第2話 八方塞がり
「俺は墨小風と言います。」
「実は、邪派の技は修練を無理強いされており、それが嫌で神鷹教から逃げ出してきたのです。」
「しかも、子供ながらに悪事に手を染めねばならず、毎日が苦痛でした。」
林掌門をはじめ皆が同情の眼差しを向ける。
ただ、雪梅夫人だけは相変わらず怪訝そうな表情でこちらを見ている。
とんでもなく勘が鋭い人だな。
「そうだったのか、それは苦労をしたな。」
「安心しなさい。しばらくここに滞在すれば、墨殿の体から邪悪な武芸を追い出してあげよう。」
それには及ばないと言おうとすると、林掌門は手を上げて俺の言葉を制する。
「さあ、梅拳、桜剣、部屋にご案内しなさい。」
俺は二人の侍女に促され、半ば連行されるように部屋へ通された。
そして、二人は出入口の外に待機している。
はめられた、これでは軟禁ではないか。
「お二方、ここは林掌門の屋敷。攻撃を加える者などいないから、護衛など必要ありませんよ。」
部屋の中から声を掛けると、
「掌門のご命令ですので、どうぞ遠慮なくおくつろぎください。」
と返事が返ってきた。
ここに滞在するなど、とんでもない。
せっかく会得した百毒邪教を消されでもしたら大変だ。
幸い今日は夫妻で出掛けるはずだ。
仕方がない、強引にでも出て行くしかないな。
夜を待つと、そっと扉を開けて外に出た。
「墨殿、どうされましたか?」
声を掛けてきたのは梅拳だ。
交代で監視していたか。
有無を言わさず、八法殺法で彼女の横をすり抜けていく。
「勝手に出て行かれては困ります。」
そう言うと、梅拳は俺を追ってくる。
しつこいな、さすが彼女も達人の域、簡単には逃がしてくれないか。
「すみません。傷つけるつもりはありませんが、ここに留まるわけにはいかないのです。」
俺は百毒邪教で梅拳に攻撃を放つ。
強烈な毒気にやられそうになると、これはいけないと彼女が後ずさりする。
その隙に、軽功で屋敷の壁を飛び越える。
どうにか脱出に成功すると、その足で三峡寨に戻った。
「小風、良かった。無事だったか!」
「で、夏教主はどうだった?」
寨に着くなり大兄に問われ、臨安府でのことを報告した。
「夏教主のそばには、必ず林掌門が付いている。」
「しかも、雪梅夫人や侍女の二人も相当な腕前で、とても仇を討てるような状況ではなかった。」
大兄が配下に声を掛け、酒と羊肉の準備をさせる。
「そうだったか。いずれにしてもせっかく戻ったのだ、ひとまず今日は飲んで食え。」
俺は並べられた骨付きの肉を手に取り頬張ると、酒を流し込む。
「で、これからどうする?」
腹も落ち着いてきた頃を見計らい、大兄が質問を投げかけた。
「今は仇討ちを諦める。」
「きっと好機は訪れるはずだから、それまで腕を磨くことにするよ。」
もう一杯酒を飲むと、話しを続ける。
「もっと強くなるために、俺は旅に出ようと思う。」
「それで相談だけど、副寨主の任を解いてくれないか?」
これは、臨安府を脱出してから、道中で考え続けた結論だった。
大兄はしばらく考え込む仕草を見せると、仕方ないといった表情で頷いた。
「もちろん、三峡寨に危険が迫った時は、いつでも駆け付ける。」
「ここは俺の家のようなものだから。」
大兄も盃の酒を飲み干すと、口を開く。
「心強いことを言うようになったな。」
「だが、強くなると言っても、どこへ行くつもりだ?」
問題はそこだ。
知り合いもいなければ、行く当てもないのだから。
「具体的には、まだ決めていない。」
「達人に挑戦するのも良いが、宋を出て隣国まで足を延ばしてみようかと思う。」
大兄は俺を止めるようなことは言わず、賛同してくれた。
いつでも味方でいてくれる人がいる。
それだけで、本当は幸せなのかもしれないな。