予期せぬ再会、リムル姉妹
町に辿り着き、ミスティの家へと向かう。彼女の案内を受けながらもクロードが進むのは、夕暮れ、微かに差す陽光が雪道を照らす大通りの、ちょうど真ん中辺りだ。
クロードが住み着いているボロ小屋など話にもならないような立派な家が立ち並ぶ。店も多く、人で賑わう町並みであり誰もが平穏無事に過ごしている。
「ハッ……俺みたいな薄汚いゴミが通るには、あんまり眩しすぎるな」
あまりに場違いな自分。文字通り住む世界が違うのだと、彼は己を嘲った。
半年前に闇の底に堕ちてからというもの、彼は滅多なことで人の賑わいに足を踏み入れることはしていない。精々がギルドを訪れる時だけで、それにしたところで時間にして10分とて滞在していないのである。
人に紛れていると、指差されて告げられている気がするのだ──お前のいて良い世界ではないと。お前のような唾棄すべき屑は、死ぬまで殺し続ける死地にいるのがお似合いだ、と。
無論これはクロードの錯覚、あるいは幻視幻聴なのであるが、それでも当人にとっては真実であり、決して揺らぐことのない事実であった。
「どいつもこいつも、俺を見て嗤ってやがる……良いさ、嗤えよ。死んでないだけの死人なんざ、見世物くらいにしか存在価値もねえだろう。嗤え、嗤ってくれ」
「クロードさん……どうしてそんな風に言うの? 誰も貴方を笑ってなんていないわ。その……服装に関して驚いている人はいるみたい、だけれど」
被害妄想も甚だしい呟きを聞き漏らすことなく、ミスティは顔をひきつらせてクロードを慰めた。実際、彼女から見ても彼に笑われるような点などどこにもない。服装以外は。
鍛え抜かれた長身。焼け焦げた浅黒い肌は野性味があり、くすんだ銀髪を無造作に伸ばしているのは、クールさとミステリアスさを醸し出してとても素敵だと少女には思える。服装以外は。
それでいて亜人を相手に連日戦い続けられる程の強さと、見ず知らずの子どもをわざわざ助け、あまつさえ家にまで帰してくれる優しさ。そのどれもが幼いミスティの心を捉えて離さない要素だ。服装以外は。
そのような彼を、果たして誰が指差して笑うなどするものだろうか──服装以外は。
そう、服装以外は。
「『半裸の奇行士』……こんなところで見かけるなんてこと、あるんだなあ」
「あんな変な格好してても、超強い冒険者なんだろ? 毎日亜人狩りしてるって噂の」
「『亜人狩り』ってのがもう既に意味不明ね……ていうか寒くないのかしら。死ぬわよあんなの」
「でもでも、何だかセクシーよね。野生の豹とか虎みたい……男の人に言うのもなんだけど、色っぽいわぁ」
中にはうっとりとして、クロードの醸す退廃的な色気に惑うような声もありはしたものの、基本的には変態を見る眼差しばかりだ。
それでも何とはなしに受け入れられているのは、やはり彼が亜人を狩り続けて町周辺の治安を一気に良好なものとしてくれた存在であるからに他ならない。
「ハァ……そうだ嗤え。俺なんてどうせ、誰かの物笑いになるしか死んでない価値がないんだよ。どっかで野垂れ死ぬまで、嗤われ続けるんだ」
けれど、そんな奇異混じりだが感謝、畏怖、敬意などの好意的な感情がまったくもって伝わっていないのだ。誰しもが己を嘲り嗤っていると、クロードは本気で信じている。
暗く笑みを浮かべる。死んだ目、澱んだ瞳がやはり自分自身を虐げるのを、ミスティは哀しい想いで嘆くばかりだった。
「もう……! どうしてそうなっちゃったの? クロードさん、何があってそんなになったの? 私、貴方をそんな風にしてしまった誰かがとても許せないわ!」
二人はそれでも大通りを歩く。そろそろ通りも終わる頃になってようやく、ミスティの家が見えてきていた。
豪邸だ。それなりの敷地面積に何階建てかの屋敷、庭。見るからに富豪の住むような家が、少女の住まいだった。
庭にて雪掻きをしていた使用人の何人かが、クロードとミスティに気付いて目を見開いた。それからすぐに駆け寄ってきて、慌てたように叫ぶ。
「お嬢様……っ! ミスティお嬢様、ご無事でしたかっ!!」
「あ……はい。ごめんなさい、勝手にいなくなってしまって。とても悪いことをしました、私」
「おお、おおお……! お嬢様がお戻りになられた! 早く、早く奥方様にお知らせを!!」
今朝方から行方不明となっていた令嬢が、その日の夕方に無事帰ってきた。これは昨今の失踪事件を踏まえれば奇跡のようなもので、使用人たちは喜色満面にミスティの帰還を喜んでいる。
この屋敷の主人、すなわちミスティの父親が失踪して一月してから今度はミスティが姿を消したのだ。彼女の母親はもちろんのこと使用人一同、何ができるわけでないにせよ居ても立ってもいられず不安と焦燥に駆られていた。それが今、ひとまずの安寧を得たのだ。
涙を堪えつつも使用人たちはしかし、今度はクロードを見た。警戒心も露にミスティを庇うように眼前に立ち、問いかける。
「失礼ながら、貴方は一体? 何やら……あり得ぬ格好をしていらっしゃいますが」
「……死人の俺なんか、疑われるに決まってるか」
「し、死人? そうは申しておりませんが……」
「ハァ……どうせ保安だか何だかに俺が犯人だと決め付けられるんだ。そうして町を追われるに決まってるんだ。俺なんか、俺なんて」
どんよりとした死人の目で、陰鬱にネガティブなことを口走る、控えめに言っても不気味な出で立ちの男。ミスティを連れて帰ってきたように思えるので恩人の可能性は高いのだろうが、如何せんあまりに奇怪すぎる。つい警戒してしまうのも無理からぬことではあった。
しかしそんな使用人たちを見て、瞬間的に激怒した者がいた。彼に救われ、保護され、そしてあるいは既に絆されている少女……ミスティである。
「クロードさんは亜人に襲われていた私を助けてくれました! 命の恩人です! そんな方に失礼をなさらないでください、皆さん!!」
「えっ……は、それは本当ですので……?」
「本当に決まってます! とっても強くて優しい、素敵な男の人なのよ! それなのに酷い、酷すぎるわ! 悪いのは勝手にいなくなった私なのに!」
幼さゆえの激昂。命を救ってくれた王子様のようなクロードをこうまで悪し様に疑われて、ミスティの怒りは容易く頂点に達していた。
涙目にすらなりながら使用人たちを退けて彼の傍らに立つ。未だぶつぶつと暗く呟く男の手を取って、彼女は高らかに宣言した。
「私のパパも、この方がきっと探しだして連れ帰って来てくださるのよ! そう約束してくれたもの、絶対だわ!」
「そ、そうですか……? そ、それではそのう、失礼いたしました、クロード殿?」
「こんなガキに庇われなけりゃ、俺はまともに信じられやしない……どうせゴミだよ俺なんか。どうせ」
「ああもう、クロードさんたら! そんな風に自分を悪く言っちゃ駄目よ、私哀しいわ! ほらポジティブに、ポジティブに! 笑顔笑顔、私と一緒に、ね?」
今度はネガティブなクロードを叱咤し、ミスティはにこやかに笑う。彼の心を捉える何か、重く暗い闇など笑顔の力で吹き飛ばしたかった。
甲斐甲斐しく半裸の男の世話を焼く、10歳の少女。端的に言って犯罪的であるし、使用人たちからしても愛して止まないお嬢様が一昼夜でかくも一人の男に夢中になってしまっている姿は、率直に別の意味で不安になるものだ。
とはいえどうやらミスティを保護したのは事実であるらしく、早急に引き剥がしてさあ帰れと突き放すこともできない。それどころか今現在行方不明中の旦那様まで連れ帰ると言っているのだから、藁にもすがる思いで頼る他ない。
苦々しい思いで親密な──ミスティが一方的に距離を詰めているだけで、クロードは相変わらず自分の世界に閉じ籠っているばかりではあるが──様子を見つめていると、屋敷の方から数人の使用人とその主らしき女性が出てきた。
「ミスティ……! ミスティーっ!!」
「あ……お母様っ!!」
女性、ミスティの母は駆け寄り、無事に戻ってきた愛娘を抱き締めた。強く強く、二度と離さないと言わんばかりの力でだ。
30歳にもなっていないだろう若さと美貌。娘同様の白みがかった金髪のショートボブが活発ながらも落ち着いた印象を与える。顔立ちも良く、全体的にミスティを大人にするとこうなるのだろう、と思えるような女性だ。
「心配した……! 心配したのよ! どうして、どうして勝手にどこか行くの! 私を、私を置いてどこかに……っ!!」
「ぁ……ごめん、なさいお母様……」
「嫌よ、パパだけじゃなく貴女までいなくなるなんて、耐えられない……!! ねえお願い、一人にしないで、一人にしないでぇ……っ!」
「……ごめん、ごめんなさいっ。馬鹿でした、悪い子でした……っ。ごめんなさいっママっ!!」
互いに号泣して抱擁しあう。愛する娘が無事だったこと、一人ぼっちにならずにすんだことに涙する母と、そんな彼女を悲しませ、身勝手な行動に出てしまった罪悪感に涙する、娘と。彼女たちだけでなく使用人たちも涙し、ハンカチで目元を拭っている。
ただ一人、クロードだけだ。そうした感動的な情景にも何ら心を動かすことなく、ひたすらに虚空を見てじっと無反応でいるのは。
「……ぐす。それで、それでねお母様。こちらのクロードさんに、亜人から護ってもらったの。すごい方なのよ。強くて、優しくて」
一頻り泣いて、泣いて、しばらく。ようやく落ち着いてきた頃にミスティは母にクロードを紹介した。自慢げに、不敵な笑みさえ浮かべている。
それを無視してやはり佇む。ミスティの母が、彼の前に立ち深く、頭を下げて謝意を示した。
「ミスティの母、アヴリルと申します。この度はクロードさん、娘を保護してくださり本当に、本当にありがとうございました……! 何度お礼をしてもし足りません、貴方は、我が家の恩人です……!」
「そこのガキが勝手に付いてきただけだ。死人に礼なんざ言うな」
「クロードさんはね、ちょっと昔に色々あったみたいで、すごく後ろ向きでやけっぱちを起こしてるみたいなの。でもとっても素敵で格好良い人だから、嫌わないであげてお母様、皆」
「あら……あら、ミスティたら。ふふ」
誰に対しても等しく無関心、かつ失礼なクロードの態度だが、ミスティの母アヴリルはまるで気にしていない。それどころか愛娘が必死に彼の良いところをアピールしている姿に何を察したか、ニコニコも笑い始める程だ。
と──そこで不意にアヴリルの顔が曇った。ミスティの失踪沙汰にすっかり動転して、彼女は彼女なりに捜索を打診していたことを思い出したのだ。
「ミスティの捜索依頼のため、無理を言ってレベルの高い冒険者様に急ぎ、来てもらっていたのだけれど……依頼は解決したのだし、お帰りいただくしかないのかしら」
「う……あの、ごめんなさい……」
「何言ってるのミスティ。貴女が無事に帰ってきたのなら、それが絶対に一番なのよ」
自分の勝手な行いが、予想を超えて大事になってしまっていた。改めて悔やむ娘を、アヴリルは抱き締める。
そして振り返る。呼んでいた冒険者は今や騒動を察して屋敷から出、周囲に混じってこちらを見ていた。珍しい亜人の女冒険者だ──しかも双子らしく、妹が常に付き人としていることで最近、評判の実力者。
申しわけなさげに彼女は、冒険者に声をかけた。
「成り行きは、ご覧になっていらしたかとも思います。その……お呼び立てして真に申しわけありませんが、依頼の方は」
「……あ、いや。それは構わん。無事に帰ってきたならそれが何よりだ。だが……」
「うわぁーぉおうっ! 何やらカニやらクラゲやら! どっかで見たよな無いようなー!」
冒険者──銀髪で青白い肌の、幼い顔立ちだが表情は厳めしい少女。そしてその隣で奇声をあげる、まったく同じ顔に天真爛漫な笑顔を張り付けている少女。双子だというその亜人姉妹は、アヴリルの言葉などどうでも良いようにクロードを見ている。
「──ああ?」
クロードもまた、その姉妹を見て硬直した。反射的に思い返される、昔日の光景。あの日敗れ、破れた時の姿が、今目の前にいる彼女らと重なる。錆び付いた心が軋みをあげる。
知らず知らず、彼は彼女の名前を呼んだ。其はかつて己を打ち倒した者の片割れ。己とは異なる、真なる英雄の素質を持つ者の一人。
「リムル、ヘヴン──?」
「……やはりか、貴様。『風の魔剣士』だった虫けらが、まさかこんなところで生きていたとはな!」
「ぉっほー私はノー眼中っふーぅ! やほやほ、半裸ちーん! リムルヘルちゃんだよおっひさー!!」
『水の魔剣士』リムルヘヴン、そして妹のリムルヘル。
去年夏、王国南西部にて起きた『魔剣騒動』を鎮圧した立役者の姉妹が何の因果か、今。クロードと再会したのであった。
本作の前々作にあたる『王国魔剣奇譚アイン』からのゲストキャラその一と二、登場です
ちなみに
時系列的には『王国魔剣奇譚』→『共和国魔眼事件』→『連邦魔獣戦役』になるわけですが、話のつながりとしては実のところ、本作は『王国魔剣奇譚』から地続きのシナリオとなってます
余談ながら、一応