武器商人の娘とメイドのある夜
メイドがただの戯れと侮った瞬間、静かな寝室に緊張が走った。
「――命令よ、さっさと引き金を引いて私を撃ち殺しなさい」
青白い月明かりの差し込む寝室の静寂を、金井メイの気持ちのこもった声が切り裂く。天蓋付きのベッドの淵に腰掛ける少女の瞳には固い決意が浮かんでおり、彼女のなだらかな胸に歩兵銃を突きつけていたメイドの動きを拘束した。
華やかさを演出する白いネグリジェを着ているメイとは対照的に黒いメイド服を着た少女――リンは無感情な顔をしたまま怪訝そうに首だけを傾げる。
「…………お嬢様本気ですか?」
「当たり前でしょ? 武器商人の娘が自分の運んでいる武器で死ぬのよ。最高の皮肉じゃない」
メイはこの状況を鼻で笑いながら、リンが構える歩兵銃の銃身を両手で掴み、さらに銃口を自らの胸に密着させる。そして、引き金に指をかけようとしないリンを挑発するように続ける。
「私の言うことを聞けってお父様の命令でしょ? 私の命令は父の命令よ? できない?」
「…………」
変わらないリンの表情。
メイはこの状況にもかかわらず一切動揺を見せないメイドの瞳の奥を覗こうと目に力を込める。リンが何を考えているのか、この状況をどう感じているのか――無機質な冷静沈着がメイド服を着ているような美少女の心の動きを観察しようとした。
だが、数分とも感じられる刹那の沈黙は、リンの右手が引き金に回ったことで破られる。
銃口を主人の胸から少しずらして肩に押し付けた状態のまま、銃底を自身の肩に当てて射撃の体勢を取った。リンは目を瞑って撃たれる覚悟を決めている様子。
「承知しました。お嬢様のご命令とあらば……」
手入れの行き届いた細長いリンの白い指が引き金にかかる。
ベッドの縁に座るメイを見下ろすリンの目に確かな殺気が宿っているのを感じ、メイは大きく目を見開いてうっとりと口角を上げた。
「さぁ撃ちなさい。引き金を引くだけよ」
その瞬間、リンは躊躇うことなく、主人に向かって引き金を引いた――が、直後に寝室に響いたのはカチンッという短い金属音だった。リンの身体が固まる。何が起きたのかわかっていないらしい。
「あらあら……」
メイは後ろに倒れることなく、いたずらっぽい笑みを浮かべて何が起きたのか理解の進まないメイドを見上げる。
「もしかして……」
リンの硬直はすぐに解ける。
一方で、リンは弾丸が発射されなかったと理解するや否や、素早く遊底を引き上げてから手前に引き、何も入っていない薬室の中身を確認。わざとらしく主人の意図を推し量るように首を傾げた。
弾丸が装填されていない。
この事実からわかることは一つしかなかった。
「お嬢様……どうやら弾が入っていないようです。また、いつものお戯れのつもりでしたか?」
リンは本当に撃とうとしていたらしい。
普段は鉄仮面なリンが浮かべるキョトン顔に、固かったメイの表情は反対に徐々に崩れていく。
やがてメイは肩を大きく揺らし、両手で顔を隠して、笑いを堪えきれみけずに吹き出してしまう。
「あはははははっ! リン、貴女はやっぱりおかしいわ! 最高!」
「もしかしてお嬢様、最初から死ぬつもりはなかったのですか?」
「えっ……あはははっ! そりゃそうでしょ! 私にはまだやらないといけないことがあるのに。あはははははっ!!」
「なるほど……」
ベッドの上で無邪気に笑い転げるメイだったが、リンは静かな態度を崩さず歩兵銃を胸に抱きしめて一歩後ろに下がってから、主人に軽く頭を下げた。
「では、こちらは物騒でございますので、そこの壁にかけておきますね」
「えぇ、ありがとう。驚かせてしまってごめんなさいね」
メイに背中を向けたリンは、歩兵銃を元々置かれていたベッドの正面にある壁の一角に飾り直す。
可憐なお嬢様が支配する大屋敷には到底似合わない物騒な代物だが、これもメイに突然「面白いものを見せてあげる」と言われて、リンが椅子に登って取ってきたものだった。
リンは美しい装飾の施された歩兵銃の角度を直すフリをして、この屋敷で住み込みで働き始めてからのことを思い出していた。だが、彼女の表情に不満の色は一切ない。
むしろ、新しい発見を見つけたような真剣な眼差しを歩兵銃に向けていた。
「――ねぇ、ちょっとお話しできる?」
リンが振り返ると、少しメイが真剣な眼差しを彼女に送っていた。
リンは椅子から降りると、小走りで主人の正面に立つ。
「どうなされました?」
「別にたいした話ではないわ。単純に貴女としっかりお話をしてみたいと思っただけよ。ここにやってきて1ヶ月でしょ?」
「正確には27日でございます」
「……はぁー、細かいわねぇ。まぁいいわ。そこに座っていつものヤツやって」
「承知しました……」
溜息を押し殺し、リンは慣れたようにメイの足元に跪く。
綺麗な爪先。また爪を切ってあげねばとリンは長くなったメイの爪先を指の腹で優しく撫でる。
「では、失礼します」
ネグリジェの裾を少しだけ上げた。極力無感情に対応することを心がける。
露わになった細い脚を両手で丁寧にマッサージすると、メイの手がリンの頭を愛おしそうに撫で始めた。リンが顔をあげると、少しくすぐったそうにする顔を上気させた少女が目に入った。
「どうかされましたか?」
「いいえ……いつもありがとうと思ってね。だって大変でしょ? 脚が不自由な女の世話なんて。どこいくのにも私を運ばないといけないわけだから」
「いいえ、大変だなんて思ったこともありません。お望みならば私はどこへでもお嬢様をお連れする所存です」
「それに、これも貴女からの申し出だったけど、脚の筋肉をマッサージも本当はいらないのよ?」
「いえいえこれくらい……筋肉が固まってしまうと大変ですから」
「ふーん、そんなものなのね」
「僭越ながらお尋ねしますが、今までお嬢様にお仕えしたメイド様たちはこれをされなかったのですか?」
「当たり前じゃない……むしろ私とできるだけ関わらないようにしようとしていたわよ。でも仕方ないわ、こんなわがままお嬢様の相手なんて誰がしたいのって感じ」
「私はわがままだと思ったことございませんよ」
「嘘よ……」
「いいえ、お嬢様は私に人に仕える喜びを与えてくださりました。感謝を申し上げます」
静かにツボを刺激。
ビクッと体をのけぞらせるメイ。
「あははっ、ちょっと待って……そこ、くすぐったいわ」
「……なるほど、ここがお嬢様の弱点……と」
「もぅ! 変なイタズラしないでちょうだい。この脚が動かないからって」
マッサージはなおも続く。
だが、今の一瞬だけ、メイはリンが笑ったように見えた。
「リンは変なメイドねぇ」
「これくらい当然です。主人の健康管理も立派な仕事だと教わりました」
「へぇー初めて聞いたわ」
メイにとってリンはただの従者でしかなかった。
ただ、普通のメイドではない気がする。
毎度すぐに満点な回答をしてくれるリンとの2人暮らしに不満はなく、むしろ居心地の良さを感じていたところだったが、どことなく嬉しそうな彼女の声をメイは初めて聞いたのだった。
脚のマッサージを受ける中、メイは煌々とした青白い月明かりが差し込む窓に目線を映し、再び決意したように一瞬だけ唇を結んだ。
「――ねぇリン」
なにか重大な決意を秘めた呼びかけ。
だが、リンは気にする素振りも見せず、淡々とマッサージを続ける。
「どうかなされましたか?」
「……ねぇ、なんで聞かないの?」
「なんのことでしょう?」
「さっきの話よ、貴女は怖くなったの? 突然、壁にかけてある銃を持ってこいとか、急にそれで私を撃てとか言われて……リンは迷わずに引き金を引いたわけだけども、全く気にならなかったの?」
「命令の意図を……ということですか?」
「そうよ。私のお父様から「娘の命令や指示には絶対に従え」と厳命されているとはいえ、さすがに『私を殺せ』ってバカな命令は素直に聞けないと思うのだけど」
「私はこの屋敷に来たときからお嬢様の僕でございます。お嬢様の命令とあればそれに従うのみです。たとえそのご命令がお嬢様の命を奪うことになったとしても」
「私を撃った後はどうするつもりだったの?」
「そうですねぇ……」
ここでようやくリンの手が止めて顔を上げた。
人形のように澄んだ瞳には、力強い確かな覚悟が映っている。髪を短く切った中性的な顔立ちをしているリンだが、一瞬目と目の合っただけでも見惚れてしまいそうな不思議な魅力が存在していた。
そんなリンは切なそうな表情を浮かべて、静かに口を開く。
「皆様に宛てたお詫びの書状を残し、その後、お嬢様の隣で果てようかと。お嬢様はきっと天国でも私を必要としているでしょうから……まぁ私が天国に召される前提ですが」
「ふふっ、やっぱりリンは狂っているわ。でも、気に入った」
「……ありがとうございます」
リンは軽く頭を下げてからマッサージを再開した。
「――お嬢様」
「どうしたの?」
「私からも一つ質問よろしいでしょうか?」
「えぇ……まぁ、今回は許可するわ」
「他の従者にも同じようなことを?」
「そうね。ただ、ほとんどはそこに辿り着くまでに辞めてしまったけども。きっとあの人たちの頭の中では『異常な我儘娘』『死にたがりの狂人』となっているでしょうね。貴女もでしょ? さっきはいい感じに言ってくれたけど本当はどうなのよ?」
少し投げやりなメイの物言いを優しく否定するように、リンはゆっくりと首を左右に振る。
「お嬢様、何度も申し上げますとおり、私はお嬢様にそのような印象を抱いたことはありません」
「嘘でしょ? 毎日無茶苦茶な命令を出していた記憶があるのだけど」
「無茶苦茶と思ったことはございません。先ほども申し上げましたが、私はお嬢様の従者ですから、私にできることでしたらなんでもいたします。困り事は何なりとお申し付けください」
「そう……ねぇ、それなら、もう少しだけ私の話を聞いてくれる?」
「承知しました……では、このままお髪のお手入れもいかがですか?」
「ありがとう、お願いするわ。いつもごめんなさいね」
メイの返事を聞いて、リンは黙って一礼する。
続けて、メイド服のポケットから豪華な装飾が施された櫛を取り出してメイの背後に回った。
「単刀直入に聞くわよ? これだけされても私を悪いお嬢様と思わないのはどうして?」
「お嬢様は無理して悪人を演じられていると考えているからです」
「その理由を聞いても?」
「もしもお嬢様が世間で噂されている悪徳令嬢ならば、いちいち僕である私に『ありがとう』『ごめんなさい』とは言わないかと……こんな私にも気を配ってくれるお嬢様はきっと良い人なのだろうと、無理して演じているのだろうと、勝手に思っております」
「ふーん……それじゃ、なんでそんな良い人が我儘娘を演じていると思う?」
「…………それは少し憚られます」
「命令よ、答えなさい」
「……かしこまりました」
小さな深呼吸。少し止めて、リンは意を決したように短く息を吐いた。
「お嬢様は、私が誰の味方なのか確認したかった……さっきは最終試験だったのでは?」
「うふふっ、そうよ。やっぱりリンは不思議な人ね」
「誰の味方なのか確認するのに、確信を持つための、何か時間が迫っていたのでしょうか?」
「……そこまで察するのね…………まぁそのうちわかるわ。そろそろ蛇がやってくるから」
メイの語気が少しだけ強くなったのをリンは感じ取った。
蛇に例えられる人物の想像をしながら、怒りと恐れが入り混じったメイの複雑な声色を宥めるように、リンは少しだけメイの背中に胸を密着させて、耳元に口を近づける。
「ご安心を。私がこの箒で追い払いますから」
すると、メイはリンの想いに答えるように、後ろに手を回して肩に置かれていたリンの手を掴んで引っ張る。リンは結果的に後ろから主人を片手で抱きしめる形になったが、櫛をポケットに戻して、空いた右手をメイの胸元に回して優しく両手で抱きしめた。
メイは、嬉しそうに顔を揺らしてリンの両手をそれぞれ掴んで、身体をもっと密着させる。
「頼もしいわね……でも、本当に面白い人よ、貴女は」
「それで、私はお嬢様に信頼してもらえたのでしょうか?」
「えぇ信頼しているわ……貴女のことで面白い発見もあったし」
「面白い発見……ですか?」
「ひ・み・つ――もういいわ。リンありがとう」
メイはリンの腕をそっと振り解いて、そのまま枕に頭を沈める。
「今日はこのままお休みになりますか?」
「そうするわ。明日の朝もいつも通り起こしてちょうだい」
「お朝食はどういたしましょう?」
「なんでもいいわよ。私、リンの作るご飯全部好きだから」
「承知しました」
リンはベッドから降りて、メイに毛布をかけると、窓辺に立って振り返った。
「今日はカーテンをどうされますか?」
「今日はこのままでいいわ。月を見ていたいの」
「承知しました。では、おやすみなさいませ」
リンは静かに頭を下げて、部屋を後にしようとする。
ドアノブに手を置いたとき、背中に向かって何か言いたげな少女の声が飛び込んできた。
「リン。あの……今日は……ごめんなさい。もうしないから安心して」
「…………はいお嬢様」
リンは廊下に出て再度一礼してから、メイの寝室のドアを閉める。
不思議なメイドが去り、静寂を取り戻した寝室の中、メイは月明かりが差し込む窓を見つめる。
「――ごめんなさい。私の戦いに貴女を巻き込んでしまって」
次回更新は8日の水曜日となります。
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