見えた。
これもスズカが過去に経験していたこと。
だからこそ、彼女は落ち着きを払った声でアヤに真実を告げることにした。
「――いいや違う。御庭番も、ずっと親の仇を探していた。自らを鍛え、お前たちを……根絶やしにするために。私たちはお前たちに家族を奪われた……だから、奪ってやった」
「……それは本当の話……なの?」
絞り出すような声にハッとするスズカ。
よく目を見ると、興奮して充血したアヤの瞳には薄らと涙が浮かんでいた。
「ふふっ……何も知らないのか。我々とお前たちはそうやって殺し殺されの因果律を紡ぎ続けてきたんだ……」
「父も……母も……」
「そうだ。それは間違いない。信じられないかもしれんが、役を演じて社会に溶け込むのはお前たちの得意分野だろ?」
アヤは何も言い返す言葉を持っていなかった。
脳裏には、常に笑顔で温かい母親と厳しくもいつも近くで成長を見守ってくれた父親の姿が浮かぶ。
ちょうど殺される前の日だ。
直後、頭の中の映像が切り替わり、嵐の夜の惨劇の一幕を映し出す。底なしの恐怖と悲しみ、遅れてやってくる憎しみが、短刀を持つ手に力を与える。
「……どうして私を殺さなかったの?」
「知らなかったんだ」
「知らなかった? ふざけたこと言わないで」
さらにアヤの顔が近づく。
だが、スズカも負けじと視線を向ける。
彼女の脳裏にも、あの日の光景が鮮明に甦っていた。
「私だってあのときに驚いたさ。我々の調査では綾小路家に子どもはいなかった。お姉様の調査に漏れがあったとしか考えられない……が、それもありえない」
スズカにとっては、今もアヤが仇の子どもであることが信じられなかった。彼女はあの日、間違いなく家には二人しかいないと伝えられていた。しかし、目の前にいる少女の怒りは本物で到底嘘を言っているようにも見えない。
想定と大きく外れた何かが起きている可能性。
スズカは内心で嫌な予感を覚えていた。
「……なるほど」
ここで、アヤがスズカの首筋に押し当てていた短刀を離す。
その代わり、馬乗りのまま上体を起こし、短刀の鋒をスズカの喉に向けて話を続けた。
「……私はあの日押し入れの中に隠れて全部を見た」
「ははっ、そうだったか。あの小さな押し入れの中に……」
「お姉様と言ったわね? お仲間のこと? 私の記憶だとまだ二人いるわね?」
「…………全員殺すつもりか?」
「質問に答えなさい。こいつがアナタの喉を貫く前に……ね」
喉に突き立てられる冷たい殺気が、スズカの質問に対するアヤの答えになっていた。
立派な脅し文句だったが、まだ仄かに幼さを残した少女が吐くにはまだ早い気もする。
しかし、そんな少女に命を握られてしまっている自分――スズカは思わず笑ってしまった。
「ハハッ、残念。それは無理な話だ。死んでも仲間は売らん」
スズカはこれ以上の回答を拒否する意思を目で表す。
このまま喉を切り裂かれたとしても仕方ないと、覚悟はこの病室で意識を取り戻したときから決めていた。
事実、彼女は宮都中佐の尋問に黙秘を貫いている。
どんな脅しにも屈しない。仲間が自分の意思を継いでくれることをスズカは確信していた。彼女の胸の中で渦巻いていた疑問も、改めてアヤと対面してすっかり晴れ渡っている。
あえて晴れやかな表情を浮かべ、アヤに「刺せ」と目で訴えかける。
だが、現実はスズカの思い通りには動かなかった。
「そう…………」
アヤが諦めたように溜息を吐く。
そして、スズカに向けていた短刀をそっと引き上げてベッドから降りる。
まるで人が変わったように急に冷めた目に戻って、アヤは床に転がっていた短刀の鞘を拾い上げて刀身をそれに収めた。
「なら、もういいわ。話はこれでおしまいね」
振り返ることもなく、突然スズカへの興味を失ったように病室のドアに向かうアヤ。
スズカは思わずわずかに動く腕を動かしてアヤを呼びとめようとした。
「おい」
呼びかけにピタリと止まる足。
だが、アヤは振り返らない。扉に向かったまま、彼女はぶっきらぼうにこう返した。
「なによ?」
「……殺さなくていいのか?」
「ここでアナタを殺して解決になるの?」
「い、いや、それはそうだが」
肩が大きく上下するほどの溜息。
続けてアヤは、右手に持った短刀をスズカにまじまじと見せつけるように横に掲げながら、はっきりとした声で自分の思いを言葉に変える。
「私たちの因果が殺し殺されの中で紡がれてきたものなら、ここでアナタを殺さないという選択は、私にとって大きな意味を持つ……それに聞きたいことは聞けた」
「なに?」
「目は口ほどに物を言うのよ。私の演技に騙された……お姉様はあと二人で正解らしいわね」
「ふざけるなよ……クソガキ」
「なんとでも言いなさい。アナタたちは敵を皆殺しにすることで、長く続いた因果律を断とうとした。だけども、少なくとも私は違う道を選んだ。そしておそらく中佐も……」
「なんだと!?」
ガシャン、と、ベッドの支柱と手錠を繋ぐ鎖が激しく音を立てた。
人を小馬鹿にしたような態度に、久しぶりに大きな怒りを覚えた瞬間だった。
だが、解錠困難な手錠がスズカの動きを抑える。
ここで、アヤがくるりと踵を揃えて振り返り、囚われの身になっているスズカを見下ろしながらゆっくりと笑みを浮かべた。
「アナタが今、我々によって生かされていることの意味を考えなさい」
不敵な笑み。
スズカの脳天に落雷が直撃したかのような衝撃が走った。
それは圧倒的な余裕を背景にした少女の勝利宣言であるのと同時に、彼女が先ほど口にした「違う道」を進む覚悟を示すものだった。惚れ惚れするほどの笑みは、スズカを煽っているようにもみえるし、少女の精一杯の強がりにも見える。
だが、どのみちスズカにとっては人生最大の屈辱の瞬間になった。
奥歯が砕け散りそうなほどに歯を食いしばり、鋭い視線をアヤに向けた。
「…………後悔するぞ」
「アナタたちの野望は私たちが食い止める。次の私たちを生まないためにも」
アヤははっきりと言い切った。
驚き固まるスズカを無視して、アヤは踵を返して病室のドアを開ける。
だが、扉を閉める直前。
「あっ、そうだ」
アヤは思い出したように扉を開けたまま、再びスズカに体を向けた。
「最後に私個人からアナタに言いたいことがあったの」
そして、一呼吸だけおいて、真剣な表情に切り替える。
「もしも、私の父と母が……アナタたちの人生を滅茶苦茶にしてしまったのだとしたら……それは、本当に申し訳ないことをしたと思います」
腰を直角に折り曲げて、深く一礼。三秒の沈黙。
そして、顔を上げたときのアヤの表情には、心からの謝罪の意が込められている。
「なっ……!」
言葉に言い表せられない感情がスズカの胸の奥で沸き起こった。
だが、呼び止める声を発するよりも先に、アヤは静かに病室を去ってしまう。
「はぁ……」
アヤは山積みの小道具を華麗に踏み越えながら来た道を戻った。
だが、その顔には大粒の涙が浮かんでいた。
激しい感情に揺さぶられていたのは、アヤも同じだった。
だが、それをスズカに悟られることは許されない気がしていた。
「…………」
ふと、握りしめていた短刀が目に入る。
中佐が持たせてくれた護身用の武器だったが、アヤは自分が試されているようにも感じていた。
「くそっ!」
唐突に沸き起こる嫌悪感。
正面に積み上がった衣装箱に視線を固定して、大きく腕を振りかぶる。
「――フンッ!」
投げつけられた人を殺す道具は、一直線に箱に向かい、そのまま箱に突き刺さる。
妙にスカッとした――が、アヤの表情は苦虫を噛み潰したようなものになっていた。
「……これでいいの…………これで」
自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
涙を拭き、アヤは前に進む。
胸を張り、前だけを向いて、両手を強く握って――そんな虚勢を張る彼女の後ろ姿を、影の中から宮都中佐は静かに見守っていた。
そしてアヤが施設を出るのを見届けると、踵を返してスズカが収容されている病室に入っていくのだった。
久しぶりの更新になりましたが、ここからが二巻のプロローグという感じかもしれません?
いつも応援ありがとうございます。
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すごく泣いて喜ぶのでぜひよろしくお願いします!




