仕掛けた二人
「――あぁっもうっ! あのメイドはなんなの?」
車内は、山道を登ってきたときと打って変わって、余裕のない険悪な雰囲気に包まれていた。車内で苛立ちを隠すことなく声を荒げるスズカは、メイドに掴まれていた手首を振って痛みを和らげる。
だが、それでもスズカの怒りは収まらず、前方の運転席を蹴り上げてしまうほどだった。
「スズカさん落ち着いて――」
だが、スズカは夫の心配する声を振り払うように、彼を睨みつける。
「――落ち着けるわけないでしょ!!! あんな下人に腕を掴まれて……見なさいよこれ! 手の痕がはっきりと残っている!」
「み、見た感じ二十歳にもなってない感じだったし、た、たぶん、君のこともよくわかっていなかったんだよ! ほら若気の至りというやつかもしれない。元々孤児だったって話だし」
「関係ないわよ! アナタの妹がちゃんと躾けていないからこうなっているんでしょ……ったく、あの馬鹿も本当に誰のおかげで生活できているんだか」
「スズカさん、そろそろ妹を実家に戻すことを許してくれないか? 父上もメイの聡明さには期待していたわけだし、僕もあの子にはそばにいてほしいと思っているんだ」
「ダメよ! なに? 私じゃ不満ってワケ? 誰のおかげで今の金井財閥があると思っているのよ。私のビジネスと人脈があってのことでしょうがァ!」
「で、でも、間を取り持ってくれていた仲介役のミュラーさんも先日亡くなってしまったわけで手を引くのにもちょうどいいと思うんだ……それに妹は脚が動かせなくなってしまった。今の屋敷に閉じ込めておかなくとも、実家の一室で監視することもできるはずだよ。別に病院でもいいわけで」
異様に食い下がろうとする直好。
終始オドオドと落ち着きがない不安げな様子に、スズカは冷めた目で相手のそれ以上の言葉を制する。同時に、旦那の喉元には、鋭く尖れた人差し指が突き立てられる――まさに蛇が威嚇で牙を向けた瞬間だった。
「ねぇ、アナタは誰に指図しているの?」
「うっ……ごめん」
「いいこと? 仮に実家に戻したとして、お父様に私たちがあの子にしたことを知られたらどうなると思う? 使われていない屋敷の地下に一年間も鎖で繋いで閉じ込めた挙句、脚の療養と称して今も監禁を続けています……って言える?」
スズカの旦那は途端に視線を落とし、力無く首を左右に振る。
「警察や役人は金で買収できる。けど、アイツは買収できなかった。蝶よ花よと育てられた理想主義者の娘が、私たちのやっていることを誰かに言って回ったらどうなる――あの子は事務所に侵入して書類を全部見てしまった……金井家のビジネスの裏側まで見てしまったのよ!? そして、その全てを記憶している可能性がある。これがどれだけ恐ろしいかわかっていないの?」
「完全……記憶だっけ? で、でも、記憶だけでは、誰も信用しないと思うけど」
「はあーー、ほんとに馬鹿ね。金井家の娘が騒いだ瞬間、本当か嘘か、その内容に注目が集まるじゃないの。愚かな大衆は嘘でも本当でもどっちでもいい……騒げる口実を与えてしまうことになるのが問題なのよ」
「それじゃどうするんだい? メイドさんを仲間にするのも失敗したわけで。気が狂ったとか先手を打って病院に入れるかい?」
スズカは心配する夫を無視した。
膝を小刻みに揺らしながら爪を噛んで、車窓の景色に目を背けてイライラを抑えようとする。
だが、一向に気分は晴れない。我慢の限界に達し、再び運転席を蹴り上げようと膝を上げる。その刹那。
『スズカ様、一本どうでしょうか? 落ち着きますよ』
視界の端に飛び込んでくるシガーケース。
視線を前に戻すと、白い口髭を生やした初老の運転手が片腕を後ろに伸ばして、タバコが五本入ったシガーケースを差し出している。シガーケースの裏にはちゃっかりとマッチ箱まで添えられていた。
「あらぁ、気が利くじゃないの」
「いえいえどうも……」
スズカはタバコを一本手に取ると、流れるように口に咥えてマッチに火をつけた。
溜息を一緒に口から吐き出される白煙。
頭に上っていた血が急降下する感覚にほどほどの心地よさを感じつつ、窓を開けて車窓を眺めて、メイの処遇について考えを巡らせた。
「ミュラーが使えなくなった今……こっちで乱されたくないのよねぇ」
隣にも聞こえないほどの囁き。
考えて、吸って、灰を車外に落とし、また考えてー-気づけば、煙草は半分ほどになっていたが、すでにスズカは冷静さを取り戻していた。隣にいる旦那に冷めた視線を送り、口角をニッと釣り上げた。
「明日からあの屋敷への支援は全部ヤメにするわよ」
「えぇっ!?」
「大丈夫、ちょっとした脅しよ。まずは兵糧攻めと行こうじゃないの……まぁ見ておきなさい。あのメイドもすぐに態度を変えてくるわ。さすがに金もなければ身の程知らずだったことがわかるでしょ」
「お父様になんて説明するのさ!?」
「私からうまく言っておくわよ。アンタが言うより効果的でしょ?」
「そ、そうだけど……」
「まぁ追い詰められた馬鹿がなにかやらかさないように、しっかり見張りもつけておくわよ。何かあったら監視所から電話させるから」
スズカは迷いを捨てるかのように煙草を車外へ放り投げて、乱暴に運転席の背面に蹴りを入れる。
驚く運転手のことは気にせず、「なんでしょう?」と彼が尋ねる前に彼女は命令した。
「ほら運転手! さっさと走りなさい!」
「承知しました」
運転手がアクセルを踏み込み、エンジンが唸り声を上げる。
宿敵の住む山荘がすっかり遠く離れても、スズカは恨みのこもった睨みを車窓に映る景色に向け続けた。
次回の更新は10月17日




