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そらは黒い闇  作者: あおうま
3/3

■■■のお話③

 

◇◇◇


 小学校からの帰り道、あたしは家までの道を走っていた。

 最後のホームルームが終わり掃除の時間も終わると、あたしは一番に一目散に教室から出る様にしている。


 いじわるなクラスの子たちと帰るのが被っちゃうと、友達どおしの話しのネタにあたしにも聞こえるように馬鹿にされたり、後ろから押されて転ばされたり、投げた者が当たったら勝ちゲームの的にされたりするから。

 だから誰よりも早く帰ることが、自分を守る一番いい方法だった。


 走りながらも、頭の中ではさっきのホームルームで配られたプリントの内容がこびりついて離れなかった。


(……行きたくないな)


 プリントの内容は、再来週の社会科見学のこと。

 小学校をみんなで出発して最寄り駅に向かい電車で移動したあと、班ごとに別れてみんなで決めたいろいろなものを見て回るらしい。


 今度の生活の時間に班ごとで回るルートを話し合わなくちゃいけないらしいから、そういうみんなと何かをしないといけない授業の時間はいつも憂鬱だし、当日は電車賃もお弁当も用意しないといけない。

 今度ちゃんとしたしおりが配られるらしいけど、もしかしたらもっと準備しないといけないものもあるかもしれない。


 だけどそんな気持ちを持っているのはきっとあたしだけで、社会科見学の話を聞いたみんなはとても楽しそうに喜んでいた。おにいちゃんに聞いたけど駄菓子がいっぱい売っているお店があるだとか、お小遣いを持って行っておみやげで何が欲しいだとか、先生が話しているのに友達どうしでヒソヒソ話していた。

 あたしはきっと駄菓子もおみやげも何も買えないだろうし、そもそも電車賃すら用意するのが大変なんだから。


 そんなことで嫌な気持ちを抱えたまま、あたしの家があるアパートまで帰ってきて家のドアノブを回すと、今日も鍵がかかっていた。ランドセルから鍵を取り出そうとしたとき、隣の部屋のドアが開いてお姉さんが出て来た。

 つい反応して目を向けちゃうと、お姉さんもあたしに気付いたのかこっちを見たから、バチリと目があってしまった。


「……ん、あぁ今帰りか。おかえり」


 声を掛けられてビクッとしてしまったけれど、すぐにランドセルに目線を落として鍵を急いで探した。こういう時に限って奥に入ってしまって、手を突っ込まないと取れないところに入り込んでしまっている。

 焦って取り出そうとしているあたしに、お姉さんは近づいてきた。


 あたしの横まで歩いてきたお姉さんのせいで、怖くなってランドセルに手を突っ込んだままで身体が強張り固まってしまった。

 朝も今も挨拶されたのに返さなかったから怒られるかもしれない。クラスの子たちみたいにあたしの身体のことで臭いとか気持ち悪いとか酷い事を言われるかもしれない。機嫌が悪いお母さんにされるみたいに叩いたり蹴られたりするかもしれない。


 自分を守るためなのか無意識で目をつぶり身体を強張らせているあたしのことを見て、お姉さんがどういう顔をしているかわからない。こういう時、いつもあたしは怖くて相手の顔を見れなかった。

 怒っているときやイライラしている時の顔は、みんなとても怖くて泣きたくなってしまうから。


「ねえ、今日あんたの母親は?家にいんの?」


 あたしを見て何を思っているのかはわからないけれど、お姉さんはちょっと黙ったあとにそんなことを聞いてきた。その質問に答えていいのか、なんて答えていいのか考えて、あたしは結局フルフルと首だけ横に振った。

 

「……そっか」


 お姉さんはいつも気だるげな口調で話すから、怒っているのか怒っていないのかわからない。

 あたしのした答えを見て、満足したのか不満に思ったのかもわからないけれど、それでもさっきの質問の答えとしては納得してくれたみたいだった。


 それならもう用は済んだだろうし解放して離れて行ってくれるかもと思った矢先。


「ちょっとそこで待ってて」


「……え?」


 まだ解放はしてくれないみたいだった。

 あたしに待つように言い残し踵を返す様子を感じ取ったから、固く閉じていた瞼をそろりと開けてお姉さんの方を見ると、お姉さんは隣の自分の部屋に戻っていくようだった。


 どうしよう。今ならドアを開けて家に逃げ込めるかもしれない。でも待っててって言われたし、お姉さんが今度出て来た時にあたしがいないと怒っちゃうかもしれない。ドアをドンドン叩かれてしまうかもしれない。


 いろいろ考えて考えてそのクセに何も行動することができず、ただただその場で立ち尽くしてしまった。一分も経たずにお姉さんは部屋から出て来てあたしを見て頷いたけど、別に言われた通りに待っていたわけではない。ただ逃げたいけれどグルグル考えて何もできなかっただけである。

 もう一回あたしの隣まで歩いてきたお姉さんの顔から目を逸らして俯いてしまった。


「はい」


 また話しかけられた。その短い声だけにもビクリと反応し目を閉じてしまうあたしはどれだけ怖がりなんだろうか。

 でもしょうがない。そういうふうに身体が動いてしまうのだから。ただ黙って耐えて耐えてやり過ごす方法しかしらないんだから。


「ん。ほら、ねぇ」


 何度話しかけられても俯いて黙っているあたしに焦れたのか、お姉さんはあたしの頭をポンポンと叩いてくる。手ではない何かがあたしの頭を軽く打つたび、パコパコとした音が聞こえて来た。


「……ったく。そんな怖がんないでもいいじゃんってのに」


 今もイライラさせてしまっているかもしれない。どうしようおしっこもしたくなってきた。どうしよう。謝った方がいいんだろうか。許してもらえるだろうか。思いっきり蹴らないでください。許してください。

 一番お腹が空いている日曜の夜みたいに頭がグラグラしてきて、色んな考えが頭の中を忙しなく駆け回っている。


 そんなあたしの顎の下に何か当たり、そのままクイっと上を向かせられた。

 ふいのことで目を開けたあたしの目に一番に映った呆れたようなお姉さんの顔。そのすぐあとはしょうがないなとでも言いたいように、お姉さんはちょっとだけ笑った。もしかしたら怒ってはいないのかもしれない。


「ア、あ」


「これ、あげる」


 なにか言った方がいいかもとみっともなくしどろもどろに声を発していたあたしの目の前で、お姉さんは指で挟んだ箱をフリフリふって見せてきた。そのままあたしの顎を支えていた手で、今度はランドセルに添えていたあたしの左手を取り、その手の裏に箱をポンッとのせた。


「コンビニのクジ引いたら当たったんだけど、私べつにキャラメルとか食わんし。なんかあんたにそれ似合ってるし」


 その赤い箱はどこかで見たことがあった気もするけど、当然あたしが手にするのは初めてのもので、もちろん何が入っているのかもわからない。

 それでも『あげる』というさっきの言葉からして、お姉さんがくれてあたしがこのまま貰ってもいいということなのだろうか。


 恐る恐る目を上げてお姉さんを見ると、お姉さんも黙ってあたしのことを眺めていた。


「ア、で、でも、ダメでス。あの、かえシまス。ごめんなサイ。あの、ごめんなサイ」


 手に乗った箱をお姉さんに近づけ、まごまごと謝った。


「え?なんで?好きじゃなかった?なんかアレルギーとかあんの?」


 そんなたくさん質問しないでほしい。頭の中がこんがらがってウッって泣きそうになってしまうから。


「あ、ちがくテ、あの、もらえまセん。おかね、なくて、あの」


 それでもテンパりながら何度も言葉を発する。誰かと話すことなんて全然ないから、あたしの言葉はいつも切れ切れで、それがみんなイライラするらしい。でもどうやって直すかもわからないし、勝手にこういう風になっちゃうんだから、あたしだってこんな話し方は嫌なのに。


 イライラさせてごめんなさいと悲しくなったけれど、そんなみっともないあたしを見て、お姉さんはハッと小さく息を吐いて少し笑った。


「そんなんいらんわ。あげるって言ってんじゃん。タダだよタダ、黙って受け取んなって」


 さっきはこの箱であたしの頭をポンポンしたんだろう。今度は手で、さっきとは違う感触でポンポンとあたしの頭を軽く叩きながら、もう話は済んだのかお姉さんは振り返ってアパートの廊下をあるいていく。


 どこかに出かけるつもりなのか、お姉さんがお姉さんの部屋のドアの前を通り過ぎたところあたりで。


「ア!あの!あ、ああの」


 あたしはお姉さんを必死に呼び止めた。こんなに大きな声、本当にいつぶりに出しただろう。


「ん?」


 振り向いたお姉さんを見ながら、さっきまでは少しでも早くこの解放してほしいとか思っていたけれど、黙って受け取んなって言ってもらえたはずだけど。


「あ……んぐ、あ、ありがと、ございまスッ!!」


 たとえお母さんお姉さんの仲が悪いとかって事情があったとしても、いつも挨拶すらビクビクして返せないあたしだけど、この『ありがとう』だけは言わなきゃいけない、ちゃんと絶対伝えたいとおもった。


 そしてちゃんと、お姉さんの目を見て、伝えることができた。


「……ふっ。はいよ」


 あたしが必死に言葉にした『ありがとう』に返ってきた、息が抜けたような微かな笑みとたった三文字の返事。


 たったそれだけのささいなお姉さんの反応が、あたしにはとてもかっこよく見えたのだった。


◇◇◇

 

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