第1話 桃花島へ
「二人で暮らす場所は、どこにするつもりだ?」
行先はもう考えていたから、段陛下の問いに即答する。
「俺には、身寄りもなければ信用できる人も少ない。」
「江湖から距離をとるなら、海を渡った先の島が良いと考えています。」
陛下は頷きながら聞いている。
「正派で唯一の理解者は狐山派。」
「林掌門や桜梅小侠が助けを求めるなら、微力ながら力を尽くしたい。」
「そう言う訳で、狐山派のある杭州に近い島、桃花島で暮らしたいと思います。」
段公主は、じっとこちらを見つめている。
「決まっているなら、護衛を付けて送ろう。」
陛下の申し出に、俺は首を横に振る。
「たいそうな兵士は必要ありません。」
「想定外の事態に備えて、孟将軍を護衛にお願いします。」
念には念を入れてということだが、これで段陛下の顔も立つだろう。
桃花島には、杭州から近い慶元府から船で渡った。
海岸に着くと、まずは島全体を見渡すため、安期峰という山の頂上を目指し歩くことにした。
山と言っても、それほど高くはないから段公主でも登れるだろう。
「何て綺麗なの!」
山頂に着く前から、彼女は感嘆の声を上げた。
それもそのはず。海の見える景観はそれだけでも素晴らしいが、山道には桃の花が咲き乱れ、海の美しさを引き立てているのだ。
山頂に着くと、桃の木に囲まれた大きな屋敷が建っていた。
「島民は少ないようだが、これほどの屋敷があるとは。」
「一体どんな人物が住んでいるのか。」
つぶやいたのは孟将軍だ。
「何者だ?」
屋敷の中から現れたのは20代の若者。
ゆっくりと落ち着いた所作で歩いているが、相当な達人であることが伺える。
「墨と申します。」
「この島で暮らしたいと思い、やってまいりました。」
一気に若者の顔が曇る。
「俺は柳無骸と申す。」
「墨とは、まさか神鷹教の教主ではあるまいな。」
神鷹教の悪名は、こんなところまで轟いているのか…。
「そうですが、俺は江湖から距離をとるため、ここに来ました。」
すると急に、彼から殺気があふれ出してきた。
「そんな者をここに置くわけにはいかない。」
「退治してやろう。」
島主でもないだろうに、さっきから態度の大きな奴だ。
「まさか、柳氏三絶の子孫か。」
孟将軍が驚いた様子で声を上げる。
「三絶が何だか知らないが、そんな脅しに屈するわけにはいかない。」
「孟将軍、段公主をお願いします。」
そう言うと、俺は攻撃態勢をとる。
「では参るぞ!」
柳無骸は素早い動作で剣を抜く、俺も同時に八法殺法で攻撃の目を奪いに行く。
一手、二手と交えると、すぐに劣勢に追い込まれた。
彼の攻撃は尋常でないほど速く風のような突きを放つため、こちらの攻撃が追い付かないのだ。
「百仙功!」
俺の体は柳が風になびくように、シュルシュルと音を立てる。
そして、柳無骸の攻撃をことごとくかわしていく。
「何と優れた軽功だ。」
「だが、なぜ邪教の技を使わない?」
涼しい顔でかわす俺を見て、驚愕の表情を浮かべている。
「遺恨はないのだ、毒掌を使うはずがないだろう。」
どんな攻撃を繰り出しても、俺に当たることはない。
とうとう柳無骸の動きが止まった。
「俺の負けだ。」
「悪人と思っていたが、なかなかどうして好漢ではないか。」
彼は剣を鞘に戻すと、一礼する。
「先ほどまでの非礼を詫びる。」
「この屋敷は墨殿に譲ろう。それから…」
柳無骸は、段公主の方へちらりと視線を移す。
「その方は、身なりから高貴な方であろう。」
「事情がありそうだが、聞かぬから心配されるな。」
俺の方こそ、他の奴らと同じだろうと誤解していた。
彼のような実直な男に、江湖で簡単には巡り合えないだろう。