Scarlet Bulletの秘密
鈴を転がしたような少女の声が闇の中に響き渡る。
標的が起きている。スズカは耳を疑った。
それは同行する彼女の仲間たちも同じ。
刹那、一際大きい雷鳴と目を覆いたくなる稲光が辺りを揺らし、玄関の奥を照らした。
「これはどういうつもりかしら?」
「バカな……まっ……ていた……だと?」
次に目を疑った。
車椅子に座った少女が、侵入してきたスズカたちを堂々と待っている。
落ち着き払って車椅子に座って暗殺者たちを迎える様子は、まさに玉座に座る魔女そのもの。
ときおり煌めく雷光が、メイの大胆不敵な笑みを鋭く照らし出す。
小さな膝の上には、線の細い少女に相応しくない無骨なボルトアクション式の歩兵銃が静かに置かれている。開けられたままの玄関扉から飛び込んでくる風雨の音が、彼女の不気味さをさらに引き立てていた。
スズカだけでなく、彼女の仲間も、その禍々しくも美しい出立ちに言葉を失う。
底知れない不気味さ。圧倒的な数的有利を誇っても、睨みだけで相手を制圧する禍々しさ。
「ようこそ。私の監獄へ」
メイは白い歯を見せて歩兵銃を手に取った。
「スズカ、私が警戒していないと思ったのかしら?」
名前を呼ばれて、ようやくスズカの体を縛っていた緊張が解ける。
周囲を軽く見渡すが、罠の気配はない。
傘を捨て、まだ動けないでいる部下の前に出て、左手に持っていた小刀の鋒をメイに向けて声を張り上げた。
「はっはっはっはっ! 自らやってくるとはこっちの探す手間が省けたというものよ……悪いが、お前には死んでもらうぞ!」
「えぇ、どうやらそうみたいね。メイドも帰ってこなかったし」
「だろうな。私たちが殺したのだから」
「いい子だったのよ。すごく残念」
余裕を見せようと他人事風に話すメイに対し、スズカはさらに一歩だけ前に出た。
「おとなしく首を差し出すならラクに殺してやる」
「残念。見ての通り私も簡単に死ぬ気はないのよ……ほらっ」
メイは涼しげにスズカの脅迫を打ち払い、膝の上に乗せていた歩兵銃を構えて手に持っていた弾を素早く装填。
銃口をスズカの顔に向けて、ニヤリと口角を引き上げた。
「この距離なら流石に外さないでしょ」
「メイ! ついに気が狂ったか!? 歩けないお前と精鋭を揃えた我々でどうやって勝つつもりだ!」
「ふふ……何を言っているのかしら?」
メイは呆気にとられたように首を傾げる。
スズカはメイが動揺を見せたと感じ、さらに一歩前に踏み出そうとした――そのとき、メイは怪訝そうに眉を顰めながら口を開く。
「我々……? ふふっ、もうアナタしかいないじゃない」
「――ッ!?」
直後、スズカは背中で冷たい殺気を感じ取った。
反射的に振り向く。同時に視界の端に自分に迫る黒い影を視認し、身体を捻って寸前で回避。
身体を貫かんとした槍のようなものが眼前を勢いよく通り過ぎていくのが見える。
完全な不意打ちだった。
『ッチ……おそかった』
入ってきた玄関口から、小さな舌打ちと悔しそうな少女の声が聞こえる。
聞き覚えのある声。ただ、その性質は真っ赤に燃え上がった怒りに燃えているのがわかる。
「――ッ! まさか!?」
音も気配も感じられなかった。
スズカは戸惑いを隠せない。
視界に映る光景を脳が処理を拒んでいる。
スズカはその光景に声を失ってしまった。彼女の視界には、玄関に吹き込む雨の中に倒れる黒装束の男達と、彼らの間で綺麗な立ち姿を披露するメイドの姿があったのだ。
雷光一閃。
一瞬だけはっきりと顔が見えた。
それがスズカの混乱をさらに加速させてしまう。
「ふふっ、不意打ちする側が不意打ちを警戒していないなんて情けない話ねぇ……リン」
「……でもご安心を。軽く喉を締め上げて気絶してもらっただけですので。この箒を使って同時に……ね」
「リン!? お、お前はあのとき始末したはず……っ! まさか!」
ここでスズカは正門前に停車していた自動車の謎の正解にたどり着く。
メイドが男達を返り討ちにして屋敷に戻ってきた――そして、彼女達をここで待ち構えていたのだと。
リンは殺気を抑えた瞳でスズカを見据えたまま、その先にいる主人に声をかける。
「お嬢様、このゴミはどうしましょう?」
メイドがわざとらしく主人に尋ねる。
主人は不敵な笑みを覗かせて口を開く。
「目障りだわ……その箒で外に出してちょうだい」
「かしこまりました。スズカ様……では、どうかご覚悟を」
リンが箒を木刀のように構えた。隙のない訓練された手練れの構えだった。
突然始まったメイドとの一騎討ち。
明らかな挑発でも、スズカは受けなければいけない状況だった。
スズカは気を取り直し、小刀を体の正面で構えリンと対峙する体勢を取る。
「お前、何者だっ!」
刹那、リンがスズカに飛びかかる。
「お前をぉぉ!! 倒す者だぁぁぁ!!!!!!」
絶叫とも悲鳴とも受け取れる渾身の叫びが、灯りを失った屋敷に轟く――とほぼ同時に、箒の柄が槍の如くスズカの胸に突き刺さり、彼女はそのまま雨風が吹き荒ぶ屋敷の外に押し出されてしまった。
リンの追撃は止まらない。
玄関から走り出し、起きあがろうとするスズカの頭上で箒を振り上げる。スズカの頭の中に残っている冷静沈着な鉄仮面とは正反対な感情剥き出しで猪突猛進なリンの速さは、スズカの攻撃する隙を完全に封じた。
玄関までわずかに伸びる自動車のライトだけが頼りな状態。変則的で闇から襲いかかる箒の鋒に対して、スズカは左手を振り、振り落とされる箒の軌道上に持って防ぐので精一杯な状態。
数回の突きをスズカは雨の中真剣に回避し、疲れが見え始めた最後の一撃を間一髪のところで受け止めた。
「くっ……身体が万全なら」
「お前……何者だ!」
覆い被さるように襲いかかってきた相手を、両手で小刀を支えて受け止めるのがやっと。反対に、リンはさらに目を見開いて体重をかけながら、ゆっくりとスズカに顔を近づける。
「私は……綾小路家の者だ。忘れたとは言わせない!」
綾小路――その瞬間、スズカの目が雨の中でも大きく見開かれた。
同時にスズカは若かりし頃に手にかけた敵の苦悶の表情を思い出す。
『親の仇に娘がいた』
リンの口から飛び出してきた衝撃事実に対する拒絶反応。
それはすぐに声になって現れた。
「バカなっ! 全員殺したはずだ!」
「違う! 私だけが生き残ってしまった……そしてこの十年間、ずっとお前たちを探していたんだ!」
「まさかお前も――『八咫烏』に!?」
「関係ない! お前は私の仇だ! なぜ私を育ててくれた二人を殺したァ! しかも……あんな無惨に! 私はお前たちを絶対に許さない!! あの日から私は……闇の中でしか生きられなくなったんだ!!」
直後、耳を劈く雷鳴が響き渡った。
まるでリンの怒りを天が示すかのよう。
どうやらリンは本当のことを言っているらしい――と、全ての状況を理解したスズカは途端にこの状況がおかしく思えてきた。親の仇の子どもに仇を取られそうになっているという皮肉な状況。
演劇だったとしても、ご都合主義的すぎると思われるような展開に、スズカは皮肉っぽくリンに笑ってみせた。
「おいっ、何がおかしい!」
「ははっ……そうか。懐かしい……あの日もこんな夜だったな」
「……殺してやる」
「その様子だと……お前は何も知らないのか」
舌を出す。
一瞬、リンが見せた困惑。
集中が切れた音をスズカは確かに拾った。
無駄な力が抜け、思考が冴えわたる。
右手を抜き取った。箒の柄を受け止めていた小刀が、リンの体重に乗って一気にスズカの喉にのしかかり、スズカの喉を圧迫した――が、これもスズカの計算通り。
自分の武器を思い出し、一撃でこの状況を逆転する方法を頭に浮かべる。
「――っ!?」
頭に血が上った獣の倒し方はスズカも心得ていた。
勝利を確信した瞬間の視野が狭くなった瞬間を狙うこと。
「くらえっ!!」
直後、ガラ空きになったスズカの右拳がリンの脇腹を襲う。
その瞬間、殺気立っていたリンの顔が苦悶に歪み、勢いを失う。
「……し、仕込み刃…………だ、と」
地面に溜まった雨の中に赤い血が混じる。スズカの喉を襲った圧迫が消え、ぐらりと横に倒れるリンの身体。スズカの右手は赤黒く染まり、その先には鋭い鋒が光っている。
「ごほっごほ……くっ」
形勢逆転。
今度はスズカが上になって、リンの喉に膝を乗せて締め殺すように体重をかけた。
「はぁ……ぅ、グゥ……うぅ……がぁ……ごろずッ!」
「ふふっ良い顔だ……お前に良いことを教えてやる」
なおも抵抗をやめないリンの顔にスズカは顔を近づけた。
「お前が家族を奪われたのはな…………お前の家族が私たちの家族を奪ったからだ」
「――ッ!?」
「どうやら知らなかったらしいな……そうだ。そうやって私たちはお前たちと殺し合ってきたんだ。お前が私を殺そうとしたのと同じように、私もそうだったんだ……」
稲光が瞬き、スズカはリンの目が真っ赤に充血していることに気づく。
このまま喉を潰して命脈を断つこともできた――が、スズカは寸前になって立ち上がる。
「ここでお前を殺すこともできるが、『八咫烏』が生きているなら話は別だ」
「ダメ……メイ、逃げて!」
「バカが! この嵐の中でお前の声が聴こえるわけないだろう」
「逃すか!」
リンがスズカの足首を掴む。
すっかり戦いの熱が冷めてしまったスズカは、哀れみを含んだ視線をリンに送った。
「お前はそこで寝てろ……あの娘を殺した後、基地に連れ帰ってからたっぷりお姉様と尋問してやる」
そして、スズカは持っていた小刀をリンの右脚に突き刺して、泥濘んだ地面とリンを釘付けにする。
「ぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!!!!」
絶叫。耐え難い痛みの中にいることは、スズカにも伝わった。
リンの身体は何度も大きく跳ねたが、深く突き刺さっている小刀が彼女の動きを拘束する。動けば動くほど、リンの体には激痛が走るようになっていた。
「うぁあああぁぁ……くそっ、お前なんかにっ!!」
「フンッ……勝てると思って気が緩んだな。それがお前の敗因だ」
脚に深傷を負ったリンは、これでしばらくは動けないはず。
痛みに悲鳴をあげながら、歯を剥き出しにしてなおも戦う意志を見せるリンを一瞥して前に進む。
スズカは顔を覆う雨粒を拭ってメイの元に舞い戻った。
緊張が解け、スズカは胸が痛むようになった。
全てリンの攻撃が命中した場所だった。
「くっ……私としたことが一撃をもらうとはな。どれだけ力が強いんだ、アイツは」
深く突き刺さった箒の刺突と喉の痛み。
しかし、屋敷に戻って玄関で待ち受ける車椅子の少女を見た瞬間に、それは一気に吹き飛んだ。
物悲しげな虚な目。
スズカは反対に笑ってみせる。
「そう……リンは負けちゃったのね」
「残念だったな。どうする? そんな大層なモノで私を撃ってみるか?」
「来ないで! 本当に撃つわよ!」
メイが辿々しく歩兵銃を構える。さっきまでの余裕はどこへやら。
スズカはメイがリンの勝利に賭けていたのだと理解した。最初の不意打ちで決められなかった段階で、彼女たちの敗北は決定していたのだとも思った。
スズカにとってはメイの構えは素人同然で、近距離だとしても弾丸が命中するようには見えない。
しかも、メイの両手はガタガタと震えている。
「はっはっはっ! お前には散々苦しめられてきたが、今日で終わりだとおもうと清々するな!」
「世界に流血と不幸を輸出する外道め!」
「ふはは、なんとでも言え! お前を殺して、金井財閥もいただく!」
さらに一歩車椅子に近づく。
気がつけば、腕を伸ばせば歩兵銃の銃身を掴めるほどに近づいた。
「さぁ……どうする? 早く撃たないと私を殺せないぞ?」
「…………くっ」
悔しそうに銃口を下げるメイ。
メイは撃つこともできない――スズカの予想が的中した瞬間。
歩兵銃の操銃にはある程度の訓練が必要で、十代のお嬢様には到底扱えるものではない。
腕も細く、車椅子という不安定な姿勢では、そもそもまともに当たることも難しいはず。
スズカは勝利を確認し、腕を伸ばしてメイから歩兵銃を奪い取る。
「ほーう……弾は一発か。ブラフではなく、本気で撃つつもりはあったと」
「お願い……せめて…………一発でラクにして」
「あっはっはっ!! 良いだろう……それくらいの願いは叶えてやる!」
覚悟を決めたのか、俯いて何も言わなくなったメイを見下ろし、素人に見本を見せるかのように大袈裟に歩兵銃を構えるスズカ。銃口は、少し腕を伸ばせば触れられるほどの距離にいるメイの額をしっかりと捉えていた。
「最後に言い残すことは?」
引き金に指をかけ、銃身に頬を近づける。
メイは何も言わず、ただ震えるだけ。
スズカは舌なめずりをして、指に力を込めて引き金を引いた――と、同時に メイが顔を上げた。
「アナタの負けよ! ばーか!!」
「なに――っ!」
引き金にかかっていた指の力はそう簡単に戻せない。
スズカは引き金を思いっきり引いてしまった。
バァーン!!
小さな爆発音。
同時に、粉々に砕け散る歩兵銃と誰かの肉片。
そして、不敵な笑みを浮かべる車椅子の少女。
それがスズカが最後に視認できた光景だった。
「――――が、あ、ぁあぁ……ッ!」
スズカは何が起きたのか理解できないまま、顔と両手を中心に駆け巡る焼けるような痛みに悶絶するしかできなかった。目が突然見えなくなった。完全な闇の中に囚われてしまう。
床を這っていると、コロコロと笑う少女の声が耳に入ってきた。
「あらあらこれは大変ねぇ。指まで飛んじゃって……うげっ、ここまで歯が飛んできているじゃない。まったくもうこれを掃除するのは誰だと思うの?」
「うぁ……ぃ……ぼ」
「バカねぇ。暗殺者気取りなら最後まで油断したらダメじゃないの。安全性を確認できない敵の武器を使うなんて……まぁ、まさか引き金を引いたら強制的に暴発する弾丸が仕込まれているなんて誰も思わないわよねぇ」
「ぉ……ま“ぇ」
「はははっ無様ねぇ! さて……どうする? 命があるうちに帰ったほうが良いような気もするけど? さっさと帰るなら、今日のところは命こそ取らないであげるわ」
「チィ……っ!」
「フフッ……勝てると思って気が緩んだのよね。それがアナタの敗因よ。」
スズカは何も言い返せなかった。
両手指の感覚もなく、目も見えない。
それがメイの話すスズカの今の状態が事実であることを示す。
それよりもスズカを混乱させたのは、耐え難い苦痛と襲いかかる死の恐怖。
逃げるしかない。スズカは闇の中一目散にかけ出す。
雨の音を頼りに玄関から屋敷を飛び出し、雨水に浸った土を踏み締めて乗ってきた車を目指した。
助けを求める声も出せず、息をするだけでも喉が張り裂けそうになるくらいに痛む。
『リン、そっちに行ったわよ!』
背後からメイの叫び声。
刹那、スズカは闇の中でもはっきりとわかる殺気に身体が硬直してしまった。
直後、なにか硬い棒がスズカの不安定な足元を掬い上げ、彼女を水溜りの上に転倒させる。スズカは何が起きたのかすぐに理解した。だが、対処する方法は持ち合わせていなかった。
「はぁぁぁぁっ!!!!!」
リンの絶叫が聞こえた。
鈍い音と共に脳天に鋭い痛みが走り、闇の中の視界で星が瞬く。
起きあがろうとしたスズカは、再び地面に倒れ込み、そのまま完全に意識を失ってしまった。
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