亡者の現状
結局ミスティ宅にてクロードたちは、食事までいただいた末の解散となった。
せめてもの礼と言わんばかりに用意された豪勢な食事の数々は、普段ろくなものを食べていないクロードをまたしても暗澹たる自虐の世界に飛び込ませる素晴らしいクオリティではあったが……腹にまともなものを収める感覚は死人と自嘲する彼にあっても抗いがたいらしく、結局完食して席を立つこととなっていた。
リムルヘヴンやリムルヘルも舌鼓を打って満足したようで、ミスティが帰還したことにより結果として無駄足を食ったがその分は取り返せたかと、少し脹れた腹を撫でて互いに微笑んでいる。
今やミスティ宅の門の前、一同は別れに際している。アヴリルがもう一度頭を下げ、深く謝意を表明した。
「本日は本当にありがとうございました、クロードさん。娘の命を助けてくださったこと、私どもは決して忘れません」
「クロードさん、いつでも来てね! というか私が会いに行くわ、貴方ともっとお話ししたいの!」
「めんどうくせえ……死人に気をかけると、てめえも死人になっちまうぞ」
「クロードさんみたいな素敵な死人さんなら悪くないかも! ふふ、そうなったらお揃いね!」
「ちっ……」
何を言っても好意的に受け取ってくるミスティに、クロードは返す言葉もなく舌打ちをする。厄介な子どもに目を付けられた──正直に言えば距離を置きたいところだが、この少女は間違いなくそれを許さない。
何よりドクター・マッスルからも頼まれてしまっているのだ、この子の父親を探し出せと。死人とて受けた恩義は返すものと考えるクロードとしては、なるべくならばそれに応じる気構えではいた。
「今回は残念ながら依頼が事前破棄となったが、我々はしばらくこの町を拠点とするつもりだ。また何かあればギルド伝に依頼してくるが良い」
「二号と四号の頼みなら、たとえ火の中水の中! 零号と一号は後輩思いのヘルちゃんなのだー!」
「無理矢理二号にしないでもらえるかしら!」
「あの、四号扱いはちょっと……」
「おい、もしや私が零号なのかヘル? ヘヴンだぞ私は。リムルヘヴン。ヘルじゃない」
多少居丈高だがそれでも歩み寄りの姿勢を示すリムルヘヴン。やはり半年前と比べて雲泥の差で、人間に対しても明らかに物腰が穏やかになっている。
対して半年前とはやはり変わらぬ意味不明さで他人を巻き込むのがリムルヘルだ。結局ミスティを二号、アヴリルを四号認定してあまつさえ、実姉たるリムルヘヴンですら零号呼ばわりの始末。これには堪らず三人が否やを示すのだが、構わずに少女は笑うばかりだった。
「と、とにかく今日はありがとうございました。どうぞお気を付けてお帰りくださいませ」
「またねクロードさん! リムルヘヴンさんにリムルヘルさんも、またお会いしましょう!」
ともあれ解散と相成って、各自それぞれに歩きだした。ミスティはアヴリルと家に入っていくし、クロードはようやく解放されたと言わんばかりに首をならしつつ、自宅へと戻ろうとしている。
「……まて、負け犬。聞きたいことがある」
「あ……?」
──と、そんな彼をリムルヘヴンが呼び止めた。その声音は固いもので、いささかの警戒さえ垣間見える。敵意は今のところ感じられないが、いつ揉め事になろうと構わないような気配も漂う。
立ち止まるクロードに妹共々並び、歩くように示す。歩きがてら話すつもりらしい。そして単刀直入に彼女は、問い質した。
「貴様、まさか未だ『オロバ』などに与してはいないだろうな」
「そう見えんのか、こんな死人が」
「その背に負う大剣を見れば疑いも出る。一見ただの鉄屑だが私は誤魔化せんぞ──魔剣の類だな、それは」
鋭い眼光。射抜くように見つめる視線の先にあるのはクロードではない。彼の背負った鉄塊だ。
他ならぬリムルヘヴンだからこそ、それが単なる鉄の塊などではないことに気付けていた。自然と放つエネルギーの存在感が、否応なしにそれが兵器であることを知らしめてきたのだ。
すなわち魔剣。彼女自身も愛用とする『オロバ』謹製の武器の、同類である。
「……よく分かったな。その通り、こいつは一応、魔剣だ。お前の腰に提げてるものと同種のな」
指摘を受け、あっさりとクロードは認めた。背に感じる鉄塊の、重みが不思議と増した気がする。
白く積もる雪道の中、にわかに緊迫した空気が漂う。リムルヘヴンは静かに腰に提げた愛刀、『水の魔剣』に手を伸ばした……かくもあっさり認めたのはどういったわけか。次第によっては今この場にて、半年前の続きをしなければならないのかもしれない。
緊張の一瞬。しかしクロードは、ひどく詰まらなさそうに死んだ瞳で、あっさりと言い返した。
「ドクター・マッスルつってな。半年前に連邦に流れ着いた瀕死の俺を、酔狂にも保護した科学者の女がいる。そいつの拵えたもんだ」
「ドクター・マッスル……? 何者だ。『オロバ』の手の者か」
「さてな。俺に『オペレーション・魔獣』の阻止を依頼してきたんだ、少なくとも今は敵対してるんじゃねえのか」
「……『オペレーション・魔獣』だと」
聞くからに『オロバ』の画策と分かるその名に、リムルヘヴンは目を見開いた。半年前には『プロジェクト・魔剣』が王国にて発動したのだが、それに巻き込まれた彼女ゆえの驚きだ。
よもや連邦にてかの組織が、活動しているというのか。キナ臭いものを感じとり、リムルヘヴンは更に問う。
「何が起きているのだ、この連邦で。一月前には共和国でも何ぞあったようだが、どこまで絡んでいる、奴らは?」
「俺が知りたいくらいだそんなもん……少なくともこの辺りの失踪事件は連中の仕業じゃねえかって、マッスルは推測してるみたいだがな」
「……そう繋がるか。たしかに奇妙極まる怪事件だが、『オロバ』によるものならば納得はいくが」
「『オペレーション・魔獣』ってことは裏で手ぇ引いてんのは大幹部のミシュナウムだ。あの陰険ババアならなるほど、人を拉致るくらい普通にやるだろうよ」
見知ったように『オロバ』大幹部の一人を語るクロード。それもそのはず、かつて風の魔剣士としての彼が組織に与していた時、成り行きから二人は面識を持っていたのだ。
ミシュナウム──恐ろしく年季の入った老婆を彼は思い返した。人間でありながらも1000年生きた、などと嘯いていたが組織を創設した首領とも旧知らしいので、強ち嘘でもなかったのだろう。全体的に腐臭の漂う、見かけではなく魂が醜悪に感ぜられる老婆だった。
「『魔獣』についても俺はほとんど見たことねえがな……あのババアが仕切ってんならどの道、相当ろくでもねえはずだ。死人の俺より腐りきってる、腐乱死体みてえな奴のやることだからな」
「む? ……ああ、そうか貴様は知らんのだな。決戦後すぐに連れ去られたから」
「ああ……?」
「ミシュナウムならば死んだぞ。半年前、貴様が敗れた直後にな」
その言葉に呆気に取られ、クロードは珍しくもぽかんと口を開いた。ミシュナウムが死んでいたなどと、思いもしていなかった事態だ。
あの老婆は王国での『魔剣騒動』に少しばかり助力しており、クロードが敗北した件の決戦の場にも居合わせていた。魔剣士たちの殺し合いがどう転ぶにせよ『プロジェクト・魔剣』を遂行できるよう、近場でスタンバイしていたのである。
それが実のところ、クロードが敗れたすぐ後に死んだのだという。率直に信じがたい話で、誰がどうやってかと疑問を浮かべる彼にリムルヘヴンは、静かにその名を呟いた。
「──セーマ」
「……っ!?」
「ミシュナウムを殺したのはあの『勇者』だ。首を跳ね飛ばし、塵一つなく消滅させたそうだ」
「『勇者』……セーマ……!」
呻くように、もはや唸るようにすら呟くその名前は、クロードがこれまで意図的に口に出すまいとしていたものだ。
『勇者』セーマ──6年前、戦争を終わらせた救世の大英雄。王国南西部は大森林内にて聳える『森の館』の主にして『焔魔豪剣』アインの師である。同時にクロードにとっては冒険者としての同期であり、何よりもとある動機から嫉妬し、道を踏み外す切欠となった人物と言える。
人体改造による何ら労せずして手に入れた力で世界最強となった、彼への怒りと憎しみ。貰い物の力で世界を救い、冒険者だった祖父たちの世代、華々しい英雄譚で彩られた時代を過去のものとして愚弄したことへの反発。
これらを以て、半年前のクロードは『オロバ』に与したのだ。魔剣士として大成し、セーマをも超える『英雄』となることで彼のすべてを貶めてやろうと考えたのである。
錆び付いた心がかつてない程に震える。未だ忘れ得ぬ絶望が、にわかに腸からせり上がってくるような感覚をどうにか堪えつつも彼は、苦々しく呟いた。
「奴が……か。なるほど、そりゃ死ぬな。1000年生きた末路があんな化物に殺されるとは、これが因果応報ってやつなんだろうよ」
「ふむ? 存外冷静だな、負け犬。かつてはあんなに憎んでいた相手が、今ではどうでも良いのか?」
からかうようなリムルヘヴンの声音には、しかし嘲笑も色濃い。決戦の最中に彼女は、クロードの偽り無き本音、つまりはセーマへの憎しみと嫉妬──子どもの我儘に他ならない叫びを聞いていたがゆえに、彼への侮蔑を隠すつもりなどどこにもなかった。
あまりに独り善がりな理由で道を踏み外し、挙げ句生き延びた癖に死人を自称する腑抜けた負け犬。そんな今のクロードに、何ら手心なく言葉にて痛撃を食らわせ続ける。
「英雄になるだの、相応しいのは僕だのと色々ほざいた末に、蓋を開ければただのガキの戯言ときた。あの時ばかりは絶句したぞ? ……人間にはこうまで底無しの馬鹿がいるものなのか、とな!」
「……そうだよ、俺は馬鹿だ。底無しのな。勉強になったなら何よりだ。死人もたまには、役に立つ」
それでもまったく堪えた様子もなく、何ら変わりなく澱んだ瞳で薄く笑う。今やリムルヘヴンの言葉はすべて事実だと、クロード自身が受け入れているのだ。煽りや挑発など成立するわけもない。
ただ錆び付いた心のどこかがやはり、ぎちぎちと音を立てるのみだ。続けて彼は、そんな己を誤魔化すように言った。
「俺はもう、朽ちていくだけの死人だ。誰の邪魔にもなるつもりはない。『オペレーション・魔獣』を潰すまでの間だ、変にうろちょろすんのも」
「貴様……」
「放っておいてくれ。死ぬべき時に死ねなかった男の、末路なんざこんなもんなんだ。捨て置いてくれ。その内どっかで死んどいてやるから……どうせ俺なんて、そんなくらいがお似合いなんだよ」
もはや希望の欠片も見出だせない言葉の数々に、今度こそリムルヘヴンを絶句させてクロードは歩いていく。
とぼとぼとした足取り。生気も意欲も失い果てた亡者の、惨めな姿がそこにはあるのだった。
第一章はさくさく投稿しますー
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