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太平洋の嵐  作者: 大陽
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最善策

西暦1941年(昭和16年) 12月1日 23:11 大日本帝国 帝都・東京 某料亭



「やれやれ。なんでこうなったんだ」



 大日本帝国史上で2番目に若い年齢で内閣総理大臣に就任した男――涼ノ宮正彦はそう言いながら、アメリカとの戦争に突入せざるを得なくなった現状を嘆いた。


 涼ノ宮正彦。


 それは史実では存在すらしなかった皇族の家系に生まれた男であり、その中身は21世紀の日本で育った転生者。


 前世では大日本帝国の敗戦そのものについてはあまり思うところは無かった彼だったが、その結果から出てきていた“遺恨”については――現在進行形で迷惑を被っていたこともあって――不満を抱いており、この転生を機会にその歴史を変えてやろうと決意して動き出した。


 その結果、幾つか失敗したもの――満州事変など――もあったが、概ね正彦の思惑に沿う形で日本の歴史は進んだ。


 ――しかし、そんな彼の最大の誤算はここに来てアメリカの反日感情が天元突破してしまったことだろう。



「仕方有りません。あのような最後通牒に等しいものが届いた以上、我が国としては受けて立つしかないでしょう」



 正彦の同志の一人であり、大日本帝国の現外務大臣――吉田茂は匙を投げるようにそう言った。


 史実では大日本帝国最後の内閣総理大臣にして、日本国の初代総理大臣であった人物だ。


 戦後に和製チャーチルと言われたことからも分かるように、彼は親英派の人間であり、アメリカに対しても親米とまでは言わないものの、その力をかなり正当に評価していた。


 ちなみに彼は軍――正確には陸軍――嫌いの人間として知られているが、それは軍のやらかしによる外交の破綻や吉田本人に対する不当な扱い――少なくとも、本人はそう認識していた――が原因であり、今のこの時点ではそう言った感情はあまり――全く無いわけではないが――存在していない。


 そして、外交官としては言うまでもなく敏腕な人物であり、そんな彼がはっきり“ダメ”と言うということは、本当の本当にダメなのだろうと正彦は嫌でも理解させられてしまうが、同時に納得もしてしまう。



「やはり、無理か」



「ええ、無理ですな。流石の私でもこれだけ一方的に不利な要求を突きつけられては・・・」



 今年8月に行われたアメリカの日本に対する要求。


 それは以下の通りだった。


・米日間の通商において、日本はアメリカにレートの調整を全面的に任せること。


・日本の海外権益の一部をアメリカに無償で譲渡すること。


・以上の要求が受け入れられない場合、12月26日午前0時を以てアメリカは日本に宣戦を布告する。


 あまりにも一方的かつ強引すぎる要求であり、吉田が最初にこれを受け取った時、思わず『何処かで文章が改竄されているのではないか?』と疑ってしまったほどだ。


 だが、それから1週間ほど掛けて調査しても結果は変わらず、ようやく現実を受け入れた吉田はならばと少しでも条件の緩和、あるいは代替案を提示しても取り付く島も無く、10月にはそこにイギリスとオランダが加わる始末。


 更に解答期限があまりにも短すぎるということもあり、ここまで来ると流石の吉田としても匙を投げざるを得なかったというのが現実だった。



「まさか貿易摩擦でここまで反日感情が高まるとはな。流石にこれは予想外すぎた」



 そう、実はこの世界のアメリカの反日感情の原因は史実の同時期のような中国やインドシナ問題ではなく、史実では数十年後に起こる筈だった日米の貿易摩擦だった。


 世界恐慌。


 史実同様、西暦1929年に起きたそれはこの世界でも各国の経済事情に陰を落とした。


 ――しかし、そんな中、日本は一部の市場に打撃を受けたものの、他のどの資本主義国家よりも早く不況から脱却することに成功し、経済発展の速度は殆ど鈍化せず、そんな日本に各国は熱い視線を注ぎ、自分の経済ブロックに参加させようと躍起になったが、最終的に日本はアメリカのドルブロックに参加。


 これによって日本は更なる経済発展に成功したのだが、その際に割を喰ってしまったのがアメリカの産業界だった。


 西暦1970~1980年代頃の史実日本は主に自動車産業によってアメリカの市場を席巻していたのだが、この世界ではそれが半世紀近く早まる形で起きてしまい、車が売れなくなったアメリカの自動車産業は大打撃を被ることとなり、その結果、自動車を作る会社で働いていた多数の労働者が解雇されてしまったのだ。


 もっとも、史実のジャパン・パッシングを知る正彦の働きかけもあって、その解雇された労働者と同等か、それ以上の労働者を現地に進出した日本企業が吸収していたのだが、この時代は史実でジャパン・パッシングが起きていた時代よりも人種差別が激しい時代であり、雇われた白人労働者は現地に派遣された日本人現場監督と対立するケースが多数発生。


 当然、日本側はそういった指示に従わない人間は解雇したのだが、それを不当解雇だと裁判所に訴えるケースも多数発生することになり、最終的にアメリカ政府までもが介入する騒ぎとなった。


 そして、この一件に関してだけを言えば、日本側の主張に沿う形で決着という結末となったのだが、結果的にそれが白人系アメリカ国民の反日感情を高める事態となってしまったのだ。



「・・・兎も角こうなったからには戦争をやるしかないでしょう。しかし、アメリカは何を考えてこんな短期間での解答期限を設けてきたのでしょうか?これでは事実上我が国は戦争を選ぶしか道が無いではありませんか」



 司法大臣――東条英機はそんな疑問を口にしる。


 史実では戦犯として戦後に色々と悪役のような扱いをされた人物だが、かつての大久保利通と同じく私腹を肥やさずに国家に対して奉仕できる点が正彦に高く評価され、この会合に加えられていた。


 ちなみにこの世界では意外なことに彼は陸軍の軍人ではなく、司法官僚としての道を歩み、一年前に司法大臣に就任している。



「おそらくそれが狙いだろう。我が国がアメリカの要求を拒否することで日米戦争を正当化させ、その後に制圧して属国化、もしくは併合してしまう。そうすれば日米での貿易摩擦を解消出来て、アメリカの国力やアジア地域に対する外交的影響力も増すという寸法だ」



「・・・舐められていますな」



「ああ、そうだな。だが、そうとでも考えなければこんな要求はしてこないだろう」



 正彦はそう言いながら、史実における開戦直後のアメリカのパニック具合を思い出す。


 史実での太平洋戦争勃発直後、日本軍の猛攻にアメリカ社会はパニックに陥った。


 まあ、これはある意味で当然の反応だったと言えるだろう。


 なにしろ、アジアの後進国と侮っていた相手にいきなり太平洋に配備した戦艦部隊が全滅に近い状況に追いやられた上にフィリピンを含めた東南アジアを僅か半年足らずで取られてしまったのだから。


 アメリカ陸軍に至っては西海岸での防衛計画を本気で検討していた程であり、如何にアメリカという国が日本軍の猛攻に恐れを成していたかが分かる。


 しかし、逆に言えばそれはアメリカがそれだけ日本軍という存在を嘗めていた証でもあるのだ。


 そして、その評価がこの世界でも変わっていないからこそアメリカはこのような要求を平然としてきたのだろうと正彦は推測していた。



「まあ、軍事的に言えば相手が此方を嘗めていてくれるのは好都合でもある。というわけで、話は肝心の戦争計画に移るのだが・・・山本大将、“太平洋の嵐”計画についての説明を頼む」



「承知しました」



 そう言って正彦とそのシンパが練り上げた戦争計画――『太平洋の嵐』計画についての説明を始めたのは、軍令部総長――山本五十六大将。


 史実では聯合艦隊司令長官として真珠湾攻撃作戦を立案し、ブーゲンヴィル島の空に散ってしまった人物であったが、この世界では正彦の後押しもあって軍令部総長に就任していた。



「本計画は短期決戦を目指した最善策と長期戦を想定した次善策に分かれており、まず最善策についての説明をさせて頂きます」



 太平洋の嵐計画。


 元々は十年以上前から入念に計画されていた対米戦争専用のプランだったのだが、イギリスとオランダがアメリカに同調する様子を見せた為に、急遽修正が加えられたせいで半ば泥縄式の戦争プランとなってしまっており、はっきり言えば初期計画はほぼ史実の太平洋戦争初期に行われた日本軍の攻勢計画とほぼ変わらず、まず第一段階としてアメリカ側の解答期限を待たず、12月8日の午前0時を以て日本はアメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告。


 既に単冠湾を出撃している第一航空艦隊がハワイを奇襲し、拠点と停泊している艦艇を壊滅させ、その後に東南アジアに侵攻。


 ただし、フィリピンは1943年に独立予定であることから、侵攻した場合、ゲリラの大量発生が予想されるため、大量の機雷を投下しての海上封鎖に留める。


 東南アジア制圧後は作戦の第二段階としてニューギニア、ソロモン諸島、ミッドウェー、ハワイ、ジョンストン島を制圧。


 そして、その過程でアメリカの空母部隊の戦力を壊滅させられなかった場合、一番手近なアメリカ領土であるアリューシャン、アラスカに侵攻し、敵空母部隊を誘き寄せて撃滅。


 万が一、それでもダメだった場合は西海岸及びパナマ運河を攻撃し、アメリカの世論に揺さぶりを掛ける。


 その後、アメリカに対して講和を申し入れ、ダメだった場合は数年間の休戦協定を申し入れて原爆が揃うまでの時間を稼ぎ、アメリカが折れるのを待つ。



「以上が太平洋の嵐計画の最善策です」



「・・・幾つか質問しても?」



「どうぞ」



「では、まず原爆というのは?聞いている限りだと、戦争を終わらせる鍵のような言い方をされていますが」



「それは――」



「それについては私から説明しよう」



 吉田の質問に答えようとする山本の言葉を遮る形でそう言ったのは、やはりと言うべきか原爆という要素を計画に付け加えた張本人である正彦だった。


 

「原爆というのは一言で言ってしまえば、一発で一つの都市を壊滅させることが出来る爆弾だ。更に投下された後には放射能という人体に有害な物質が残り、投下された都市は事実上、死の大地と化す」



 その説明に会合に出席している一同はざわついた。


 まさかそんな爆弾が存在するとは思わなかったからだ。



「そ、そうでしたか。しかし、それはある意味毒ガスと一緒では?もし使用すればアメリカが同じような物を作って報復してくる可能性も・・・」



 文官であり、軍事に疎いところのある吉田はそんな懸念を口にする。


 もっとも、これは吉田だけの意見では無い。


 まだ原爆が誕生してすらいないこの現状で核兵器の存在を正確に理解することなど不可能であり、それ故に吉田を含めたここに居る殆どの者は正彦の説明から『原爆=でかい威力を持つ毒を排出する爆弾』だと認識してしまっていた。


 実際はそんな生易しい(・・・・)代物では無いのだが、前述したようにこの時点では軍人である山本ですら核兵器の本当の価値を理解していなかったので、吉田達がそう思うのもある意味では当然だったのだ。



「そこは安心して良い。そもそも原爆はアメリカといえども簡単に作れるような代物ではないからな」



 これは事実だ。


 実際、史実でアメリカは原爆の開発に莫大な予算と優秀な技術者を投入したにも関わらず、実用化には3年もの時間が掛かっている。


 一方、こちらは戦前から研究している上に正見商会のバックアップを得てもう少しで完成というところまでこぎ着けており、あとは使うタイミングを計るだけという状態だった。


 もっとも、量産は難しいので、複数の爆弾を用意するためには数年の時間が必要であり、その時間を稼ぐために数年間の休戦期間が欲しかったのだ。



「あと言い忘れていたが、原爆の放射能は偏西風やジェット気流に乗って世界中に降り注ぐ可能性がある」



「そ、それはつまり・・・」



「仮にこの爆弾を一万、いや、千発程使えば世界が滅ぶ可能性があるな」



「「「「「・・・」」」」」



 会合の参加者達は――山本などの軍人達も含めて――今度こそ絶句するしか無かった。


 なにしろ、先程まで日本の存亡が掛かった話し合いを行っていた筈なのに、いつの間にか世界が滅ぶかどうかの話に変わっているのだ。


 これで全く戸惑わなければそれこそ頭が可笑しいだろう。



「まあ、現時点では日本にもアメリカにも原爆の量産には限度があるから、世界が滅ぶ心配はまだ(・・)しなくても良い。なので、今は次善策についての話をしようか」



 参加者達の誰もが頭の理解が追いつかないまま、正彦は飄々とした様子でそう言った。

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