出撃、怪生物を探して
クロードが現れて冒険者ギルドの空気は、それまでのある種の熱気から一転、外気にも負けない程の静けさと冷たさへと変化していた。毎日のことながらやって来る『半裸の奇行士』は、その異常な強さに反して、他者に対する無関心極まる態度から評判が常に悪い。
有り体に言えば、前から町で活動している自分たちを差し置いて好き放題していることへの怒りと、けれど亜人を連日狩るレベルの化物相手に喧嘩など売れないという恐怖とが、ない交ぜになった畏敬とで冒険者たちは彼を冷遇しているのだった。
「『半裸の奇行士』、何であいつが親しげに……?」
「知り合いなのかよ? でも亜人狩りの変態だぜ、亜人とどうして」
「くそっ……毎日毎日来やがってクソ野郎がっ。ちょっと強いからって調子にのってっ」
やっかみと妬み、嫉みから陰口を叩く。そうした冒険者たちの姿勢を冷たく見下した一瞥をくれつつも、リムルヘヴンは鼻で笑ってクロードへと語りかける。
「ふっ……どうやら貴様、ずいぶんと嫌われているようだな負け犬? 躾の悪いゴミどもを黙らせてくれたことには感謝しといてやるが、哀れなものだな」
「お怒りヘヴンちゃんおしまいー? 半裸ちんたらやるぅー! ラブリーチャームな芽生え、芽生え!」
「どうでも良い。嫌うなり黙るなり好きにしとけば良い。ついでにてめえも黙ってろ、イカれ女」
「あちゃーヘヴンちゃん言われちってるー。お口閉じ閉じ胸ペッタン。はーありがてー」
「私じゃなくお前だろう……胸を擦るな!」
姉のなだらかな胸部を擦り、やはりありがたがる素振りの妹。こればかりはクロードの物言いを責められまいと、リムルヘヴンはリムルヘルを抱きしめて止める。
一方でクロードの隣、ミスティはきょろきょろと周囲を見ている。初めて訪れた冒険者ギルド、その光景に興味津々だった。
「ふわー……ここが冒険者さんたちの集まるギルドなのね……何だかドキドキしちゃうー……」
「ミスティ、お前はこういうところに来るのは初めてなのか」
「はい! だからとってもワクワクしてるわ! いつも町を守ってくれてる冒険者さんたちが、普段どんな風に過ごしてるか気になるの!」
「ふっ、愛らしい話だ……聞いたかカスども? このようないたいけな子にまで、先程までの無様を晒し続けるとはまさか、言うまいな?」
『うっ……』
瞳煌めかせるミスティの、多大なる冒険者への憧れ。それを以て冒険者たちに釘を刺せば、その場にいるほとんど、さっきまでリムルヘヴンにハラスメントの魔の手を伸ばさんとしていた男たちの呻きが重なり響いた。
さすがに10歳かそこらの少女の前で、そこまで無体は利かせられない……そうでなくとも恐ろしい『半裸の奇行士』が来たのだ。気圧されるやら自重するわで、彼らもすっかり大人しくなっていた。
「……ハァ、依頼一つ受け付けるのにこれだ。めんどうくせえ」
「あ、待ってよクロードさん!」
一連のやり取りもどうでも良いと、ため息と共にクロードは進む。昨日よろしく窓口にて、亜人討伐の依頼を受けるのだ。ミスティも後を追ってとてとてと駆け足で付いていく。
──と、そんな二人をリムルヘヴンが遮った。腕組みをして、その手には紙切れが一枚。訝しむ男に、少女はそれを手渡して告げる。
「ちょうど良いところに来た。せっかくだ、貴様も一枚噛め……『奇妙な生物』の討伐依頼だ」
「……『オロバ』絡みってか?」
「それをたしかめるのだ。可能性は高いと踏んでいるがな……奇怪な風貌の生物が人を襲っているそうだ。『魔獣』であれば、そこから一気に話が進む」
「ふん」
リムルヘヴンの提案に鼻を鳴らしつつ、依頼書を見る。ここ最近、この町から南東に下がったところにある村までのルートにおいて、一見して何か判別のつかない怪生物が出現し、連邦各地を渡る隊商を襲う事件が起きたという。
たまたま逃げ延びた者が出したのがこの依頼であり、同行者はいずこかへと連れ去られたらしい。近年発生している連続失踪事件に、何かしら関わりがあるのではないかとリムルヘヴンが推測するのも無理からぬ内容だった。
「……なるほど、くせぇなこいつは。奴らは昔っからこういう手口で人を拐っちゃ、色々とやってたらしいからな」
「詳しいものだな? やはり組織に与しているとそうした情報も掴めるものだったのか」
「聞いてもねえことベラベラ喋る女がいたんだよ……昔の話だ、放っとけ」
揶揄めいた少女の言葉だが、かつて『オロバ』に協力していたクロードの身の上を考えれば当然の質問なのかもしれない。彼の方も特に忌憚なく答えつつ、続けて返した。
「良いだろう、乗ってやるよ……つっても俺は俺で依頼は受けるがな。どうせ道中で亜人に出くわすこともあるだろう」
「出会ったら即殺すつもりか。乱暴だが、それもお国柄か」
「この国ギスギスしすぎなりねー。二号ちゃん、王国南西部行こうぜー半裸ちんのお金で!」
「王国……南西部! 世界で一番平和なところって評判よね」
ミスティがにこやかに言う。連邦から南下した土地にして大陸の大半を占める一大国家、王国。その南西部こそがリムルヘヴンとリムルヘルの故郷であるのだが、戦後においては世界一治安の良い、平和な土地であることは世界中に知られている。
戦時下、戦禍に一切晒されることのなかったがゆえの特異性。防衛のためと町の外周部に拵えた巨大な砦が、一度も有効活用されることなくそのまま観光資源として再利用されてしまう程に平穏を貫いたその地域は、人間にしろ亜人にしろ総じて呑気で穏やかな気質を備えていた。
「なりなり。メイドの亜人さんが見れるのはあの土地だけ!!」
「メイド……?」
「あまり幼子に妙なことを吹き込むな、ヘル。本気で王国南西部に憧れられても、あの母親が困るだけだろう」
「んんー、しょっかしょっかー。ごめんね二号ちゃん、代わりにヘルちゃんが今度メイド服見せたげる!」
「そ、そう? それは、えーと……楽しみね!」
本音ではそこまで見たくない──単純にメイド服に興味がない──ミスティだが、リムルヘルの奇抜な言動に愛想笑いを浮かべて対応する。知り合って間もないため、この意味不明な言動を繰り返す少女にどう反応すべきかが分からないのだ。
はっきり言えばクロードよりも余程、奇行が目立つ。そもそも彼は服装以外、思ったより奇行はしていない気がすると考え始めたところで、当の『半裸の奇行士』はいつの間にか窓口へと行って、そして帰ってきていた。
「下らねえ話してんじゃねえ、とっとと行くぞ。ガキは家に帰ってろ、何ならそこの物狂いもな」
「ヘルは私が護るゆえ、貴様に指図される謂れはないな。ミスティは……まあ、帰るべきだとは思うが」
「う、うー……残念ね。デートもおしまいかしら」
「送るまではしてやる……一人で帰して行方不明になんぞなられたら、俺が誘拐犯扱いされるに決まってるからな。どうせ俺なんか……」
「貴様、もはやノルマのように言うな……」
怪生物を追って外へ出る、その前にミスティを帰す。それぞれに話し合いながらも、一同は冒険者ギルドから離れるのであった。
ミスティを無事に家まで送り届けてから、クロードとリムルヘヴン、リムルヘルの三人は町の外へ出た。ひとまずは怪生物の出現したという、南東の村へと繋がるルートを歩いていく。
比較的晴れ渡った、青空の見える空の下を進む。凍える空気も陽の光でどこか清々しさを纏っており、一行の足取りもスムーズなものとなっていた。
「それで、負け犬。貴様、今はどのくらい戦えるのだ」
「あん?」
急な問い掛けにうろんげなクロード。恐らくは『魔獣』と思しき怪生物に遭遇、戦うとなった際に備えてこちらの実力を把握しておきたいのだろう。そのことは分かるのだが、如何せんリムルヘヴンに聞かれるのは些かならず皮肉と言える。
自嘲して彼は答えた。
「精々、亜人何人かぶっ殺せるくらいのところまでしか、俺も分かりやしねえ……が。風の魔剣はもうねえんだ、前よりかは弱いんだろうよ」
「その鉄塊、それも魔剣ではないのか。どのような力を秘めているのだ?」
「魔剣つってもプロトタイプで、しかも腐食が進んでる鉄屑だ。機能を引き出してもほんの数秒、切れ味が良くなるだけのガラクタでしかねえよ。俺には似合いだがな」
嗤いながら背の鉄塊を軽く揺らす。刃の部分が著しく腐食した、切れ味など期待すべきでないその魔剣は、クロードの言うように機能さえ発揮してなお、ものの数秒しか威力を発揮できない欠陥品だ。
『攻勢魔剣』と、そう銘打ってドクター・マッスルが解説していたのを思い出す。今はこのように腐食している鉄塊だが、時が来ればやがて、真なる力で『オペレーション』を頓挫させると彼女は言っていた。はっきり言って信じがたいと、彼はぶつくさと呟く。
「何が『攻勢魔剣』だ……マッスルの奴はよく分からん期待をしてるようだが、ゴミにゴミ振り回させたって何にもならねえだろうによ」
「プロトタイプの魔剣、『攻勢魔剣』だと? そんなものを持っているなど、本当に何者なのだドクター・マッスルとやらは」
「知るか。聞いたところではぐらかしやがるし、そもそもあんまり興味がねえ。ゴミクズに相応しい鉄屑くらいに思っとけ、てめえも」
「……投げ槍な奴め」
吐き捨てて、リムルヘヴンは呆れたように白く息を吐いた。薄々分かっては来たがこの男、本気で自棄を起こしているらしい。他人どころか自分自身にさえ、大した関心を抱いていない節が見られる。
死にたいのだろう。だから死人を自称して、亜人との死地に拘るのだ。半年前の決戦での敗北で死に損ねた、そのことで彼は生きたまま死んだのかもしれない。
「まったく、理解のしがたい話だな……」
これだけの実力を持ちながら、何とももったいない話だとリムルヘヴンは内心、独り言ちた。唾棄すべき負け犬ではあるがたしかにクロードは、かつて己とアインをまとめて窮地に追いやった怪物なのだ。
ましてや彼女には分かっていた──この男、自分で言う程弱体化してはいない。亜人狩りを続けてきた影響によるものか、風の魔剣を用いて自在に風を操っていた頃に比べて立ち居振舞いに隙が見当たらない。研ぎ澄まされた闘気は澱んだ気配に塗れてはいるものの鋭く威圧感を内包しており、かつてにはなかった貫禄さえも、男に宿させているのだ。
ややもするとこの男、条件が揃う場面ならばかつてよりも強いことさえ、あるのかもしれない。
直感的にそのことに思い至り、リムルヘヴンはひとまず足手まといではないのだろうと推測して静かに呟く。
「知らぬは本人ばかりなり、か……?」
「どったのヘヴンちゃん、雪食べるー?」
「食べん。というかそんなもの口にするな」
無邪気に降り積もった雪を手に取って食む、リムルヘルを抱き寄せて嗜める。どうあれ自分が護るのはこの最愛の妹だけだ。自称死人など、生きるも死ぬも勝手にすれば良い。
三人はかくして、静かにけれど、たしかに歩く。
件の怪生物発生地点まではしばらくそんな風に、進んでいくのであった。