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蛇の脱皮。その本性

「はっ……はっ…………ふぅっ」


 胸を張り、視線は一点に集中。

 顔を覗かせ始めた朝日を目印に、リンは山を駆け降りていた。


 屋敷を飛び出して一時間ほどが経過したころ。

 ようやく麓の郵便局との中間地点に到着。

 リンは一旦走るのをやめて息を整える。

 額に浮かんだ汗を拭いながら、頭の中でメイと過ごした日々のことを思い出す。


 不思議と人を惹きつける魅力を持つ成金令嬢は、今ごろ何を考えているのか――リンは、メイの嘘にも気づいていたが、『リン』として進めるシナリオへの影響は全くないと判断し、特に気にしないで付き合っていた。

 視線をバスケットに移し、タオルで隠した書類を手に取る。


「私も嘘ついているわけだしね。お互い様か」


 ――金井財閥の不正やお金の流れがわかる書類を探し出して持ち出すこと。


 これが任務だった。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()


 この先は完全なエチュード。

 今、リンはメイドとしてではなく、メイの友人として、彼女の頼みに応えるために、不正の証拠を郵便局に届けようとしていた。

 心が突き動かされる。リンは言語化不能な力の源泉に、困惑すら覚えていた。


「どうしてあんなことを言ってしまったのだろう」


 脳裏にメイと交わした約束の場面が浮かび上がる。

 リンはメイに嘘を吐き続けてきた。メイもリンに嘘をついていた――が、この約束は守らなければならないと胸が叫んでいた。


「さぁ、あとちょっとね……早く帰らないと心配しちゃうだろうし」


 再び山道に沿って走り出し、屋敷に戻った後の振る舞いを思案して気を紛らわせる。

 気がつけば、辺りで小鳥が目覚めの鳴き声をあげる時間になっていた。。




 だが、そんな平穏はすぐに打ち破られてしまう。



「――っ!?」



 リンの耳に飛び込んできたのは、接近してくる複数のエンジン音。ほぼ同時に、自動車のライトがリンの視界に入り込んでくる。身を隠す暇もなく、リンは立ち尽くすしかできなかった。


 ほどなくして、山道を駆け上がってきた自動車がリンを包囲するように次々と横付けされた。

 合計四台。リンの真横につけられた自動車以外からは、屈強な体つきの男が待っていましたとばかりにぞろぞろと降車する。どの男たちもリンに蔑みの視線を送り、黄ばんだ歯を出してニヤニヤと笑っている。

 その姿からは友好的な印象は全く感じられない。

 当然、リンも警戒体制に入った。そんなときに、リンの真横に停まった自動車から女性の怒鳴り声が響く。


『おい運転手、早くドアを開けろ!』

「は……はい、ただいま!」


 運転席から白い口髭を蓄えた運転手が飛び出し、慌てた様子で後部座席のドアを開けた。


 リンは目を大きく見開き、優雅に降りてきた人物に釘付けになる。

 それは、今彼女が最も出会いたくなかった相手だった。


「あらあらぁ〜こんな朝早くからなにかしら?」


 いつになく勝気な表情を浮かべたスズカが、リンの目の前に立ちはだかる。まるで、ここにリンがやってくることを予知していたかのように得意気に舌なめずりをして、リンの反応を面白がっているよう。


「……これはこれはスズカ様、ただいま私は朝の買い出しの途中でございます」


 リンはバスケットを抱える腕に力を込めつつ、あくまでも平静を装う。

 だが、スズカはそんな嘘を一蹴するように鼻で笑い、リンに顔を近づけた。


「へぇ〜、アナタがこんな朝に買い出しにいくことなんてあったかしらぁ?」

「仕送りがなくなりましたので、山菜取りも兼ねて早く家を出ただけでございます」

「あははははっ!!! 天下の金井財閥の令嬢が今や山の道草を食べて凌いでいるなんて!」

「……私の非礼が原因でございましたら、改めてお詫びします。大変申し訳ございませんでした。どうか、お嬢様の支援を再開していただけますと幸いに存じます」


 リンは怯えの表情を作り、腰が直角に折れ曲がるほどに頭を下げてスズカに謝罪する。

 もちろん彼女はスズカがこのあと何をいうのか予想はついていたが、そうするしかなかったのだ。


 しかし、案の定、リンの耳にはスズカの高笑いが飛び込んでくる。


「ははっ、もう遅いわよ。それに別に今日は謝ってほしくてこんな朝にやってきたわけじゃないの……アナタの抱えているソレに私に譲ってほしくてね」

「………なんのことでしょうか?」

「はぁ……おい、お前たち、取り押さえろ」


 スズカの鋭い声に反応して、車から降りてきていた男たちが動く。

 一斉にリンの腕や肩に掴み掛かろうとしてきたのだ。

 

 リンは五感に集中して、文字通り空気を読む。

 素早く状況を確認。目を開けて、脚に力を込める。


(前から二人、後ろから三人 右から一人か)


 リンは足音だけで悪漢たちとの距離とその人数を計算。

 距離は十分、威力を調整して――脚に力をこめて、顔をあげて、手始めに、最も接近していた真後ろにいる男の股間に向かって後ろ蹴りを見舞った。


「ぐぁっ……」


 槍で突かれたかのような衝撃が男を襲った。男はそのまま想像を絶する痛みに呻き声をあげて、その場に倒れ込んでしまう。

 一見すると、リンが右足を背後に蹴り上げたようにしか見えない。

 ただ、リンの的確な急所打ちは、接近する男たちの勢いを削ぐには十分な技だった。


 同時にそれは、リンが仕掛ける形で戦いの火蓋が切られた瞬間だった。


「つぎっー-!」


 リンは蹴り上げた足を地面に下ろすと、今度はそれを軸に腰を回すように体重も乗せて全力の回し蹴りを見舞う。山道を歩くのに適した強度を誇るブーツの先端が、不意を突かれた右から来た男のこめかみに見事に直撃。


「がはっ……っう」


 ぐらりと揺れる巨体に、リンはすかさず足を入れ替えて追撃の後ろ回し蹴りを叩き込んで、完全にねじ伏せる――が、前から接近していた男に肩を掴まれてしまう。


「くっ!」


 さらに動きが鈍くなった一瞬を突かれ、リンの顔に男の拳が叩き込まれた。


「あ……が、あぁ」


 リンの世界が歪み、足裏が地面から離れていく感覚に襲われた。

 バスケットを抱えたままだったリンの身体が未舗装の地面の上を転がる。リンはさらに抵抗を続けたが、両手を塞がれている状態かつ他勢に無勢で形勢は一気に逆転。

 疲労と打撃のダメージから、次第にリンの動きが鈍くなり、やがて彼女の腕は男たちにがっちりと掴まれ、彼女は罪人のごとく無理やりその場に正座させられてしまう。

 

「手首を掴んできたときに思ったけどやっぱりただものじゃないみたいね……でも、よくやったわお前たち」


 一瞬で終わると見込んでいた乱闘を数分間も見守っていたスズカは、待っていましたとばかりに男たちに拍手を送り、リンの目の前にしゃがみ込んで土がついた彼女の前髪を掴んで無理やり引き下げた。


「いッ……!」

「へぇ、案外やるわね。アンタの格闘術……うーん、どこかで見覚えがあるわ」

「ハァ……ハァ……ど、どうか乱暴はおやめください」

「それはこれからのあなたの態度次第よ」


 スズカはリンの前髪から手を離し、肩で息をしながらリンを取り押さえる男たちを睨みつける。


「お前たち、ちゃんと見張ってろよ! この野犬みたいな目をしている間は何をするかわからん」

「「「――はい!」」」

「さてと。何をしようとしていたのかしら……」


 スズカは地面に転がったバスケットを拾い上げ、中に入っている封筒を取り出した。一瞬怪訝そうに首を傾げ、慎重に封筒の中から書類を抜き取る。直後、彼女の表情が凍りつく。


「――ッ!? どういうこと!? こ、この書類は……あのとき確かに全部回収したはず。どうしてこれが…………まさか、完全に複製したというの!?」

「ははっ……やっぱりアナタたちはお嬢様の凄さを理解していなかったのね」


 抗えない男たちの圧力に押し負けているリンだったが、その光景を見るなり思わず笑ってしまった。

 相当まずい書類だったらしいと、リンは確信を持つことができた瞬間だった。


 もちろん、スズカもリンの表情の変化を見逃さない。鬼の形相を浮かべ、リンに歩み寄る。


「お前、中身を見たのか?」

「…………」

「答えろっ!」


 振り上げたられたヒールの先端がリンの顎を直撃。

 その威力はリンの首も伸び切ってしまうほどだった。

 だが、リンは、これでもう一つの確証を得られた。


「バカが……こんなことされて答えるわけないでしょ」


 腫れた顔を見せつけて舌を出す。

 個人的な恨みも籠った侮蔑が多分に含まれている。

 スズカの額にみるみる大きな青筋が浮かび上がった。ここで、追撃と言わんばかりに、リンは血が混じった唾をスズカの顔に吐き捨てる。スズカの腕はワナワナと震え始めた。


「そう……それじゃ、もういいわ。お前たち!」


 書類を封筒に戻すスズカ。

 そして、立っている男たちの一人一人に視線を送り、最後にリンに強い殺気のこもった視線を向けた。


「この女を始末しろ。ただし、すぐには殺すな。こいつは私をコケにした……徹底的に辱めて、痛めつけて……それから殺せ。いいなァ! 死体をあの屋敷の正門に吊るすことも忘れるなよ! わかったなァ!?」

「へい!」

「私は一旦本社に戻る。お前らも終わったら各自戻って次の指令があるまで待機しろ!」


 スズカは踵を返して、運転手が待機している車に乗り込む。

 運転手は取り押さえられているリンに哀れみの目を向けていた――が、すぐにスズカが運転席を蹴り上げて怒鳴られてしまう。


「おい運転手、さっさと出せ!」

「はい、ただいま参ります!!」




 土煙をあげて下山を開始する自動車が遠目に消え、やがてエンジン音も聞こえなくなった。

 リンに倒された男も、ようやくフラフラと起き上がってリンの拘束に加わる。


「よぉー、メイドさんや」

「俺らたちと楽しもうや」


 次々と投げかけられる下劣な言葉にも、リンはまっすぐな瞳を向けて抵抗の意を示す。

 しかし男たちはむしろそれがそそられるらしい。

 ますます鼻息を荒くする。ボロ服を着た巨漢の男の腕が、リンのメイド服の胸元に伸びてきた。


「へへっ良いカラダしてんじゃねーか。おい、服を脱がすのを手伝えや!」


 引きちぎられる生地。

 露わになる肌。いきりたった男たちの獣欲がリンの目の前にぶら下がる。

 勝ち誇った笑みを浮かべる男たちを前にリンは無言を貫いた。

 人が獣になる瞬間を目の当たりにし、ひっそりと奥歯を噛み締める。


「よろしくなぁ、お嬢ちゃん」

「…………っ」


 刹那、男たちの腕が一斉にリンに向かって伸びる。

 リンは虚な目でそれらを迎えた。

 それからしばらく。

 山の中には立て続けに鈍い音と悲鳴がこだました。


次回の更新は10月23日になります。

この章はすでに完成しているため、24日、25日、26日、27日と連続投稿する予定です。

引き続きお楽しみください。

いつも感想など励みになっております。Xでも感想エゴサーチを始めましたので、もしよろしければ口コミの拡散や感想もご協力いただければと思います。

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― 新着の感想 ―
あぁこれは怒られちゃうかなぁ…いや怒られはしないだろうけどめちゃくちゃ凹むんだろうなあ。中佐は内心大喜びしてるかも知らんがwww
あの人が黙ってないはず……と信じたい! この展開での連続更新はありがたいです。
だいしょうぶ!!⋯⋯祈るばかり⋯⋯ 次の更新たのしみにしてます!5日間毎日うれしいです!
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