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御庭番衆の始動ーースズカの野望

「――くそっ! やっぱり殺しておくべきだったんだ!」


 車内に響く金切り声。スズカは珍しく焦っていた。

 焦りはやがて消化不良を起こし、未熟な怒りへと変貌する。

 家に戻る直前まで、スズカを屋敷に連れ帰る運転手がスズカの苛立ちを受け止める形になっていた。


「これも全部お姉様のせいよ……私の提案を簡単に蹴ったから! あの人は慎重すぎるのよっ!」


 断続的に上がる噴煙。同時に、運転席が蹴り上げられ、衝撃でハンドルが何度も揺れる。そして、自動車が道から逸れそうになり、またスズカが怒りを爆発させる負のループ。一時間経っても収まらない。


 だが、スズカは都内の一等地に建てられた屋敷に戻ると、金井財閥の幹部の役に戻り、何事もなかったかのように玄関に向かう。慌てた様子で出迎えた夫の顔には、明確に焦りの色が浮かんでいた。




「スズカさん、どうしたのこんな朝に出て行って。朝食にも姿を見せないから心配したよ」

「ただの気分転換によ……ちょっと電話をかけてくるからどっか行ってちょうだい」

「ど、どういうこと!?」


 夫の声を振り払って、スズカは屋敷の自室に駆け込む。

 素早く内鍵を締め、廊下から最も離れた場所に設置させた電話を手に取る。左腕に抱えていた封筒を一瞥し、つばを飛ばしながら急ぎ電話交換手に相手を伝え、祈るように目を瞑って繋がるのを待った。


 永遠に感じられる時間を誤魔化すために、煙草に火をつけて煙を吸い込むことも忘れない。


 一服したところで、相手先に回線が繋がる。

 スズカは相手の反応を待つことなく、いきなり口火を切った。



「もしもしお姉様! 大変よ、あのガキが…………違うわよ! アイツ、告発文を用意してメイドに運ばせていたの! うん…………そうよ……いや、たしかに書類はあのときに回収したはず……でも、アイツは間違いなく持っていたわ……ううん、書類はすでに回収したわ。でもアイツが生きている限り何度でも……そう。困った話よ」



 スズカは相手の判断を待つ。その間に煙草も進む。

 刹那の沈黙の後、指令を受けたスズカは相手に同意するように頷いた。


「そうね。私もそろそろ潮時だろうと思っていたの……えぇ、任せて…………大丈夫よ、むしろそっちの方が得意だから。今夜……しっかりと始末する…………いや、メイドはもう始末させた。あとは、あの脚が利かないバカ娘だけよ……うん。また電話する。後始末だけよろしく」


 ガチャンと電話を切り、スズカは引き続き自室に籠って準備を始めた。

 エリートの仮面を外して、乱暴に髪を振り解く。

 姿見に映ったのは、修羅の鬼へと表情を変貌させたスズカの姿。


「まさかこんな早くになるとは……」


 八つ当たりのように勢いよくクローゼットを開けると、そこには眩しさすら感じられる華やかな衣装の数々が爛然と並んでいた。スズカは、さらにその奥へと腕を伸ばす。

 薄い生地のなにかをひっぱり出すと、闇に隠れていた忍装束一式が露わになった。


 スズカは両手でそれを掴み、じっと考え込む。

 だが、冷酷な表情にメイを殺すことに対する葛藤の色はない。

 残酷で効果的な殺しの算段が何度も再現される。

 暗殺者に戻ったスズカの頭の中は、メイをどうやって始末するかしかなかった。


 しかし、ここでスズカの思考を邪魔する音――扉がノックされた。


『スズカさん……ちょっと話せる?』


 スズカの夫――直好の声だった。

 スズカは無視しただが、直好も諦めずにノックを続ける。

 静寂に響く無遠慮に木を叩く音は、今のスズカの怒りを爆発させるには十分だった。


「うるさい! 出ていけ!」

『なにかあったのかい?』

「……チィ」


 スズカは鍵を開けて乱暴にドアを開ける。

 そして、目を大きく見開いて直好を威圧し、なにか言いたげな旦那の口を一瞬で封じた。追撃と言わんばかりに、突き放すように鼻を鳴らして再び扉を閉める。




「そ、そんな……何があったんだよ」


 心配を無言のまま一蹴された直好は、がっくりと肩を落とし扉の前に立ち尽くした。

 突然車を複数台連ねて家を飛び出した自分の妻の行動の理由を聞くことも叶わず、胸の奥に隠していた不安はますます大きくなるばかり。周囲から愚鈍と評される彼でも、さすがに不安に駆られていた。


『――旦那様?』


 偶然、スズカの運転手兼やつ当たられ担当が直好の前を通りかかる。

 直好は、すぐに運転手の肩を掴んで自分の近くに引き寄せた。


「おいお前!」

「ど、どうされましたか? 顔色が悪いようですが」

「教えてくれ! スズカさんはどこに行っていたんだ?」


 単刀直入に尋ねる。必死だった。

 このまま人をも食いかねない形相の妻が頭を離れない。

 だが、運転手はバツが悪そうに俯き、誤魔化す言葉を探すかのように白い髭に撫でて口籠る。直好は運転手の表情こそはっきりと見えないが、答えたくないという意思を強く感じ取った。

 胸を押しつぶす不安が、瞬間的な怒りに変換される。


「僕は金井家の次期当主だぞ! なんで隠すっ!」

「……申し訳ございません」


 運転手は腰を深く折り曲げて頭を下げた。

 刹那の沈黙――運転手は一歩前に進み出て直好に耳打ちをした。


「……どうかご内密に」

「わかった。それで、どこに行ったんだ?」

「その……妹様の療養所でございます」

「えっ? メイのところに?」

「何やら大事があったようでして」

「詳しく教えろ」


 また沈黙する運転手。

 直好は目でそれは許さないと告げる。

 すると、運転手は観念したように全てを打ち明けた。


「……詳しくは存じ上げませんが、妹様が重大な秘密を外に持ち出そうとしており、スズカ様がそれを阻止せんとしたようです。車内での話ぶりからすると、金井家の存亡にかかわる不正の証とのことで。処分したはずの機密書類が〜と仰っておられました。屋敷の見張りから連絡を受け、我々は即座に出動した形です」


 金井家の存亡、重大な秘密、処分したはずの機密書類――これらの単語から直好の頭の中には、数年前にメイが持ち出そうとした密貿易拠点の事務所にある機密書類のことが浮かんだ。

 直好は胸の中で何度も「バカな」と叫んだ。

 運転手はなにかまだ説明しているが、彼の頭の中には何も入ってこない。


 確実に回収した書類を持ち出そうとすることは不可能。

 しかし、完全記憶能力を持つメイにはそれが可能であることは、家族である直好が一番理解している。

 直好にとって恐れたことが現実に起きてしまった瞬間だった。


「ま、まさか!? ……それでスズカはなんと言っていた?」

「私の口からは申し上げられません。ですが、かなりお怒りだったのはたしかです。しかし書類は無事にメイドから取り上げて一件落着だと思ったのですが……私もスズカ様の様子が心配でしたのでご機嫌伺いに参った次第で」


 書類を取り上げたと聞いて、直好は安堵する。

 なおも不安そうな運転手の肩から手を離して、胸を撫で下ろした。


「……いいか、このことは誰にも言うなよ」

「承知しました。では……私は戻ったほうがよさそうですね」

「そうしてくれ。僕から話す」


 運転手はトボトボと肩を落として来た道を戻っていく。

 直好は意を決し、再び扉に拳を打ちつける。



「スズカさん、もしかしてメイを殺そうとしたのかい?」

 扉の向こうから反応はない。

 不気味なほどの静寂が辺りを包み込む。

 直好は負けじと言葉を投げ続ける。


「君の考えもわかる。けど、さすがに会社の事業のために殺すのは……ここは、お父様に『メイの病気が悪化した』と言って病院に閉じ込めることもできるけど、どうだろう?」


 虚しくも言葉が返ってくることはなかった。

 その代わり、開かれることのなかった扉がゆっくりと開く。


 直好はスズカが自分の呼びかけに応えてくれたと安堵した――が、ほぼ同時に彼の目の前に現れたのは、肩で黒いローブを羽織った忍装束姿のスズカ。鼻から下を隠すようにぴっちりと張り付いているマスクを下ろして、スズカはすっかり冷め切った瞳を旦那に向ける。



「っるさいわねぇ……ごちゃごちゃごちゃごちゃ……」


 振り上げられる長い腕。

 直好は気づくのに一歩遅かった。


「死ねよ」


 刹那。ドスン――峻烈な怒りを滲ませる拳が、呆気にとられていた直好の喉に叩きつけられる。

 同時に、右腕を覆う籠手から飛び出た仕込み刃が、直好の喉に深く突き刺さった。


 突然、直好は呼吸がうまくできなくなった。

 口を開けてもビューと喉から虚しい音が鳴る。


「な、なん…………で」

「お姉様がね、計画を早めろってさ。だから、お前に用はなくなったの」

「あ……っが」

「金井家の次期当主、テロリストに暗殺される。未亡人金井スズカ氏が葬儀で涙……悪いけど私たちはまだこの家を失うわけにはいかないの。お前とメイにはここで死んでもらう。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 スズカが軽く腕を引く。

 直後、仕込み刃が籠手の中に引っ込み、勢いのまま直好はスズカの胸に飛び込むように倒れ込んだ。


「いままでありがとうね。愛していなかったけど、大好きよ」


 スズカは廊下を見渡し、誰もいないことを確認。

 慣れた動きで直好を部屋の中に引き込みベッドに乱暴に寝かせる。

 そして再び電話を手に取って、先ほどまで話していた相手に連絡する。


「お姉様……バカな当主は今さっき始末したわよ…………そうね、そっちは今夜、この屋敷を襲って…………私はあいつをぶっ殺しにいくわ……ふふっ、久しぶりに使ったけど、切れ味は問題なかったわ…………応援も何人か回してちょうだい……うん、たすかる。それじゃいつも通りに……私たちの戦いを始めましょう」


 スズカは終始ご機嫌な声で会話を交わし、優しく電話を切った。

 だが、ベッドに横たわる夫の変わり果てた姿を見るなり、その瞳に峻烈な怒りを宿す。

 面倒事を立て続けに起こそうとしたメイに対する明確な敵意と憎悪だ。


 右手にわずかに付着した直好の血を舐め、八つ当たり的に顔を思いっきり踏みつける。


 ぐしゃ――と耳に残る不快な粉砕音も、スズカの上気した怒りを沈めるのには足りなかった。


「あの娘……ふざけるなよ…………絶対にぶっ殺してやる」


 スズカは静かに殺意をむき出しにして、再びクローゼットを開ける。

 暗殺の決行は夜。

 まだ少し時間は残されていた。

次回の更新は10月23日です。

おかげさまでランキングに入賞することができました。

ブックマークや評価ポイント(下の星で評価できます)のおかげです。Xでの感想も目を通しております。

このまま更新を続けていくので応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
後手に回り過ぎ。こんなんで勝てると思ってるのか…?自分の親達を駆逐した相手に。
お姉様!?もっとヤバいのがいるのか⋯ 急な展開でドキドキ!! おもしろいです。明日の更新たのしみにしてます。
更新やったー!!!! スズカが見事すぎる悪役でびっくりしました 前話からアクション描写がすごいですね!!!
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