新しい朝
翌日の早朝。いつも寝泊まりしているボロ小屋にて朝を迎えたクロードは、けれど起き上がることなく薄汚れたベッドの上、横たわったまま静かに虚空を見ていた。何か理由があってのことではない。ただ単純に早く起きただけでやることがなかったからだ。
昨日一日であったことを、何とはなしに思い返す。いつも通り亜人を殺して回るだけの日かと思っていたら、目まぐるしい変化の訪れる日だった。
ミスティ、アヴリル、挙げ句にリムルヘヴンとリムルヘル。初対面の親子はともかく過去の敵と再会し、食卓さえ同じくするとはまるで考えていなかったことだ。二度と会うこともなく自分は死んでいけるだろうと、高を括っていたゆえに。
「……アイン、それにセーマ。まさか奴らとも会うなんて成り行きにはならねえだろうな」
呟いて、その発想の恐ろしさに彼の錆び付いた心が軋む。ヴァンパイアの双子姉妹だけでも相当衝撃的だったものを、まさしく宿敵だった『焔魔豪剣』アインや『勇者』セーマとまで再び会うことなど、率直に忌避感がある。
かつて自分を打ち倒した男とその師。しかも師匠の方には並々ならぬ憎悪を抱いていた過去さえある。今となってはもはやどうでも良い感情ではあるのだが、それでもその頃の己を思い返すと会いたくないという気持ちも湧き出てくる。
「惨めだな……過去を思い出すのが嫌な死人か。俺らしいカスさだ」
彼自身、そうした思いが結局自分勝手なものだと分かっている。そもそも邪道に堕ちたのは自分で、彼らは正しい道を歩む過程において己を打ち倒したに過ぎないのだ。正義は向こうで、悪はこちら。これは揺るぎない真実である。
理性とは裏腹になおも言い逃れを画策する本能を盛大に嘲り、クロードはゆっくりと身を起こす。何やかやともう既にそれなりに陽は昇っている、今日もいつも通りギルドにて依頼を受け、亜人を殺しに行かなければ。
「今日こそ……死ねるか? 俺は」
「ごめんくださーい! クロードさん、起きてるかしらー?」
「……あぁ?」
──不意に戸を叩く音、そして聞こえてきた元気な声。直感的に何が起きているのか察して、クロードの顔がうんざりとしたしかめ面に変わる。
昨日散々と耳にした声だ。妙に騒がしく、やけに親身で、変にお喋りで。知り合って一日だが、既にめんどうくさい印象が拭えないその少女を連想しつつ、嫌々ながら彼は扉を開けた。
案の定、そこにいるのは白みがかった金髪の美少女ミスティ。満面の笑みで、朝陽に煌めきながらクロードに話しかけてくる。
「おはようございまーす! 今日は雲もあんまりなくてとっても良い天気よ、クロードさん! デート日和かしら? えへ、なんちゃって」
「……何のつもりだ、ガキ。何しに来やがった」
「もちろん貴方に会いに来たの! 町の外には出ないけれど、せめてそれまではご一緒したいの、私!」
何がそんなに嬉しいものか、寒さに依らず頬を赤らめさせて幸せそうにミスティが言う。どうにも距離を詰めてくる幼い少女があまりにも解せず、クロードは思わず苦々しい表情を浮かべた。
知り合ったのが昨日、そこからの今日の朝、つまりは現在だ。たったそれだけの時間というのに、この少女はまるで恋人か通い妻かのように振る舞ってきている。奇妙を通り越して奇怪な事態と言えるだろう。
どういうんだ、このガキ──頭痛すらしてくる心地で静かに尋ねる。
「意味分からねえよ……何で付きまとう。てめえの親父なら探しといてやるから、黙って家で待ってりゃ良いだろうが。それともそこから信じられねえってか」
「そんなわけないじゃない! クロードさんなら絶対にお父様を助けてくれるって、私は信じてるわ。貴方の側にいたいのは、私がそうしたいからなの」
「何でだよ……何の恨みがあんだ、こんな死人に……てめえに何かした覚えねえんだよこっちは……」
錆び付いた心でもたしかな鬱陶しさ、面倒くささを感じて、クロードはもはや呻くように呟くばかりだ。目の前のミスティの意味不明極まるアプローチに、いい加減頭がふらつきかねない。
あるいは半年前以前、未だ野望を胸に増長していた頃の彼ならば、ミスティのこうした態度も喜んで受け入れていたのかもしれない。自己顕示欲と虚栄心、承認欲求の塊だったかつてのクロードは、それゆえに甘言に惑わされ自ら正道を踏み外したのだ。
だが今や死人同然の、死地にて果てること以外何も望むところのない彼には、それらの欲望が消え失せている。だからこそ困惑が先立つのだ……理由無き好意など、薄気味悪いだけだと感じている。
しかしてミスティの方には理由があるのだ。穢れなき瞳で、彼女はまっすぐに長身の彼を見上げた。
「恨みなんてあるわけないじゃない! 私、貴方に助けられたあの時からずーっと、感謝してるのよ? ありがとうございましたって、何万回言っても足りないくらい」
「感謝してるなら放っとけよ……死人に構うな、頼むから……」
「それは嫌! だってクロードさん、離れると離れっぱなしになりそうだもの。だったら近づいていかなきゃ、すぐにお別れじゃない」
「良いじゃねえかお別れで……めんどうくせえ……」
ぼやきながらもこれはもはや押し問答、何を言ったとてミスティは一歩も引き下がりはしないだろうとクロードは理解し、深く息を吐いた。
どのみち彼女が引っ付いてくるのは町の中でだけだ。それならばこんなところで無為なやり取りを重ねるよりは、さっさと準備を整えて亜人を狩に行く方が間違いなく効率的だ。
そう判断してクロードは、早々に家の外へ出た。ミスティの言っていた通り青空の広がる朝の町並みは、やはり厳しい寒さが漂う。
後ろから寄ってくる少女へも、ぶっきらぼうに告げる。
「……その辺うろちょろすんじゃねえぞ。冒険者ギルド行くんだ、遠足気分だと蛮族どもに誘拐されるからな」
「えっ……蛮族って、冒険者さんたちが? 何で?」
「王国南西部の、躾の行き届いた連中と見比べりゃそう言うしかねえんだよ……付いてきたけりゃ付いてこい」
「あっ! 待ってクロードさん! 行くわ、行くからー!」
足早に歩き出す男を、健気に追いかける少女。
客観的に犯罪と見間違えられかねない、そんな二人は朝の冬空の下、一路冒険者ギルドへと向かうのであった。
「──まったく何処もかしこも、連邦の冒険者とはどうしてこう……手癖が悪いのかッ!!」
「うぎゃあああっ!?」
賑わう酒場に、また一人男が吹き飛ばされた。銀髪の少女が即座に繰り出した、裏拳にて反撃されたのだ。加減されているとは家亜人ヴァンパイアの一撃は、容易く人間の意識を刈り取れる凶悪性を秘めている。
とはいえこの場合、むしろ凶悪なのは殴り飛ばされた男の方と言えるだろう。女と見るや手を出す連中の一人である彼は、ご多分に漏れず悪戯目的で少女の尻に手を差し出していたのだ──『気配感知』にて当たり前のようにそうした動きを捕捉されていたのだから、殴り飛ばされない理由がなかった。
「まったく盛りの付いた猿どもめ、いい加減恥を知れ! あちらこちらで貴様らの同類が、今と同じ愚行を繰り返しては毎回吹き飛ばされているのだぞ! この国の冒険者どもは皆、このような下劣な屑どもしかいないのか!?」
両手を叩いて音を打ち鳴らしながらもヴァンパイアの少女、リムルヘヴンは多大な呆れと侮蔑も露に声を荒げた。近くでは妹のリムルヘルがいて、興味深そうに吹き飛ばされた男たちを見ている。
この町に来て数日経つ彼女らだが、ギルドに来る度このような魔の手に晒されていた。とはいえ指一本とて触れさせずにすべて撃退しているので、結果として後に残るのはぐったりと失神した馬鹿な男たちの山だけだが。
連邦を訪れて数ヶ月、各地の冒険者ギルドを巡ったが概ねこのようなことが繰り返されている。どこにいても似たような連中が似たようなことをして似たように殴り飛ばされ続けている光景にいい加減うんざりするものを覚えつつ叫ぶと、しかして男たちは野卑た笑みで朗らかに言い切る。
「へ……へへへ! あたぼうよ、こちとら冒険者だ、冒険してなんぼだろうがよぉ!」
「亜人の女は美人だなぁ……! せめてその尻に触れりゃ、何だかご利益ある気がするぜぇっ!!」
「あるかそんなもの、何がご利益だ殺すぞゴミどもっ!! ──尻を触るな、ヘル!」
「へはー、ありがたやーありがたやー」
一向に反省も後悔もしない冒険者の男たちに、いよいよ激昂してリムルヘヴンが吼えた。
傍らではリムルヘルが何を真に受けてか姉の尻を撫でてはありがたそうに頭を下げている。いつもの冗談なり茶化しなりだろうが、今この状況ではさすがに相手をする気になれない。
と言うかこのままでは、リムルヘルに悪い認識が植え付けられてしまうかもしれない。何よりもそのことを恐れ、いよいよリムルヘヴンは腰に提げた魔剣に手を伸ばすかと考え始めた。
殺しまではしない……だがタダでも済まさない。死の恐怖に直面させるくらいしなければこの国の下劣冒険者どもは一向に懲りないのだろう。
そう考えてついに魔剣へと手を伸ばさんとした、その時。不意に冒険者ギルドの入口が開き、彼と彼女は現れた。
「何だか賑やかなのね……あっ、リムルヘヴンさん、リムルヘルさん! おはようございます!」
「……たしか、ミスティだったか。それにそこの、貴様」
「……ハァ。どうせ俺なんて、会いたくもない奴らにしか会えない。会いたい奴もいないんだがな、俺なんか」
くすんだ銀髪、焦げた浅黒い肌に長身を半裸に晒し、コートを羽織った変態ファッション。傍らの美しい金髪の少女とは様々な意味で対照的で、率直に不釣り合いな印象を抱かせる死んだ瞳の男。
昨日にも会った、かつての難敵。元『風の魔剣士』クロードが町娘ミスティと共にやって来ていた。
昨日の今日での再会に、それまでの憤りもよそにリムルヘヴンが嘯く。
「負け犬……ずいぶんと面倒見が良いことだな? ミスティを引き連れてこんなところまでお出ましとは」
「二号ちゃんちーっす! 半裸ちんとデートかーい? 秒読みかーい?」
「秒読みって何のかしら? ……ええと、とにかくデートなのはそうかしらね! ねえクロードさん?」
リムルヘルも満面の笑みで手を振れば、ミスティはそれに応えつつクロードを見上げた。少なくとも少女の方はこれが、デートかそれに準じた行為であると思って胸ときめかせていた。
彼も少しくらいは同意してくれると幸せなのだけれど、と問いかける。しかして男の方はいつもの陰鬱さのまま、ボソボソと、けれどよく通る声で語るばかりだ。
「死人がそんな洒落たことはしない……したとしてもこんな吹き溜まりにエスコートなんざ、やっぱり俺はクズってことだ」
「ふ、吹き溜まりって……そんなことないと思うわ。クロードさんのエスコート、素敵よ」
「挙げ句にこんなガキに慰められる……俺なんかどうせ……」
「貴様二言目には自棄を起こすな……」
すべてをネガティブに受け止める姿に半年前の、傲慢そのものだった彼を知っているリムルヘヴンが目を白黒させた。
やはり変貌しているのを実感せざるを得なかったし、その果てがこのような卑屈な男というのがにわかに信じがたくもあるのであった。