第8話 力を持つことの意味
鳩摩流が離脱すると、一人残された陸破空も長居は無用とばかりに、蜘蛛功で桜梅大侠を振り切り去って行った。
「二人とも、相当な達人だったな。」
「これで当面は問題ないだろうが、諦めたとは思えない。」
「五大門派、少林派、狐山派、神鷹教が一体となって準備する必要があるだろう。」
林友侠の言う通りだが、神鷹教が一体となることは無理だろう。
「お三方、この度は峨嵋派を助けて頂き、有り難うございました。」
「特に墨教主、我々はあなたのことを勘違いしていたのかもしれない。」
「今回は我ら峨嵋派と手を組み、ゆっくりでもお互いを知っていってはどうかな?」
静玄師太の申し出は、耳を疑うほど嬉しい言葉だった。
しかし、桃花島に住むと決めた時点で、正派と手を組むつもりはない。
蔑まれたり、裏切られたりする江湖には、もううんざりだからだ。
「有り難い申し出です。」
「しかし、神鷹教は他派から距離を置かれています。」
「個別に行動した方が上手く行くでしょう。」
俺の提案に師太は悲しそうな表情を見せたが、頷き賛同した。
桃花島への帰り道、今回の一件で悩んでいたことを相談することにした。
「孫殿、頼みがある。」
「今後のことを考えた場合、桃花島の防御を確実なものにしないと、俺は打って出ることができない。」
孫无仇は頷きながら聞いている。
「そこで、桜花島の奇門八門遁甲陣をお教え頂けないだろうか。」
「無理を承知で、何とかお願いしたい。」
彼はしばらく考え込んだ。
それはそうだろう。
斉国の末裔、田家秘伝の陣なのだ。
普通に考えて承諾するはずはない。
「分かった。きっと、母上も、今は亡き父上も賛同してくれるはず。」
「自分たちだけ守れれば良いなどと言う考えは、この際捨てるべきだろう。」
やはり誠実な男だ。
断られると思っていたが、思い切って相談して良かった。
桃花島に着くと、孫无仇の指導で奇門八門遁甲陣の準備が始まった。
「なるほど。この陣は正しい方角から入り、正しく移動しなければ抜け出すことは叶わないというわけか。」
「これに、以前手合わせした無学祖元の九星臨剣法の考え方が役立ちそうだ。」
孫无仇が帰った後も研鑽を重ね、俺は新しい陣形を考案した。
「この陣は、奇門九星遁甲陣と名付けよう。」
「これで、たとえ桜花島の陣を破れたとしても、こちらまで破れるとは限らないだろう。」
「逆も然りだ。」
俺は江湖の嫌われ者だが、ここ桃花島では誰も色眼鏡で見ず、頼り頼られる関係を築いている。
阿月を守ることは当然だが、桃花島島主として民を守る義務もあるのだ。
それからしばらくして、驚くべき人物から呼び出しを受けた。
江湖から身を引いた、狐山派の前掌門 林友和だ。
ちょうど梅家荘に来ているということで、俺は杭州の狐山へ向かった。
雪が降る中に梅の花が咲き乱れる、素晴らしい景色の中に梅家荘はあった。
「林掌門、ご無沙汰しております。」
彼の横には、雪梅夫人、夏教主、梅拳、桜剣が並んでいる。
そう言えば、前にもこのメンバーで囲まれたことがあったっけな。
そんなことを考えていると、林友和が口を開いた。
「私は、もう掌門ではないぞ。」
「今日は中原に来たついでに、墨殿と話しがしたくて呼んだのだ。」
江湖の英雄が気にかけてくれているとは、感無量だ。
しばらく雑談をしていると、脈を診ようということで、林友和が俺の手を取った。
すると、横から夏教主が掌を出し、俺の掌と合わせる。
「何ですか?」
尋ねるも無視し、彼女は自分の内力を注ぎ始めた。
「夏教主、やめてください。」
「どうしてこんなことを…。」
俺の言葉に耳を貸すつもりはないようだ。
さらに内力を注ぎ続ける。
「このままでは、内力を失ってしまいますよ!」
俺は、林友和に動きを封じられている。
夏教主が掌を離す頃には、全ての内力が俺のものになっていた。
「墨殿に仇を討たせてあげられなかった。あれから、私ができることをずっと考えていました。」
「これがその答えです。せめて、これからの戦いに備えて、私の月蛇真魔功を差し上げました。」
気付けば、俺の目からは涙があふれ出ていた。
はっきり言って、兄は殺されて当然だった。
夏教主が仇とは言え、これまでの行動は逆恨みのようなものだったのだ。
それなのに、俺のせいで彼女は全ての内力を注ぎ、江湖では廃人同然になってしまった。
屋敷の外に咲く梅の花に視線を移す。
まるで、雪の色を奪うように咲き乱れている。
そして、俺の目からは止まることのない涙が流れ続けていた。
「墨殿。誰が何と言おうと、あなたは英雄だ。」
「どうか、夢柔の気持ちを役立てて欲しい。」
俺には、発することのできる言葉など何もない。
林友和の言葉に、何度も何度も頷いた。
彼は続けて話し出す。
「冬が明ければ、優しい春が訪れる。そして、森の木がいっせいに芽吹くのだ。」
「墨殿、辛いことの多い人生だったかもしれないが、それだけではなかっただろう?」
任霖さんの言う通り、林友和は英雄だった。
俺は恥じ入るばかり。
泣き続ける俺の背を、彼はそっと撫でてくれた。
桃花島編 完