東方の異世界の女性の体に転移しましたが、素敵なサムライ様と懇意になれたので幸せに生きていけます
「はっ……? ここはどこ?」
わたくしが目を覚ますと、そこは見慣れない部屋の中でした。
見たこともない、何に使うのかもわからない機械のようなものや、何やら小動物のようにかわいらしい男の子の人形が、机や棚の上にたくさん置いてあります。
ドレッサーがありましたので、覗いてみてびっくりしました。
「これが……わたくし!?」
それは図鑑で見たことのある、東方の民族のような姿でした。金色だった長い髪は真っ黒で肩までに変化し、青かった瞳も黒檀色に変わっております。そして自分の胸を触ってみて一番驚きました。
「胸が……。胸がない!」
正確にいえばそれは間違いなく乳房と呼べるようなものではありました。ですけれど、元々のわたくしの胸と比べたら、ないに等しいほどにぺったんこだったのです。
わたくしはこの状況が夢ではないことを確信すると、戸惑いと悲しみと、そして不安とともに、おおきな喜びが胸に湧いてくるのを感じました。
「やった! あの、わたくしを苦しめていた、おおきな胸がなくなった!」
鏡の中にむかって、思わずガッツポーズを作ってしまいました。
ですけれど何をどうして生活していけばよいのか、右も左もわかりません。家政婦のリズもいないようですし、家庭教師のドライさんも当然やって来てはくださらないもののように思えました。
「とりあえず……邸の中を探索してみましょう」
部屋の扉の鍵の外し方がわかりませんでしたが、なんとかクリアすると、わたくしはそれを回して開きました。
その先には隣室があるか、家の廊下があるかと思っていたら、なんと外に出てしまいました。寒風が殺風景な石の廊下をピュウウと吹き抜けていきました。
わたくしは急いで部屋に戻ると、神に祈りました。
「神様……どうか、わたくしを……」
両親の元へお返しくださいと祈ろうとして、躊躇いました。
わたくし──イライザ・ローガン伯爵家令嬢は……あの世界で果たして幸せだっただろうか?
何よりあの憎たらしい弟──エドガーから離れることができたのは良いことなのではないかしら?
何が起きたのかはよくわからなかったけれど、ここは確実に、元いたわたくしの世界ではない。異世界というところなのでしょう。
とりあえずこの異世界がどんなところなのか、確かめてみることにしました。
クローゼットの中に並べられていた服の中から暖かそうなものを選んで、わたくしは外へ歩きだしてみました。
故郷の森はどこにもなく、初めて見る高くて四角い建物と、三角屋根のウサギ小屋みたいな家ばかりが立ち並んでいます。
時間は朝のようでした。すれ違う人々は皆、わたくしとは違う東方の民族でしたが、その言葉はふつうに聞き取ることができ、皆さんが「おはようございます」と挨拶を交わしてらっしゃいましたので、それを知ることができました。
街を呆然と眺めまわしながら散策をしておりますと、突然、わたくしのポケットの中で、奇妙な音楽が鳴りはじめました。
それは平たい薄青色の板のようなものでした。音楽はその板から鳴り響いているのでした。
「あの……、もし」
近くを通りかかった東方民族の婦人に声をかけました。
「これは……何ですの? なぜ、音楽が鳴り響いているのですか?」
「あんた、寝ぼけてるのかい?」
婦人はそういうと、わたくしの手から板を取り、何か操作をするとわたくしに返してきました。
『もしもし? もしもしおーい高中ーっ!』
板から殿方の怒鳴り声が聞こえてきます。
『何やってんだ!? 会社はもうとっくに始まってんぞ? 遅刻か? 早く出てこい! っていうか電話出ろ!』
「あの……」
わたくしはおそるおそる、その声にむかって聞いてみました。
「これは……魔法ですの?」
『ハァ!? てめー寝ぼけてんのか!?』
「申し訳ございませんが……わたくし、タカナカさんではございませんわ。イライザ・ローガンと申します。どうやら異世界のタカナカさんと体が入れ替わってしまったようで、困っております」
声の主が黙り込まれたので、わたくしは一方的に喋り続けました。
「どうか……助けてはくださいませんでしょうか。大変困っているのです。どうか……、どうか! 救いの慈悲のお手を……」
すると声の主が仰いました。
『アパートまで行く。部屋で待ってなさい』
◇
部屋に戻って待っていますと、大きな呼び鈴の音がしました。
「ど……、どうぞ」
わたくしがいうと、すぐに扉が開きました。
入っていらっしゃったのは、精悍なお顔に黒いおひげを蓄えられた……いえ、これは無精ひげというのでしょうか、でもその戦士のような、荒々しい印象がとてもかっこいい、東方民族の男性でした。
図鑑で見た『サムライ』という種族のことを思い出しました。
一重瞼の鋭い目でわたくしをじっと見つめられると、その方は仰いました。
「高中……じゃ、ないな?」
「イライザと申します。ローガン伯爵家令嬢にございます」
そういって、わたくしは防寒着の裾を両手でたくし上げ、片足を後ろに引き、膝を曲げて挨拶をしました。
「信じたくはないことだが……、そんな言葉遣いも、そんな挨拶の仕方も高中にはできん。信じよう」
その方は部屋に上がってこられると、名乗られました。
「俺は毒島涼。高中の直属の上司だ。君の話を聞こう」
わたくしはブスジマ様にすべてお話ししました。昨日、眠りにつくまで、ローガン邸の自室のベッドにいたこと、目が覚めたら見知らぬ東方の女性の体に入り込んでしまっていたこと、この世界は見たこともないものばかりで、どう生活したらいいのかさっぱりわからないこと……。
「異世界転移……か。本当にあったんだな」
ブスジマ様はご自分でお茶を淹れ、わたくしのぶんまで淹れてくださいながら、真剣な顔で仰いました。
「すると高中のやつが貴女のいた世界に行って、貴族生活をしているというわけか」
「きっと困ってらっしゃると思います」
「どうだかな。あいつは結構逞しいから、案外気に入って馴染んでるかもしれん」
「弟が……問題なのです」
「君の弟がか? どういう問題なんだね?」
わたくしはあの、見た目はかわいすぎる天使のような弟の、忌まわしい本性について、語りはじめました。
「弟は……9歳になるエドガーは、見た目はとってもかわいいんですのよ。でも、その本性は、とんでもないおっぱいフェチなんですの」
「おっぱいフェチだと?」
「ええ……。わたくしが10歳、エドが3歳の時に、その兆候は現れました。一緒にベッドの上で戯れていた時、エドがしつこくわたくしの──膨らみはじめた胸に興味を烈しく示し、触れてきました」
「フウム……!?」
ブスジマ様は大変興味を示されたようで、腕組みをしながらわたくしの話に耳を傾けてくださいました。
「わたくし……今はこんなですれど、元は自分でも恥ずかしくなるほどに、はしたない胸をしておりました。弟は、どんどん膨らみを増して成長するわたくしの胸に、ついに理性を失って、むしゃぶりついてきたんですの!」
「な……に!?」
思い出しても恐ろしい……。エドのしつこく触れて来ようとするその手を嫌がるあまり、わたくしはエドを拒絶し、遠ざけ、遂には暴力をふるってしまうようにまでなったのです。
「それは……大変だったね」
鋭い目を優しくして、ブスジマ様がわたくしを慰めてくださいました。
「だが、高中なら大丈夫だ。かえってそれは大喜びしてそうだ。何しろあいつはショタコンだからな」
「ショタコン?」
「ああ。わかりやすくいうなら少年愛好家だ。かわいい少年になら何をされても……むしろ胸に顔なんか埋められたら嬉しさによだれを垂らしているだろうな」
信じられないお話でした。
わたくしはエドに胸に興味をもたれるのが死ぬほどに恥ずかしくて、とても嫌でしたのに、そんな性癖の貴婦人がいらっしゃるなんて、この世は広いと思いました。
「高中……いや、イライザさん。君のことは、この私が守ろう」
まっすぐわたくしの目を見つめながらそう仰るブスジマ様に、わたくしは身を預ける決心を既にしていました。
だってブスジマ様はまるでサムライで、頼り甲斐があって、そして何よりカッコよろしいんですもの!
◇
わたくしはそれから程なくしてブスジマ様に求婚され、快諾し、結婚しました。
彼がいなくてもこの世界で生きていけるぐらいには慣れはじめていましたが、それでも彼はわたくしにとって大きな船のような存在でした。
子供を3人産みました。この世界では子供も産婦も死亡率が大変に低いそうです。娘2人と息子1人はすくすくと成長しております。
いつか元の世界に戻れる日が来るのかもしれませんが、わたくしはそれを望んでいません。いつまでも彼と、3人の子供たちと、この21世紀の日本という場所で生きていきたいと心から願っております。
ある日、彼がお酒に酔って、白状したことがありました。
「オレ……、高中綾子に……君の体の元の持ち主に──交際を申し込んで、フラレたことがあったんだ」
「え!」
初耳でした。
「そうだったんですの?」
「ああ……。オッサンは嫌いだって。オレ、まだ31歳だったんだけどな。でも、14歳以下の少年しか愛せないって、すっごくオレのことなんかどうでもよさそうな笑顔で言われたよ」
「それで……」
おそるおそる、わたくしは聞きました。
「あなたが愛しているのは……わたくし、イライザ・ローガンなのですか? それともタカナカ・アヤコなのですか?」
「はっきりいって、オレが高中に交際を申し込んだのは、顔がどストライクだったからだ。小さい胸も好きだ」
彼は、はっきり口にしました。
「だが、その高中の体に入った君のことを一番愛してる。イライザ……、一生オレと一緒にいてくれ」
抱きついて、その無精ひげに頬ずりをして、思わず額に口づけをしました。
もちろん、わたくしはこのひとと、共に白髪が生えるまで、いいえ天国に召された後までも、一緒にいようと心に決めていたのでした。