第3話 妻の家出
洞窟で修練を続けて一年が経つ頃だった。
「ついに完成したぞ!」
「そうだな、この技は鷹爪擒拿法と名付けよう。」
俺が奥義書にまとめたのは、関節技の類だ。
指を巧みに操る特徴を持つ技であり、型を覚えれば使えるというわけではなく、卓越した内功が必要だ。
百仙功と合わせば、瞬時に敵を倒せるだろう。
しかも、百毒邪教のように人命を奪わず戦うこともできる。
修練を終えた後は、桃花島で穏やかな日々が過ぎていった。
気付けば40歳を過ぎた頃、事件が起こった。
珍しく桃花島へ親子が移住してきた。
小さな赤ん坊を見て、つい正直な思いが口をついて出た。
「玉のように可愛い子だなぁ。」
この一言が夫婦喧嘩の火種になった。
俺たち夫婦にはなかなか子が出来ず、これは諦めていたのだが、妻への配慮が足りなかったとしか言いようがない。
彼女の怒りは収まらず、ついには家出をしてしまった。
「俺は阿月を探しに行く、留守を頼むぞ。」
柳無骸へ言うと、桃花島を発つことにした。
阿月というのは、段公主のこと。結婚してからそう呼ぶようにしているのだ。
まずは臨安府にある林家の屋敷を尋ねた。
「段公主は来ていないぞ。狐山派の者にも探させるから、安心してくれ。」
狐山派の掌門、林友侠だ。
偶然にも屋敷にいて助かった。
実は、彼の父である前掌門 林友和は江湖から身を引き、桜家荘に移り住んでいるのだ。
しかし、ここにもいないとすると、どこへ行ったのか。
阿月には江湖の知識がないから、恐らく孟将軍を呼び寄せ、行動を共にしているはずだ。
「ん?これは…段王家の暗号だな。」
屋敷を出て歩いていると、木に彫られている記号を見つけた。
これは、ここを彼女が通ったことの証だ。
この暗号は段王家に伝わるもので、阿月と結婚してから教わっていたのだ。
しかし、家出した彼女が暗号を残すとは思えない。
恐らく、孟将軍が記したものだろう。
「湖南へ向かう、とあるな。」
「そう言えば、阿月は風光明媚な長沙へ旅してみたいと語っていたな。」
長沙は遠い。
どの経路を通るか分からないし、先回りして待つ方が良いだろう。
そこで、良いことを思いついた。
「大鷹!」
俺は大鷹を召喚すると、一気に空を飛んでいくことにした。
林友和の九尾孤も空を飛べるが、神獣のためか精神集中が必要で、長旅は難しい。
それに比べて、大鷹は長距離でも移動が可能だ。
非力なため、一人でしか飛べないところは九尾弧に劣るが。
長沙まで一っ飛びで行くと、阿月をなだめる方法を考えながら待つことにした。
しかし、どういう訳か長沙にやってきたのは、深手を負った孟将軍一人だけだった。
「申し訳ありません、陸破空と名乗る者に公主をさらわれてしまいました。」
「奴は蜘蛛功という見たこともない内功を使う、相当な達人です。」
大理国将軍の彼に深手を負わせたと言うのか。
それにしても、陸破空など聞いたことがない名だ。
「中原では聞かない名ですね。」
「一体何の目的で阿月をさらったのでしょうか?」
孟将軍は苦しそうにしながらも答える。
「奴は金へ連れて行くと言っていました。」
「何らか、軍事的な意図があるのかもしれません。」
目下のところ、金は宋との戦で手一杯のはずだが、大理国との関係も友好とは言えない。
公主をさらって交渉材料にしようと言うところか。
「ならば、都の開封府にいる可能性が高いですね。」
「俺は早速向かいますが、孟将軍は治療に専念していてください。」
孟将軍に陸破空の特徴を聞くと、髭をたくわえた白髪交じりの男で、物乞いと変わらないようなみすぼらしい服装だと言う。
大鷹を召喚し開封府に着くと、商人の服装に着替えた。
ここは金の領土だから、怪しまれないようにするためだ。
「しかし困ったな。開封府と言っても、一体どこにいるのやら。」
「ん?ここにも段王家の暗号があるな。」
これは阿月が残したものだろう。
暗号によると、李寨村というところにいるらしい。
食事をとりつつ店主に聞くと、開封府から北東にある村だそうだ。
向かってみれば、そこは小さな集落だった。
金に蹂躙された影響もあるだろう、その貧しさは目を覆いたくなるような光景だ。
さて、こうなると服装で判別することは難しいぞ。どうやって陸破空を探すか。