復讐の雷雨
スズカはその光景に見覚えがあった。
「――雨だと思い出すな」
忍装束に身を包んだスズカは、車窓に打ち付ける雨風に白けた目を向けながらポツリと漏らした。
全てがあの日から――奥歯を噛み締める。
舗装されていない山道を駆け上がる車のエンジン音が掻き消えるほどの雨量と雷鳴。
スズカは妙な懐かしさすら覚えていた。
ふと、仕込み刃が装着された籠手を装備している右手を開閉。
呼応するように、籠手に収まっていた仕込み刃が飛び出す。ボロ切れで完全に拭き取ったはずの血の臭いを感じ、戦いの時間が迫っていることを自覚する。
あの日、雷雨の中で、親の仇を殺してから、彼女たちはもう止まれなくなっていた。金井財閥の大幹部としてではなく、御庭番の生き残りとして、スズカは任務完遂のためにメイの住んでいる山荘を目指していたのだ。
「ス、スズカ様……わ、わたしは」
すっかり怯えきった声。
スズカの運転手が不安そうに後ろに振り向こうとしている。
ハンドルを持つ運転手の背中は、間違いなく恐怖に震えていた。
スズカは口角を引き上げ、舌なめずりをして、隣の座席に立てかけていた小刀を手に取って、躊躇なく運転手の首筋に刃を添えた。
「お前は黙って私の言う通りに運転しろ」
「し、しかし……」
「黙れ。殺すぞ」
「ヒィィィ! ど、どうか、ご勘弁を……わ、私には妻がおりまして……」
「知るか。お前は前の車についていくことだけに集中していろ」
脅しではない。スズカは苛立ちを隠さなかった。
彼女の乗車する車の前方には、光量わずかな前照灯だけを頼りに走る同型の自動車が一台。メイを完璧に暗殺するために用意された応援部隊で、運転手を除く全員がスズカと同じく黒い忍装束を着ていた。
障害となるメイを排除せよ――スズカたちが受け取ったのはとても簡単な暗殺指令。
失敗は絶対に許されない任務に、自然とスズカの手にも力が入る。
スズカはさらに刃を強く押し当てて、運転手を嘲り笑うように鼻を鳴らした。
「フンッ……どうせ、お前は私たちについてくるしかないんだ」
「--ッ!? ど、どういうことでしょうか?」
「今頃私の夫の家も燃えているだろうさ……可哀想に過激派の仕業らしい。これから行くお屋敷もどうやら過激派に襲撃されたらしいぞ」
スズカの言葉が、何を意味するのか。
運転手は即座に理解できたらしい。
ハッと目を見開き、ハンドルを握る手にも力が入った様子。
「よし、それでいい」
スズカは満足そうに小刀をおろす。
「安心しろ。全てうまくいけば、お前は死ななくて済む」
「そ、そうなのですか?」
「あぁもちろん。お前はこれからも私の運転手として働くことができる。何不自由ない生活だぞ? これから私の懐には、もっとたくさんの金が入ってくるようになるからな」
運転手は諦めたように何も言わなくなった。
自動車はそのままメイの屋敷を目指して突き進む。
「スズカ様、まもなくです」
「そうか……」
ほどなくして、灯りの少ない暗闇の中でもはっきりと輪郭がわかるほどに立派な大屋敷が現れた。その手前、絢爛な装飾が施された正門の前には乱暴に横付けされた自動車--それは、午前中にリンを襲った男達が乗っていた自動車だった。
「あいつら……まだいるのか?」
止まっていた自動車を取り囲むようにスズカたちの自動車が停車。
自動車の前照灯は全て屋敷の玄関を向けられ、正門から玄関までの闇を切り裂く。
スズカは車の中から止まっていた車の中を覗き込んだ。
だが、車内に人の気配はない。
首を捻る。スズカは唐突に嫌な予感を覚えた。
「まさか! あいつら私たちより先に殺したか?」
メイドの死体が吊るされていないことも含めて、血気にはやった男たちが暴走している可能性が頭に浮かぶ。
朝にリンを襲ったのは、金井家が雇っている用心棒たちでいわばただの荒くれ者たち。教養もなく、家も金もないが、腕っぷしだけは強い人材を、金井家では密貿易拠点の警備や自宅の警備員として雇っていたのだ。
つまり、今スズカが連れている御庭番の仲間ではない。
「くそっ……だから、ただの用心棒共にやらせるんじゃなかった!」
スズカは慌てて顔の特徴を隠すための頭巾を被り、その上に車外に飛び出す。
すかさず先に降車していたスズカの部下が黙って雨傘を彼女に差し出す。
降りてきたスズカの部下は三人。直好殺害の証拠隠滅のために派遣した応援にかなり人員を割かれてしまっていたが、脚の不自由な令嬢の寝込みを襲うだけならば、ちょうどいい人数だと、スズカは考えていた。
それでも予期していない謎の自動車の存在が妙な胸騒ぎを掻き立てる。
念の為の措置。スズカは傘を差し出してきた部下の肩に手を置く。
「……お前。ここで運転手たちを見張っていろ。逃げ出そうとしたやつは全員殺せ」
部下は黙って一礼し、傘をスズカに明け渡して雨の中運転手たちの監視任務に就く。
もう一人の部下が懐中電灯を持って歩き出す。統制の取れた動きにスズカは満足そうに頷く。
一行は、雨の中でも極力足音を殺して整然と歩く。
その隊列の最後尾にいたスズカは、傘と小刀をそれぞれ手に持って憎しみの目を屋敷に向け続けていた。
「……お前ら耳だけ貸せ」
玄関の扉に至る道中、スズカは歩きながら改めて作戦を伝えた。
「作戦は簡単だ。娘を殺し、油を撒いて、帰還するだけ……他に馬鹿がいるかもしれないが、生きているやつは全員殺せ。用心棒はお前たちと違って使い捨てだ……娘がすでに死んでいた場合でも後始末は同じとする。いいな?」
全員が息ぴったりに頷く。
雨量に負けて大きな池と化した庭園を抜けると、すぐに屋敷の玄関に到着した。
スズカが先頭に移り、耳を当てて中の様子を確認する――が、不気味なほど人の気配すら感じない。
周囲を見渡すと、屋敷の明かりも消えており、完全な沈黙を保っていた。
「ふふっ……まさか寝ている間に殺されると思わないだろうな」
勝ちを確信したスズカは顎を振って部下に玄関の解錠を命令。
ものの十五秒で扉の向こうから錠の落ちる音が聞こえた。舌なめずりをするスズカ。
部下が玄関扉を慎重に開ける――そのときだった。
『――あら、こんな夜更けにお客さんだわ。いったい私のお屋敷になんの用かしらねぇ?』
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