第5話 力の代償
目を覚ますと、俺を睨む鳩摩流が座っていた。
「仕方なく命は救ったが、これはどう言うことですかな?」
奴は百毒邪教を掲げて見せる。
その手には、後半が切り取られ前半部分のみの奥義書が握られていた。
「鳩摩流殿が江湖一の武芸者であることはよく分かりました。」
「残りを差し上げても良いですが、三峡寨と言う山寨に置いてあります。」
「それに、俺を殺さない保証もありませんよね。」
もしもの時に備え、対策しておいて良かった。
「でも、奥義書は俺の頭に入っています。」
「そこで、俺があなたに教え、共に学ぶというのは如何でしょうか?」
そもそも、百毒邪教を修練するには蟲毒の壺が必要。
もちろん、その辺の壺では駄目だ。
それだけではない。
98匹の毒虫と、修練の最後には氷蚕、火蛇という珍しい毒虫が必要になる。
これらを全て鳩摩流に用意させようと考えたのだ。
奴はしばらく考え込むと、
「抜け目はないと言うことか、分かりました。」
「拙僧は百毒邪教を修練できれば満足です。」
だからと言って、実はこいつに教えるつもりはない。
必要なものを準備している間に策を練ろう。
それからたった数日で、どうやったか分からないが鳩摩流は全て用意した。
それも、既に98匹の毒虫を壺の中で殺し合わせ、琥珀色の蠍が最後に生き残ったと言う。
「今日はもう休み、氷蚕、火蛇は明日蠍に食わせましょう。」
「これで準備は完成でしたな?」
俺が頷くと、二人とも床に就いた。
そして、奴が寝静まるのを待ち、音を立てず起き上がる。
「鳩摩流殿、あなたがいなければ俺の修練は完成したか分からない。」
「感謝申し上げます。ご苦労様でした。」
小声で言うと、懐から薬瓶を取り出しまき散らす。
俺の技量で複雑な毒は作れないが、眠り薬くらいは容易い。
奴が眠っている間に、壺と毒虫を持ち去ることにした。
近くにいては、また捕まってしまう。
馬を乗り継ぎながら、出来るだけ休まず杭州まで行くと、山中の空き家に身を隠すことにした。
氷蚕、火蛇を壺に入れると、壮絶な戦いの末、両方とも蠍が平らげた。
それを見届け壺の前であぐらを組むと、奥義書に従って修練していく。
仇討ちと言う明確な目的があったからか、数日の修練で百毒邪教を会得することができた。
しかし、至高の内功とするには、まだ修練を続ける必要があるだろう。
さぁ、再び九鬼宮を目指そう。
空き家を出てしばらく行くと、
「待て小僧、その若さで何と禍々しい内功だ。」
声の主を見てみれば、高齢で髪がなくシミだらけの顔、背は低くずんぐりした体形。
しかし、その内功は間違いなく達人の域だ。
「江南凶忌こと方不二だ。」
「俺の縄張りで、こんな奴をのさばらさせておく訳にはいかん。」
江南凶忌と言うと…五悪鬼の一人か、厄介な奴に声を掛けられたな。
まだ内力を上手く制御できないから、嗅ぎ付けられても仕方ないか。
奴は息つく間もなく襲ってきた。
「百毒邪教!」
両手が紫色に染まる。
まだ未熟ではあるが、俺が身に付けた技は神鷹教の奥義。
江南凶忌の右肩に一撃を与えると、一瞬で紫色に染まる。
その威力は凄まじく、もう肩を自由に動かすことは叶わない。
「油断した、しかしこれほどの者が江湖に埋もれていたとは。」
そう言うと、奴は軽功で飛び去って行った。
身を守るためとは言え、困ったことになった。
この一件で、五悪鬼を敵に回したからだ。
それだけではない、江南凶忌は林掌門の奥方、雪梅夫人の弟子だったはずだ。
そうなると、五悪鬼のみならず狐山派も敵に回したかもしれない。
しかし、それより任霖さんが心配だ、すぐに旅を再開しよう。
九鬼宮のある山の麓まで来た時だった。
「小風?」
後ろから呼びかけられ振り返ると、そこには任霖さんがいた。
「やっぱり小風、随分たくましくなったわね。」
「どうしてこんなところに?」
「とにかく、この先は危ないから付いていらっしゃい。」
そう言うと、俺の手を引き森の中の民家へ連れて行った。
腹が減っているだろうと、手料理と酒を机に並べる。
一緒に食べながら、俺はこれまでのことをつぶさに話した。
「今まで苦労してきたのね。」
「神鷹教は壊滅状態だけど、生き残りもいる。」
「小風が百毒邪教を会得したなら、再興も夢ではないわね。」
目に涙を浮かべて話す任霖さんを見て、何より嬉しかった。
この時代で優しくしてくれたのは、任霖さんと大兄をはじめとした三峡寨の皆だけなのだから。