第5話 未知のウイルス(下)
黒玄を縛り上げた両長老は、俺が身動きをとれないと見て陸破空へと襲い掛かった。
奴は片手を使えないとは言え、蜘蛛功で二人と対等に渡り合う。
「大鷹!」
陸破空の周りに爪が現れ、つかまれたと思えば強い力で締め付けられる。
「タイムトラベラーは、自分だけとでも思っていたのですか?」
俺の言葉に、奴は驚愕の表情を浮かべる。
そして、大鷹で重傷を負うと力なく膝をついた。
その隙に、俺に巻き付いた糸を両長老が外していく。
「陸殿、以前に地位も名声もないと言っていましたが、何故そこまでしてこだわる必要が?」
陸破空は、跪いたまま話し出した。
「わしは宋で生まれた。そして、幼い頃にタイムスリップできることを知った。」
「それから何度か時間を旅すると、こちらへ帰って来られなくなった。」
「実に40年と言う時を、別の時代で過ごしたのだ。」
奴は目に涙を浮かべながら、続きを話す。
「ある日突然こちらに戻ってきたのだが、それだけの時が経てば両親の所在どころか生死も分からないし、自分が何者か証明することも出来ない。」
「まっとうに生きていけるはずがないだろう。」
「そんなわしが生きていくため、両親を探すためには、地位と名声が必要だった。」
そういうことか。
俺はこの時代に来て、曹教主のせいで戻ることが叶わない状況に陥った。
それからは、誤解され蔑まれる人生だったから、陸破空の気持ちも少し理解できる。
つい同情の表情を見せたその時、
「蜘蛛針!」
奴は掌から数本の糸を飛ばした。
「ぐっ!」
その糸は、俺の肩に刺さった。
いや、正確には糸の先に付いている銀針が刺さったのだ。
それにしても、どこまで汚い戦い方をする奴なのだ。
「その針には、蜘蛛の毒が塗られている。」
「ただの毒と思うなよ、蜘蛛の中でも即効性も毒性も最高のものだ。」
「わしの苦労など誰にも分かりはしない。それはつまり、誰も勝てはしないということだ。」
俺は糸ごと銀針を引き抜く。
「そうですか?」
そう言うや否や、百仙功で陸破空の懐へ飛び込む。
重症の体では、先ほどの暗器を放つだけで精一杯。
奴が起き上がる頃には、俺の体は奴を通過していた。
「なぜだ?蜘蛛針の毒は確実に注入されたはずなのに、どうして動ける?」
陸破空の敗因は、神鷹教を見下していたことにあるだろう。
「これでも神鷹教の教主ですよ。いくら蜘蛛の中で最強の毒だとしても、百毒が共存している俺に効くはずがありません。」
「それから、陸殿の体に百毒印を書きました。毒の注入で危険が迫っているのはあなたの方だ。」
「今となっては、俺の一存で命を奪うことが可能です。」
奴は、諦めたように呆然とした表情で口を開けた。
「そうか、油断したな。」
「だが、殺せたはずのわしをどうして生かす?」
黒玄を牢へ連行するよう指示を出すと、陸破空の問いに答える。
「陸殿と境遇が似ているからです。」
「俺は異国で生まれました。そして、幼い頃に宋へタイムスリップしたのです。」
「しかし、神鷹教の曹教主に捕えられ帰ることが叶わず、これまで辛酸をなめる人生でした。」
「…だから、少しはあなたの気持ちも分かる。これからは真面目に生きてください。」
「百毒印は、名門各派に安心してもらうための保険。命を奪うつもりはありませんよ。」
そして、毒の由来を調査するため、黒玄への尋問を始めた。
これは馬長老に任せていたが、なかなか口を割らない。
「話したところでお前の処遇は変わらないのに、どうして黙っている?」
俺の問いに、奴はだんまりを続けている。
「そうか、ならば百毒印を書くしかないな。」
そう言った瞬間、奴の表情は恐怖に支配された。
「分かった。言うから、命は助けてくれ。」
黒玄は百毒印を知っている。
と言うことは、百毒邪教盗難の一件にも関わっていたと考えて良いはずだ。
命までは取らないが、奴が九鬼宮から出られることは一生ないだろう。