次善策
◇西暦1941年 12月1日 23:58 大日本帝国 帝都・東京 某料亭
いきなり世界が滅亡する可能性を聞かされ、呆然とする会合参加者達。
そんな彼らを尻目に、正彦は次善策についての話をしようとするが、そこに待ったを掛けた人物が居た。
「ま、待って頂きたい!まだ質問は終わっておりません」
「ああ、そうだったな。すまん、うっかりしていた」
自分が許可したにも関わらず、残りの質問を聞くことを忘れていた正彦は流石に申し訳なく思ったのか、吉田に対してそう謝罪する。
「それで、次の質問はなんだ?」
「開戦日です。どうして向こうの解答期限を待たずに宣戦布告を?」
「元々、今回の要求は向こうの一方的なものだ。こっちが大人しく待ってやる道理は無い。それに向こうに先制攻撃させるのはリスクが大きすぎる」
そう、正彦が前世で見た仮想戦記などではよく大義名分を得るためにアメリカに先制攻撃を行わせるというものがあったが、実際にするとなるとこれはあまりにリスキーすぎる選択肢だ。
確かにこの世界の日本は経済力・工業力共に史実を圧倒していたし、技術力は正彦のてこ入れもあって史実より数年進んでいるが、それでも一度でも大打撃を受けてしまえば回復は困難であるという点は変わっていない。
加えて、奇襲を行わずにアメリカ艦隊を倒すとなると、大きな犠牲が予想されるし、仮にそれで勝利してもアメリカがそこで講和をせずに本気モードを出してしまえば、奇襲を行わなかった場合よりも厳しい条件で日本は戦い続けなくてはならなくなる。
そういった理由から、正彦はアメリカの反日世論の向上も覚悟の上で先制攻撃を行う事に決めたのだ。
「更に言えば、アメリカが我が国との戦争にのめり込むことを英蘭が了承するとも思えない。この2ヵ国に関しては東南アジアを占領した後、彼の地を対米戦争の終結を条件に軍を撤退させると言えば講和の話に乗ってくるはずだ」
無論、占領した後はただ撤退するなどといった勿体ないことはしない。
現地独立組織の軍事教育や史実日本がやったような――明らかに意図的な――武器の遺棄も行う予定だ。
そして、日本が現地組織に軍事支援をしている事を暗に英蘭にほのめかせば、両国――特にオランダ――は植民地を失わないために必死こいて仲介の役目を果たしてくれるだろう。
「確かに乗っては来るでしょうな。英蘭は」
吉田もその点は肯定せざるを得なかった。
そもそも英蘭にとっては日本が自分達に宣戦布告してきても何のメリットも無い。
史実ならばドイツとの戦争に日本を巻き込めると喜んだかもしれないが、この世界では日本はドイツ、イタリアと手を組んでいないので、日本が宣戦布告をしてきたからと言って両国が参戦することはあり得ず、むしろ、余計な敵を増やすだけになってしまう。
・・・もっとも、逆に言えばこの世界の日本はあの強大な米軍を単独で相手にしなければならないということでも有るのだが、とにかくそういうわけで日本との戦争は英蘭にとってはデメリットしかないのだ。
「おそらく英蘭がアメリカの要求に名を連ねたのは、アメリカの関心を買って更なる武器貸与や資金援助を求めた為でしょう。・・・しかし、それにしても自分達の植民地が脅かされるような行為をしている点は些か不可解ですが」
「それは仮に日本がアメリカに戦争をふっかけたとしても、アメリカの相手をするのに手一杯になると考えているからでは?大慶油田の詳細を知らなければ、自分達の領域にわざわざ手を出してくるとは考えないでしょうし」
吉田の疑問に対し、山本はそのように言葉を返す。
大慶油田は重質油の油田であり、ガソリンなどの軽質油の油への変換は難しい。
それ故に今回の戦争では長期戦を見据えて、インドネシアのバレンパンなどの軽質油の油田を確保しておきたいという日本側の思惑が有ったのだが、山本の言うように大慶油田の詳細も知らないままたんに地理的な観点だけで考えたのならば、自分達の方に攻め入ってくるとは考えづらいだろう。
なにしろ、この世界では日本はインドシナに進駐していないのだから。
「・・・まあ、今は取り敢えずそれは置いておきましょう。それより対米戦に話を戻しますが、やはり私は反対です。アメリカの世論を激昂させてしまう可能性が高い」
「そこは勿論分かっているさ。だが、アメリカが戦争準備を整えるまで待つリスクもまた高い」
これは本当だ。
後の世では物量ばかり強調されるアメリカだが、それに頼れない状態では弱かったのかと聞かれればそんなことは決して無い。
実際、まだアメリカの戦争体制が整っていなかった昭和17年中の戦いにおいて、アメリカ軍が失った空母は4隻(レキシントン、ヨークタウン、ワスプ、ホーネット)なのに対し、日本軍は6隻(祥鳳、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、龍驤)もの空母を失っている。
しかも、驚くべき事にこれらのアメリカ側空母には航空攻撃のみで沈んだ空母は1隻も無い――レキシントンは自沈、ホーネットは日本海軍駆逐艦の雷撃、残る2隻は潜水艦の雷撃によって沈没している――のだ。
戦艦に至っては昭和十七年どころか、戦争全体を見渡しても撃沈できたのは真珠湾攻撃の時のみという有り様で、逆に日本は昭和17年だけでも戦艦2隻(比叡、霧島)を喪失している。
このようにアメリカ軍という存在は例え物量が無くとも油断ならない敵であり、後世でよく言われる『物量差が無ければ、日本は勝てた』という言葉を無条件に信じるのは非常に危険だった。
「そもそもアメリカと戦争をやること自体が綱渡りなんだ。であれば、自分が上手くいくと思った方に賭けたい」
「・・・分かりました。そこまで言うのであれば開戦日については殿下の言い分に納得するとしましょう」
「納得してくれたようで何よりだ。それで次の質問は?」
「はい。休戦についてですが、これにアメリカが乗ってこなかった場合はいかが致しますか?」
言っておきながら、その可能性が低いということは吉田にも分かっていた。
休戦というのは講和による停戦と違い、あくまで戦争の休憩であって指定された期間が過ぎれば、どちらかが申告してもう片方が受諾しない限り、そのまま戦争は再開されるのだ。
つまり、その間に体制を整えたりすることも出来る訳で、原爆の存在を知らず、長期戦になれば国力に勝ると思っているであろうアメリカにとって自分達の有利に働くと考えるだろう。
それ故に休戦が成立する可能性は高いのだが、それでも物事に絶対は無いので、そうならなかった場合のことを聞いておきたかったのだ。
――そして、その点は正彦も事前に考えていた。
「その場合のことももちろん考えてある。が、それを説明するためには先程話を中断した次善策が関わってくるので、まずそれをここで話しても構わないか?」
「構いません」
「よろしい。では、山本総長。二度目で申し訳ないが、よろしく頼む」
「はっ。では、次善策について説明します」
そう言って山本の口から話される次善策。
それは短期決戦が失敗し、更には休戦が成立しない、あるいは成立しても短期間で終わってしまった場合の長期戦プランだった。
その場合、日本は太平洋戦線を南はソロモン、ニューギニア、東はハワイまで拡大した後、防備を固めつつ英蘭との講和を目指し、ひたすら西進。
英蘭と講和した後は空母機動部隊を用いてパナマ運河からアラスカにかけてのアメリカ及びそれに味方する勢力に対して徹底的な攻撃を行い、後は原爆の存在を適当なタイミングで明かし、それをカードにしてアメリカと講和する。
この際に重要となってくるのが、原爆を使用して講和するまでに日本はある程度の戦力と勢力範囲を保持しなければならないという点だ。
通常戦力が全く無ければ何かあったときに柔軟に対応できず、日本の通常戦力は極度に弱体化していると取られかねないし、勢力範囲がある程度広くなければアメリカ側も自分達の原爆が揃うまで待てば勝てると開き直る可能性もある。
故に、正彦は最低でもマリアナを保持、あるいは同地にある飛行場を少なくとも終戦から数年は使えない状態にする必要があると考えていた。
そして、戦力保持に関しても、正彦は艦隊保全ドクトリンという独自の構想を用意している。
艦隊保全ドクトリン。
それは敵主力との対決を徹底的に避け、敵の弱点を狙い続けるというものだ。
軍令部が構想する漸減邀撃作戦に全面的に喧嘩を売るような理論であったが、正彦からすれば軍令部の構想する漸減邀撃作戦はあまりにも非現実的すぎるし、かといって史実のように闇雲に戦線を拡大して首が回らなくなるような事態になることは避けたかったので、これが一番マシだと考えたのだ。
もっとも、この構想は史実ならば絶対に実現不可能だっただろう。
何故なら、艦隊保全ドクトリンはその安全性の代償として油を物凄く喰ってしまう為、実現には大量の油と高速タンカーが必要となってしまうからだ。
この世界では満州の大慶油田と史実の2倍前後の工業力を保有していることで可能になっているだけで、もし史実日本と全く同じ国力であれば正彦もまた全く別な戦略を考えなければならなかったところだった。
「――次善策についてはこのようなところです。何か質問は?」
そう尋ねる山本に、吉田は再び手を上げようとするが、その前に手を上げた人物が居た。
彼の名は山下奉文。
史実ではマレー半島での作戦を成功させ、名将の一人に数えられることになった人物であり、この世界では南西方面軍司令官を務めており、戦争が始まれば南方総軍司令官に就任することが内定されていた。
「どうぞ」
「先程から海軍の戦略を聞いておりますが、確か海軍の戦略は敵を誘き寄せて迎え撃つという陸軍で言うところの内線戦略だったような気がするのですが・・・」
山下はこの会合の参加者となって以来、海軍の人間とも何人か知古を得ていた。
そして、彼自身は海軍の事にあまり詳しくは無かったのだが、それでも海軍上層部が攻めることでは無く、敵を誘き出して迎え撃つという戦術を熱心に研究していることくらいは知っていたのだ。
だが、先程から聞かされるのはそれと正反対の積極的な攻勢案であり、一体どういうことなのかと山下は首を傾げていた。
「ああ、軍令部の殆どの連中が考えているのはそれで間違いない」
「でしたら、この真逆の方針は如何に殿下といえど通すのは難しいのでは?」
「そうでも無いさ。実際、真珠湾攻撃の件は通したしな。それに軍令部の考える戦術はこちら以上に非現実的だ」
「非現実的とは?」
山下は益々おかしいと思った。
そもそも敵を迎え撃つという戦略に非現実的も何も無いと思っていたからだ。
だが、そのあり得ないようなことを戦略単位で考えてしまうのもまたこの時代の日本海軍という組織なのだった。
「それは・・・樋端中佐。説明を頼む」
「私ですか?」
「ああ、山本総長に説明して貰おうかとも思ったが、三回目だし、君みたいな若手の方が上手く説明できるかと思ってな」
「・・・そういうことでしたら、遠慮無く」
男――樋端久利雄はそう言って説明を始める。
樋端久利雄。
史実ではブーゲンヴィル島上空で山本と共に戦死してしまった人物であり、機動部隊の構想を開戦前に考案した人間の一人で、この世界では開戦前より聯合艦隊司令部の航空参謀を務めている。
航空畑の出身だが、腐っても海軍将校で有るため、軍令部の基本的な戦略については知っており、その内容をこの場にて話していく。
「そ、それは・・・」
「あまりにも・・・」
陸軍出席者達は絶句していた。
何故なら、彼らからしてみても海軍の戦略はあまりにも杜撰すぎたからだ。
漸減邀撃作戦。
この内容は大雑把に纏めてしまえば次のようになる。
第一段階・・・航空機や潜水艦によって敵艦隊を消耗させる。
第二段階・・・消耗した敵艦隊に水雷戦隊を突撃させ、打撃を与える。
第三段階・・・戦艦部隊にて決戦を行う。
このように一応、理に適った戦術ではあったのだ。
そう、太平洋という広大な海で行う事を前提としていなければ。
「漸減邀撃作戦は日本海海戦の時のような狭い海域なら有効なんだが、広い太平洋では部隊の集合や連携は困難だし、敵の進撃路も限定させる必要がある。しかし、海軍の連中は戦闘のことばかり考えていて、事前にそういった前提条件を揃えておくことには熱心じゃ無いんだ。一応、作戦の欠点や矛盾を指摘する日本海軍の将校も居るには居るんだが、大勢を占めるまでには至らなくてな」
「・・・1つ、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「なぜ海軍はこのような明らかに欠点がある戦術にそこまで固執しているのですか?」
「良い質問だ。それは一言で言ってしまえば、日本海海戦が原因だよ」
そう、日本海軍が漸減邀撃作戦に固執することになった原因。
それは日本海海戦に起因している。
日本海海戦においてバルチック艦隊を撃破した聯合艦隊であったが、この時、あまりにも勝ちすぎたせいで日本海軍上層部は2匹目のドジョウを狙うことを目指すようになってしまった。
その結果が漸減邀撃作戦であり、日本海軍は航空機や潜水艦などの補助戦力で敵艦隊を消耗させ、然る後に水雷戦隊や戦艦という切り札を出し、敵を完膚なきまでに撃滅するという妄想じみた構想の具現化に固執してしまっていたのだ。
「まあ、さっきも言ったように限定された海域ならこの構想も間違いではないんだけどね。太平洋という広い海域で行うのはどうやったところで無理がある」
だからこそ、史実ではあ号作戦を除いて実現することすら出来なかったのだろう。
よく日本海軍が漸減邀撃作戦を行えなかったのは、日本が戦争の前半戦で戦力を消耗したからだと言われているが、作戦の実現性そのものが低かったのも1つの要因だったのだと正彦は考えていた。
「というわけで、漸減邀撃作戦は諦めて一から戦略を練り直したわけだ。・・・これに関して、何か言いたいことはあるか?」
「い、いえ。有りません」
「そうか。では、吉田外務大臣。以上が次善策であり、休戦が成立しなかった時の対策だ。何か異論は有るかね?」
「いえ、ございません。元々、対策が有るかどうかをお聞きしたかっただけですので」
「それは良かった。ならば、次の議題に入ろう。まずこれらの策を実施する際のソ連との関係についてだが――」
――その日の会合は翌朝まで続くこととなった。