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 オレは息をついた。深く深く、深ーっく。

 

 苦く思った。こんなだったかこの辺りは、この通りは?香りがしない、色がない、人の生活から滲むもの、紡ぎ出すもの、あふれ出るもの(垂れ流すもの)そんなものが何もない。

 歩んで来たアーケードを振り返る。改装中なのか、垂れ幕のようなブルーシートで隠された店舗が在る。作業員が独り何かやっていたが、シートの中に消えたきりいなくなった。見通すとあちこちに横付けされて、バイクや自転車、商用バンやら軽トラが無秩序に停まっていた、いくつかの立て看板が変な向きに立っていたり、転がった挙句倒れたのだろう、してる。

 昼下がりの夜の歓楽辻は静まり返って、まるで放置されたストリートだ。今は飲み屋の暖簾のれんも出ていなければ、居酒屋ののぼりも立っていない。いくつかの路地に隠されて自立する電飾スタンドが、まだ出番がない役者らしく植え込みや電柱に並んで、同化していた。

 通路は車両が対向できる幅員のカラーコンクリートで、洒落た格子組みの敷石の路面はくたびれて、所々が灰色に薄汚れている。あちこちに在る黒々としたシミは酔っ払いが吐いた汚物の跡か、ああ、そういえばオレはよく此処で乱闘して血反吐を吐いた。それかもな? 

 ずっと向こう。トンネルの出口の光の収束のように、明るい繁華街が見える。国道に沿うケヤキの街路樹が続く広い歩道が視線を横切るその先が、このZ市の目貫き、巨大アーケードの入り口になる。植樹の緑が騒めいて、埋め尽くす人の往来にカジュアルな色彩が閃いていた、華やかに。だがそれも……贋作だろうと思う。煌びやか(きらびやか)に見えて、実は空虚なこの路地と変わらないんだろう?そんな集合体が、結局はZ市だと知ってる(オレにはそんな場所だ……)

 正面に向き直り、歩調を緩める。アーケードを抜けるとすぐ右手の路側に沿って、人が上がりかまちに座してガラス戸越しの販売をする、いわゆるタバコ屋が在る。その正面に斜め着けに、黒塗りの高級外車が駐車していた、横着に。あれ、横に着ける?横着の語源じゃねーのか、コレ。

組長オヤジの車だ、事務所にいるのか、あの人は)さてどうする、と考えるよりも先に笑ってしまった。ふん、丁度いいか……

 其処は本来なら駐停車禁止の、段差のない路側帯だ。奇妙な事にそれを示す標識がポールの根元から切り取られている(今は車体でそれが隠れている)。

 それは、この先に事務所があるZ会というヤクザの、オレ達下っ端の仕業いたずらだった。夜間にオレ達が金切りノコで切断をした。警察沙汰になってともかく、と行政は業者に修理をさせた(若い衆が作業の邪魔をしてなかなかに進まない修理が、それでも何とか終わった)なので、オレ達は再び深夜に切断をした。この楽しかったいたちごっこ、先に音を上げたのは行政だった。双方馬鹿らしかったからな。

 運悪く、新米のおまわりさんが取り締まりに来たことがあった。現場を押さえた訳でもないアイツは誰にも相手にせれず、からかわれただけだった。運転手の連中は警官の背を撫でながら「標識がないから判りませんでしたー、標識設置して下さいよ、こっちが訴えますよ?」

 店先を通り越し際に、タバコ屋のオヤジと目が合う。オヤジは知った顔だ、とにわかづいて(久しぶりのにーちゃん、煙草買わないのか?)(いや生憎あいにくだナ、止めたんで)無言のやり取りをして。通り過ぎるだけと見て取ったのかオヤジは、憎々し気に目の前の車に毒づいて(何とかしろ、営業妨害だ)(ふん、今更だろ?組のモンが此処でタバコ買うんだから、いいじゃね-か)とこれも無言で、オレは笑って。

 カランと、よく知った音がした。

 アスファルトに変わった路面を挟んで、反対側の路側のビルの隅の一角に喫茶店が在る。その扉の開閉鈴が鳴ったのだ(そうだったな、この喫茶店はオレ達若い衆が担当する、組の見張りやぐらだった)

 見ると3人だ。品の悪い連中が現れ、此方を睨み付けていた。

 オレは歩みを止めず見分する。良く知ってるボスだろう男が1人、取り巻きの2人は(多分まだ10代だろう)見たことが無かった。目立つのはボスより頭一つ小さい、茶髪のアフロに顔半分の芸能人とんぼサングラス、ラメのオレンジスタジャンの男だが、よく見ると、背丈だけはある痩せた坊主頭の黒Tシャツが危なそうだ、目が人を怖がっていない。彼らを従えて、ボスが威張り歩き(笑い)で近づいてくる。

 このボス。こいつは、サラリーマンで云うなら同期入社の、隣町で、喧嘩が強いと名を馳せていたゴジラと呼ばれる男(苗字は忘れた)だ。年齢、背丈はケンイチと変わらず体重はたっぷり1倍半ある。眉は無いのに眉肉が盛り上がり、怖いどんぐり目をしている。おまけに遠目にも太い首なので、誰が見てもずばりのニックネームだ。こちらが昔から名を知っていたように、コイツも始めからずいぶんオレを意識していた。だから同じ組に所属したのに、過日の彼には何かと言いがかりをつけられた。要するに嫌な奴だ。

 状況は、組事務所の鼻の先で相手は3人。分が悪いなと感じ、当たり前かとも感じる。と、距離を詰めたゴジラは、躊躇なくオレの左顎に右フックを振るった。

 オレは鈍い音と、衝撃を顔面で味わう。くぅ、重たいパンチだ。

「……ケンイチ!馬鹿なのか?のこのこ戻って来るか、普通?」

 ゴジラは嬉しそうにそんな台詞と、何か云いながら2発目の拳を振るった、が、さすがにそれはかわす。体を換える風になり、そこでオレがゴジラに反撃出来るタイミングがあった。双方それを理解したので、オレとゴジラのアクションは砂塵を残して止まり、身構えたにらみ合いになる。

「じたばたするなよ、ケンイチ君」

 おとなしく殴られなさいとゴジラは云うが、そんな訳にいくか、オレは無言で睨み続ける。

「コイツ、何したんスか?」

 ゴジラの横で、すっとぼけて立つ黒Tシャツが問うと、余裕があるのかゴジラは体を揺らし笑って。

「云ってなかったか?金を持ち逃げした馬鹿がいた、そんなコイツがケンイチさんだ。お前らの元パイセンだ……」

 奇声で「裏切者めー!」と叫んで、茶髪アフロが(こいつは身構えてゴジラから離れて戦闘モードだった)オレの太ももに回し蹴りを放つ。それは流しで受け止めたが、激痛だった(コイツ格闘技か何かやってるナ?軽いが、痛ぇ)

 それでもオレはひるまない。何時でもやり返してやるゾこんちくしょうポーズで「……だから、詫びを入れに来たんだ。ヤリたいなら、事務所でやったらどうだ?」

 ニヤリとゴジラが笑う。奴は子分に待て、と合図をする。

「面白れー。そうか?じゃあ、行こうやケンイチ」

 楽し気になったゴジラが、武装を解いた風に見せて一歩踏み出し、試すようにオレの腹を蹴り上げる、オレは歯を食いしばってそれに耐える。オレは呻くのも我慢して歩み始めた、距離を稼いでおく「行こうぜ、組事務所」

 体が離れて、ゴジラは「ちっ」と舌打ちをした。出来れば袋叩きにして引きずっていきたかったのだろうが、そうはさせない。此処で倒れたら再起不能にやられる、まな板の上の鯉になる。

 無理をして歩むオレの様子を、コイツらがどう思ったのかは知らない。あきらめた奴と見たか、敗北者と憐れんでいるのか?ただ、組事務所に向かうのなら不服はないらしい。3人は薄笑いでオレについてくる。

 オレ達は、喫茶店と反対側の路地に入る。後ろから何度か小突かれて、蹴りを入れられ揶揄からかわれた(ジ・エンドですかね?)(ケンイチ先輩、終わりました)(確定フラグで草)当然、くそ面白くなかった、それでもオレはズンズン進んだ。

 路地の左手は、グレーの鉄骨組みの立体駐車場。右に白い低層階の雑居ビルが在り、其処が目的の建物だ。ビル2階のフロアが全部、Z会組事務所になる。

 路地は正面でまた違う商店辻にT字にぶつかる、そこを左に折れると事務所の入り口だ。白い壁面に、目立つ深い緑の軽量鋼の扉があり(この奥に突き当りで階段が在る)オレ達一行は其処に至る。

 オレは此処で一度足を止めて、少なくとも息をついて覚悟を決めたかったが、勿論突き飛ばされて怒鳴られて、扉の奥に押し込まれた。オレは舌打ちになって階段へ進む。階段の途中に踊り場がある、汚れた壁面の古い張り紙は防火月間の活字……変に懐かしかった、まだひと月位しか経ってないのに、とオレは不思議に感じ、ここに至って。

 オレは自覚する。指の1本は覚悟していたが、それで済みそうにない(この調子じゃあ腕1本でも足らないか)それで、怖いのか?と自問になる。いや怖くはない、だけど……

「ゴジラでーす、ケンイチ君を捕まえてきましたー」

 大きな磨りガラスのスチール扉の前で、ゴジラがセレモニーの挨拶をして、外開きにそれを開く。

 不意に奇妙に鮮やかに、オレの脳裏に光景が浮かんだ。芝の香りの風がそよぐ広大な丘。暖かい日差し。微笑む管理人、とぼける3号爺、はしゃぐ西野陽子……管理人は、西野陽子がオレを好いてくれている、と云った……本当だろうか?

 こんな場面で考えたくない、なのに止まらない。本当だろうか、何でだ、オレなんかのどこがいい?

「……ヨーコさん、どうしてるかな?」

 はぁ?何云ってんだ、と背後で茶髪が笑う。前に進めと背中を突かれたが、オレは更に考える。

 オレはこれから片腕を失ったり、歩けなくなったりするだろう。それでも相手をしてくれるだろうか?彼らは優しい、ボロ雑巾になったオレでもきっと……

 と、不意に腹が立つ。オレは何云ってる、どれだけ虫がいい事を考えてやがる、迷惑なだけじゃないか。そもそも!五体満足のオレだってハナから釣り合わない、彼らは遥かに立派な人達だった。

 「おい!」

 ゴジラが怒鳴り声を上げた、いいタイミングだった。オレは歯軋りをして心をへし折る(綺麗な夢だった、オレは馬鹿野郎だ!)

 オレは全部諦めた。そしてひるみかけた足に力を取り戻すと、ずい、と事務所に歩み入った……

 オレの名は赤毛のケンイチ。

 オレはヤクザだった(本当です、背中に千手観音の入れ墨も背負ってマス)

 或る日オレは、此の組を飛び出した。ついでに不祥事を起こして(組から金を持ち逃げしたのだ、1億円だったらしい)

 何とか逃げ延びた先は、山の中に在った不思議な美術館だった。其処に暫く滞在して、なぜか色々な人との出会いがあった。奇跡のような事があった。

 オレは自分を見失っていたのか、自分を取り戻していたのか?それにしても毎日が楽しくて、やさぐれた日々を忘れて過ごしていた(そこで恋をしたかもしれない。西野陽子という女性ひとと出逢った。役所勤めのお堅い女性だが、なぜか……好きになった。身分違いなのに、オレはやっぱり馬鹿だ、結局云いだせなかったし)

 勿論そんな夢のような日々が長くは続く筈がない。暫くするとオレは見つかり、組の連中が丘にやってきた。

 ただしオレは、空手の達人、巨人の美術館管理人・矢野龍介に助けられる。奴がいてくれたので、何とか追手は撃退できたが……結局その矢野は病で倒れてしまう(自身のおそらく病気だろう、もしくは酒の飲みすぎだ、笑っちゃイケナイが笑わせるゾ)

 丁度頃合いだった。それにキリも良かったし。ふん、ケジメもつけたかったんだ。

 と云う訳で、オレは今此処にいる。全く格好の悪い決着、それをつける為に此処にやって来た。




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