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凡場と禁忌の森

作者: 折田高人

 照り付ける太陽。木々より響く蝉時雨。

 禅堂に集まった若い僧たちが座禅を組んでいる。

 吹き抜けるそよ風だけが、火照った身体を冷ます縁であった。

 そんな剃り上げられた坊主頭に混ざって、黒髪を湛えた二つの頭が見える。

 短髪の黒髪が揺ら揺ら揺れる。

 座禅を組み、必死になって心を鎮めようと努力はしているのだが。

「だあああ! うっせえええ! 蝉共、いい加減黙りやがれ!」

 我慢が限界を超えて叫び出すガラの悪い男の頭に警策が飛ぶ。

 打たれた頭を抱えながら恨めし気に男が目をやると、カラカラ笑う老僧の姿。

 坊主頭に豊かな白髭を生やした矍鑠とした老人であるが、その目元はサングラスで覆われている。

 この寺の住職、弁慶であった。

「まだまだ修行が足らんのう、小僧」

 ニタニタと笑みを浮かべながら二、三度軽く警策で男の頭を小突いた。

「しゃあねえだろ……五月蠅えもんは五月蠅えんだしよ……」

「お主がふかすバイクの気炎よかマシじゃろうて。吠える犬は弱く見えるぞい?」

「ぐう……」

 如何にもこの住職には頭が上がらない。

 短髪の男……凡場久秀は喉まで出かかった言い訳を飲み込む。

 どんな理由で反論しようと、人生経験が豊かなこの住職にはやり込められるのが目に見えていた。 

 怖いもの知らずの不良、天ヶ瀧の爆弾野郎と呼ばれていた事もあった男にしては、この短期間で随分我慢強くなったものだと嘆息していた。

「呵々! 何々、人生これ修行じゃて。弱さを認めにゃ克服も出来ん。立派な僧になる為にゃあ蝉の声位では動じぬようにならねばな」

「だから! 俺は坊主に何かならねえっつってんだろ!」

「諦めい。お主にゃ坊主が天職じゃ。さもなくば霊に取り込まれ不幸な一生を過ごす事になるぞい?」

「ぐう……」

 不良と呼ばれた頃の異性は何処へやら。

 如何にも凡場は霊に憑かれやすい体質であった。

 それでも、天ヶ瀧町で幅を利かせていた頃には、それ程怪異に出会った事はなかった。

 其れこそ、気のせいと言えるような小さな異変に出会った程度であった。

 ところが。この堅洲の地に足を踏み入れた途端、怪異達は突如として彼を襲い始めたのである。

 切欠となったのは人生初の異性とのデート。

 まさかその女が怪異マニアだったとは。

 知らぬ内に心霊スポットを回る内、憑かれに憑かれて呪われまくり体が絶不調。

 デート相手が嬉々として持ち込んだ心霊写真を見て漸く事の重大さに気が付き、この宝嶺寺に助けを求めて駆け込んだのである。

 ところが。住職によって除霊こそ成功したものの、凡場は霊を引き付けやすい体質だった事が判明した。

 このまま過ごしていても、堅洲町に居る限りは同じような現象に襲われかねない。

 否、例え堅洲町を離れようとも、この体質が改善しない限りは地元でも同じ事になりかねない。

 安定した一生を送りたければ、せめて自分で除霊や調伏ができるようになるべきと勧められた凡場は、命欲しさにこの宝嶺寺で修業を始めたのである。

 自分の学力でも問題なく入れるからと単純な理由で堅洲高校に入学した事を後悔した凡場。せめて大学は良い所に入ろうと、勉強にも力を入れるようになった結果、彼の今の生活は随分と健全なものとなっていた。

 とは言え。まだまだ修行を開始して僅かな期間しか経っていない。

 周りの僧侶連中は汗だくになりながらも蝉や凡場の鳴き声に動揺した様子もなく座禅を組み続けている。

「……皆すっげえよなあ。よくこんな騒音の中で集中できるもんだ」

「まだまだひよっこもいいところよ。孵化してすらいないお主には分らんだろうな。お主の隣の魔王殿を見てみい」

 促されるまま隣で座禅を組む者に視線を移す。

 まるで生気の無い人形のような和装の少年。

 流れる黒い瀧が腰を越えて床に流れている。白磁のような肌には汗一玉とて浮かんでいない。

 果たして之は現実の存在なのだろうか。間近に存在しているのは分かるのだが、存在感が何処までも透明だ。目に収めていなければ、こんな近場に居たとしても気が付かないだろう。

 少女を象ったような容姿の人型に、凡場はついつい声を掛けた。

「お~い。生きてるか~」

「生きてますよ~」

 鈴音のような声が唇から漏れた。

 閉じられていた瞳が開かれ、微笑が凡場に投げかけられる。

「おう、生きてたか。暑さにも蝉にも動じてないから、くたばったかと思ったぞ」

「夏は暑いものですよ。それに蝉も付きものです。風情があっていいものだと思いますが」

「風情ねえ……」

 如何にも理解できない凡場。彼にとっては暑さも五月蠅さも鬱陶しい外野にしか過ぎない。

 それを良いものと捉えられる感性を持つあたり、この少年は余程の修業をこなしたのではないのだろうか。

 この少年の名は武藤雅。堅洲町で恐れられ、敬われる武藤家の一員である。時たまふらりとこの寺を訪れては、凡場と共に座禅を組んでいた。

 最初は少女のような姿形にデートの件を思い出して倦厭していた凡場であったが、彼が男だと分かった後は雅の意外な気さくさも相まって、凡場の話し相手になってくれたのだ。

「しっかし……暑さは何とかなるが、この喧しさだけは如何も我慢できねえなあ」

 愚痴る凡場。木々に囲まれた緑豊かな堅洲町は、地元のコンクリートジャングルである天ヶ瀧町に比べれば幾分過ごしやすい暑さであった。木々の間を通り抜けて届く風の感触が心地よい。

「では、蝉取りでもしましょうか? 虫取りはいい運動にもなりますよ?」

「う~ん。餓鬼っぽいしパスで」

「おや残念」

 クスクス笑う雅の姿。まるで等身大の日本人形が動いているような違和感があったが、凡場にとってはもう慣れたものだった。

「さて、お主等。休憩に入るぞ。休みを取るのも修行の一環じゃ。小僧、魔王殿。喉も乾いたじゃろう。西瓜を用意してあるから食べなさい」

「西瓜か。助かるぜクソ坊主。もう喉がカラカラだ」

「良いですねえ、水菓子。御馳走になります」

「何々、遠慮はするな」


 運ばれてきた西瓜に齧り付く。

 瑞々しい甘さが口内を満たす。

「おお。すっきりしているのに滅茶苦茶甘いな。こんな西瓜初めて食った。かなりデカいし、高かったんじゃないのか」

「いんや。この寺で育てとる西瓜じゃよ。遠慮すんな、どんどん食え」

 そう言って山盛りになった西瓜を差し出される。

 隣の雅は嬉しそうに西瓜を食している。

 所作が美しいのにも拘らず、その目の前には皮だけになった西瓜が高く積まれている。随分と健啖だ。

「さっすが魔王殿。良い食べっぷりじゃ。さあさあ、遠慮はいらん。さあ、小僧もどんどん食え」

「いや、流石に多いぞクソ坊主。食いきれんって」

「それ一気、一気!」

「聞けよクソ坊主!」

 よくよく見ると、おかしな事に気が付く。

 周りに座る修行僧達。如何にも食の進みが遅いのだ。

 その様子は何と言うか……子供時代、連日同じカレーを出されて辟易した記憶を凡場に思い出させた。

「凄いんですよねえ。魔王殿の豊穣の魔力は……」

 凡場の前にお代わりを持ってきた坊主、運慶が語り掛けてくる。

「魔王殿が放出する魔力の御陰で、犬棲まずとまで呼ばれた不毛の地が此処まで豊かになるんですから……正直、魔王殿の力を甘く見すぎていました」

「……何があった?」

「本当に凄いんです。堅洲では肥料や農薬がいらない事は分かっていたんですが、まさか摘果すらいらないとは……快慶が試しに今年は摘果無しで西瓜を育ててみよう等と言いださなければ……」

「……まだあるのか? 西瓜」

「……鈴生りになってます。御近所にも粗方配ったのに、正直、全然消費できる気がしません。味に影響がなくても摘果だけはやっておくべきでした」

 農作物が取れすぎて困る。何とも贅沢な話だが、やはり限度はあるのだろう。

 食が進まない修行僧達を後目に、至福そうな表情で甘味を噛み締める雅の姿。

 囃し立てる住職の姿が、何処までも滑稽に見える。

 食べ物を無駄にしたくないというその思いだけは評価べきなのか。

 凡場と雅以外が御通夜のような雰囲気の中、大柄な坊主が禅道に入ってくる。

 修行僧達の恨めし気な視線が集中しその坊主は若干たじろいだが、すぐさま気を取り直して住職を呼び出した。

「住職。依頼が来てますぜ」

「おお、そうか。行くぞ運慶。快慶はノルマで西瓜三玉食らえ」

「住職、そんな殺生な……」

 快慶の言葉が詰まる。

 お前があんな事言いださなければ……そんな後輩達の恨みがましい視線の圧力に負け、大きな体を小さく縮めて快慶は西瓜の消費に取り掛かった。

「さて小僧。お主も来い」

「俺も? ってか、依頼って何だよ」

「さあな。それは聞いてみないと分からん。だがな小僧、普通の生活を送る為にも、お主は早く除霊や調伏を教わりたいんじゃろう? ならば現場は知っておくべきじゃ」

「実戦で学べって事か」

「うむ。何せ夏は肝試しと称して堅洲のタブーを破る小童共が数多く湧いて出る季節じゃからな。これから忙しくなるぞい」


 堅洲町に点在する学生寮。

 宝嶺寺に程近い位置にあるその内の一つに、弁慶達は赴いていた。

 電話で依頼を受けた弁慶と運慶、凡場。そして雅。

 雅はこの依頼とは無関係と言っても良かったが、怪異に対しての問題を解決するのも武藤の務めとして同行を申し出たのである。

 さて、呼び鈴を鳴らすと出てきたのは髪を染めた少年一人。顔は蒼褪め、健康を害しているのは目に見えている。

 彼は凡場の顔を認めると、些か驚いた表情をした。

 凡場も彼の顔には見覚えがあった。

 と言っても、名前を知っている訳ではない。

 軽薄そうな面々で集まり、学校の廊下を我が物顔で歩く凡場を遠巻きに見ては何やらこそこそ陰口を叩いていた連中の中に、この少年が居たのである。

 果たしてこの不良は何をしに来たのかと疑問に思っているらしき少年であったが、住職達が気にもしていない事、何より自分が切羽詰まった状況にある事もあり、特に理由も聞かず凡場を受け入れたようだ。

 少年に案内された客間には、彼の同居人である級友達が数人集まっていた。

 派手な服装や珍妙な髪形から察するに、普段は軽薄そうなお調子者達なのだろうが、今は誰も彼もが調子が悪そうに首を項垂れさせている。

「さて諸君。電話では呪われただの言って負ったのう。どういう事なのか、詳しく話してくれんかな?」

「あ、はい」

 住職の問いに、少年達はぽつぽつと語りだした。

「俺ら、最近肝試しをしたんです。色々と場所の候補を探していたんですが、入学してから直ぐに此処の地元出身のクラスメイトが話していたのを思い出したんですよ」

「ふむ?」

「堅洲には、絶対に足を踏み入れてはいけない場所があるって。その禁足地に入れば例外なく呪われるって言ったのを、その時は鼻で笑っていたんですが……もっと真面目に聞いておくべきだったんです」

「禁足地? もしやあなた達、鹿驚の森に入ったのですか?」

 雅が微かに眉を顰める。

「どんな森なんだ?」

「私たち武藤の一族も入った事はないんです。何があるのかも分かっていません。ただ、其処に入った知り合いが放っておくなら問題は無い。寧ろ放っておいた方がいいと仰ってました」

「放っておくほうがいい、か」

「して、お主等。その森に入ったんじゃな? 其処で何をしたんじゃ?」

 街の外から来た自分達が禁足地に入った事を咎められるような気がしていた少年達だったが、若干の沈黙の後に意を決して語りだした。

「森は特に何も無かったんです。時折奇妙な視線を感じたんですが、そいつ等を探してみると蛇が逃げ出す様に何度も遭遇したくらいしか奇妙な点はありませんでした。まるで監視されていたようで不気味でしたが、それだけです」

「夜中とは言え満月のお陰で森の中は結構明るくて、森の奥でも怖さも感じませんでした。所詮田舎者の迷信かって舐め腐っていた所でした、そいつを見つけたのは」

「何があったんじゃ?」

「祠です。小さな祠が其処にあったんです」

「……その祠に何をしたんです?」

 無表情な雅の鈴音。小学生程の体格しかない彼が発する圧に、少年達は委縮した様子で答えた。

「扉が閉まっていたんです……それで、何が入っているのか気になって……」

「中には何も入っていなかったんだ。本当だ」

「それで拍子抜けした俺らは、もういい時間だからって森を出て、外で飯を食って、帰宅したんですけど……風呂場で気付いたんです。この痣に」

 少年達はズボンの裾を捲り上げ、靴下を脱ぐ。

 其処には奇妙な痣があった。

 否、それは本当に痣なのだろうか。

 少年達の腿を伝う縄のような痕。

 一人の少年が今度は上着を捲り上げる。

 痣は胸の辺りにまで這い上がっていた。

「この痣、まるで生きているみたいなんです。風呂場で気付いた時は踵にしかなかったのに、ここ数日で徐々に上へと這い上がってきて……」

「それから何です。身体が酷く痛むんですよ。まるで何かに締め付けられているような……」

「まるで蛇だな」

 ポツリと呟く凡場。

 その言葉を聞きつけたのだろう、雅が凡場に話を振る。

「凡場様。鹿驚の森と聞いて何を思い浮かべますか?」

「何って、そりゃあ……案山子だろ? お前ら、森の中に案山子でも立っていなかったか?」

 少年達は首を横に振る。

「凡場様。カカシはカガシ……あの森は本来、蛇の森と呼ばれていたのです」

「蛇? そういや蛇に監視されていとか言ってたな」

「ふむ。となると、これは蛇の呪いかの? お主等、蛇に何か変な事は?」

 少年達は顔を見合わせる。

「いえ。蛇には詳しくないし、夜なんでどんな蛇なのかも良く分からないし……」

「毒でも持っていたら危ねえから、逃げるに任せてたんで手は出してないです。間違って踏んづけたりもしていません」

「そうですか……流石に脅かした程度で命を脅かされるとは思えないのですが……」

「なっ! 俺ら、死ぬんですか?」

 雅の発言に、蒼褪めた顔をますます蒼くする。

 彼らの縋るような視線に対し、しかし雅は淡々と自分の考えを述べる。

「恐らくこのままでは。首の周りにまで痣が広がれば首を締め上げられそれで終わりです。呪いが成就すれば痣も消えるでしょう。謎の窒息死であなた達が亡くなれば、また一つ事故物件が出来上がりですね」

 絶望した空気に包まれる少年達。

 自分に陰口を叩いていたような連中だとは言え、凡場も流石に憐れみを感じ始めた。

「なあ爺さん。この呪い、あんた解けるか?」

「う~む。難しいのう。何で此処まで蛇を怒らせたのか見当もつかんし。少なくともわし等では呪いの進行を遅らせる事くらいしかできん」

「……俺ら、やっぱり死ぬのか」

「死にたくねえよお」

 目尻に涙を溜め始めた少年達を見て、しかし弁慶は快活に笑った。

「これこれ、そうしょげ返るな。わし等では呪いを解けないと言っただけじゃ。呪いを解く方法はまだある」

「本当ですか!」

 少年達の瞳に漸く希望の光が灯った。

「要するに蛇を怒らせた事で呪いを受けたんじゃろう。怒りの原因を取り除けば蛇も呪いを解いてくれるじゃろうて。何、心配いらん。わしらが何とか説得して見せようぞ」

「お願いします!」

「うむ。運慶、お主は此処に残れ。こ奴らの呪いを出来る限り遅らせるんじゃ」

「了解しました」

「では行くぞ。小僧、魔王殿」

 寮を後にした弁慶達。

 鹿驚の森への道すがら、凡場は雅に疑問をぶつけていた。

「なあ、雅。本当に呪いを解けると思うか?」

「如何いう事でしょう?」

「いや、堅洲の連中は森に入っただけで呪われるって言ってたじゃねえか。だったら、森に入ったって事実がある以上はもう解けないんじゃ……って思ってよ」

「多分大丈夫かと」

「何でだ?」

「私の知り合いが森に入ったって言いましたよね。彼女、特に呪われていませんでしたよ。まあ、彼女は蛇人間でしたので効かなかったとも考えられますが……」

「何ともあやふやな……蛇人間ってのはよく分からねえが、ようはそいつ、蛇共の仲間なんだろ?」

「いえ。彼女、其処の蛇達とは敵対とまではいかないですけれど、あまり歓迎されなかったと言っていました。あの森の方々を異端者の末裔とも言ってましたし」

「ほ~ん。仲の悪い奴が入っても呪われなかったって事か……。森に入った以外の理由で呪われたんなら、確かに何とかなるかもな」

「小僧。何とかなるではない。わし等が何とかするんじゃ。人生これ修行。しっかりと付いて来いよ」

「う~っす」


 鹿驚の森。

 住職達は件の祠を探して森の中を彷徨っていた。

 少年達の証言を聞く内に鬱蒼とした森を思い浮かべていた凡場であったが、その認識は裏切られた。

 穏やかな木漏れ日。流れ行く小川の音。爽やかな緑の香りを風が運んでくる。

 とてもじゃないが、おどろおどろしい呪いの発生源とは考えられない、明媚な光景である。

 踏みしめる腐葉土が、凡場の足を優しく包み込みながら沈んでいく。

 やや歩き辛いとはいえ、それが不快にならない程の心地良さが周囲を支配していた。

 これが風情か。寺での禅の修行も、こんな静かな森の中で行うのならば苦痛にならないのだが。

「……何か、拍子抜けだな」

「呵々、確かにのう。まるでピクニックに来た気分じゃわい」

「風が心地良いですね。木陰の下で午睡したくなります」

「……それにしても、蛇、見当たらないな」

「ええ。随分奥にまで進んできたのですが……そろそろ監視の一つもあってもいいはずですけどねえ」

 少年達の証言では常に蛇が監視についていたとの事だったが、鹿驚の森に入ってからこれまで、蛇の姿は全く見ない。

 否、蛇だけではない。如何にも周辺に動物らしきものが一切目につかないのだ。

 一体これは如何した事か。

 住職達が疑念を感じていると、茂みが揺れた。

 蛇か? それを確認しようと凡場が近付くと。

「うおわ!」

 飛び出してきたのは蛇、蛇、蛇。

 色も模様も大きさもバラバラな蛇の群れ。

 身構えた凡場の側を通り過ぎる生ける蛇の川。

 その流れが途切れない内の事であった。

 強烈な怖気が凡場に走る。

 何か居る。蛇達が必死になって逃れようとする何かが。

 それは唐突に現れた。

 女だ。上半身だけは、美しい人間の女の上半身だった。大蛇の下半身からそれが生えている。

 生えていたのは女だけではない。女を包み込むように放射状広がる大蛇の首。

 その瞳が逃げ惑う蛇達に注がれている。

 側に居る凡場の事など目にもくれないようだ。

 大蛇の首の一つが蛇へと突っ込む。数匹の蛇がその口内へと消えて行く。

 衝撃で群れから弾き飛ばされた一匹の蛇が、助けを求めるかのように凡場の身体に巻き付いてきた。

 それを大蛇女は視線で追い、漸く凡場達の姿を認めたらしい。

 大蛇の首が凡場に向けられる。蛇に睨まれたカエルの如く体が固まっていた凡場に迫る首。

 ゆっくりと顎を開いた蛇の首。其処に錫杖による強烈な一撃が加えられた。

 蛇肉に食い込む痛烈な殴打に、大蛇はたまらず首を引っ込める。

「小僧、気をしっかり持てい!」

 大蛇に立ちはだかる弁慶。

 住職の喝により漸く体の自由を取り戻した凡場は慌てて後退る。

「何なんだこいつ……爺、こいつが呪いの主か?」

「否! こやつからは知性らしきものを感じん。呪いを掛けるようなお頭もありゃせん。唯々本能と恨みの念によって動いているようじゃ」

「参りましたね……流石に説得も無理そうです」

 大蛇女は住職達を敵と認識したようだ。怒りに満ちた双眸を向け、獣の如き怒号を上げる。

 蛇の群れを蹴散らしながら大蛇の巨体が住職達に迫る。

「魔王殿!」

「任されました!」

 投げ渡された錫杖を受け取った雅は、襲い掛かってきた大蛇の首に己が身をさらす。

 交差する刹那。

 迸る銀閃。

 雅を飲み込もうとしていた首は、高々と宙を舞って地に落ちる。

 遅れて迸る真紅の間欠泉。

 大蛇女が絶叫した。

「……仕込み杖かよ、物騒だなオイ!」

「お守りみたいなもんじゃ。安物じゃし質は良くない。斬れて後ニ、三首じゃ」

「それだけしか斬れないのかよ! まだまだ首が生えてるぞ、あれ!」

 痛みにのた打ち回りながら、しかし大蛇女の瞳には怯えは見えない。

 蹴散らされ周囲で転がっていた蛇に、大蛇の首が迫る。

 貪り食われる蛇達。

 その途端、切り落とされた首の痕に肉が盛り上がり、複数の蛇の首が形成される。

「おいおいおい! 状況ヤバくなってねえか?」

 憎悪に満ちた大蛇女の視線。真直ぐに住職達を見据えながらも、大蛇の首達は逃げ惑う蛇達を標的にし続けていた。

 今又一つ、大蛇の首が鎌首を擡げ……。

 逃げ遅れた蛇達に食らい付こうとした瞬間、茂みの中から飛び出した白い影に阻まれた。

 巨大な白蛇だった。

 大蛇の首に食らい付き、振り回されながらも決して牙を外そうとしない。

 食い込んだ牙の周りが変色していく。毒が注入されているようだった。

 大蛇女は何とか其れを振りほどくも、食い付かれた蛇首の肉が腐れ落ちて骨を曝していた。

 忌々し気に白蛇を睨みつける大蛇女。

 今の衝撃で気絶した蛇達を首が食らう。

 腐れ落ちた蛇首に肉が付く。

 死したはずの蛇首の瞳に光が戻った。

「あやつ、蛇を食らって再生できるようじゃな……そうと分かればやる事は一つじゃ! 小僧、蛇共を纏めて此処を離れい!」

「離れるって、逃げろってのか?」

「逃げるのも立派な戦術よ! それに闇雲に逃げろとは言っておらん! わしの感に過ぎんが、おそらくこやつが祠に封じられていた存在じゃ! 祠を探せ! 封印の方法が分かるかもしれん!」

「爺は如何する?」

「此処はわしが引き受ける!」

 言うや否や、サングラスを取り外す住職。悍ましいほどに澄み切った翠の瞳が姿を現す。

 刹那、異変。

 住職の肉体が盛り上がる。

 膨れ上がり、膨張し、肉肢蠢く。

 崩れていく人としての相貌。

 やがて膨張が収まり収縮していくと、其処に存在するのは漆黒の異形の姿。

 人の面影を残しつつも、何処となく烏賊を思わせる怪人が其処に立っていた。

 其処に襲い掛かる大蛇女。

 怪人と化した住職は両手を大蛇女に向ける。

 五指が縄の様に伸びた。

 触手と化した五指が大蛇女を拘束する。

 拘束から逃れようと暴れる女を制しつつ、住職は声を上げた。

「魔王殿、小僧を頼みます! 蛇共、わしの言葉が分かるなら魔王殿達を追って逃げるんじゃ!」


 息が上がり、胸が張り裂けそうな程に鼓動を強くしている。

 此処の蛇達は人の言葉が分かるのだろうか?

 住職の言葉に従うかのように、走り続ける凡場達の後ろをぴったりとくっつき追跡している。

「んで雅、何処に祠があるんだ?」

「皆目見当もつきません……しかし、見つけ出さねば我々はあの方のお腹の中に納まってしまいます」

「そりゃ勘弁。本当に女ってのは怖えよな」

 走りながらも周囲を確認しつつ、件の祠を見つけ出そうと躍起になる二人。

 不意に、大樹の上から何かが降ってきた。

 先程大蛇女に噛み付いた白い大蛇だった。

 二人を見つめる赤い瞳。 

 しばらくして凡場達の前を進みだし、再び後ろを振り返って視線を送ってくる。

「……ついて来いって事か?」

 凡場の言葉に答えるように蛇は頷く。

「祠の場所を知っているのでしょうか?」

「どうせ場所が分からないんだ。蛇の道は蛇、ついてくぞ」

「承知しました」

 木々をするすると通り抜けていく白蛇を追い、二人は森の中を駆け抜ける。

 やがて開けた場所に出た。

 其処を埋め尽くすのは蛇の群れ。

 凡場に率いられた蛇の群れも、合流すると同時に一息ついた様に見える。

 狭い空間に犇めく蛇達は、此処が安全地帯だと理解しているかのように動かない。

 その真ん中。

 鎮座するのは扉の開かれた小さな祠。

「おい雅、本当にあったぞ!」

 凡場達は早速、祠を調べ始める。

「……雅、何か見つかったか?」

「いえ……微かに魔力の残り香を感じますが、封印の力は完全に失われているようです。この感じ、確かにあの方は此処に封じられていたようですね」

「おいおい。此処まで来て収穫無しか?」

 頭を抱える凡場。

 その服の裾を引っ張る物があった。

 見てみると其処に居たのは一匹の蛇。

 先程の襲撃で凡場に巻き付いてきたままだった蛇が、必死になって裾を引いている。

 そう言えば此奴も居たなと思い返す凡場。彼の視線を引く事に成功した蛇は、首をとある一方に向けた。

 促されるままに視線を送った先には、例の白蛇の姿。

 小さ目の岩に体を擦り付け、押すような仕草を繰り返している。

 蛇達は明確な知性を持ち合わせているようだ。

 これまでの彼らの行動を見てそう確信していた凡場は、疑念を持つ事も無く雅と共に岩を押す。

 ゆっくりと動いていく岩の下。小さな窪みが現れた。

 古惚けた木箱が其処にある。

 凡場が開けると、木箱の中には布に包まれた何かを重しに数枚の紙が収められている。

 紙を手に取る。見た事も無い文字で埋め尽くされていた。

「……アクロ語、ですね」

「読めるのか?」

「何とか。件の知り合いから学びました。この手の知識には弁慶様の方が詳しいのですが……」

「今はそうも言ってられねえな」

「……誤訳は勘弁してくださいね」

 古文にざっと目を通した雅は凡場にも理解できるように内容を語りだす。


『何れ訪れる事が確定している災厄について、我が末裔にこの文を残す』


『この地に流れ着いてどれだけ経ったか分からぬが、我が一族の衰退はここに極まっている。父に背を向け、ゾタクア様を崇めた報い。嘗ては栄光に包まれていた我らの末裔の姿は、最早ただの蛇と変わらぬ。力を失い、知恵を失い、今や人によって脅かされるだけの脆弱な群れへと変わり果ててしまった』


『だからこそ、突然変異で生まれたあの大蛇が生まれた際、父の加護を失った我々はゾタクア様の祝福を感謝したものだ。知性と力に溢れる大蛇は我々の守り神として存分に働いてくれた。あの時も、我々を討伐しようとする人間の巫女を返り討ちにし、その力を我々に誇示してくれたのだが……』


『守護者が巫女の亡骸を飲み込んだ時、異変が起こった。苦しげな呻きと共に守護者の上半身が弾け飛び、飲み込んだはずの巫女の上半身が生えてきた。これは人間の執念がそうさせたのだろうか。それとも父の怒りがまだ続いている証なのか。強大な力はそのままに、理性を失った蛇巫女は我らが同胞を食らい続ける脅威へと成り果ててしまったのだ』


『今、私は死の淵に居る。あの蛇巫女を祠に封印したものの、その代償として私以外の退化していない同胞は死に絶えてしまった。その私も致命的な傷を負い、最後の力を振り絞ってこれを記している』


『祠の封印は完璧なものではない。半ば急造したものに過ぎないあの封印は、酷く脆弱だ。内からならばともかく、外からの衝撃にはとても耐えられまい。内からですら、いずれ己の力で抜け出てくるのは目に見えている』


『完全なる封印に必要な物は有していた。いたのだが、使用できなかったのだ。ゾタクア様から譲り受けた封神鏡は力を発揮するのに膨大な魔力が必要だった。荒れ果てたこの地、小さな森から得られる魔力だけでは起動に必要な魔力が溜まるまで幾世紀もかかるだろう』


『同胞達よ。鏡が力を得るまでの間、何とかこの祠を守り続けて欲しい。鏡に魔力が溜まったならば、鏡面を蛇巫女に向けて鏡の裏面に刻まれた呪文を唱えるのだ。叶わぬ夢になるかもしれぬが、この手紙を理解できる程の知恵を持った末裔が現れてくれる事を祈る』


 凡場は重しの布を取り外した。

 手に納まる程度の小さな鏡だった。

 縁は蛙に似た怪物を象っている。大きく開かれた口の部分が鏡となっており、覗き込む凡場を映していた。

「これが封神鏡か……つっても、これ使えるのか? 魔力が溜まるまで時間が掛るって書いてあったんだろ?」

「……多分使えると思います。魔力が溜まらなかったのは此処がかつて荒地だったから。私が放出する魔力で満たされた今の堅洲ならば、それ程時間は掛からないはずです」

「じゃあ、雅。これを……」

 手渡された其れを、雅は受け取らなかった。

「凡場様。封印はあなたにお任せいたします。私は弁慶様の援護をしなければなりません」

「俺が? 呪文とか知らねえぞ」

「行きすがら私が教えます。さあ、弁慶様の下へ急ぎましょう」

「……ええい、成るように成れ!」


 住職はじりじりと押されていた。

 触指、触手、触腕……異形の姿から繰り出されるあらゆる拘束も、僅かな時間しか効果が無い。

 本能のままに暴れる蛇巫女の力に、さしもの怪人の力も分が悪いようだった。

 突撃してくる蛇巫女を回避しつつ、擦れ違いざまに大蛇の首の一つを触腕で巻き取り握り潰す。

 数本の首を同じように潰す事に成功したものの、流石に体力に限界が来たようだ。

 鞭のように振り抜かれた丸太のような大蛇の胴体に強かに打ち付けられ、住職は吹飛ばされる。

 起き上がろうとするも受けたダメージが強く、動きがぎこちない。

 致命的な隙。

 住職を飲み込まんと大蛇の首が迫る。

 鮮血が住職の上に降り注いだ。

 目の前に落ちてくる蛇の首。

「弁慶様、お待たせいたしました!」

 仕込み刀を手にした雅が其処に居た。

「おお、魔王殿!」

「御無事で?」

「なあに、わしは結構しぶといんじゃ。まだまだくたばらんよ」

「結構! あの方の動きを止めます! 手を貸してください!」

「合点承知!」

 再び迫りくる蛇の首。

 雅は自分に狙いが定められている事を確認すると、住職が体勢を立て直すまでの時間を稼ぐべく、身軽な動きで蛇巫女を翻弄する。

 一つ、二つと迫る首。

 肌が触れるか触れないかの絶妙な見切りで避わし、雅は迫りくる蛇の首を切り捨てていく。

 蛇巫女を彩る赤い噴水。

 数少なくなった首を全て雅に向けるも全く当たらない。

 避けられない首をこれまでの様に斬り裂こうとして……遂に限界を迎え折れる刃。

 雅は慌てる事無く残った刃を大蛇の瞳に叩き込む。

 尚も迫る首だったが、その時点で雅の目的は果たされていた。

 蛇巫女を包囲する触手の群れ。

 体勢を立て直した住職により、蛇巫女が大地に張り付けられる。

「凡場様! 今です!」

 蛇巫女の前に踊り来る影。

 茂みの中で機を伺っていた凡場が、蛇巫女に鏡を突き付ける。

 既に呪文は唱えきっていた。

 鏡面が煌めき、異界の光が蛇巫女に投げかけられる。

 刹那、凄まじい風と共に鏡が蛇巫女を吸い込み始めた。

 逃れようと暴れる蛇巫女であったが、多くの首と血を失い弱体化した彼女に逃れる術はなく。

 小さな鏡に大蛇の姿が吸い込まれる。

 後に残ったのは静寂だけだった。


「やれやれ……何とか出来たのう」

 人の姿に戻った住職は、一息ついたと言わんばかりにサングラスを掛け直す。

「爺、大丈夫か? 強かに体を打ったようだけどさ」

「御覧の通りじゃよ。日頃の修業の成果じゃて」

 呵々と笑いながらポーズをとって元気さをアピールする住職。

「して、祠で何があったのか、教えてくれんかの」

「はい。祠では……」

 祠であった事を住職に説明する雅を眺めていると、凡場の裾が引っ張られる。

「お前、まだ居たのか?」

 蛇が其処に居た。クイクイと首を動かす。

 その方向の茂みが揺れ、白蛇が姿を現した。

 何となくだが、凡場には感謝の念を伝えているかのように思えた。

「ふむ。この森の主殿かな?」

 雅から話を聞き終えた住職が、白蛇と向き直る。

「わしらはお主と話に来たのじゃ。祠を開けた少年達に呪いを掛けたのはお主じゃろう?」

「此奴が?」

 白蛇は肯定するかのように首を動かした。

「お主等の怒りも分からなくもない。何せ自分達の命を脅かす存在を解き放ったのじゃからな。じゃが、魔王殿の話を聞くに封印は何れ破られていた模様……厄災は避けられるものではなかったのじゃから、それが過ぎた今、怒りを解いてくれんかのう?」

 白蛇は何も語らない。ただ住職達をじっくりと見つめている。

 やがて首を軽く上下に振ると、茂みの中に帰っていった。

「……どうなったんだ、爺?」

「うまくいった。蛇巫女を鎮めてくれた礼だそうじゃ」

「そうかい。じゃあとっとと確認に戻ろうぜ」


 森から帰った住職達を出迎えたのは、涙ながらに感謝の言葉を贈る少年達の姿だった。

 巻き付く様に浮かび上がっていた痣は、綺麗さっぱり消えていた。

 依頼に対する報酬金を心配していた少年達だったが、それに関しては住職が断った。

 代わりに、自分達の手伝いをして欲しいと頼み込む住職。

 少年達の食卓には、しばらく巨大な西瓜が幅を利かせる事だろう。

 雅とは其処で別れた。

 住職から封神鏡を受け取った雅を見て、それをどうするのかを凡場が尋ねる。

「こくりこ神社に祀ってもらいます。怒りと憎しみが鎮まれば、守護者としての知能を取り戻せるはずです。堅洲の新たな守り神として、荒ぶる力を取り込みましょう」

 雅はそう言って夜見島へと帰っていった。

 宝嶺寺への帰り道。

 止めていたバイクを取りに戻る道すがらであった。

 凡場は服の中でもぞもぞと動く何かに気付く。

 するすると袖口から現れたのは、件の蛇の姿だった。

 何で付いてきたのか分からない凡場に対し、弁慶はカラカラと笑った。

「命の恩人に恩返しをしたいのじゃろうよ」

 その言葉を肯定するように、蛇は楽し気にユラユラと体を揺らすのだった。

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