嘘つきの気遣い
「――ただいま戻りました」
「リン、お帰りなさい」
帰宅してリンが真っ先に向かった書斎には、優雅に紅茶を啜りながら新聞を読み進めるメイの姿があった。積み上げられた本の隙間から顔を出すメイに、リンは深々とお辞儀をしてから一歩後ろに下がる。
「それではお昼の準備をしてまいりますね」
リンがドアノブに手を置く。
そのときだった。
「――ねぇ」
リンが顔を上げると、少し物憂げなメイが目に入った。
優雅で自信に溢れているメイが、リンに初めて見せた表情。
リンは、一目見ただけで、彼女が呼び止めた理由を理解した。胸の奥で溜息を吐くと、リンの脳裏には出かける際の正門前の一悶着が浮かび上がる。
だが、リンはあえて何も知らないフリをして、いつもの落ち着いた声色を崩さずメイに尋ねた。
「どうかされましたか?」
「スズカが来ていたのね。どうして報告がないの?」
「申し訳ございません。面会予定がなかったものですから」
「違うわよ。帰ってきたときの話よ。別に会うつもりはなかったから追い返してくれたことは何も思っていないわ。わかっているでしょ? 私の聞きたいことくらい」
メイはティーカップを静かに置いて、カーテンが開かれた窓へ振り返る。
「全部ここから見えるのよ、だから素直に話して。お兄様も連れていたみたいだけど。何を話したの?」
「……お嬢様との面会をご希望されておりました」
「どっちが?」
「スズカ様です」
「なるほど。ねぇ、まさか見られていないと思っていた?」
「……はい」
「貴女が買い出しに行くときはいつもここから見守っているのよ。退屈しのぎにね」
メイはお見通しと言わんばかりに得意気に鼻を鳴らす。
リンはバツが悪そうに肩をすくめながら、黙って主人の話を聞く体勢を取った。
優しい尋問はまだ続く。
メイは紅茶を一口飲んでから、自ら沈黙を破った。
「義姉から何か聞いた? 例えば、私がここにいる理由とか、私の悪口とか……はたまた、私を殺すように命令されたとか?」
「いいえ何も。すぐに帰られましたので」
「ふふっ、嘘はやめて。思いっきり揉めていたじゃない。すごく愉快だったわ」
「……いや、その」
「命令よ、何があったか報告しなさい」
窓から伸びてくる昼の陽の光が、後光のように部屋の中に差し込まれ、メイの威圧感を強める。
静かだが、嘘を許さない透徹した瞳。メイの嘘を許さない強い態度を目の当たりにしたリンは、刹那の沈黙の後、意を決したように正門で起きた出来事を白状した。
「…………お嬢様の様子を細かく報告するように指示されました。お嬢様は『くだらない正義感で会社を潰そうとした』とも仰っていました」
「そう……」
メイは、リンの言葉の真偽を見定めるのようにジッと見つめる。
気まずい十秒にも満たない沈黙。
「ありがとう。下がっていいわよ」
リンは内心で胸を撫で下ろした。あえて報告する内容を限定したからだった。
だが、メイは納得したように頷き、手を払ってリンに退出を促す。怒っているよりも焦っている雰囲気――書斎の扉を閉めて台所に向かう間、リンはスズカとメイの間にある確執について考察を始めた。
ただ一つだけ確かなことがある。
リンは静かに確信していた。
「蛇が動いた……か」
台所に到着したリンはポツリと言葉を残して、買ってきた食材を使って昼食を作り始めた。
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